百三十七話 少年の起こした奇跡は少女を故郷へ・・・
近づいていく地面を眺めながら、イアンは落下していた。
遥か上空から落とされたイアンの落下速度は凄まじく、助かることはないだろう。
サラファイアがあと一回使えるため、助かる可能性は少しあるが、その後の手が残されていない。
万事休すである。
(ここで、オレも死ぬのか。色々あったが、すごい死に方をするものだ)
落下しながら、イアンはこれまでの人生を振り返る。
木こりの日々よりも、冒険者になった日々の方が長く感じた。
(ずっと木こりをやっていると思っていたが、分からないものだな)
最後は冒険者として、人生を終える。
イアンは、それが不思議なことだと思った。
(ああ……あいつ…ラノアニクスを故郷へ連れて行くと約束してたな。その約束は、叶えてやりたかった……)
イアンは冒険者としての日々を振り返りながら、果たせなかった約束を思い出した。
「ここは……」
気が付くと、イアンは見知らぬ場所に立っていた。
どこかの遺跡のようであるが、壁や床は朽ちかけた石煉瓦で作られておらず、金で作られていた。
そのせいか、陽の光が届かない場所であるにも関わらず、視線の先まで見通すことができた。
「来るとしたら、あの泉の場所かと思ったが、本当に死ぬ時は違うのか? 」
イアンは雰囲気で、そこが泉のある場所とはまったく違う空間であると感じた。
「今、オレがいるのは通路か……先に進むべきなんだろうな…」
目線の先まで通路は続いており、とりあえずイアンは進むことにした。
通路の先にあったのは、広い部屋であった。
その部屋も通路のように、金で作られている。
真っ先に目に入ったのは、部屋の奥にある大きな扉のような者、その次に目に入ったのは――
「ラノアニクス…か? 」
「あれ イアン? 」
ラノアニクスであった。
彼女は、大きな扉の前にある祭壇のような所で腰掛けていた。
ラノアニクスを見つけたイアンは、彼女の元へ歩いていく。
「おまえ無事だったのか」
「うん。ラノの首は頑丈だから、ちょっと噛まれたぐらいじゃ死なないよ」
「首を噛まれていたのか……ところで、何をしているのだ? 」
「何もしてない…気づいたらここにいた…」
「気づいたらか。オレと同じだな……おまえ一人か? 」
「うん。ずっと一人だった…」
「…? ふむ…………そういうことか…」
イアンはそう返すと、ラノアニクスの隣に腰掛ける。
しばらく何もせず、ぼうっとする二人。
ようやくイアンの口が開き、沈黙は破られる。
「これからどうするか……あのでかい扉が怪しいと思うのだが、ラノアニクスはどう思う? 」
「分からない。だけど、あの扉…開けるかもしれない」
ラノアニクスはそう言うと、祭壇から飛び降り、大きな扉に向かって歩いていく。
扉の前で彼女が手を翳すと――
ゴゴゴゴゴゴ…
音を立てな上がら、大きな扉が開き始めた。
「ほう…本当に開いた。これで外に出られるのか? 」
イアンも祭壇から飛び降り、ラノアニクスの元へ向かう。
「……」
扉が開いたにも関わらず、ラノアニクスは立ったまま、何も反応することはなかった。
「どうした? ラノアニクス」
彼女の隣に来たイアンが訊ねる。
「……あそこ…ラノ、知ってる…」
「知ってる…何を? 」
「ラノの家、山、湖…ラノの好きだった場所、みんなある! イアン、見えるか? 」
気分が高揚したのかラノアニクスは飛び跳ねる。
扉の向こうにあったのは、ラノアニクスの故郷だったようだ。
「ほう……そうか、この向こうにおまえの故郷があるのだな。良かった……」
「うん! ラノが案内してやるから、イアンも――」
ラノアニクスは、イアンの腕を掴もうとしたが、彼女の手はイアンの体をすり抜けてしまう。
「…!? ど、どうした? なんで? 」
「……悪いな、ラノアニクス。オレは向こうに行けないのだ…」
「なぜ? どうして…イアン、体が! 」
ラノアニクスが必死にイアンの体に触れようと手を伸ばすが、どれもすり抜けてしまう。
今のラノアニクスとイアンとでは、体の状態が異なっていた。
「オレはもうすぐ……いや、何でもない。とにかく、おまえはこのまま故郷へ帰れ」
「あ…イ、イアン…」
ラノアニクスは、ようやくイアンの状態に気づき、後退る。
彼は今、姿だけをこの世に映す霊体のような状態であった。
魂だけがこの場にあり、姿と声だけはラノアニクスに伝えることができる。
従って、実体を持つラノアニクスは、今のイアンに触れることはできない。
「よく分からないが、おまえを故郷に返せるようだ。まだやり残したことが色々あるが、その一つが満たされたよ…」
イアンは、ラノアニクスに歩み寄り、彼女の頭に手を乗せる。
触れられないので、イアンは撫でる仕草をした。
「これで約束は果たした……じゃあな、ラノアニクス。いや、おまえには本当の名前があるか。もし…また会うことがあったら、その名前を聞かせてくれ…」
イアンはその言葉を最後に、ラノアニクスの前から消えた。
まるで最初からいなかったかのように、そこにイアンはいた痕跡は一切残されていない。
「……あぁ…」
呆然し、立ち尽くすラノアニクス。
目の前には、見知らぬ遺跡の部屋。
振り返れば、よく知る自分の故郷。
彼女が進むとしたら、後ろにある自分の故郷である。
ラノアニクスは振り返り、その先に広がる世界を目指して歩き続けた。
「……」
故郷に帰れるというのに、重々しい足取りであった。
「…約束……絶対。でも、いつした? 」
イアンの最後の言葉を思い出し、ラノアニクスの足が止まる。
彼女は約束という言葉の意味を理解しているが、イアンに何を約束されたかが分からなかった。
「イアン、約束果たした…ラノは帰る…………あ! 」
ラノアニクスは、かつてイアンと交わした会話を思い出す。
『必ず、故郷へ返すからな』
『ギャウ? ……イアン…分からない…』
『そうか、まだ分からない言葉であったか……とりあえず約束しよう』
『約束……約束! 約束、守る絶対! 』
それは、ラノアニクスが言葉を覚えたて時であった。
イアンはラノアニクスが故郷という言葉を知らないと思った。
しかし、この時のラノアニクスは故郷という言葉の意味を理解していた。
彼女が分からなかったのは、イアンが故郷へ返すと言ったことだった。
何故、自分を故郷に返すのか、それが理解できなかったのだ。
「約束……違う。ラノ、言ってない……帰りたいなんて、言ってない! 」
ラノアニクスは、両手を前にかざす。
「ギュゥゥゥゥ…ここじゃない…ラノが行きたいのはここじゃない! 」
ラノアニクスは突き出した手に力を込める。
「ラノは帰らない! ラノは……まだ…! 」
ラノアニクスの意思が反映されたのか、扉の先の景色が歪んでいく。
故郷の景色が徐々に違う場所のものへと変わっていき――
「ギャオ! 」
ラノアニクスは、本当に行きたい場所を目指して走り出した。
「……む? まだ落ちていなかったか」
目を開けたイアンは、まだ迫り来る地面を眺めることができた。
意識を失ってから、それほど時間が経っていないと彼は感じた。
「あれは夢だったか? いや…この疲労感は夢ではないだろう……あとは、セアレウス…」
イアンは心の中でセアレウスの名を呼ぶ。
(はい、兄さん)
セアレウスは間を置かず、イアンの通信に応答した。
(兄さん、大変です! ラノちゃんが突然――)
(セアレウス、すまない。バルガゴートを倒すことができなかった。オレはもうすぐ死ぬ…)
イアンは一刻も早く伝言を言うため、セアレウスの言葉を無視する。
(消え……え……)
セアレウスも言いたいことがあったが、イアンの言葉に、思わず掠れた声を飛ばしてしまう。
(ベティ達には申し訳ないと言っといてくれ。あと、ロロット、キキョウ、ネリーミア…もしこの三人に会った時にも頼む…)
(……あ…諦めないでください! こんなことでわたしに通信しないでくださいよ! まだ、兄さんは生きてるじゃないですか、こんなことをしている暇があったら、生き延びる努力をしてください! )
イアンの頭の中に、セアレウスの怒鳴り声が響いた。
初めて妹に怒鳴られ、イアンは驚いたが――
(…すまない。もうどうすることもできん……それより、奴は更に強くなっている。この島から逃れたほうがいい)
彼の闘志が再び燃え上がることはなかった。
手を尽くした上での敗北である。
彼の言葉どおり、どうしようもなかった。
(まだ諦めるのは早いです。今度はわたしと二人で挑みましょう! どこですか? 兄さんはどこにいるのですか? )
(今、空の上だ。とてつもなく高い位置から落とされた)
(落とされた…空にいるんですね、今探します! わたしの水で受け止めますので! )
(この速度ではな……ところで、さっき何かを言っていなかったか? )
ふと、イアンはセアレウスが何かを言っていたことを思い出した。
(あ、ああ、ラノちゃんがいきなり消えたんです。倒れていたはずなのに…)
(おまえ、山にいたのか。ラノならばオレが故郷へ返した。探す必要はない…)
(え!? 故郷ってどういう…………)
しばらく、セアレウスの声が聞こえなくなる。
(どうした、セアレウス? )
それを不思議に思ったイアンがセアレウスに訊ねる。
(空になんか……あっ!? )
(空に……まさかバルガゴートの奴が動いたか! )
イアンは落下しながら、バルガゴートの姿を探し出す。
(い、いえ、ラノちゃん…がいました)
(なに!? そんな馬鹿な! あいつは故郷に帰ったはず。どこにいる? )
(空……あっ! 兄さんのすぐ近くです! )
バサッ!
(……!? )
その時、イアンは何かが羽ばたいた音を耳にした。
それと同時に――
「う、うおっ!? なんだ!? 」
イアンの落下が停止するどころか、空の上へと舞い上がっていく。
襟を何かに掴まれており、イアンが見上げると――
「ギャウ…」
ラノアニクスが頭上にいた。
腕から生えた蝙蝠のような翼で羽ばたき、足でイアンの襟をしっかり掴んでいる。
イアンを見下ろす彼女の瞳孔は開かれていた。
「羽!? 何故、腕から? あとその目…まさか…! 」
その目を見たイアンが動揺する。
イアンに牙をむいた時と同じ目をしているのだ。
「ギャオ…大丈夫。イアンを襲ったりはしない。羽は飛びたいって思ったら生えた」
構えるイアンとは裏腹に、ラノアニクスの声は落ち着いていた。
「そ、そうか…羽は生やしたのか…すごいな。でも、大丈夫か? 」
「ちゃんと飛べる、安心しろ…あと! 」
「うおお!? 」
ラノアニクスは、掴んでいるイアンを振り回した。
「ラノ、怒ってる! ラノ、帰りたいって言ってない! 勝手に約束するな! ギャオ! 」
「う…なに? 帰りたいのではないのか? 」
「ギュゥゥゥ…違う。むしろ帰りたくない! 」
ラノアニクスは首を横に振った。
「帰りたくない……そうか…オレの思い込みだったか。すまん、おまえの気持ちを考えていなかった」
「ギャオ! 許さない! 」
謝罪したイアンだが、ラノアニクスは許さなかった。
「え……そ、そうか…どうしたら許してくれるのだ? 」
落胆するイアンは、ラノアニクスに許しを請う。
「ギャウ、ラノにたらふく肉を食わせろ!あと、ラノといっぱい遊ぶ! それで許してやる」
ラノアニクスは、フンッと鼻を鳴らした。
「……は、はは…」
イアンは乾いた声を出しながら、セアレウスに通信を繋げる。
(すまなかったな、セアレウス。おまえの言うとおり、諦めるには早かったようだ)
(…ラノちゃんが助けてくれたようですね。あと、立ち直りましたね、兄さん)
(ああ、さっきは迷惑をかけたな。カジアルに戻ったら、おまえにも侘びをするとしよう)
(いえ、そんなの必要ないです。みんなで一緒に帰りましょう)
(ああ)
イアンはセアレウスとの通信を切り、ラノアニクスの顔を見据える。
「ああ、今度こそ約束しよう。だが、その前に…愚問だと思うが、やれるか? 」
「ギャオ、愚問! 今のラノは誰にも負けない! 」
イアンとラノアニクスは、バルガゴートに目を向ける。
「よし! 行くぞ、ラノアニクス! 」
「ギャウ! 」
バサッ!
そして、イアンを掴んだラノアニクスはバルガゴートを倒すべく、遥か上空を目指して羽ばたいた。




