百三十六話 時は一刻を争う
イアンは、小さくなったネアッタン島を見下ろし、呆然としていた。
今、イアンは雲と同じ高さにいた。
イアンが飛んでいるわけではなく、首を掴んでいるバルガゴートによって浮かされているのだ。
この高さから落ちれば、まず助かることはない。
イアンの生命線は敵であるバルガゴートによって握られていた。
「体が軽い……新たに得た古代竜の力で体を軽くし、空に浮かび上がった。最高の気分だ…」
バルガゴートがおもむろに呟いた。
「この力があれば、わしはこの時代でも覇者になれるだろう…そう思わんか? 小僧」
「思うも何も、オレはここで死ぬのだろう? 知らんわ」
「フハハハ! それもそうか! 」
バルガゴートは楽しげに笑った。
「ククク……そろそろおまえを掴んでいた腕が疲れてきた……何か言い残すことはないか? 」
「……この空から叩き落とされた時の痛みは、凄まじいのだろうな」
「クッ、ハハハハハ! それを今から確かめてこい! 」
バルガゴートはイアンを地面へ投げ飛ばした。
イアンは凄まじい勢いで急降下していく。
「サラファイアでも、この勢いは止められないな。その後、また空に投げ出されれば、どうせ死ぬ。あとは……ダメ元であいつを呼んでみるか」
イアンはそう呟くと、左手を下に向け――
「来い、ケルーピオン! 」
呼び出す者の名を叫んだ。
――交渉のために、ヴォリン帝国の駐屯基地へ行った日。
イアンはジークネイト達が逃げやすいよう、帝国の兵士を引きつけていた。
「ぐあ――! 」
「ぐふっ―! 」
襲いかかる兵士を戦斧で殴りつけ、昏倒させていく。
「この! 王国め! 」
「む! 」
一人の帝国の兵士がイアンに向けて、クロスボウの矢を放った。
イアンはその矢が放たれる前に気づき、体を伏せる。
「くそ! 待て! 」
矢を避けたイアンは、帝国の兵士から逃れるために走り出す。
「……セアレウス達が脱出してから時間が経つな。そろそろオレも逃げるとしよう」
そう考えるイアンだが、帝国の兵士は追うのを諦めない。
「このままでは、いずれバテて捕まってしまうな。あ……そういえば、モノリユスから馬を出す力を貰っていたな。ちょうどいい、それを使うか」
イアンは左手を突き出した。
しかし、何も起こらない。
「……名前を言わんと出てこないやつか……モノリユス! 」
イアンは、モノリユスの名を呼んだが、何も起こらなかった。
「……違うのか? ええい、適当に呼んでしまえ! ケルーピオン! 」
イアンがその名を呼んだ時、突き出した左手が白く輝きだした。
白い光は、手のひらの前で大きな魔法陣となり――
「ヒヒーン! 」
そこから頭に角を生やした馬が現れた。
「うおっと! 」
自然な流れで、イアンは白い馬に跨る。
「馬に乗ったのは初めてだ。おい、ここから脱出して、駐屯基地へ行ってくれ。あっちに行くんだぞ」
イアンは駐屯基地の方に指を差した。
「ヒヒーン! 」
白い馬はイアンの指が見えていないにも関わらず、その方向に体を向ける。
「うおおっ! 」
急に方向転換したため、振り下ろされそうになるイアン。
そんなイアンに構わず、白い馬は真っ直ぐ走り出した。
「ぐおお、速い! あと前は柵があるぞ! 」
「ヒヒーン! 」
大丈夫だと言わんばかりに、鳴き声を上げる白い馬。
その自信の通り、白い馬は柵を飛び越えた。
「すごいな……この速さならば、誰も追いつけまい」
振り向くと、イアンを追う兵士はおらず、みるみる帝国駐屯基地が小さくなっていく。
(兄さん)
その時、セアレウスから通信が届いた。
(セアレウスか、どうした? )
馬に跨る姿勢を正しながら、イアンはセアレウスに返事をした。
(あれから、時間が経ちますが、兄さんは逃げだせましたか? )
(ああ。今、逃だしたところだ。便利な能力があるのを思い出し――ぶっ!? )
(…!? 兄さん!? )
イアンは顔に強烈な衝撃を受けた。
そのせいで、セアレウスとの通信も途絶えてしまう。
「一体何が……痛っ! いたたたた! 」
何とか体勢を立て直したイアンだが、イアンを襲う痛みはまだ続く。
イアンを乗せる白い馬は、密林の中に入っていた。
その中を走っているため、木々の枝がイアンに当たっていくのだ。
「痛っ! ぶ――はっ! いたたたたたた…! 」
通り過ぎる木々の枝が漏れなくイアンを傷つけていく。
「ぐおおおおおおお……と、止まれーっ! 」
「ヒヒン! 」
白い馬はイアンの命令通り、止まった。
「……!? 急に止まるやつがあるかあああああああ! 」
イアンは、白い馬が急停止したことによって振り飛ばされた。
薄れゆく意識の中、壁のようなものを見下ろした後、イアンの意識は完全に途絶えた。
――現在。
「呼んではみたが、おまえ…この状況を何とかできるか? 」
「ヒヒーン! 」
イアンの左手から現れた白い魔法陣。
そこから現れた白い馬――大丈夫だと言わんばかりの鳴き声を上げた。
イアンを乗せるケルーピオンは、地面に向かって急降下する。
落下しながらも足は動いており――
「ヒヒーン! 」
U字を描くように上空へ舞い上がった。
「すごいな、おまえ。空を走ることができるのか」
「ヒヒン! 」
ケルーピオンが自慢げに鳴き声を上げる。
その間、ケルーピオンは何もない所を蹴り、しっかり空を走っていた。
(イアン様)
その時、この力を与えたモノリユスの声がイアンの頭の中に響いた。
(モノリユスか、なんだ? )
(特殊な……力の使い方を感じ、連絡を取らせていただきました)
(特殊? )
首を傾げるイアン。
(ヒヒン? )
何故か、ケルーピオンも首を傾げていた。
(ええ、今のイアン様は、召喚した私の眷属を酷使しています)
(なに? 空を走るのは本来の力ではないのか? )
(いえ、空を走ることができますが、力を多く消費するということです。地面を走らせる時は三十分と言いましたね。今の状態だと五分が限界ですね)
(なんだと!? 短すぎではないか! )
あまりにも短すぎる制限時間に驚愕するイアン。
(はい。ですので、あまり無茶をしないでくださいね。では…)
モノリユスとの通信が途絶える。
「五分で、あの化物を倒せと……無茶だろ…」
イアンは、宙に浮かぶ大男を見てげんなりした。
「む? ほう…召喚魔法を使えたのか、あの小僧。さきほどの落ち着きようは、それがあったからか。面白い、今度こそ貴様に引導をくれてやろう」
バルガゴートはイアン目掛けて飛んでいく。
「…! 来るぞ、ケルーピオン! 」
「ヒヒーン! 」
ケルーピオンは鳴き声でイアンに返事をすると、速度を上げて空を掛ける。
「むぅ…わしよりも速い。ならば、うおおおおらああああああ!! 」
バルガゴートはケルーピオンを追うのを止め、衝撃波を放つ。
新たに得た力によって衝撃波は強化されており、凄まじい速度でケルーピオンに襲いかかる。
「ぬぅん! はあああああ!! 」
バルガゴートは連続で衝撃波を放つ。
「ヒヒン! ヒン、ヒヒン! 」
ケルーピオンは、跳ねながら上昇と急降下を繰り返し、次々と衝撃波を躱していく。
「よく躱したな、ケルーピオン。反撃と行こうではないか! 」
「ヒヒーン! 」
イアンの命令を受け、ケルーピオンは宙返りを行い、バルガゴートに向かっていく。
その間にイアンは右手の戦斧を握り締め、バルガゴートとの接近に備える。
「む? 来るか! 」
「ふっ! 」
イアンは、バルガゴートの横を通り抜けざまに、戦斧を振るった。
戦斧は、バルガゴートの胸の皮を切り裂くだけであった。
速度を維持したまま、ケルーピオンは走り抜ける。
「くそっ、惜しい…」
「やるな…次はどうする? 小僧」
傷を付けられたにも関わらず、バルガゴートは余裕を見せていた。
「この体勢では難しいが、これならどうだ」
イアンは戦斧をホルダーに戻し、新たに鎖斧を手にした。
鎖を持ち、頭上で鎖斧を振り回した後、バルガゴートに振り下ろす。
「ふっ、妙な武器を使う……はあっ! 」
バルガゴートは体から衝撃波を放ち、鎖斧の勢いを殺す。
「この攻撃はしないほうがよかったな、小僧。ふんっ! 」
バルガゴートは鎖斧を引っ張る。
鎖に引っ張られ、イアンはバルガゴートの元へ引き寄せられてしまう。
「くっ…やむおえん」
イアンは戦斧を再び取り出す。
鎖を捻り、その部分を戦斧で切り裂いた。
バツンッ!
鎖は切断され、イアンは落下していくが、ケルーピオンが先に回り、イアンを受け止める。
「ほう…思い切りがいいな」
バルガゴートは鎖斧を捨て、ケルーピオンに跨るイアンを見据える。
「次はどうするか……できればシルブロンスは使いたくないが……む? どうした? 」
イアンは、ケルーピオンの体が薄くなっていることに気がついた。
「ヒ…ヒヒン! 」
しかし、その姿とは裏腹に、鳴き声には気合が入っていた。
「限界が近いか。こんなに早い五分間は初めてだ。ならば、最後一撃に全てを賭けるとしよう。駆け回れ、ケルーピオン! 」
「ヒヒーン! 」
ケルーピオンは、ジグザグに動きながら、バルガゴートに向かい、近距離のところで急上昇をした。
「くっ…小賢しい真似を」
ケルーピオンを目で追っていたバルガゴートの目は、太陽の光で眩んでしまう。
ケルーピオンは太陽を背にしていたのだ。
「ヒヒーン! 」
バルガゴートが目を眩ませているうちに、ケルーピオンは急降下し――
「ヒ、ヒヒーンッ! 」
下方から上昇して、バルガゴートに突進する。
頭に生えた角を、突き刺そうとバルガゴートに向ける。
「ぬう、下か! はああ!! 」
バルガゴートは、両手を突き出し、衝撃波を生み出す。
ケルーピオンは白い光に消えながらも、衝撃波に負けることなく走り続ける。
「ぐうっ…この馬! はああああああ!! 」
バルガゴートは負けじと、衝撃波の威力を高める。
「ヒヒー……――――」
ケルーピオンの角はバルガゴートの手のひらの前で止まり、ケルーピオンは白い光となって完全に消えてしまった。
「はぁ…はぁ……今のは、危うかった。小僧…小僧はどこだ? 」
ケルーピオンがいなくなったということは、イアンに空を飛ぶ力がなくなったということ。
バルガゴートは顔を下に向け、落ちたはずのイアンを探す。
しかし、イアンはそこにはいない。
ケルーピオンが急降下する瞬間から、イアンはケルーピオンの背中に跨っていなかった。
「はああああ! 」
イアンがバルガゴートの頭上から、戦斧を振り下ろしながら落下する。
ケルーピオンが急降下する時にイアンは跳躍し、二手に別れていたのだ。
イアンの体と共に落下する戦斧はバルガゴートの頭を切り裂く。
切り裂いた部分の皮がめくれ、そこから赤い血が流れ出すが――
「……!? 」
そこで戦斧は止まってしまった。
イアンの体も停止し、身動きが取れなかった。
「小僧、考えたな。分離し、わしが馬に気を取られているうちに、貴様の斧でわしを切り裂く。見事だ」
バルガゴートは、ゆっくりと顔を上げていく。
「だがな、わしは全力を出すと言った。油断もしない。それゆえに、気づくことができた」
バルガゴートは自分の頭に戦斧が当たる瞬間に、イアンが頭上にいることに気がついていた。
咄嗟に体から放った衝撃波によって戦斧を止めたのである。
今、イアンの体を支えているのは衝撃波を弱めたもの。
「小僧、貴様の名はなんという? 」
バルガゴートがイアンから離れる。
「イアン…ソマフ……だ」
イアンは顔面蒼白であった。
「そうか…恐らく、わしをここまで追い詰める者は、貴様以降現れることはないだろう。誇るがいい…」
イアンを支えていた衝撃波は弱まっていき、イアンはネアッタン島へと落下していく。
「その名誉として、この島ごと沈めてやろう」
バルガゴートは両腕を広げ、手のひらに衝撃波の力を貯めていく。
「さらばだ、イアン・ソマフ…」
バルガゴートは、落ちていくイアンに向かって、そう言った。
3月20日――文章改正




