百二十六話 少女の本能
ラノアニクスが見上げているのは、巨大な謎の生き物である。
巨大な謎の生き物は上体を起こし、丸い口をラノアニクスに向けていた。
ボオオッ!!
その丸い口から、真っ赤に燃える火炎が吐き出される。
「…! ギャオ! 」
ラノアニクスは身を翻しながら、後ろへ跳躍し、火炎を躱した。
「シュゥゥゥ……ボウッ! 」
巨大な謎の生き物は、火炎の砲弾を吐き出し、火炎を躱したラノアニクスへ追撃を仕掛ける。
「ギャウ! 」
ラノアニクスは、火炎の砲弾を跳躍で躱したが――
「シュゥゥゥ…ボウッ! ボウッ! ボウッ! 」
火炎の砲弾を連続で吐き出し、巨大な生き物の攻撃が止むことはなかった。
「グゥ……爪、効かない…グゥゥ…」
火炎の砲弾を躱すラノアニクスの表情が曇る。
巨大な謎の生き物の体は硬く、ラノアニクスの爪で切り裂くことはできない。
では、どうするか。
このような場合、思考を優先するタイプと行動を優先するタイプで、その後の動きに違いが出てくる。
思考を優先するタイプは、まず自分の考えをまとめてから行動に移る。
効果的な策を考えた上で動くため、少ない行動数で、事を済ますことができる。
反面、行動に移すまで時間がかかるため、思考をしている間に倒されてしまう危険が伴う。
一方、行動を優先するタイプは、その言葉の通り、とりあえず行動に移る。
行動に移るのが早いため、それが効果的なものであれば、早く事を済ますことが出来る。
ラノアニクスは後者であるため――
「ギャオ! じゃあ、殴る! 」
巨大な謎の生き物を倒すべく、行動に移した。
連続で吐き出される火炎の砲弾を、ラノアニクスは躱しながら、巨大な謎の生き物に向かっていく。
「シュゥゥ…ボウッ! 」
「ギャオ! 今! 」
ラノアニクスは、巨大な謎の生き物に接近し、跳躍した。
吐き出された火炎の砲弾は、ラノアニクスがいなくなった床で破裂する。
跳躍したラノアニクスは、巨大な生き物の頭部に到達し――
「ガアアッ!! 」
両腕を振りかぶり、巨大な謎の生き物の頭目掛けて振り下ろした。
しかし――
「グッ!? 」
振り下ろされた彼女の両腕が、巨大な謎の生き物に当たることはなかった。
巨大な謎の生き物は素早い動きで頭を振り、二本の触手でラノアニクスを捕まえたのだ。
「グ…ガアアアアアア!! 」
触手に締め付けられ、ラノアニクスが悲痛な叫び声を上げる。
抜け出そうと必死に藻掻くが、触手は締め付けるばかりで、一向に抜け出すことはできない。
行動を優先するタイプは、効果的な方法を考え出せていないため、その多くが不適切な行動を取りやすい。
触手に締め付けられながら、ようやくラノアニクスは考えた。
どうすれば、この窮地を脱することができるのか。
爪を立てても触手に食い込むことはない。
牙も同様であった。
彼女の武器である爪と牙以外のもので、何かできないか。
「……分からない…」
結果、ラノアニクスは何も思いつくことができなかった。
彼女には知識と経験がなく、危機を脱するために、どうすればいいかを考えることができない。
この場合、彼女は本能に頼るしかなかった。
「グ…グウウウウウッ! 」
ラノアニクスは全身から力を引き出すように、体を力ませた。
これにより、何が起こるか彼女自身よく分かってはいないが、とりあえずやってみる。
彼女の本能がそうしろと訴えてくるからだ。
「シュッ…!? 」
ラノアニクスが体を力ませ始めてから数秒後、巨大な謎の生き物に異変が起きた。
頭から、みるみる床に下がって行くのだ。
「ギギ…ギギギギ……」
巨大な謎の生き物は頭を下ろさせまいと、頭を持ち上げようとするが――
「グ……ギギャア!! 」
とうとう床に下ろしてしまった。
巨大な謎の生き物は、その場から離れようとするが、触手が何かに押しつぶされ、身動きが取れない。
触手に力を入れるのをやめ、訳が分からず、謎の生き物はジタバタともがいた。
「ギャウ…! 」
触手の拘束が解かれた瞬間、ラノアニクスは獰猛な笑みを浮かべた。
彼女の目は大きく開かれ、見るものを竦ませてしまうほどの迫力があった。
巨大な生き物がシジタバタともがく中、ラノアニクスは触手の一本を踏みつけながら、ゆっくりと立ち上がっていく。
彼女が立ち上がっていくにつれ、巨大な謎の生き物の頭が持ち上げっていく。
「ギャオオオ!! 」
ラノアニクスは雄叫びと共に、吹き飛ばす勢いで、巨大な謎の生き物の頭を押し上げた。
ブチッ!
「ギャアアアア!! 」
ラノアニクスに踏みつけられていた触手がちぎれ、巨大な謎の生き物は悲鳴を上げながら、後ろに大きく仰け反った。
「シ、シャアアア!! 」
巨大な謎の生き物は怒りに身を任せ、ラノアニクスに目掛けて突進するが――
「ギャウ! 」
ラノアニクスは、その突進を軽々受け止めた。
「…!? 」
巨大な謎の生き物は、ラノアニクスに激突した衝撃で体を痛め、ぐったりと床に崩れ落ちる。
今のラノアニクスの重さは、巨大な謎の生き物の数倍重かった。
彼女は自分の重さを変化させる力を持っていた。
自身はその力の存在を知ってはいるが、理解はしていなかった。
そのため、先程のように窮地に陥った状況や激昂している時に、本能に導かれて発動する。
平時でも発動することがあるが、その時はだいたい彼女の本意ではない。
そして、今になってようやく彼女は、巨大な謎の生き物を殴りつけることができる。
「ギャオ! ギャオ! ギャオ! 」
ラノアニクスは、巨大な謎の生き物の頭を殴り続ける。
殴った箇所がどんどんへこんでいき、とうとう割れてしまう。
割れた部分から体液が吹き出し、ラノアニクスへ飛び散る。
もう巨大な謎の生き物が動くことはない。
しかし、ラノアニクスは吹き出す体液を浴びながらも、振り下ろす腕を止めることはなかった。
本能に身を任せた彼女は、以前の凶暴な少女に戻っていた。
目に映るものは全て敵、気に入らないものは叩き潰す、歯向かうものには容赦はしない。
暴君そのものである。
やがて、殴るのをやめたラノアニクスは、口を大きく開き、巨大な謎の生き物に喰らいつこうとした。
「ギャオオオオオ!! 」
よだれを撒き散らしながら、巨大な謎の生き物に迫るラノアニクスだが――
「グッ…!? 」
突然、首が締まり、息が詰まった。
ゆっくり後ろを振り向くと、そこには誰かが立っていた。
松明の炎に照らされ、その人物の顔を伺うことができた。
「…イアン……」
ラノアニクスの後ろに立っていたのはイアンであった。
彼はラノアニクスの襟を松明を持っていない手で掴んでいる。
「もう終わっただろ。遊んでないで先に進むぞ」
「……」
ラノアニクスは答えない。
今の彼女にイアンの言葉は聞こえなかった。
そのため、返すのは返事ではなく――
「ガアアア!! 」
巨大な謎の生き物に喰らいつくはずだった、牙をイアンに向けた。
今のイアンは、彼女の邪魔をするものであり、攻撃対象となっていた。
首筋目掛けて向かってくるラノアニクスの牙を目にしながら、イアンは――
「リュリュスパーク…」
バリッ!
彼女の体に雷撃を放った。
「ギャッ!? 」
ラノアニクスは一瞬痙攣した後、イアンにもたれ掛かるように倒れ込んだ。
イアンはラノアニクスが床に倒れないよう、彼女の体を支える。
「…………ごめん…ね…」
支えられたラノアニクスは、そう呟いた後、ゆっくりと瞼を閉じていった。
「……気にするな…」
イアンは気絶したラノアニクスにそう言うと、彼女の体を背中に回して背負う。
「おーい、イアン君! 」
松明の明かり共にダイムブラムが近づいてきた。
「先に続く通路があった。先に進む……どうかしたのか? 」
「ああ……済まない、ラノアニクスが眠ってしまった」
「あー…ラノアニクスちゃんは頑張っていたみたいだね。大丈夫! 前も言った通り、オレが二人を守るから」
巨大な謎の生き物に目を移した後、ダイムブラムは胸を這ってイアンに言った。
「ああ……済まない…」
先に進むダイムブラムの後を、イアンは重い足取りでついて行く。
今は教授奪還の最中、先に進むことが最優先である。
イアンは、うまくできない自分が情けなかった。
進んだダイムブラムとラノアニクスを背負ったイアンは、通路を進んでいく。
イアンは気持ちを切り替え、足取りは先程より軽くなっている。
(気持ちの切り替えが早い…落ち込むあたり、あいつと違って人間味があるけど、やっぱあいつと似てるんだよなぁ…)
後ろを歩くイアンを肩ごしに見ながら、ダイムブラムはそう思っていた。
(あいつ、元気にやっ…てねぇなぁ。平原の巡回が忙しくて死んでんだろうなぁ。帰ったら、ぶち殺されるなぁ。オレ悪くないのに……)
ダイムブラムはとある人物と、先のことを考えてしまい、気持ちが大きく沈んだ。
「……? 」
そんなダイムブラムをイアンは不思議そうに見つめていた。
しばらく、通路を進んでいると、先の方から明かるくなっていた。
「明るいな……イアン君、松明を消して進もう。足元に気をつけてね」
「分かった」
二人は松明を消し、明かりを目指して暗い通路を進んでいく。
この先に兵士がいることを警戒しているのだ。
足音を立てずに慎重に進む二人。
「……ん? 」
「……む? 」
すると、二人は空気が変わったような気配を感じた。
「「……!? 」」
その空気は、二人が今まで感じたことのないものであり――
「イアン君、この先にやばい奴がいる……この感覚が分かるかい? 」
「ああ…大型の魔物……いや、それ以上の奴がこの先にいるようだな…」
それは強大なものから溢れる気配であった。
次の週間――
ドォン!
何かが爆発するような音と共に、通路の先から突風が吹き荒れた。
「ぐっ……!! 」
「うっ…な、なんだ!? 」
突風に吹き飛ばされないよう、二人は踏ん張り続ける。
やがて、突風は止んだが、空気が変わることはなかった。
「やばい! この奥に兵士…教授がいたら大変だ! 」
ダイムブラムはそう言うと、通路の先に向かって走り出した。
イアンもラノアニクスを背負いながら、ダイムブラムに続く。
通路を出ると、その先の床がなくなっていた。
イアン達が進んでいた通路は、広い空間の上部に繋がっていた。
見下ろすと、祭壇のような建造物があり、その周りに多くの人が横たわっていた。
兵士が立てたのか、あちこちに松明があり、広い部屋を明るく照らしている。
「帝国の兵士……教授は! 」
「待て、ダイムブラム」
飛び降りようとしたダイムブラムをイアンが制した。
「とてつもない奴がいる。祭壇の上にいるやつだ。あいつだろ…この空気の正体は」
ダイムブラムはイアンの言うとおり、祭壇の上に目を向けた。
「…!? なんだ…あいつは……」
ダイムブラムはその姿を目にし、息をつまらせた。
そこには、三メートル程の慎重を持つ大男が立っていた。