百二十四話 帝国の兵士 ジークネイト
分隊長と呼ばれた兵士に案内され、セアレウスとミークは一つのテントの中に入った。
その中にあるのは、散乱した木箱と中央に置かれた檻。
檻は、鉄の棒を格子状にしたもので、本来は猛獣などを閉じ込めるために使う檻であった。
「すまないが、君達にはこの中に入ってもらう。その前に…」
兵士は、セアレウスとミークの両手首を縛っていた縄を解いた。
「どうして、縄を? 」
「檻の中まで、手を縛る必要は無いからだ」
セアレウスの問いに、兵士が当たり前だとでも言うように、平然と答えた。
「あなたは……どうして、わたし達に優しいのですか? 」
セアレウスが兵士に訊ねる。
他の兵士と異なった態度を見て、聞かずにはいられなかった。
「厳しくする必要がないからだ。さっきも見かけたが、君達の扱いはひどいものだっただろう? すまない、昔はこうではなかった」
兵士がセアレウス達に頭を下げる。
「けっ、謝るくらいならここから出しやがれってんだよ」
ミークが兵士に近づき、兵士の胸ぐらを掴むために腕を伸ばす。
「ミークさん、そういうことを言ってはいけません」
セアレウスが、兵士を庇うようにミークの前に立ちはだかる。
「……はぁ、セアレウスさまは優しすぎるぜ」
ミークはため息をつくと、後ろに下がった。
「すまない。できるだけ、君達の待遇が良くなるよう努力する」
「いえ、そんな…えーと…」
セアレウスは兵士の名が分からず、言葉を詰まらせた。
それを察した兵士は被っていたヘルムを外した。
現れたのは、栗色の長い髪と端正な顔立ちである。
兵士は女性だった。
「チッ…」
兵士の顕になった顔を見て、ミークが舌打ちをした。
彼女が成人であることを察したのだ。
「私の名はジークネイト・ケートマン。ヴォリン帝国の兵士だ。この隊では、分隊長の任を任されている。呼びにくかったら、ジークと呼んでくれ」
自分の名を口にした後、ジークネイトはセアレウスに手を差し出した。
セアレウスは差し出された手を握り――
「わたしは、セアレウスといいます。こちらの男性はミークさん。わたし達二人共、フォーン王国で冒険者をやっています」
と返した。
「冒険者…はて、冒険者には上下関係があるのか? 」
「上下関係……? あ、ああ! 無いです。ええと……何でそんな喋り方なんですか? ミークさん」
ミークのセアレウスに対する態度を客観的に見れば、二人が主従の関係であることが推測される。
セアレウスはそのことに気づいたが、何故ミークがそのような態度をとるかは知らなかった。
「あなたが……少女だからです」
ミークは、飛びっきりいい顔をして答えた。
「……すみません。とりあえず、上下関係がないことだけは分かってもらえますか? 」
いまいち分からなかったセアレウス。
「あ、ああ…彼が特殊なだけのようだな。了解だ」
ジークネイトは顔を引きつらせながら、首を縦に振った。
「少し、このまま話しをしていようか……聞きたいことがあれば言える範囲で答えよう」
ジークネイトが檻の扉を閉める。
「まだ檻に入る必要はない。その辺の木箱に座るといい」
「はい………あ! 少し考えてもいいですか? 」
木箱に腰掛けたセアレウスがジークネイトに提案する。
「構わない。では、そちらの…ミークだったか。君は何か聞きたいことはないか? 」
「……別に――」
「ミークさん、何か質問してください」
「え? セアレウスさまが仰るなら……えー…妹とかいたり…」
セアレウスに質問するように促され、適当なことを聞くミーク。
「い、妹? いるにはいるが、何故そのようなことを…」
突拍子な質問に困惑するジークネイト。
「詳しく聞かせもらおう」
「う、うむ。私には年が離れた妹がいてな。幼いながらに優秀で、私よりも……」
ジークネイトはミークに妹の話をしだした。
その間、セアレウスはと言うと――
(お待たせしました、兄さん)
(通信の準備ができたか。では、始めよう)
イアンとの通信に集中するために、目を瞑っていた。
ジークネイトに質問を振られた時、イアンから通信が入ったいたのだ。
(セアレウス、そちらの状況はどうだ? )
(今、ミークさんと一緒にヴォリン帝国の兵士のテントにいます。まだ出られそうにありません)
(兵士? 騎士ではないのか? )
セアレウスの頭の中に、イアンの疑問の声が響く。
(騎士と同じ立場のようなので、もしかしたら、あちらでは騎士のような存在を兵士と呼ぶのかもしれません)
(そうか。とりあえず、脱出できる状況ではないか…)
(兄さん達は大丈夫ですか? )
(オレ達は、遺跡の中でフォーン王国の騎士団と合流してな。今は、彼らの設営した宿営所という場所にいる。ベティとラノアニクスも一緒だ。場所は島の南側だ)
(そうですか…騎士団の方と一緒なら安全です)
イアン達が騎士団と共にいることを聞き、セアレウスは安堵した。
学者であるベティが騎士団の中にいれば、帝国は簡単に手出しができない。
そうセアレウスは考えたのである。
(うむ……で、おまえのいる場所は島のどの辺りだ? )
(あ…えーと…密林の奥に進んでいったから……島の東側です)
(東か…オレ達がいた砂浜は西側。ヴォリン帝国とやらの探索範囲は広大だな。騎士団が録に動けなかったわけだ)
(はい…あ! そういえば、こちらにフォーン王国の学者の人がいるみたいなのですが…)
(なんだと!? )
イアンの驚いた声がセアレウスの頭の中に響き渡る。
(はい。名前は確か…ビルトランと言ってました)
(…!! なんということだ…分かった。他に何かあるか? )
(少し待ってください…)
「ジークネイトさん! 質問いいですか? 」
「おおっ!? 驚いたぞ。何か聞きたいことを思いついたのだな」
急に声を出したセアレウスに、驚くジークネイト。
「はい。見つけた遺跡は、島のどの辺りにありますか? 」
「……場所くらいならいいか。この島の北に大きな山があるだろう? そのふもとに遺跡が広がっている」
「広がっている……遺跡の特徴とか、目印になるものとかはありませんか? 」
「……やけに知りたがるな。君達はしばらくここから出られない。それを把握できないか? 」
ジークネイトのセアレウスを見る目が鋭くなる。
遺跡について質問するセアレウスを訝しんでいた。
「それは分かっています。でも、遺跡がどんな感じなのか、知りたくて……」
「何故、知りたい? まさか、遺跡に興味のある冒険者とでも言うつもりか? 」
思惑を掘り下げるように、質問するジークネイト。
「ぐっ……」
セアレウスは何も言い返すことができなかった。
「セアレウスさま…」
ミークがセアレウスを心配し、彼女の名前を口にする。
「……君達以外にも冒険者がいるのか? いや、聞かなくても分かるな。いるんだろ? そして、君にはその人達に情報を伝える術を持っている」
「……! 」
セアレウスの目がに開かれる。
(どうして!? 何故、そのことを…)
「どうして? って顔をしているな。教えてやろう。君、目を瞑っている間、口が動いていたぞ」
まるで、セアレウスの心の声が聞こえたかのように、ジークネイトが答えた。
「むぐっ…! 」
その答えを聞いたセアレウスは、思わず口を手で押さえてしまった。
実際、セアレウスが通信をしている間、彼女の口は動いてしまっていた。
それをジークネイトは見逃さなかったのだ。
その時はまだセアレウスを疑っていなかったが、遺跡について質問してきた時、ジークネイトは彼女が、他者に情報を伝える方法を持っていると推測した。
「ほう! やはり、君にはできるんだな! ここにいない仲間に情報を伝えることが! 」
そして、セアレウスが口を塞いだことで、ジークネイトは確信した。
ジークネイトはセアレウスの元に行き、彼女の胸ぐらを掴んで引き寄せる。
「いい事を教えてやろう。その代わりに、私に従ってくれ」
「は…え? それはどういう…」
セアレウスはジークネイトの言うことを理解できず、困惑した表情を浮かべた。
小隊長は、あるテントを目指して歩いていた。
そのテントの中には、少女と大男が檻に入っているはずである。
しかし、彼の予想では、二人が檻の中に入っていない。
「ケートマンのことだ。不審者共を手厚く扱っているのだろうな」
彼がそう予想しているのは、ジークネイトの人柄を知っているからだ。
ジークネイトは、隊の中でも慈悲深くことで有名であった。
「くだらん。あのような者、今の帝国にはいらん」
小隊長はそんな彼女が気に入らなかった。
「どれ…目の前で、不審者共を痛めつければ、奴も少しは目が覚めるだろう。いい機会だ」
そのようなことを呟きながら、彼は檻のあるテントの中に入った。
「ん? ……ふはっ! 」
檻の中を目にした小隊長は、思わず吹き出してしまった。
目の前の光景に驚いてはいるが、それよりも愉快という感情の方が強かった。
檻の中には、横たわる少女と大男がいた。
少女は髪が乱れ、大男は呻き声を上げて痙攣している。
「おいおいおい…どうした!? これ、おまえがやったのか!? 」
小隊長は、はしゃぐ子供のように、檻の前に立つジークネイトに声を掛けた。
「はっ! こやつらが、あまりにも無作法なもので」
ジークネイトが小隊長に体を向け、姿勢を正して返事をした。
「はははははは!! そうかそうか! おまえもやれば出来るんだな! くくっ、いいもんが見れた。ケートマン、その調子だ。ここは、おまえに任せる」
小隊長はジークネイトの肩を叩くと、楽しげにテントの外に出ていった。
「はっ! …………クズが。人を痛めつけることの何が面白い」
ジークネイトは、小隊長が去った後、吐き捨てるように呟いた。
「これで保険を作ることができた。私ができるのはここまで…あとは、君の兄の健闘を祈る……ではな」
ジークネイトは、檻の中で横たわるセアレウスにそう言うと、テントの外へ出た。
「……ありがとうございます、ジークネイトさん」
セアレウスは、テントの出口の方に顔を向け、立ち去ったジークネイトに礼を言った。
見た目はボロボロだが、セアレウスとミークの体に傷等は見られなかった。
――朝。
日が昇ると同時に、消息の消えた教授の探索に出ていたフォーン王国の騎士団が戻ってきた。
帝国のテントにいるビルトラン教授が見つかるはずもなく、騎士達は疲労した体を引きずりながら、宿営所に入っていく。
「やべぇ…見つかんねぇ…どうしよう……」
騎士達の中に、一際足取りの重い者がいた。
この部隊の隊長であるダイムブラムである。
彼は、護衛対象である教授が見つからないことで、責任を感じ、意気消沈する寸前であった。
「あ…隊長、お疲れ様です」
ダイムブラムの元に、一人の騎士が近づいていく。
「……ん? なに? 」
「イアン殿…冒険者の方があなたに話しがあるそうです。会議室に居られます」
「イアン君? 分かった、すぐ行く」
ダイムブラムは、顔を叩いて眠気を飛ばすと、会議室へ向かった。
宿営所にある会議室という場所は、その名の通り会議を行う場所である。
部屋の中心にテーブルがあり、それを囲むように椅子が並べられている。
「来たよ、イアン君。で、話って? 」
会議室に入ったダイムブラムは、空いてる席に座った。
この部屋にいるのは、ダイムブラムを除いて、イアン、ベティ、ラノアニクスの三人であった。
「来たか。話しというのは…その前に、教授……ビルトランという者はヴォリン帝国のテントにいるらしい」
「はぁ……えっ!? なんで、分かるの? 」
「捕まった仲間がいると言っただろう? その者を連絡をとる手段があるのだ」
「そうか……帝国にいるのは置いといて、とりあえず生きてるんだな。良かった…」
ダイムブラムは安堵し、だらしなく姿勢を崩す。
「ん? 疑わないのだな」
連絡手段があることを信じ、自分の言うことを疑わないダイムブラムに、イアンは不思議なものを感じた。
普通の反応ならば、多少は疑うはずである。
「魔法か何かでやっているんだろう? 」
「ううむ…魔法…のようなものだ」
「あはは! 魔法のようなものか。さらに、疑う余地がなくなったよ」
「……? 」
笑うダイムブラムに、イアンは首を傾げた。
「オレは、けっこう色んな目に遭っているからね。そういう、とんでも現象には慣れているのさ。まぁ、それはいつか話すよ。今は君の話しが聞きたい」
「あ、ああ。話しというのは、ヴォリン帝国が探索する遺跡に忍び込もうと思っていることだ」
「へぇ…危険だぜ、それ。あと、目的は? 」
「ビルトラン…教授の奪還」
「なに? 教授を助けに行ってくれるのか。 それに、教授も遺跡に行くのか? 」
「ああ、あちらの学者が動けなくなってしまったらしい。その学者の代わりに、遺跡の調査をさせられるみたいだ」
「そうか…あいつら、教授を利用するために……少し、考える」
ダイムブラムは、腕を組み思考に耽った。
「あ! ちなみに、私は行かない予定。イアンくんの足でまといになりそうだからね」
ベティがダイムブラムに向かって言った。
「別に聞いてないけど……おまえ、行かないのか。珍しい…」
「気になるけどね~ 私も学者だから、帝国に狙わてるみたい…」
「おまえ…学者だったのか…」
ダイムブラムが驚愕の表情を浮かべる。
「いやいやいや…知ってるでしょ!? 」
彼の反応に、ベティは席を立って講義した。
「うるせぇ。学者らしい振る舞いをしろって言っているんだよ! 」
「ひどい! こんな可愛い学者に向かって、そんなこと……イアンくん、何か言ってやってよ! 」
「……たまに忘れる」
イアンがベティから目を逸らして呟いた。
「がーん! 」
イアンの一言で、ベティは打ちのめされたかのように、テーブルに突っ伏した。
「大方、蜜結晶が手元にあるから大人しいんだろうな。で、遺跡の侵入だが、オレも同行していいか? 」
「ダイムブラムが? 騎士のおまえが行くと、色々大変なことになるのでは? 」
ダイムブラムはフォーン王国の王都騎士。
その彼がヴォリン帝国の定めた探索範囲に侵入することは、国家間でのいざこざを引き起こしかねない行為であった。
「いや、騎士の格好をしていなければ大丈夫だろう。幸い、今のオレは無名の騎士だしね。滅多なことじゃあ、バレないよ」
「そうか…ならいいか。すぐに出発したいのだが、大丈夫か? 」
「問題ないよ。行くのは君とオレだけだろう」
ダイムブラムがイアンと自分を交互に指を差す。
「ああ、オレ達二人――」
「ギャウ! ラノも行く! 」
ラノアニクスがイアンの声を遮る形で、口を開いた。
「ラノアニクス…いいのか? おまえには関係ないことだぞ? 」
「ギャウ、行きたい! ラノも連れてく! 」
ラノアニクスは椅子から立ち上がり、イアンの元へ向かう。
「連れてけ~! 連れてけ~! 」
そして、イアンの体を揺さぶり始めた。
「う、おおっ! 揺するな。どうする? ダイムブラム」
「……いいんじゃない? この子、強そうだし。それに万が一の時は、オレが君たちを守るから」
「ふぅ~! ダイくん、かっこいい~! 」
ベティが裏声を使って、ダイムブラムを茶化す。
「騎士として当然だっての! じゃあ、準備してくるから基地の入口で待っててくれ」
「分かった」
ダイムブラムは、イアンの返事を聞くと、会議室を出ていった。
「私も行こうかな。イアンくん、ビルトラン教授は難しい人だから気をつけてね」
ベティも、会議室を出て行く。
会議室に残ったのは、イアンとラノアニクスだけとなった。
「そういえば、蜜結晶を見たことがあると言っていたな。何か、思い出せそうか? 」
「グゥ…見たことがある…ような気がするだけ。あとは、分からない」
イアンの問いに、ラノアニクスが首を横に振りながら答える。
「ふむ……だが、おまえが見たことがある物が遺跡の中にあるとは……もしかしたら、故郷には遺跡があったのかもな」
「…そうかもしれない。それ、確かめるために、ラノ、イアンについて行く」
ラノアニクスが、イアンの目を見つめる。
彼女は、自分が何者なのかを知る手掛かりを得るため、イアンに同行すると決めたのだ。
「そうか……そろそろ、基地の入口でダイムブラムを待つとしよう。準備はいいか? 」
「ギャウ! 問題ない」
イアンはラノアニクスを連れて、会議室を出て、基地の入口に向かった。