百二十話 身支度
ベティから依頼を受けた日から二日経ち、約束の日の朝を迎えた。
イアンとラノアニクスは、キャドウの宿屋の一室にいた。
この部屋はイアンが借りている部屋である。
ラノアニクスが椅子に座っており、その後ろにイアンが立っている。
イアンが何をやっているのかというと、ラノアニクスの髪を整えているのである。
普段、イアンがラノアニクスの髪を手入れをしており、この日の朝も例外なく行っていた。
「……こんなもんか」
あらゆる角度から、ラノアニクスの髪を見回した後、イアンがそう呟いた。
別段おかしなところはなく――
「ギャウ~」
ラノアニクスも不快には思っていないようなので、髪の手入れは終わったかのように思われた。
しかし――
「……なんか手を加えたいな」
ここでイアンの創作意欲が、何故か刺激された。
「ギャウ? 」
それを察したのかラノアニクスがイアンの顔を見る。
「少し、髪をいじる。構わないか? 」
「分かった」
ラノアニクスはあっさりと了承した。
特に髪型に拘りはまだ無いのである。
「よし、始めるとするか」
数分後――
ラノアニクスの両側の耳より高い位置に、少しの量の髪が赤いリボンで束ねられていた。
全ての髪を束ねていないため、長い髪はそのままである。
「……うむ、こんなもんだろう」
ラノアニクスの髪を見て、頷くイアン。
「ギャウ~~」
ラノアニクスは束ねられた両側の髪の端を摘み、嬉しそうにしていた。
たった二箇所髪を束ねただけであるが、ラノアニクスには好評であった。
「もう少し、色々やってみたかったのだがな……まあ、それは次の機会にしとくか」
「いい! これがいい! 」
ラノアニクスは立ち上がり、イアンの方に体を向けた。
イアンに髪を触らせないためか、ラノアニクスは頭を両手で押さえていた。
「む…そうか。なら、行くぞ」
「ギャオ! 」
イアンはラノアニクスを連れ、この部屋を後にした。
その後、イアン達は朝食を取り、ベティが待っているであろう冒険者ギルドに向かう。
「気をつけろよ、セアレウス」
途中、イアンがセアレウスに対してそう言った。
「え? 何を…ですか? 」
イアンの隣を歩いていたセアレウスは、顔をイアンの方に向けた。
突然、注意を促され、彼女は困惑していた。
「今から会う奴は、今までおまえが出会ったことの無い人種だ…ろう。度肝を抜かれるぞ」
「人種? その人は人間ではないのですか? 」
「そういうことではない……会えば分かる…」
「……? 」
セアレウスは首を傾げた。
イアンの言っている意味がよく分からなかった。
ギルドに辿り着き、ベティの姿を探すイアン。
すると――
「イアンくーん! 」
ベティの声が聞こえ、その方に顔を向けると、手を広げながら走っくるベティの姿が――
「ぶっ!? 」
イアンの目の間にあった。
何の抵抗もできないまま、イアンはキツく抱きしめられる。
イアンの顔が彼女の大きく膨らんだ胸に沈む。
「……」
その光景に、セアレウスは唖然としていた。
先程イアンが言った通り、彼女が初めて見る人種、もしくは生き物であった。
「ギュウ…」
ラノアニクスはベティから距離をとり――
「チッ…ババアか…」
ミークは不機嫌にそう呟いた。
「今日から護衛お願いね、イアンくん! 」
「あ、ああ…その前にこいつらの服を買いに行くのではないか? 」
ベティの腕の中で項垂れるイアン。
「あ! そうだったね。で、あなたがイアンくんの妹? 」
「ぐ…ようやく開放された……」
「だ、大丈夫ですかい? イアンさま」
ベティに開放され、よろめいたイアンを支えるミーク。
「あ…はい、セアレウスと申します」
唖然としていたセアレウスは身を正し、自分の名を口にした。
「やーん、礼儀正しいぃ! それにイアンくんとは少し違うけど、可愛い! 」
ベティがセアレウスにも抱きついた。
「わわっ! 」
抱きつかれ、セアレウスは慌てた声を出す。
「いちいち抱きつくな、おまえは」
「だって、可愛いんだもん! イアンくんも! 」
「可愛い……心外だな。オレのどこが可愛いのいうのだ…」
「……」
イアンを見ながら、ミークは苦笑いを浮かべていた。
「なんだ? 何か言いたそうだな、ミーク」
「い、いえ、何でも無いです! 」
ミークは両手を突き出して、ぶんぶんと手のひらを振った。
「そうか……で、もういいだろ? 」
「うん。そろそろ行こうか」
ベティはセアレウスを離すとギルドの外に向かった。
イアンは、セアレウスの元に行き――
「……な? あんなやつ見たことなかっただろ? 」
と声を掛けた。
「はい…なんというか…その……元気な人ですね」
セアレウスは、うまい言葉を思いつくことができなかった。
「……あのような奴はなんて言うんだろうな…」
イアンもベティを表現する言葉を思いつくことができなかった。
ギルドを出たイアン達は、服屋に来ていた。
ベティがセアレウスとラノアニクスを連れて店内に入り、イアンとミークは外で待っていた。
店の壁に寄りかかっていたイアンが空を見上げる。
空は青く、雲がゆっくりと流れていた。
「……まだか…」
空を見上げながらイアンが呟いた。
「店に入ってから、もう三時間は掛かるぞ……」
「うーん…なかなか決まらないんですかね…」
イアンの隣で腰を下ろすミークが答える。
「決まらない……なら、仕方がないか…」
「あれ? 共感できることがあるんですかい? 」
「考えてみたが、物を選ぶときは、よりいい物を手に入れるために色々な物と比較するものだ。当然、時間はかかってしまうだろう」
「うーん…そりゃそうなんでしょうけど、なんか違う気がする…」
ミークは苦笑いを浮かべた。
イアンが言っているのは、武器や道具を選ぶ時のことである。
それは能力を重視する物の選び方であり、見た目が重要となる服の選び方としては、必ずしも同じであるとは限らないのだ。
「お待たせ~~ 」
すると、ベティが服屋の中から出てきた。
気分が高揚しているのか、小躍りしながらイアンの元に来る。
「終わったか…で、いい物は選べたか? 聞くまでも無いと思うが」
ベティの様子から、良い物が見つけられたのだとイアンは判断した。
「そりゃ最高の物だよ! かなりの自信作! 」
ベティが胸を張る。
彼女の大きく膨らんだ胸がさらに大きく見えた。
「ほう、そうか……ん? 自信作? 」
「それじゃあ、二人共! イアンくんに見せてあげて! 」
「ギャオ! 新しい服! 」
ベティの声と共に、ラノアニクスが店から出てきた。
ラノアニクスの着る服は、上衣とスカートが一体となったワンピースで、細い紐を肩に吊るし、袖が無く肩が露出していた。
彼女の髪の色に合わせたのか、薄い緑色である。
スカートの部分は短めで、彼女が履く茶色のズボンがチラリと見える。
「……短いな」
そのズボンを見たイアンが、そう呟いた。
ラノアニクスの履くズボンは極端に短く、股下から五センチも無かった。
「ああーそれね。ラノアニクスちゃんにズボンを履かせたら、動きにくいって言われちゃってね…切っちゃった」
「切ったのか……そういうのもあるんだな」
ベティの発言に頷くイアン。
「いや、普通切らないよ! イアンさま、こいつがおかしいだけです」
ミークがベティに指をさしながら声を上げた。
「そうかなのか? おい、無茶をするな」
「いいじゃん。ラノアニクスちゃんも喜んでるし」
「ギャウ! ギャウ! 」
ラノアニクスはその辺を元気に走り回っていた。
「…なら、いいか……靴は頑丈な物をえらんだのだな」
彼女の履く靴は短めで、頑丈そうな作りをしていた。
紐で縛るのではなく、ベルトで足を固定するものであった。
「ふむ……で、セアレウスはどうした? 」
イアンが周りを見回しながら呟いた。
ラノアニクスは出てきたが、一向にセアレウスが店から出て来ないのである。
「照れちゃてるのかな? ちょっとお姉さんが引っ張ってくる。ぐへへ…」
ベティがにやけながら、店内に入っていった。
「……おい、嫌な予感がするぞ。あいつ大丈夫か? 」
そのベティの様子に、イアンは不安になった。
「ま、待ってください! まだ、心の準備が…」
しばらくすると、セアレウスの声が聞こえてきた。
その声は、とても恥ずかしそうである。
「はぁはぁ…何を恥ずかしがることがあるの~? はぁはぁ…セアレウスちゃんは可愛いよ~ 」
そして、ベティの声も聞こえてきた。
彼女は何故か息が荒い。
「早くでないと、その肩をペロペロしちゃうぞ~ペロペロペロペロ!! 」
「ひぃぃ!? わ、分かりました! ですから、ベロを高速で動かしながら近づいてこないでくださーい! 」
何かが高速で動く音とセアレウスの悲鳴が店内から聞こえ、セアレウスが店から飛び出してきた。
「うおっ! おおっ!?」
イアンは、飛び出してきたセアレウスに驚き、彼女の格好にも驚いた。
彼女の着る白い服には袖が無い。
しかし、両腕には袖だけの部分がベルトで固定されており、肩の部分だけが露出していた。
袖の部分は黒色でひらひらと揺れている。
よく見ると、その中に白い筒状の衣料があり、どうやら二重に袖をつけているようだった。
腰に青いスカートをつけているが、その上から黒い裾丈の長い外套の一部がつけられていた。
セアレウスが動く度に、長い外套の部分がヒラリと揺れる。
彼女の足に目を向けると、膝上まである丈の長い白色の靴下を履いていた。
そのせいで、彼女の太ももの一部だけが露わになっている。
彼女の履く靴は、騎士が履いているような丈の長いもので、その靴の色は黒かった。
「なるほど…自信作とはこのことか…」
セアレウスの格好を一通り見たイアンが頷いた。
これはベティがあらゆる服を改造して作り上げた服装であった。
「ううっ…なぜ肩を出す必要が…」
セアレウスは露出した肩を隠すように、自分の肩を抱いていた。
「どう? イアンくん、セアレウスちゃんの服は」
店から出てきたベティがイアンに訊ねる。
「……ラノアニクスの服はともかく、セアレウスの服はおまえの趣味だろう」
「あ! 分かる? 特にこだわったのが、肩と太ももだけを露出させ……」
呆れるイアンに、ベティは悪びれる様子もなく、セアレウスの着る服について熱く語りだした。
「はぁ…分かった、分かった。その話しは後で聞くから、早くノールドに向かうぞ」
「あ…そうだった。早く行こ! 」
「おまえなぁ…」
旅に出ることを完全に忘れていたベティに呆れるイアン。
「ギャウ! 出発するのか」
ラノアニクスがイアンの元に来る。
「……はっ! 出発ですかい? 」
ぼうっとしていたミークもようやく我に返った。
ミークは新しい服装の二人の姿に惚けていた。
「ううっ…こんな姿では外を歩けません…」
セアレウスは物陰に隠れてうずくまっていた。
彼女だけが出発の準備が出来ていなかった。
「…………そういえば、セアレウス。さっき通りがかった人が、おまえのことを勇者みたいだ…と言っていたぞ…」
「行きましょう! 」
イアンの言葉を聞いたセアレウスは物陰から出ると、スタスタと歩いてきた。
もう自分の姿を恥ずかしがる様子は無かった。
(嘘だけどな…いや、この場合は詭弁か? )
今のセアレウスにそのようなことを言う人はおらず、イアンのついた嘘である。
――昼。
ようやくイアン達はノールドから船に乗り、ネアッタン島に向かうのだった。
2016年12月17日――脱字修正
それにイアンとは少し違うけど、 → それにイアンくんとは少し違うけど、