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百十九話 ゴトノムの怪

――夜。


ラノアニクスはフォーン平原の街道を東に走っていた。

彼女は前傾姿勢で走り、頭をなるべく地面に近づけている。

ラノアニクスは、イアンの匂いを辿っていた。


「クンクン……ん? 」


何かに気づき、ラノアニクスが足を止める。


「……イアン、街道外れた」


イアンの匂いが街道から消えたのだ。

そこは、サードルマを越えた辺りであった。

ラノアニクスは周囲の匂いを嗅ぎ――


「クンクン……イアン、こっちか! 」


イアンの匂いを見つけた。

彼の匂いは街道を外れ、北の方へ続いている。

その方角には森があり、イアンはそこに入ったようだった。

ラノアニクスは北に体を向け、その森に向かって走り出した。



 森の中の中に入ったラノアニクス。

彼女は今、森の中を歩いて進んでいる。

森の中は霧が充満し、視界は最悪だ。

そのため、地面からするイアンの匂いだけが頼りであった。


「……!? 」


しばらくすると、前方から何者かの匂いが近づいてくる。

まず分かるのは、その匂いがイアンのものではないということだ。

ラノアニクスは脇の茂みに身を隠し、その匂いの主が通りすぎるのを待つ。


「…はぁっ…はぁ…」


その者は息を切らしながら走っていった。

声から、その者が男性だということが分かる。


「……? 」


走っていった男を不思議に思いながら、ラノニアクスが立ち上がろうとした時――


「……!! 」


男の走ってきた方向から、別の匂いが近づいてきた。

ラノアニクスは慌てて茂みに身を隠した。


ドスン! ドスン! ドスン!


その気配の主は巨体なのか、足が地面につく度に地面が揺れる。


「……キュゥゥゥゥ…」


茂みに隠れながら、ラノアニクスは体を丸めて縮こまっていた。

巨体が放つ匂いから、自分よりも強い存在であるとラノアニクスは判断したのだ。

巨体が通り過ぎしばらくすると――


「ギャアアアアアア……」


男の絶叫が聞こえた。

想像するまでもなく、巨体によって殺されたようだ。


「グゥ……」


ラノアニクスは茂みから這い出て、巨体が向かった方向を見る。


「ギャウ…あいつ、イアンの匂いするほうから来た。ラノ、イアンが心配…」


ラノアニクスはそう呟くと振り返り、イアンの匂いを探った。

先程通った巨体の匂いが強烈で、イアンの匂いは探りにくくなっていた。


「クンクン……あ! あった! ギャウ、早くイアン見つける」


ラノアニクスは早足で、イアンの匂いを辿った。

あの巨体と遭遇しないよう、ラノアニクスは早くこの森から出たかった。

彼女がいる森はゴトノムと呼ばれている。

そこには、凶悪な獣が住み着いており、フォーン王国では禁足地として定められていた。





 イアンの匂いを辿っていたラノアニクスは、木々の無い開けた場所に辿り着いた。


「グッ!? 」


沼に着いた途端、ラノアニクスが鼻を押さえた。

沼から異臭が発生しており、そのせいで――


「臭い…イアンの匂い分からない…」


匂いを嗅ぎ分けることができなくなってしまった。

代わりに、この場所には霧がなく、周りを見回すことが出来る。

見回して分かったことは、ここが沼地であることと、沼に沈みかけた幌馬車があることだった。

馬車の車輪が完全に沈んでいることから、沼の深さがかなりのものであることが分かる。

ラノアニクスが幌馬車に目を向けると、そこから沢山の溝があちこちに伸びていた。

恐らく、幌の中にいた人々が沼を通った跡だろう。


「……! 」


沼を眺めていたラノアニクスは何かに気づき、沼に入っていく。

彼女が見つけたのは人の体であり、沼に沈んでいるのか下半身は見当たらなかった。

沼をかき分けながら、ラノアニクスは進んでいく。

彼女は胸まで沼に沈んでいた。

そして、人の体がある場所に到着した。


「グゥ…もう死んでる…」


ラノアニクスが見つけたのは人の死体であった。

その死体は男性で、緑色のローブを身につけている。

とりあえず、男の死体を引っ張り、沼を出ることにした。


「ふぅ……ギ? 」


沼を出たラノアニクスが振り返り、目に映ったものに驚愕した。

男の死体に下半身が無かったのだ。


「ギャウ! あいつの仕業! 」


ラノアニクスはすぐにその考えに達し、改めて沼を見回した。

すると、あちこちに人の体の一部が沼から突き出しており――


「全部食べ残し! みんな、あいつにやられた! 」


それらは、ちぎれた腕や足などの巨体が食い散らかしたもだった。


「イアン……」


ラノアニクスは沼の中にイアンがいないか探し出す。

イアンの匂いはこの沼で途切れていた。

彼がこの沼の中にいる可能性があるのだ。

ラノアニクスが目を凝らして探すがイアンらしきものは見つからなかった。


「……グゥ…」


匂いが分からない今、イアンの探す術がなく、ラノアニクスは立ち尽くした。

他にも、声を出して探す方法があるのだが、大声を出そうものなら、あの巨体を呼び寄せかねないのである。

少し経つと、巨体の存在を思い出し、とりあえずイアンを探そうとラノアニクスが動きだそうとすると――


「おい」


誰かに声を掛けられた。

ラノアニクスは、うまく聞き取れなかったため、周囲を警戒する。


「おい、俺だ」


再び、声がラノアニクスの耳に入る。

彼女の様子が見えているのか、警戒を解かせるような口調であった。


「……イアン? 」


今度は聞き取れたため、その声の主の名を口にする。


「そうだ……俺だ。イアンだ」


ガサガサと物音がし、その方向へラノアニクスが目を向けると――


「イアン! 」


沼の外に生い茂る草むらの中から、イアンが現れた。




 ラノアニクスは、イアンの姿を確認すると、早足で駆け寄っていく。

その間、イアンはラノアニクスを見て微笑んでいた。


「イアン、帰り遅い。ラノ、探しに来た! 」


イアンの目の前に到達したラノアニクスが胸を張る。


「ああ……ラノは俺を探しに来たのだな…」


イアンは、ほっとしたような顔をした。


「それより、ここに来るときに化物を見かけなかったか? 」


「化物……ああ! あいつ!」


化物とは巨体のことであった。


「あいつ危ない! イアン、早くここ出よう! 」


ラノアニクスがイアンの袖をグイグイ引っ張る。


「うお……待て待て! 無闇に動けば、見つかってしまうだろう? 」


「大丈夫! あいつの匂い覚えた。近づいたら隠れる、これで見つからない」


「なに? そうか…でかしたぞ、ラノ! 」


「ギャウ! 」


ラノアニクスが自慢げに吠える。


「よし! 一刻も早くここから出るぞ…奴が来る前に…」


「分かった! 」


ラノアニクスはイアンに返事をすると、沼を出ようと歩き出した。

その時――


「おい、ラノアニクス…」


「…? どうした? 」


イアンに呼ばれ、ラノアニクスは振り返った。


「ん? どうした? 早く進め」


「…? 分かった…」


「いや、止まれ。そこを動くな」


「ギャウ! さっきからなんだ! 」


先程からあべこべなことを言うイアンに、ラノアニクスは詰め寄る。


「待て! 俺は何も言っていない! 」


ラノアニクスに詰め寄られ、イアンが後ろに下がる。


「ギャウ! 嘘だ! さっきからイアンの声する。イアン、ラノをからかっているのか? 」


「俺の声……まさか…気をつけろ、ラノ! 」


突然、イアンが叫びだした。


「……!? 」


その声に驚くも、ラノアニクスは身構える。

すると、前方の木の枝から誰かが降りてきた。

そこはイアンが出てきた茂みの反対側である。

その降りてきた何者かが、ラノアニクスとイアンの元に近づいてくる。


「……ギャオ!? 」


近づいてきた人物の姿を見たラノアニクスは、驚愕の表情を浮かべた。

木の枝から降りてきた人物は――


「ラノアニクス、こっちに来い」


イアンだった。

後から現れたイアンは、ラノアニクスを呼び寄せるためか、手を伸ばしている。


「そいつは――」


「ラノアニクス! あいつの言葉に耳を傾けるんじゃあないぞ! あいつは偽物だ! 」


後から来たイアンの言葉を遮るように、先に来たイアンが声を上げた。


「偽物!? あいつ、イアンの偽物なのか? 」


ラノアニクスが後ろにいる先に来たイアンに訊ねた。


「ああ。どうやら姿を変える力を持っているようでな。ああやって俺に化け、お前に俺を始末させようという魂胆だろう」


「いや、それはおまえが――」


「黙れ! ラノアニクス、あいつの言葉に耳を傾けるなよ…奴が何かを仕掛けて来る前に、早く倒してしまえ! 」


先に来たイアンがラノアニクスに(まく)し立てる。


「ギャ、ギャウ! よく分からない。けど、あいつ倒せばいいんだな! 」


ラノアニクスが前傾姿勢になる。

これは、ラノアニクスにとって最も走りやすい体勢である。

そして、この体勢は攻撃を仕掛ける準備でもあった。


「グゥゥゥゥゥゥ…」


ラノアニクスは唸り声を上げながら、前方のイアンを睨みつける。


「……」


睨みつけられたイアンは顎に手を当てていた。

まるで、考え事をしているような仕草であった。

そんなイアンの様子に構わず、ラノアニクスは――


「ガァ――」


「肉!! 」


駆け出そうとしたが、前方のイアンの声によって、体を反転――


「ギャア! 」


スバッ!!


右腕を振りおろし、後ろにいたイアンの体を切り裂いた。


「ぐっ…う…あああああああ!! 」


切り裂かれた傷口から大量の血が噴き出しながら、イアンは後すざりする。


「ぐぅぅ…何故……俺を……」


手で傷を押さえながら、イアンがラノアニクスに訊ねる。


「ギャオ! イアン、ラノが肉好きなの知ってる! 」


「そ…それだけ…で……」


イアンは自分が作り出した血だまりに倒れた。

その瞬間、倒れたイアンの姿が歪み、緑色のローブを着た男に変化した。

後から来たイアンが本物で、先に来たイアンが偽物だったのだ。


「ふぅ…もしやと思って言ってみたが、上手くいったな…」


本物のイアンは一息つくと、その場に腰を下ろした。

ラノアニクスが自分を本物だと認識するかはイチかバチかであり、そんなに肉という言葉を信頼していなかった。


「ふっ…少し肉が好きになったな…」


肉に助けられ、イアンはそう呟いた。





 イアンはラノアニクスの鼻を頼りにゴトノムの森を後にした。

森を抜ける際、巨体に遭遇しないよう匂いに警戒していたラノアニクスだが、その時に巨体の匂いが近づくことはなかった。


「ふぅ…夕方までに帰るつもりが、こんなにかかってしまうとはな…」


平原の街道を歩きながら、イアンが呟いた。

イアンはラノアニクスと別れた後、幌馬車を追いかけていたのだが、途中で見つかってしまい、逃げた幌馬車はゴトノムの森に入ってしまったのである。

イアンも幌馬車に乗る人々もそこが禁足地であることを知らなかった。

その森に入り、イアンが沼に来る頃には幌馬車は半壊しており、中に乗っていた人々も死んでいた。

そこでイアンは気づいた。

幌馬車に乗っていた人々は子供ではなく、緑色のローブを着た者達であることを。

ただ一人生き残りがおり――


『なんてことだ……やはり、異国の地ではマヌーワ様の加護はないというのか……』


と自分がマヌーワ信仰教団の関係者であることを言ったため、イアンは戦闘を仕掛けた。

しばらく戦っていたが、再び謎の巨体が現れ戦闘を中止。

互いに身を隠している中、ラノアニクスがやってきたのである。


「くそ…あの時、あいつより先に声をかけていたらな……それにしても、よくあそこにオレがいると分かったな」


「ギャウ、イアンの匂い追ってきた! 」


イアンの隣を歩くラノアニクスが答えた。


「匂い…なるほど、おまえの嗅覚は優れていたな。しかし、それがあるのに何故、あの時すぐにオレが本物だと分からなかったんだ? 」


イアンは、ラノアニクスを少し責めるように言った。


「グゥ…沼臭かった。匂い分からない」


ラノアニクスは自分の鼻を摘み、苦い表情を浮かべた。


「ああ、確かに臭かったな」


イアンはそれで納得し――


「ふぅ…おまえが来てくれなかったらあの森を出ることはできなかっただろう。助かったぞ、ラノアニクス」


ラノアニクスに礼を言った。


「ギャウ、気にするな。イアンいなくなったら肉食えなくなる。ラノ、それが心配だった」


「……肉……結局、肉なのか……」


イアンはため息を着いた。

彼女は一ミリもイアンを心配していなかった。

ただ、イアンがいなくなることで、自分が食えなくなってしまうのが不安だっただけである。


「まあいいか…」


イアンがそう呟いた後、顔を上げれば、日が昇り始めていた。




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