百十六話 イアン保護者になる
――朝。
キャドウの宿屋にて、イアン達は朝食を取っていた。
イアンが座るテーブルの席には、セアレウスとミーク、少女の三人が座っていた。
「いやぁ、自分を殺そうとした相手をこうも手懐けてしまうとは、流石イアンさまです! 」
ミークがイアンを絶賛する。
「そう思うか? よく見てみろ」
イアンに促され、ミークは少女に目を向けた。
少女は一生懸命料理を口に運んでいる。
よく見ると、肉ばかりを口にいれ、野菜の類は皿の隅に積まれていた。
「あ! 野菜ばかり残して…好き嫌いは良くないです! 」
セアレウスが少女を注意する。
「ムグムグ…」
少女はセアレウスを無視。
そのまま、肉のみを口に運んでいく。
「もう! ちゃんと食べてください! ほら、あーん! 」
「ギュ~! 」
セアレウスが強引に少女の口へ野菜を運ぶが、少女は口を固く閉ざしてそっぽを向く。
「ぐぐぐ…」
「ギュ~…」
セアレウスと少女の攻防が始まる。
ミークは少女とセアレウスから視線を外し、イアンの方へ顔を向ける。
「な? まだ言うことを聞いてくれないだろ? 」
「いやぁ…」
神妙な顔をするイアンに、苦笑いで答えるミーク。
食べ物の好き嫌いなど、この年頃の子供にはよくあることである。
こうして一緒に食事が出来るだけでも、充分言うことを聞いてくれているのだ。
しかし、食べ物を粗末にすることをイアンは許せなかった。
「おい、ちゃんと食え。さもなくば……」
イアンがゆっくりと、少女に右手を伸ばしていく。
「ギュ! 」
その素振りで、少女は雷撃を放たれると思い、ビクリ身を震わせた。
しばらく固まった後、少女は口を開き、セアレウスの差し出した野菜を食べ始める。
「やっと食べてくれました。ありがとうございます、兄さん」
「うむ。何か事情があって食べれないのは仕方ない。だが、嫌いなだけで食べないのは言語道断だ」
「まったくです! 」
苦い顔で野菜を食べる少女に、イアンとセアレウスが厳しい視線を送る。
「…お、おお…二人共、徹底してますなぁ…… 」
ミークが少女を可哀想な目で見る。
その後、二人の厳しい視線を受けながら、少女は料理を食べきることができた。
朝食を食べ終わったイアン達は、冒険者ギルドの前に来ていた。
イアンは少女を背負い、セアレウスとミークに向かい合っている。
「では、兄さん。行ってきます」
「今日も稼いできますぜ! 」
「ああ、怪我しないようにな」
イアンはセアレウスとミークを見送りに来ていた。
このあと彼は、ノールドに向かいうつもりである。
少女を保護していることを王都騎士団に報告するためだ。
森林で少女を捕まえた時、イアンは冒険者達に少女を処分すると言っており、それが正しく伝わっていれば、少女は死んだことにされているはずである。
なんの連絡も無く、少女を保護しているところを見られれば、虚偽の報告を行ったとされ、騎士団に捕われる恐れがあった。
なので、少女を保護をしていることを自分から言いに行こうとイアンは考えたのだった。
「さて、行くとするか。大人しくしろよ」
「ギャウ! 」
こうして、イアンは少女を背負い、ノールドへ向かった。
ノールドに着いたイアンは、検問を行う騎士団の詰所の前に来ていた。
「おい、誰かいないか? 」
詰所のドアを叩き、中に人がいないか訊ねるイアン。
「はい。何か御用で……イアンさんじゃないですか! 」
開いたドアから出てきた男は、イアンの姿を見て声を上げた。
「む…どこかで会ったか? 」
「あなたが捕まえた人攫いを連行した騎士です」
「ああ、あの時の騎士か」
「覚えてくださり光栄です。それで、今日はどういった御用で? 」
「ふむ。実は、逃げ出したこいつについて報告することがあってな」
「はぁ……え!? イ、イアンさんが背負っているその子は……」
イアンが背負う少女の存在に気づき、騎士は体を震わせながら後ろに下がった。
この騎士も少女の凶暴さを知っているのだ。
「ああ、実は生きているのだ。そのことを言いに来た」
「は……はい、分かりました。とりあえず、中にお入りください」
騎士に中に入るよう促され、イアンは詰所の中へ入っていった。
イアンは、詰所の中の一室に案内された。
その部屋の真ん中にはテーブルが置いてあり、そのテーブルの周りに椅子が並べられている。
テーブルは四角い形で、一つの側面に二つの椅子が置かれており、計八つの椅子がこの部屋にあった。
「どうぞ、そこの席にお座りください」
「うむ。そこの席に座るのだ」
「ギャウ」
イアンと少女は手前に置かれた椅子に座った。
騎士は二人が椅子に座ったことを確認し、イアン達の向かい側の椅子に座った。
その時、騎士はテーブルに紙とペンを用意した。
騎士はイアンの話を報告書として、紙に書き起こすつもりであった。
「えー…ここまでの経緯を話してください」
「分かった。まず……」
イアンは、少女を保護することになった経緯を話した。
「…というわけだ」
「はい。少々お待ちください…」
イアンが話し終えると、騎士は話をまとめた紙を見つめた。
「よし。これで報告書は問題ありません」
「オレが嘘を言っていたことと、こいつを保護することについてだが…」
「えー…まず、イアンさんが嘘をついていたことは問題にはなりません」
「ふむ、どいうことだ? 」
イアンが騎士に訊ねる。
「イアンさんがしっかりこの子を見ていれば、こちらが言うことはありません」
「……なるほど。こいつが何かしでかせば、オレが責任を負うわけか」
「はい。イアンさんがこの子の保護者になってもらいます」
少女が野放しの状態で問題になるのは、人に危害が及ぶことである。
この少女は王国の民にとって驚異となり、王都騎士団は少女を保護もしくは排除の対象にしていた。
しかし、少女が人に危害を加える心配がなければ、王都騎士が関与する必要はない。
周りに危害が及ばないよう、誰かが少女を見張ればいいのだ。
その誰かの役目をイアンが担うのである。
「正式にイアンさんには、この子の保護者になってもらいます。その申請書類を今から作るのでご協力願います」
「分かった」
イアンは騎士の質問に答えていき、順調に書類は出来上がっていく。
「グゥ…」
やることのない少女は、イアンに寄りかかって眠っていた。
「これで書く事は…あ…」
「どうした? 」
書類は出来上がったと思われたが、まだ書かなければいけないことがあった。
「イアンさん……この子の名前って分かります? 」
「知らん」
少女の名前がまだ書かれていないのだ。
イアンは少女に名前を聞こうとしたが――
「……こいつ言葉を話せなかったな」
少女は言葉を知らないため、聞いても無駄だった。
「名前がないとダメなのか? 」
「ええ、一応正式な書類ですので」
「ふむ……一時的な名でも良いだろうか? 」
「うーん…本当はいけないのですが、この場合は仕方ないですね。それで、この子の名前は? 」
「少し待て、今考える」
イアンは腕を組み、少女の名前を考える。
「ううむ…」
しばらく考えたイアンだが、一向に良い名前が思いつかなかった。
そのため、騎士にも知恵を出してもらうことにした。
「すまん、適当な人の名前を言ってくれ」
「は、はい…えー…ラシェル、ノーラ、アリソン、ニコラ、クレール、スイレン……」
「ふむ…ら…の…あ…に…く…す。ラノアニクスにしよう」
イアンは騎士が言った名前の頭文字を繋いで、それを少女の名前とした。
「ラノアニクス…ですか」
「うむ。それにしても案外スラスラと名前を言ったな。友人か家族の名前を言ったのか? 」
「いえ……私が尊敬する戦士達の名前です」
真面目な顔で騎士が答えた。
その表情から、名前を上げた戦士達を本当に尊敬していることが窺える。
(オレは一人も知らないが、さぞ名のある男達なのであろう)
イアンは屈強な戦士達を想像していた。
「……あ! ちなみに皆女性の戦士です」
「……むぅぅ 」
イアンは思わず体勢を崩してしまう。
騎士の上げた名は全て女性の名前であり、イアンの想像していた男達ではなかった。
「しかも姫騎士ですよ、姫騎士! 」
「知らん。こいつに名前をつけたのだ、早く書いてしまえ」
「あ…す、すみません! 失礼しました! 」
騎士は、慌てて少女の名前を書きだした。
申請書類が書き終わると、イアンは眠ってしまった少女を背負い、詰所を後にした。
これで、少女――ラノアニクスがこの国にいても問題無い。
あとは、ラノアニクスの故郷を探し出すだけであった。
イアンはノールドを離れ、カジアルに足を向ける。
「……」
その途中、イアンは頭を悩ませていた。
ラノアニクスの故郷を探し出すことは並大抵のことではない。
「探そうにも手がかりがな…」
彼女がどこから連れてこられたかが分からないのだ。
申請が終わった後、騎士に聞いてみたのだが――
『一応、人攫いの奴らに問い質したのですが、分かりませんでした。他の人物がこの子を攫ったようでして』
『む? どういうことだ? 』
『この子は攫った人物と他の誰かに売買され、買取主に運搬していたのが、あの人攫い達なのです』
『ふむ…その攫った奴の情報は? 』
『全く分かりません。その人物に依頼を受けた船長しか、直接会ったことが無いそうで、名前もどこの国の者なのかも分かりません』
『むぅ…』
と、肝心のラノアニクスの故郷に繋がる情報は得られなかった。
「せめて……こいつが喋れればな……」
イアンが背中越しに少女を見る。
すると――
「む…そうか! こいつに言葉を教えればいいではないか」
と一つの案を思いつくことができた。
こうしてイアンは、ラノアニクスに言葉を教えることになった。
カジアルに着いたイアンは、キャドウの宿屋に向かった。
自分の部屋に入り、ラノアニクスを椅子に座らせる。
「おい、起きろ」
「ムゥ…ギャウ? 」
イアンに体を揺すられ、ラノアニクスは目を覚ました。
「起きたな。今から、おまえには言葉を覚えてもらう」
イアンは意気揚々と、ラノアニクスに言葉を教え始めた。
――夕方。
「イアン! イアン! 」
ラノアニクスがイアンに指をさしながら言った。
「うむ、そうだな。では、おまえは? 」
イアンは頷いた後、ラノアニクスに手を向ける。
「アゥ……ラノ…ラノ! ラノ! 」
ラノアニクスは少し悩んだ後、自分に指を指して言った。
「ラノアニクスな。アニクスが抜けているぞ」
「ラノ! ラノ! 」
イアンが言い直させようとするも、ラノニクスは自分の名前の頭二文字しか言えなかった。
「はぁ…もういいか。では、これは? 」
イアンが本を手にする。
「 ラノ! ラノ!」
「……こっちは? 」
次に、イアンは服を手に持った。
「イアン! イアン! 」
「……」
イアンは本と服を交互に持ち変えていく。
「ラノ! イアン! ラノ! イアン! 」
「はぁ…全然違うぞ。さっき教えたばかりというのに…」
イアンはガックリと肩を落とした。
結局、この日にラノニクスが覚えた言葉は二つだけであった。
「道のりは長いな…」
彼女が普通に喋れるようになるには、まだ程遠いものであった。
コン! コン! コン!
その時、イアンの部屋のドアを何者かが叩いた。
「誰だ? 」
「セアレウスです」
「おまえか。入っていいぞ」
「失礼します」
開いたドアから、セアレウスが現れ、イアンの部屋の中に入る。
「む…ミークはいないのか? 」
「下の食堂にいます。もう夕方ですよ」
「もうこんな時間か…」
イアンは窓の外に目を向ける。
窓の外は、夕日により赤く照らされていた。
「……」
ラノアニクスは、セアレウスをじっと見つめていた。
警戒心が薄らいだのか、ラノアニクスはセアレウスに吠えなくなった。
「……? 」
ラノアニクスの視線に気づき、セアレウスは小首を傾げた。
「ラノイアン! 」
その代わり、セアレウスに指を差し、謎の言葉を発した。
ラノアニクスとイアンの名前が混ざってしまったようだった。
そのことには一切気にすることなく、ラノアニクスは得意満面の表情を浮かべていた。
「はぁ…らのいあん……ですか」
セアレウスはきょとんとした顔で、ラノアニクスに答えた。
「えへへ…」
何故かセアレウスは微笑みを浮かべた。
「何故喜ぶ? 」
「なんか褒められたような気がして…」
「そんなわけないだろう。オレとあいつの名前がごっちゃになっただけだ」
「え? 分かるのですか? というか名前? 」
「ああ、こいつに名前を付けたのだ。名前はラノアニクスという」
イアンがラノアニクスに手を向ける。
「ラノ! ラノ! 」
名前を呼ばれたラノアニクスが楽しげに声を上げる。
「ラノアニクスですか…変わった名前ですね」
「まあな。で、こいつに言葉を教えていたのだが…」
「イアン! ラノ! ギャオ! 」
「オレの名前と自分の名前の一部しか、まだ喋れないのだ」
再び、イアンは肩を落とした。
「……兄さん、ラノちゃんに言葉を教える役目…わたしに任せてみませんか? 」
「なに? 」
イアンはセアレウスに顔を向けた。
「相当苦労すると思うが、本当にいいのか?」
「はい。わたしに任せてください! 」
セアレウスの視線は揺らぐことはなく、自信有りげな表情を浮かべていた。
(そういえばこいつ、頭がよかったな)
その自信が、自分の教養の高さから来ているものだと、イアンは思い――
「よし、分かった。おまえに任せる」
快く、ラノアニクスに言葉を教える役目をセアレウスに任せた。
「ありがとうございます! では、明日から始めたいと思います」
「うむ。そのあたりはおまえの好きにやるといい」
セアレウスはイアンの言葉を聞くと、ラノアニクスの元に行く。
ラノニクスと目線が合うように、膝を曲げ――
「頑張って言葉を覚えましょう、ラノちゃん」
と、ラノアニクスの目を見ながら言った。
「ギャウ? 」
ラノアニクスは、何を言われたか分からず、首を傾げるだけであった。




