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百十五話 見えざる獣人

 イアンは、目の前の生き物の、あまりにも奇妙な姿に息を呑む。

人の形をしており、普通の人間には無い獣的な特徴を持つことから、それが獣人であることが判断できる。

イアンが分かるのはそこまでであり、何の獣人なのかは分からなかった。

身体の様子を見ると、頭部は人間のものであるが、目が飛び出しそうなほど突き出ている。

だらんと下げられた腕の先には、少女の爪よりも長く鋭い鉤爪を持っていた。

上半身の肌は緑色で、よく見ると蜥蜴のような鱗状の肌になっている。

そのことから、その獣人が少女よりも獣に近い爬獣人種であると思われた。

しかし、下半身は緑色の毛で覆われて、二本の足の先端には蹄があり、牛や馬のような草食動物の特徴を持っていた。

この上半身と下半身がまったく違う特徴を持つせいで、イアンは何の獣人か判断ができないのである。

イアンは、それが不気味であると感じ――


「グゥゥゥゥゥ…」


少女も気に入らないらしく、その獣人に対して唸り声を上げている。


「ググ…グググ…」


その獣人は、気味の悪い声を出しながら、ギョロギョロと突き出た目を動かしている。


「……あまり…戦いたくはないな…」


イアンはそう呟き、ゆっくりと後ろに下がる。

少女を背負っている今、イアンは不利な状況であった。

このまま戦闘になれば少女が足枷となり、イアンが充分に戦うことできないだろう。

かと言って、少女を開放するわけにはいかず、イアンはこの場から立ち去ろうとしているのだ。


「グゥゥゥ…ギャウ! ギャウ! 」


そんなイアンとは裏腹に、少女は獣人に対して吠え始める。


「ググ…? 」


少女の声に刺激されたのか、あべこべに動いていた獣人の瞳がイアンを捉える。


「……!? 」


イアンは獣人と目が合い、思わず動きを止めてしまう。

しばらく目が会った後、イアンが再び足を後ろへ下げると――


「ググッ…グググッ! 」


獣人がその場で地面を蹴りだした。

その動作は、猪等の獣が突進を行う前にするもので――


「くっ……戦いは避けられんか…」


戦闘態勢に入ったことを意味していた。

イアンは斧を持った右手を下げる。

獣人が突進してくると予想し、回避のしやすい体勢を取っているのだ。


「……」


イアンはいつ突進が来てもいいように、獣人に見据える。

しかし――


「む? ……なっ!? 」


イアンは獣人を見失った。

周りを見渡すが、獣人の姿を見つけることはできなかった。


「馬鹿な……さっきまでそこに……」


敵を見失うという異常事態に、イアンは動揺する。


「ギャウ! 」


「……!! 」


イアンは左に体を向け、戦斧で防御の姿勢を取った。

イアンがその方向を防御しようとした根拠は無い。

少女の声が耳に入った時、どういうわけか左の方から攻撃が来ると、イアンは感じたのだ。


ガキッ!


結果、戦斧に衝撃が走り、獣人の攻撃を防ぐことができた。


「ぐっ……はあっ! 」


戦斧から伝わる感触から、その攻撃が鉤爪によるものだと思われた。

イアンは戦斧を振り上げ、その攻撃を弾いた後――


「そこだ! 」


前方に獣人がいると判断し、イアンは振り上げられた戦斧を勢いよく振り下ろした。


ドッ!


戦斧が川辺に叩きつけられた。

既に獣人は移動しており、イアンの戦斧は外れたのである。


「くっ…もういないのか…」


戦斧を引き戻し、体勢を立て直すイアン。


「おい! 何故、オレを攻撃する? 」


イアンは、近くに潜んでいるであろう獣人に向かって呼びかけた。

しかし、獣人から返事は無く、川のせせらぎだけと少女の唸り声が聞こえるだけであった。


「会話はしない……いや、通じないか…」


イアンは、周りを見回し、獣人の姿を探す。


「む……そうか! 」


すると、川が彼の視界に入り、イアンは川の中に入っていった。


「よし…これなら、どこから来ようが、位置を知ることができる」


イアンが川の中に入ったのは、向かってくる獣人の動きを察知するためであった。

先程の攻撃によりイアンは、獣人が姿を消していることをなんとなく分かっていた。

そこでイアンは、獣人は自分の姿だけしか消せないのでは――と思い、川に逃げ込んだのだ。


「……クンクン…クンクン…」


イアンが川の流れの変化に注視する中、少女は獣人の匂いを探していた。

川に入ったことで、獣人の匂いが分からなくなってしまった。

少女は嗅覚で獣人の場所を感知していたのである。

そのことに気づかないイアン。

川の流れを見るより、彼女の反応を見るほうが妙案あると気づくのは、もう少し後のことである。


「……なかなか来ないな…」


イアンの周りの川の流れは、未だに変化することはなかった。

それもそのはず、姿を消しているにも関わらず、わざわざ自分の居場所が分かる所に足を踏み入れる者はいない。

獣人はイアンから離れた川辺に佇んでいた。


「ググ…ググググッ! 」


獣人は、川の中で動かないイアンを嘲笑する。

そのイアンに攻撃を行うため、身を縮める。


「グッ! 」


ダンッ!


そして、蓄えた力を開放するかの如く、イアン目掛けて跳躍した。


「……!? 」


跳躍による衝撃音に気づき、イアンは顔を向けたが、既に獣人はそこにはなく――


「ググ…グググ…」


イアンの真上から落下していた。

足を下に向け、その蹄でイアンを踏みつけようとしていた。


「……! ギャウ!ギャウ! 」


少女が獣人の接近に気づいたのは、その距離が二メートル程の所で――


「むっ!? 上だとっ!? 」


イアンの避ける間もない距離であった。

咄嗟に、戦斧を頭上に構えることしかできず、獣人の攻撃を受けるイアン。


ドゴッ!!


「あああああ!! 」


獣人の強力な攻撃を受けきれず、イアンは弾き飛ばされてしまう。

その弾みで、少女を括りつけていた鎖斧の鎖が解けてしまった。


ザッパァン!


イアンと少女が川の中に崩れ落ちる。


「グゥ…プハッ! 」


「ぐ…ううっ…」


少女が起き上がった後、イアンも川の中で立ち上がる。

そして、イアンは右腕を押さえながら川辺に向かう。

獣人の攻撃を受けた時に、右肩を脱臼していた。

川辺に辿り着いたイアンは、自分の体が軽くっていることに気づき振り返る。


「くっ…なんということだ」


イアンは、少女の拘束が解かれていることに気づいた。


「……ギャウ? 」


少女は自由になった体を見回し、疑問の声を上げた。

そして、きょとんとした顔から一変し、獰猛な表情をイアンに見せる。


「グゥゥゥゥ…ギャアア!! 」


イアンの方目掛けて跳躍、その鋭い爪を振りかざして襲いかかった。


「うっ……」


獣人の攻撃により、体を痛めたイアンは咄嗟に動くことができなかった。


「……!? 」


イアンの表情が驚愕の色に染まる。

少女は跳躍は高く、イアンの頭上を通り過ぎていった。

彼女はイアンに襲いかかったわけではなかった。


ズバッ!


少女の両手が振り下ろされ、イアンの背後にいた者を切り裂く。


「グギェェェェ!! 」


悲鳴が上がり、何も無い空間から赤い血が滴り落ちる。

その空間から人の形をした影が現れ、様々な色に変化する。

影はよろめきながら後ろにさがり、やがて影は獣人の姿に変化した。

獣人は自分の体の色を変化させ、周りの景色と同じ色に擬態することができた。

これにより、他者の目を欺いて姿を消していたのだ。


「…! 奴が姿を……」


振り返ったイアンの目に獣人の姿が映り、驚愕する。

そして、自分の目の前に立つ少女に目を向ける。


「グゥゥゥゥ…」


少女はイアンに背中を向けて立っていた。

構えた左右の手は、獣人に向けられている。

その姿はまるで、イアンを守るように立っているように見える。


(オレを助けた? ……まさかな…)


しかし、イアンは少女が自分を助けたとは考えなかった。

単に、自分よりも獣人の方が驚異であると判断されたと思っていた。


「ギャアア!! 」


少女が叫び、獣人に向かって跳躍する。

両手を振りかぶり、再び獣人を体を切り裂こうとしていた。


「ググ…」


出血をしながらも、獣人は体勢を立て直す。


「ググ…グッ! 」


獣人は大きく跳躍し、少女を爪を回避する。

獣人が自分の体の色を変えることはなかった。

少女には嗅覚で居場所を感知されるので、意味が無いのだ。


「グウゥ…」


着地した少女は顔を上げ、上空をいる獣人を睨みつける。

そのまま膝を曲げ、体を縮ませる。


「ギャウ! 」


ダンッ!


少女の尻尾が地面を叩く。

それと同時に少女は獣人目掛けて跳躍した。


「跳んだ!? しかも、高い! 」


見上げるイアンの目に少女の姿が映る。

少女はどんどん空へ上がって行き――


ズバァ!


「グギッ!? 」


獣人の体を切り裂き、さらに上へと上がっていく。

少女は獣人よりも高く跳んでいた。


「ギャオオオオオオオ!! 」


限界の高さまで跳んだ少女が、高らかに咆哮を上げる。


「ググググッ…!! 」


「くっ…! 」


獣人はおろか、イアンまでもがその咆哮に身を震わせる。


「グルァ! グゥルルルルル!!」


少女は咆哮を終えた後、前方へ体を回転させる。

一気に回転の速度が上がり、高速回転のまま獣人目掛けて落下していく。


「グギイイイイ!! 」


獣人は空中で身動きが取れず、体の前で腕を交差させ、自分の身を守ることしか出来なかった。

やがて、高速回転する少女が獣人の元に辿り着き――


「ギャオ!! 」


組んだ両手を獣人の頭に叩き込んだ。


「グバギャ!! 」


高速回転の勢いが乗せられたその一撃は凄まじく、獣人の頭を破壊する。


ズドッ!


頭を破壊された獣人の体が、勢いよく川辺に叩きつけられた。

横たわる獣人の体は見るも無残な姿をしており、生死を確かめるまでもなく、絶命していた。


「……」


イアンは獣人の悲惨な最後に絶句する。

獣人という驚異が無くなったというのに、イアンが喜ぶことはなかった。


「ギュウ…」


少女が落下し、イアンの前方に着地する。

少女という驚異はまだ無くなっていないのだ。


「ギャウ」


「……! 」


少女がイアンの方に体を向ける。

それだけで、イアンは一歩後ろに下がる。


ザッ! ザッ! ザッ!


動けないイアンの元へ、少女がゆっくりと近づいていく。

そして、目の前に到達すると、少女は右手をイアンへ伸ばし――


「ギュ~…ギュ~…」


と唸りながら、イアンの服を引っ張り始めた。


「……なっ……なんだ? 」


予想外の行動に、イアンは困惑せざる負えなかった。


「アー…アー! 」


少女が口を大きく開き、左手の人差し指で口の中を何度も差していた。


「……ああ…飯が食いたいのか…はぁ…」


イアンは少女の意図を理解したと同時に、体を脱力させた。


「アー! アー! 」


「分かった、分かった。後で捕ってやるから、少し休ませてくれ…」


少女の催促を適当にあしらい、川辺に腰を下ろすイアン。

緊張が一気に解けた瞬間、どっと今までの疲労がイアンに襲いかかったのだ。


「グゥ~…」


少女は不満そうに唸りながら、イアンの体を揺すり始める。


(……ふむ、餌付けが効いたのか…何にせよ、襲われることが無くなったのはいいことだ)


イアンは体を揺すられながら、少女の憎しみが無くなったことを確信した。


(さて、後はこいつを故郷に戻すだけ――)


「ギャウ! 」


「む? 」


少女は急にイアンを持ち上げた。

そして、川の方に向き――


「ギャーウ! 」


イアンを川の中に投げた。


ザッパーン!!


水しぶきを上げ、川の中に沈むイアン。


(こいつ、まだオレのことを殺したいのではないか? )


少女の乱暴な振る舞いに、イアンはそう思わずにはいられなかった。


「ぷはっ…」


川底に足をつき、イアンが水面から顔を出すと――


「ギャウ! ギャウ! 」


少女が両手に木の枝を持ち、川辺で小躍りをしていた。


「はぁ……魚なら自分で捕れるだろう…」


イアンはそう言いつつも、水面に視線を向け、左手を構える。

結局、今から魚を捕るのであった。





 少女に魚を食べさせ続けていると、セアレウスが到着し、彼女の水流により、イアンと少女は谷底から救出された。

その頃は昼を過ぎた時間であり、夕方になった今、イアン達は森林を出て、フォーン平原を歩いている。


「それにしても…あんなに凶暴だった子が、ここまで大人しくなるなんて…」


セアレウスがイアンの方を見て呟いた。

イアンは、少女を背負いながら歩いていた。


「…色々あったのだ」


「ギャウ! 」


イアンの返答に合わせて、少女も声を上げる。


「獣人との戦闘…ですか」


「うむ……そういえば、あの獣人はなんの獣人だったんだ? 」


「上半身と下半身で違う生き物の特徴を持つ獣人……でしたか。わたしには分かりません。もしかすると、新種の獣人かもしれませんね」


「新種の? 」


セアレウスの言葉に首を傾げるイアン。


「ええ。世界は広い…まだ、誰にも知られていない生き物は沢山いるはずです。ワクワクしますね! 」


「う、うむ…そういうものか…」


詰め寄ってきたセアレウスに、戸惑うイアン。

こういう話はセアレウスの大好物であり、本の話に発展しかねなかった。


「…きっと、この子の故郷もどこかにあるはずです」


本の話に発展せず、セアレウスは少女を見つめた。


「グゥゥゥゥ…」


少女は、まだ警戒しているようで、唸り声を上げながらセアレウスを睨みつけていた。


「…ああ」


イアンはセアレウスに相槌を打ち、空を見上げた。

夕日は沈み、既に辺りは暗くなり始めていた。


「ふぅ…」


見上げながら、イアンは息を吐いた。

ようやく一段落ついたと安堵したのだ。

しかし、イアンが安堵するには早すぎた。

それが分かるのは、まだだいぶ先の起こる出来事に巻き込まれてからである。




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