表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
115/355

百十四話 憎い子に美味しいものを食わせろ

オルムガ丘の東に広がる森林地帯。

その付近に大きな谷があり、東にある海まで続いている。

谷底には緩やかに流れる川があり、その両側は大小の石が転がる川辺となっている。

今は夕方であるため、夕日に照らされ、橙色に輝いていた。


「……」


川辺に立ち、断崖絶壁を見上げる少年がそこにいた。

彼の体には鎖が巻かれており――


「ギャア! ギャア! 」


ジタバタと暴れる少女を縛り付けていた。

鎖の先端には、両側に刃を持つ斧が括りつけられている。

少女はイアンと背中合わせに縛り付けられており、腕も巻き込んでいるため、イアンに手出しができないようになっていた。

否、手出しが出来ないはずであり、これは少年の思い込みであった。

なぜなら、川辺で呆然としている彼を、自分共々この谷に突き落としたのは、彼女のせいだからだ。


「……どうしたものか……こんなはずでは、無かったのだがな…」


一人、その少年であるイアンは呟いた。

そして、今に至るまでの過去を振り返る。



――数時間前。


 イアンは伐採斧で、倒木を切断する。

切断する場所は、少女を下敷きにしている部分の両側だ。

イアンは少女に覆いかぶさっている部分を取り除き、彼女を助けようとしていた。

彼は少女を救うことにしたのである。

もちろん、イアンの意思で決めたことだ。

彼は、騎士団が少女を保護し、ゆくゆくは故郷へ返すのだと思っていた。

しかし、ヘザーの話く限り、そうならない可能性が高い。


「おまえも攫われた子供の一人……だったな…」


イアンは、船に乗り込んだ日のことを思い出す。

扱いは違えど、この少女も人攫いに囚われていたのだ。

ならば、この少女も故郷へ返すべきだとイアンは思ったのだ。


「はぁ…」


そう思いつつも、イアンはため息をついてしまう。

これからのことを思えば、ため息をつかずにはいられなかった。

少女を故郷へ返すまでに、様々な障害が存在するのだ。

まず、会話が出来ない。

生まれてから教養を積んだことがないのか、少女は言葉を口にしない。

コミュニケーションが取れないのだ。

次に、イアンは少女に相当恨まれていること。

これが一番の問題であり、イアンはまず、これをなんとかしたかった。


「……飯を食わせれば、少しは良くなるだろうか…」


イアンはそう呟くと、少女を倒木から引きずり出し、上体を起こさせる。

少女と背中合わせに座り、イアンは鎖斧で自分と少女を縛り上げた。


「よし」


鎖を縛り終えたイアンが立ち上がる。

イアンの背中に縛られた少女は、腕を縛られ、芋虫のようになっていた。


「……しばらくは大人しくしてくれよ」


イアンはとりあえず、食料を探すため、歩き出した。



 しばらくの間、イアンは歩き続けていた。

つまり、食料が見つからないのである。


「くっ…肉…肉はないか…」


イアンは小動物を探していた。

肉を与えれば、少女は心を開いてくれるのではないかと、イアンは考えた。

しかし、小動物は見つからず――


「……魔物もいない…」


魔物すら森林で見かけることはなかった。


「……なんだ? 何かあったのか? 」


イアンに緊張が走る。

彼は過去に、このような状況で危機に陥ったことがある。

周りの生き物がいなくなる、この状況を作り出す要因は近隣に強力な何かが潜んでいる時だ。

それを経験しているため――


「……」


周りに視線を送り、イアンは周囲を警戒していた。

自分がその要因の一つを背負っていることに気づかずに。


「……む、森を抜けてしまったな」


警戒しながら進んでいるうちに、イアンは森を抜けた。

その彼の眼前には、崖が広がっていた。


「むぅ…行き止まりではないか…ん? 」


森に戻ろうと踵を返しかけたイアンの目に、何かが映った。

それは崖端に生えた一本の草であった。


「ナール草…こんな所にも生えているのか」


イアンがその草の元に行き、腰を下ろす。

この草は、ナール草と呼ばれる薬草の一種であった。

あらゆる症状に効く万能薬の材料で、生息地が未だに分かっておらず、なかなか見つからないことで有名である。


「おお…」


珍しい薬草を前に、気分が高揚するイアン。


「グ…グゥ…」


背中に背負う少女が目覚めたことに気づかないほど、彼はナール草に夢中であった。

イアンがナール草を掴んだ瞬間――


「グウウウ…ギャアアアアア! 」


少女は覚醒したと同時に、高らかに咆哮を上げた。


「おおっ!? 」


イアンは驚きながらも、ナール草を摘むことができた。


「ギャウ! 」


しかし、少女の蹴りがイアンの尻に当たり――


「お…おおおおおおお!? 」


それに押され、イアンは谷へ転落した。

イアンは頭から谷底目掛けて落下していく。


「ギャア! ギャア! 」


少女が背中で暴れる中――


「くっ…! 」


イアンは真下に向けて、両足を突き出し――


「サラファイア! 」


ボンッ!


左右の足下から、炎を噴出させた。

これにより、落下の勢いを弱めることができた。


ダァン!


「ぐおおおおお! 」


完全には勢いを殺せないため、少量の落下の衝撃をその身に受ける。

イアンは耐えるしかなく、しばらく両膝に手を当て、じっと動けないでいた。

これがイアンが谷底に落ちるまでの出来事である。





――現在。


イアンは、落下の衝撃から立ち直り、崖の上を見上げていた。

どう考えても、元の場所に戻る術は見つからなかった。


グゥ~…


イアンの腹の虫が、唸り声を上げる。


「腹減った…」


イアンは、体を脱力させる。

ちなみに、この間にも少女はギャアギャアと騒いでいる。

イアンは、少女の声を無視していた。


「ギャア! ガルア! 」


「いたたたた…」


しかし、少女の足が膝裏に当たるのは無視できなかった。

あまり、力が入っていないのが幸いである。


「ふん! 」


これの対処方法として、イアンは前に屈むことにした。

これで、少女の足はイアンの体に届くことはない。


「これで良し! さて、食い物を用意せねば」


ストレスの一つを解消したイアンは満足げに頷いた。

そして、腹を満たすため、食べれる物を探すイアンの目に川が映った。

川、すなわち魚という単純な思考の元――


「魚を捕ろう」


と、イアンは決めたのである。

早速、イアンは川に入る。

川は浅く、イアンの膝下までの深さであった。


「……」


イアンは、魚が近寄るよう、静かに佇む。


「ギャア! ギャア! 」


「……チッ…」


騒ぎ続ける小娘にイラっとくるが、なんとか平常心を保つ。

すると、上流から三匹の魚が自分の方に来るのが見えた。


「……」


イアンは右手を上げ、来る時に備える。

魚を手で払って、捕ろうというのだ。

そして、その時は訪れた。

一匹目――


パシャ!


二匹目――


パシャ!


三匹目――


バシャア!


結果――


一匹も魚を捕ることはできなかった。

まるで、ダメである。

イアンは、魚を捕るのが下手くそであった。


「ぐぬぅ…」


あまりの結果に、イアンは悔しげな表情を浮かべる。


「ギャウ…? 」


少女は騒ぐのをやめ、イアンの行動を訝しむ。


「おのれ…」


イアンの闘志に火が灯り、近づく魚目掛けて手当たり次第に腕を振るった。



――夜。


 イアンは焚き火の前で、腰を下ろしていた。

谷底には、森林から落ちてきた枯れ枝があり、それを利用して火を起こした。

その焚き火の炎で炙られている魚は一匹。

結局、捕れた魚は一匹だけであった。


「……」


少女は先程から大人しくしている。

そのことをイアンは気にしていたが、腹を満たすことを優先する。


「そろそろか…」


イアンは、炙っていた魚を取る。

いい具合に焼け、香ばしい匂いが辺りに広がる。


グゥ~…


イアンが魚に口をつけようとした時、後方から腹の虫が鳴る音が聞こえた。


「こいつ…腹が減ったから、静かになったのか」


イアンの言葉を裏付けるように、少女はぐったりとしていた。


「……むぅ…」


イアンは思い出した。

自分が彼女のために食料を探していたことを。

そして、悩む。

自分も腹を空かしているからだ。


「……」


しばらく考えた後、イアンは――


「……ギャウ? 」


魚を背中に回し、少女に魚を差し出した。

イアンは、今日一日空腹を我慢すればいい、そう考え、少女との距離を縮めることを優先したのであった。


「……ギャウ…」


イアンの意図が分からず、少女は困惑する。

少女は、散々自分を痛めつけた相手がいきなり優しくなったと思っていた。

実際は、少女からイアンに襲いかかったのであるが、そこの所は少女の頭の中には無い。

自分に非があると、一欠片も思っていないのだ。


(早く食ってくれ。そうすれば諦めがつくというのに……)


少女の困惑が、イアンを苦しめる。

空腹を我慢することは、簡単なことではなのだ。


「……ギャウ! 」


しばらくイアンを苦しめた後、ようやく少女は魚を口にした。

最初は恐る恐るといった感じであったが、一口食べると、その後は早かった。


「……」


魚を刺していた枝を手元に戻すと、そこには何もなかった。


「……はぁ……はぁ…」


少女に対して、何かを言おうとしたが、口を開けばため息しか出せなかった。



 その夜、就寝したイアンは泉の前に立っていた。

最近よく見る、見慣れた光景であるが――


「はぁ…」


空腹で弱っている今のイアンにとって、きついものであった。


「兄さん……す、すみません…」


「……気にするな……オレもそっちに連絡をしたかったところだ…」


後方からセアレウスが現れた。

ここは、イアンが度々訪れる謎の場所である。

セアレウスと共有でき、遠く離れてもここで話をすることができる。


「オレのことは心配しなくていい……おまえ達は普段通り、依頼を受けてくれ」


「は、はぁ…分かりました…」


その顔を見て、心配せずにはいられないが、セアレウスはとりあえず頷いた。


「……」


「……」


「…もう用が無いなら、帰してくれ。おまえが出ないとオレが出れない…」


「あっ…すみま――」


セアレウスがパッと消える。


「早っ…」


イアンの反応は雑であった。





 朝になり、空腹が続くイアンは魚を捕るため、川の中に入った。

少女は騒ぐことなく、静かにしていた。


「……うん? 」


イアンは違和感を感じ、屈んでいた体勢から、上体を起こす。

心なしか、少女が軽くなったような気がした。


「……むっ! いかん、いかん」


そのことに疑問を感じたが、魚が近づいてきたため、イアンの頭の中からその疑問は消え去った。

しばらく、川の魚と格闘していたイアンは、魚を三匹捕ることができた。


「うむ! 」


昨日よりもいい結果を出し、イアンは満足気に頷く。

そして、川辺に戻り、魚を焼く。


「うぅむ…」


魚が焼きあがると、再びイアンの葛藤が始まる。

魚の数は三匹、これをどう分けるかで悩んでいた。

しかし、悩む時間は昨日よりも短くなっていた。


「ほれ」


「ギャウ…」


二匹の魚を少女に差し出した。

やはり、少女を優先させたのである。

その理由は――


(昨日よりも上手くなった。次はもっと多く捕れるだろう)


と単純なもので、イアンが気分を良くしたゆえの考えであった。

昨日と同じように、一匹だけしか捕れなかったら、彼は一人で食していたであろう。


「ギャウ! ギャウ! 」


少女も単純なもので、喜んで魚を口にしていた。

しばらくの間、川の魚を食すだけの日々が続く。




 そんな日が続いて、三日後。

ようやくイアンは、谷からの脱出を決めた。

その方法とは、セアレウスに頼る方法である。

彼女には水流を操る力があり、その力で谷底から引き上げてもらおうと考えた。

既にセアレウスに連絡をしており、あとは待つだけである。


「ここで食う魚も今日で最後か…」


焼き魚を食しながら、しみじみとイアンは呟いた。

彼の目の前には、大量の焼き魚を刺した枝が立てかけられていた。

イアンの魚捕りは上達していた。


「ふぅ…あとは全部おまえにやるよ」


「ギャーイ! 」


少女は喜びの声を上げ、差し出された魚を口にしていく。

度重なる餌付けにより、少女との距離もだいぶ縮まっていた。

しかし、拘束はまだ解かない。

少し、丸くなったからといって、イアンは拘束を解こうとは思っていなかった。

少女の故郷に辿り着くまで、拘束は解かないとイアンは決めていた。


「可哀想だが、仕方あるまい」


拘束していなければ、彼女が危険な人物だと判断され、騎士団に連行される可能性があるからだ。

イアンが連行される方が先だと思われるが、彼は考えないことにする。


「ふっ…慌てて食わんくてもまだ――」


「…! ギャウ! ギャウ! 」


その時、急に少女が叫び出した。


「な、なんだ? 」


急変した少女の態度に、困惑するイアン。

自分に対して吠えているのだと思ったが、声色から他のものに対して吠えているのだと気づいた。


「ガァウ! グルルルア! 」


「……ようやく出られるというのに…」


少女の声が鋭くなったことにより、イアンは戦斧を右手に持つ。

彼女の喧騒とは裏腹に、森林は沈黙し、少女の声を除けば谷底は静寂に包まれていた。


「……」


イアンは周りを見回し、周囲を警戒する。

周囲は何ら変わりは無い。

異変を感じているは少女であり、彼女の声の変化に注意を向けた。


「ギャウ! ギャ―………………」


少女は急に口を閉じた。

イアンも物音を立てぬよう、身動き一つしない。

彼女の沈黙に、静かにすることを強要された気がしたのだ。

しばらく、静寂は続く。


「……」


「……」


二人は、嵐が通り過ぎるのを待つかのように、沈黙を続けた。


「…………ギャウ、ギャウギャウギャウ! ギャアアアア! 」


「……!? 」


再び騒ぎ出した少女の叫びを聞き、イアンの全身から汗が噴き出す。

イアンは咄嗟に、前方に飛び出した。


ドォン!


その瞬間、イアンのいた場所が爆発したかのように、弾けとんだ。


「ぐっ…! 」


イアンは体を捻り、爆発のあった方向に体を向け、飛来する石から顔を戦斧で守る。

飛来する石がなくなり、戦斧を下ろすと、そこには――


「ググ…ググ…」


奇妙な姿の生き物であった。

イアンはその生き物が何であるか判断できないが――


「……こいつは…獣人……なのか…? 」


辛うじて、二本足で直立するその生き物が獣人であると判断できた。




三月五日――誤字修正。

その力で谷底から引き上げてもろうと考えた。 → その力で谷底から引き上げてもらおうと考えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ