百十話 セアレウス 対 荒れ狂う少女
森林の中で、二人の少女が対峙する。
一方は水色の髪の少女で名前はセアレウス。
もう一方は、緑色の髪を持つ少女。
緑色の髪の少女は言葉を発せず、自分の名を口にしないため、彼女の名前は分からなかった。
「ウゥゥゥゥ…」
少女が唸り声を上げながら、少女を睨み付ける。
(女の子……だけど、魔物みたいです)
セアレウスは、少女を見てそう思った。
人間の姿をしているものの、彼女には尻尾があり、人並み外れた膂力を持っていた。
なにより、こちらの言葉を理解せず、こうして唸り声を上げる姿は、まさしく魔物であった。
「ウゥゥ…ギャアア! 」
すると、少女がセアレウス目掛けて走りだした。
特に変わった動きの無い、単純な突撃である。
少女は、セアレウスの目の前まで到達すると、右腕を振り下ろした。
ひっかき攻撃であるが、少女の爪は並みの人よりも鋭い。
「くっ…」
当たれば致命傷は確実。
セアレウスは横へ移動して、少女の爪を躱す。
少女の側面に移動したセアレウスは、少女の左肩目掛けて、アックスエッジを振り下ろした。
殺すつもりがないため、歯が上にくるように持ち替えて、少女に打撃を叩き込むつもりであった。
しかし――
「なっ…!? 」
セアレウスのアックスエッジは、少女に当たらなかった。
少女は、自分の側面に移動したセアレウスに目もくれず、真っ直ぐ前へ走り抜けたのだ。
走る少女の目の前には、木がそびえ立っている。
「ギャウ! 」
少女は、その木に向かって飛びかかり――
ダンッ!
幹を蹴りつけて、その反動を利用し、セアレウスに飛びかかった。
少女の左右の鋭い爪がセアレウスに迫る。
ガッ!
少女の両手を同時に振り下ろしたひっかき攻撃を、セアレウスは左右のアックスエッジを構えて防いだ。
力では勝てないとわかっているため、受け止めるのを即座にやめて爪の軌道を逸らさせる。
態勢を整えようと、後に下がったセアレウスだが――
「ギャア! ギャア! 」
少女が爪を振りかざし、セアレウスを追撃する。
ギンッ! ガンッ!ギィィン!
それをセアレウスはアックスエッジで弾く。
「ぐうっ…」
少女の爪を捌き続けるセアレウスだが、力に押され徐々に後ろへ押されていく。
セアレウスが防戦一方で、一見彼女が不利な状況である。
「ギャウ…ギャウ…」
しかし、状況は変化する。
少女に披露の色が見え始め、繰り出される爪に勢いがなくなっていく。
一方のセアレウスは、少女の膂力に険しい表情を浮かべているが、汗一つかいてはいなかった。
力は少女の方が上だが、体力ではセアレウスが勝っていた。
「ふぅ……」
少女の勢いが弱まったことで、セアレウスに余裕ができる。
セアレウスは集中し始め、少女の背後に水流を出現させた。
「ギャウ!? 」
水流に気付いたのか、少女が驚いたような声を上げる。
「それっ! 」
バシャア!
セアレウスは、水流を引き寄せるように右腕を動かす。
すると、水流が少女に襲い掛かった。
「ギャア! 」
少女は横へ跳躍し、水流を躱す。
セアレウスから離れるため、少女は走り、彼女から遠ざかっていく。
次々と水流が襲い掛かるが、少女はそれを躱しながら進む。
「まだ、体力が残っているようですね…」
水流を動かしながら、セアレウスが呟く。
その声に焦りはなく、自分の優勢を疑わなかった。
(このまま逃げてくれると、怪我をさせずに済むのですが…)
あまつさえ、少女が逃亡することを望むほど――
「ギャアア!! 」
バキッ!
「なっ!? 」
セアレウスは油断していた。
少女が反撃をすることなど、セアレウスは考えもしなかったのである。
遠ざかった少女が何をしたかというと、彼女は木の幹を蹴って――
バキバキバキ…
自分の身長より数倍ある木を薙ぎ倒してしまった。
それに驚いたセアレウスは、おもわず水流の動きを止めてしまう。
「ギュ…ギュウウウウ! 」
そして、少女が倒木を持ち上げる時間を与えてしまった。
セアレウスが油断せず、少女を逃がさなければ、このような状況に陥ることはなかった。
「くっ……だ、大ピンチです…」
セアレウスは驚愕の表情を浮かべながら、後退りした。
さっきまで小さかった少女は今、自分よりも巨大に見えたのだ。
少女が持ち上げた倒木を脇に抱える。
少女は、振り回す武器として、木を蹴り倒したのだ。
「ギャオオオオ!! 」
そして、倒木を振り上げ、セアレウス目掛けて一気に振り下ろし始めた。
「うわっ! 」
ドォン!
セアレウスは横に飛び出し、かろうじて倒木を躱した。
「ギュウウウウ!! 」
しかし、少女の攻撃はまだ終わっていない。
振り下ろした倒木をそのままセアレウス目掛けて、横に払い始めた。
ガガガガガ!
倒木が地面を削りながら、セアレウスに迫る。
「…!? あわわわわ」
セアレウスは急いで態勢を立て直し、迫りくる倒木から逃れるために走り出す。
倒木は徐々に速度を高めていき、セアレウスを追い詰めていく。
「ギャアア!! 」
少女は、倒木を振り回す速度を限界まで高め、一気に倒木を振り切った。
あまりの勢いに突風が吹き荒れ、森林の木々を大きく揺らす。
倒木が振り回される軌道にいたセアレウスは――
「……はっ…」
彼女は空中で、倒木を振り切った少女を見下ろしていた。
振り回した倒木から逃れていたのだ。
彼女がどのようにして、倒木を躱したかというと、水流を利用したのである。
危機を察したセアレウスは、咄嗟に水流を足元へ移動させ、爆発させるような勢いで水流を跳ね上げさせた。
これにより、セアレウスは上空へ吹き飛ばされ、少女の振り回す倒木から逃れたのである。
彼女がいた地面はえぐれ、跳ね上がった水流の凄まじさを物語っていた。
「ギャウウウウ…」
少女はゆっくりと顔を上げる。
そして、顔を上げた先にいるセアレウスと目が合い――
「ギャウ…」
獰猛な笑みを浮かべた。
「うっ…! 」
その笑みを見たセアレウスは、ゾクリと背筋が凍りつくような感覚を味わう。
落下するセアレウスは、いつしか自分の体に影がかかるのを感じ、見上げてみると――
「……! 」
倒木が自分の頭上から迫っていることに気付いた。
ドォン!!
無残にも、少女によって倒木が振り下ろされた。
突風が吹き荒れ、土煙が辺り一帯を覆い隠す。
「……」
少女は振り下ろした倒木から手を離さず、じっと砂煙が晴れるのを待つ。
しばらく経った後、砂煙が晴れると、そこにセアレウスの姿は見えなかった。
再び森林に静寂が訪れる。
その中で少女は、キョロキョロと回りを見回した後――
「ギャオオオオオオオ!! 」
飛び切り大きな咆哮を上げた。
「ギャオオオオオオオ!! ギャオオオオオオオ!! 」
ようやく復讐を果たしたぞとばかりに、何度も咆哮を上げ続けた。
「ギャウ! ギャウ! 」
ひとしきり叫んだ後、少女は意気揚々と木々の中へ消えていった。
自分を痛めつけた相手を倒したと思い込んでいる彼女が、これからどうするか定かではないが、凶暴な獣が野に放たれたことは確実であった。
その被害者の一人であるセアレウスが叩きつけられた周りには、彼女の操っていた水流が、ただの水となって飛び散っていた。
――夕方。
セアレウスと別れた後、ミークはセアレウスの言いつけ通り、気を失ったヘザーを抱え、馬車を護衛するジャッコス達と合流していた。
そして今、目的の村に辿り着き、運搬した石像に傷はなく、無事護衛依頼は達成された。
「これがわしの作品だ」
石工職人が石像を覆っていた布を外す。
「うわっ! 微妙…」
石像を見た村長は、何とも言えない表情を浮かべていた。
「う、うーん…」
「……えっ!? これでいいの!? 」
村人達も微妙な石像を目にし、困惑する。
村人の一人が、村長に近づく。
「村長、こんな形を頼んだのですか? 」
「ああ? 全然ちげぇよ! 」
どうやら、村長は石像の形状を指定していたようなのだが、石工職人の独断で、形状を変更されたようだった。
「うむ…自分で言うのもなんだが、良く…出来ている」
石工職人が噛みしめるように呟いた。
「素人には分からない……ってやつなのか? 僕にはあの石像の良さが分からない…」
遠く離れた所でジャッコスが呟く。
「……セアレウスさん、中々来ませんね…」
ジャッコスが隣にいるミークに話しかける。
ミークは返答を返さず、じっと森林の方を見つめるばかりであった。
「……今日はもう遅いですし、村に入りましょう。宿をとってくれているそうです…」
ジャッコスはそう言い、しばらく返事が来るのを待っていたが、やがてミークの傍から離れていった。
「……」
ミークは森林の方を見続ける。
次の日の朝になってもミークは森林を見続けていたが、その視界の中にセアレウスの姿が映ることはなかった。
そして、何かを決意したのか前に足を踏み出す。
「探しに行くの? 」
すると、背後から声を掛けられた。
その声の主はヘザーであり、彼女の頭や腕には包帯が巻かれている。
ミークはヘザーに返事をすることなく、前に進み続ける。
「無駄よ。朝になっても帰ってこない。彼女はきっと――」
「それ以上言うんじゃねぇ!! 」
ミークは振り返り、ヘザーの胸ぐらを掴んで怒鳴り散らした。
怒鳴られたにも関わらず、ヘザーの表情はピクリとも動かなかった。
「お前を助けたのはセアレウスさまだぞ。よくもそんな口を! 」
ミークは拳を振りかぶり、ヘザーを殴ろうとする。
「……くっ…」
しかし、セアレウスの顔がちらつき、ゆっくりと拳を下ろし、突き飛ばすようにヘザーを離した。
「……そう…」
ヘザーは、よろめきながら呟いた。
顔を俯かせ、その眉をひそめる。
彼女は自分のせいで、セアレウスが犠牲になったと責任を感じていた。
それゆえに、ミークに責めらに来たのである。
「あなたには、私を殴る権利があるのよ」
「うるせぇ……それ以上、何も喋んじゃねぇ…」
ヘザーに背を向けるミークの体は震えていた。
「まだ……決まったわけじゃねぇ」
ミークは再び歩き始めた。
そうしなければ、ヘザーを殴って済ましてしまいそうになるからだ。
「あなたは、あの獣のような子に勝てるの? 」
ミークの足を再びヘザーが引き止める。
「……一旦、カジアルに戻りましょう。探す人が多ければ、何とかなるかもしれないわ」
ヘザーはミークに責められるのを諦めた。
その代わり、彼の思いに同調し、セアレウスを探し出す方法を提案する。
それは、遠回りになり時間が掛かってしまうが、一人で探しに行くよりも安全であった。
ヘザーの言葉に耳を傾けたミークは、しばらく肩を震わせた後――
「あ、ああ……」
と搾り出すように声を出した。
この時ミークは、自分がどうしよもなく情けなかった。
勝てると即答することができず、他人の力を頼りにしなければならないと、判断した自分が情けなかった。