百九話 森林の異変
カジアルから南に位置するオルムガ丘。
そこを人々が列を作って進んでいた。
列の中心にいるのは初老の男性で、彼の乗る馬車の荷台には、布で覆われた巨大なものが積んである。
その巨大なものは、倒れないように縄で養生されていた。
彼と荷台のものを守るよう、複数の冒険者が並んでおり――
「昨日、魔物を倒した甲斐がありましたね」
「ですな」
セアレウスとミークもそこにいた。
馬車にのる人物が石工職人であり、今回の依頼人であった。
そして、護衛を依頼された冒険者はセアレウスとミーク以外にもおり、彼らと協力して護衛をしていた。
他の冒険者のランクはDランクが多く、Eランクはミークのみであった。
「うむ、二人のおかげだな…」
石工職人が二人の会話に入る。
「この作品はここ十年の中でも特に出来がよくてな。特に、あの突起している……」
そして、制作した石像について語り始めた。
「始まった。これ長いんだよなぁ…」
ミークがうんざりしたような顔で呟いた。
彼とセアレウスが石工職人による石像の説明を聞くのは、これで三回目である。
「そういうことを言うものではありませんよ、ミーク。自分の好きなことを沢山話したいのは、誰だって同じはずです」
「うへぇ…セアレウスさまも似たようなもんだった……」
ミークが詰め寄ってきたセアレウスから逃げるように、体を仰け反らせる。
出会って数日経ち、セアレウスが本好きで、その話しを始めると、止まらなくなることを既にミークは知っていた。
この場にいないイアンも当然知っている。
イアンとミークの間では、セアレウスの前で暇と退屈という言葉を発することが禁じられていた。
セアレウスが延々と本の話を始めるからだ。
「セアレウスさん! 」
セアレウスの元に、一人の青年冒険者が近づいてきた。
そして、セアレウスの横に並んで歩き出す。
「ジャッコスさん。どうしました? 」
セアレウスは彼の方に顔を向ける。
「セアレウスさんは、あのイアンさんの妹だと聞いたのですが…」
「そうですよ」
「お、おお! やはりそうでしたか! あ、改めてよろしくお願いします! 」
「お、お願いします…」
ジャッコスが手を差し出してきたため、セアレウスも手を出して彼と握手をする。
「ところで、お聞きしたいのですが、ロロットさんやキキョウさん、それにネリーミアさんの三人の姿が最近見えないのですが…」
「三人……」
ジャッコスが上げた三名の名は、かつてイアンと共にいた少女達の名であった。
今は修行のため、イアンの元から離れている。
そのことをセアレウスも知らされていた。
(兄さんから聞いていますが、会ったことはありませんね。どんな人達なのでしょうか……)
セアレウスは、いつか会う少女達に思いを馳せる。
「……あの…セアレウスさん? 」
「……あっ! はい、皆さんは今、修行に出ていてカジアルにはいませんよ」
セアレウスは、ジャッコスに声を掛けられたことにようやく気づき、慌てて答えた。
「はぁ…そうですか……しばらく、見られないのは残念ですね…」
ジャッコスは、しょんぼりと肩を落とした。
「おい! もう用は済んだろ。さっさと持ち場に戻れ」
ミークがしかめっ面をジャッコスに押し付ける。
「わあ!? し、失礼しました! 」
「……ふぅ…依頼の最中だってのにけしからん! もっとガードを強くしないと…」
ミークは慌てるジャッコスの背中を見つめ、そう呟いた。
「……」
「ん? セアレウスさま?」
「…え? なに? ミークさん」
ぼうっとしていたセアレウスがミークに顔を向ける。
「いえ…ボーっとしていたようだったので…」
「何でもないです。本のことを考えていただけです」
「…なんだぁ…本のことを考えてたんですかい。さっきあいつに言ったように、依頼の最中ですぜ? 」
「あはは…ごめんなさい、気をつけます…」
セアレウスは、本のことを考えていたと言ったが、彼女は、まったく別のことを考えていた。
オルムガ丘に入って数時間。
魔物と遭遇することはなく、順調に護衛依頼は進行していた。
「……」
「…? 」
セアレウスは、冒険者の一人が森林に目を向けていることに気づいた。
チラリと見るだけなら、特に気にすることはなかったのだが、その冒険者は頻繁に森林に目を向けているのだ。
「ヘザーさん、何か気になることがあるのですか? 」
「……あの森…静かすぎると思って」
セアレウスの問いに、ヘザーが答えた。
ヘザーはセアレウスよりも四つくらい上の少女である。
彼女は冒険者になる前は、狩人をしていたという。
「私が狩人をしていた時の狩場には魔物もいて、遠くからでも魔物の鳴き声が聞こえたわ。でも、あの森からは何も聞こえないの」
「へぇ……セアレウスさんとミークさんが倒し過ぎていなくなったとか? 」
ジャッコスが話しに入ってくる。
「いえ、わたし達が倒したのは、丘に出てきた魔物だけです。森林の魔物がいなくなるほど倒していないはずです」
セアレウスは、ジャッコスが口に出した可能性を否定した。
「気にすることか? むしろ、森が静かでいいだろう」
石工職人がそう言った。
「……少し、様子を見てこようと思う」
しかし、ヘザーは森林の様子が気になるようで、依頼人である石工職人が承諾する前に、森林へと足を向けた。
「あっ! ヘザーさん! あの、わたしも森林に行っていいでしょうか? 」
「俺も行くぜ! 」
「…うむ、よろしい。だが、我々は先に行っているぞ」
石工職人はそう言うと、すぐに顔を進行方向へ向けてしまった。
「じゃあ、僕達はセアレウスさん達がいない分、頑張って護衛をしますね」
「すみません、ジャッコスさん。よろしくお願いします」
セアレウスとミークは石工職人の承諾を受け、ヘザーの後を追った。
先に行ったヘザーと合流したセアレウスとミーク。
三人は、森林の中に入り、周りを見回していた。
森林の中に入っても、聞こえる音は葉と葉が擦れあう音のみで、魔物はおろか獣の声も聞こえなかった。
「……静かすぎる。何かあったんだ…」
ヘザーが口を開いて、そう呟いた。
「そう…ですね。これは少しおかしいです」
セアレウスもヘザーと同じように、森林の静けさを不信に思っていた。
「こういう時ってどうするんですかい? 」
ミークがヘザーに訊ねる。
「この静けさの原因を調べる。できれば、それを解決する」
「うーん、まぁ、そうするよなぁ…」
ヘザーの返答は、案外普通であった。
「では、少し奥に進みましょ――」
ガサッ!
セアレウスが声を出した時、何かの音が聞こえた。
その音は、何かを地面に置いたような音で、セアレウス達がいる場所の近くから聞こえてきた。
「……こっちの方から聞こえてきた。見てくる」
ヘザーは音が聞こえてきた方に指を差し、その方に向かって進んでいった。
「行きましょう、ミークさん」
「へい! 」
セアレウスとミークも音がした方に向かう。
すると、木々の生えていない開けた場所に着き――
「うっ…これは…!? 」
セアレウスは、あるものがそこに置かれているのを目にした。
それは、首を引き裂かれたゴブリンの死体であった。
「……」
先に来ていたヘザーも、無残に引き裂かれた死体を目にして、呆然としていた。
「うお!? こいつはまた衝撃的な…」
遅れてやってきたミークも驚愕する。
「これはまずいかも…」
「…どういうことですか? 」
ヘザーの呟きを聞き、セアレウスが訊ねる。
「このゴブリンの倒し方…獣の殺し方だよ」
ヘザーがゴブリンの首に指を差す。
よく見れば、それが武器によって行われたものではないことが分かった。
「この森にいる魔物より圧倒的に強い魔物が、この森にいるということになるわ」
ヘザーが神妙な面持ちで、そう言った。
その時――
「ギャオオオオ!! 」
獣の出す咆哮が森林に響き渡った。
突然のことで、セアレウスとミークは瞬時に動くことが出来なかったが――
「……! 」
ヘザーが動いた。
彼女は素早く弓を取り出すと同時に矢をつがえ――
「はっ! 」
飛来してきた者に向かって矢を放った。
矢の向かう先には、緑色の髪を持つ少女がおり、彼女は木の枝からセアレウスに目掛けて飛びかかっていたのだ。
「ギャウ! 」
バチッ!
少女は腰のあたりから伸びる尻尾で、飛んできた矢を弾き飛ばした。
「ギャオオオオ! 」
そして、無事に着地した少女は、ヘザーを思い切り蹴り飛ばす。
ガサガサガサ!
ヘザーは悲鳴を上げる間もなく、草木の枝にぶつかりながら、飛んでいく。
「ヘザーさん! 」
「ギャウ! 」
ヘザーの元へ行こうとしたセアレウスに、少女が飛びかかってくる。
ガッ!
「くうっ! 」
少女の接近にセアレウスは気づき、アックスエッジで少女の爪を防御した。
「ギャウウウウ! 」
「…!? うわあああ!! 」
少女の膂力に押され、セアレウスは後方へ弾き飛ばされてしまった。
しかし、セアレウスは水流を操り、それを自分が飛んでいく先へ動かす。
バシャア!
水流がセアレウスの体を受け止め、彼女が木に激突するのを防いだ。
「セアレウスさま! 」
「来ないでください! 」
自分に駆け寄ろうとしたミーク。
しかし、セアレウスの声により、その足を止める。
「わたしよりも、ヘザーさんの所へ」
「で、でも…」
「わたしは大丈夫です。ヘザーさんを見つけたら、そのまま馬車と合流してください」
「なっ!? そこまではできません! ヘザーさんを見つけたら、すぐに――」
「わたしは大丈夫です! 信じてください! 」
セアレウスがミークに顔を向けた。
「…!! 」
その顔を見たミークは、何も言えなくなってしまった。
口を出せば、彼女の決意を踏みにじってしまうと思ってしまったのだ。
「……わかりました! 必ず、ヘザーさんを連れていきます! 」
ミークはセアレウスに背を向け、ヘザーが飛んでいった方へ向かう。
「ウゥゥゥゥ…」
少女は、自分の横を走り抜けるミークに目もくれず、セアレウスを睨み付けながら唸り声を上げていた。
「……やはり、わたしが狙いでしたか…」
水流を消し、アックスエッジを両手に持つセアレウス。
少女が自分を狙っているのではないかと思い、ミークをヘザーの元に向かわせたのだ。
ヘザーが蹴り飛ばされたのは、少女がセアレウスを攻撃するのを妨害し、邪魔者だと認識されたため。
ミークのように動かなければ、少女に攻撃されることはなかったが、ヘザーのおかげでセアレウスは助かった。
「あなたと会うのは初めてで、恨まれることはしていないはずですが……」
セアレウスは左右のアックスエッジを強く握る。
「向かってくるなら、相手になります」
そして、アックスエッジを構え、少女を迎え撃つ準備が整った。