百六話 戦見て矢を矧ぐが如し
遥か昔、世界は雪と氷に覆われていたとされている。
気温は常に氷点下で海は凍り、大地は吹雪により、分厚い雪の層で埋め尽くされていた。
それ以前は、気温や湿度が高い気候であったとされ、その後、このような気温の低い気候になった原因は今も解明されていない。
ただ言えることがあるとしたら、急激に行われた気候の変化に耐え切れず、多くの生物が絶滅したことだろう。
雪で入口を塞いだ洞窟の中。
今もまた、とある生物の命の炎が消えようとしている。
「……ぐぅ…」
三メートルほどの身長を持つ大男が藁の上で横たわっていた。
寒いと感じているが、体は震えることもできないほど弱っていた。
「……宰相…どこだ宰相…」
「ここに…」
宰相と呼ばれた者が返事をする。
その者は洞窟の壁に、横たわる大男の名と功績を記していたがそれを中断し、横たわる男の元に向かう。
「ここに来てからどれほどの時間が経った? 」
「……十四年でごさいます」
「そう…か…わしがこの地を制覇してまもなく……こんなに世界が変わってしまうとはな…」
「弱気になってはいけませぬ。今にも安住の地を探すために旅立った兵が戻ってきます」
「……その兵を送り出したのは十年ほど前だったはず……もう野垂れ死んでいるだろう…な…」
そう言われ、宰相と呼ばれた者は何も言えなくなる。
それからしばらくした後、大男は仰向けになり、腕を上げる。
「無念だ。もし、またこの世に生まれ出ることがあれば……再び覇者となってこの世を我が手に……」
大男は広げた手をグッと閉じると、上げられた腕は地面に叩きつけられる。
大男はそれから動くことはなかった。
「……ならば、我らも世に生まれ出れば、再びあなたに仕えましょう…バルガゴート大王様……」
宰相と呼ばれた者は、ゆっくりと目を閉じる。
洞窟にいた他の者も次々と目を閉じていく。
ここに、一人の覇者がこの世を去った。
その者は数々の敵を滅ぼし、自分が生まれた島を制覇した男である。
そんな強者でも気候には勝てず、彼が覇者として世に君臨したのは、ほんの僅かな間だけであった。
フォーン王国に在籍する研究者が王都騎士団の護衛部隊を連れ、とある島に訪れていた。
そこはネアッタン島と呼ばれ、バイリア大陸から遥か南にある島である。
ネアッタン島の広さは、ミッヒル島の半分ほどの大きさで大半が密林で埋め尽くされていた。
「……よし、探索を開始するぞ」
騎士団の中に、一人の年老いた男がいた。
白髪頭で、顔に多くの皺が刻まれているが、年の衰えを感じさせない雰囲気を持っていた。
「ビルトラン教授、ここに来てしばらく経ちます。一旦、王都に戻られませんか? 」
護衛部隊の隊長が、ビルトランと呼ばれた男に進言する。
「いや、いい。このまま探索を続けるぞ」
ビルトランは林に向かって進んでいく。
「……はぁ…こんな所に遺跡などあるものか。平原の民に申し訳ない…」
部隊長はそう独り言ち、部下を連れてビルトランの後を追った。
イアンは荷物を背中に背負い、ノールドを目指して歩いていた。
珍しくイアンにも受けられる依頼が薬草採取以外にもあった。
それは荷物運びという冒険者じゃなくてもなんとかなる仕事だ。
彼が背負う荷物をノールドに住む人物に渡せば依頼達成である。
「ふぅ…今日はいいことがありそうだな」
イアンは額の汗を腕で拭い、そう呟いた。
薬草採取以外の依頼を受けられて、彼は機嫌がいいのである。
軽い足取りのまま街道を進み、昼になった頃にノールドへ辿り着いた。
「届けてくれてありがとう」
イアンが荷物を渡すと、受け取った人物が依頼達成証明書に自分の名前を書く。
これにより、今日のイアンが受けた依頼は終了した。
「むぅ…薬草より早く終わってしまったな」
イアンは空を見上げて呟く。
今、カジアルに帰ってもやることがなく、時間が有り余っていた。
何をすべきか考えながら歩いていると、船着場に一隻の船が停泊していた。
貨物船なのか荷物の搬入作業を行っている。
「今日は一隻だけか。ふむ…」
イアンは船を見て、使われている木材を観察する。
船に使われる木材は硬く頑丈である。
その多くが海辺に生えている種類の木が使われている。
ものによっては百年以上使い続けられる木材も存在し、船舶等の劣悪な環境で使われる所に重宝される。
「……あの船、素人が作ったのか? 」
しかし、イアンが見る船に使われている木材はそういった類のものではなかった。
その木材は軽く加工しやすく、武器や道具の柄や矢の消耗品の材料等に使われる。
反面、水に弱いという欠点があった。
そのため、船舶に使われる木材としては最悪であり、イアンの見る船は全体的に傷んでいた。
「こんな船を売る連中もいるのか……ん? 」
イアンは、甲板に運びこまれた荷物の樽を何度も蹴っている船員の姿を見た。
搬入する荷物を確認する騎士から隠れた位置で行っているが、その反対側にいるイアンには丸見えである。
「腹が立っている……にしてはやりすぎだ。なんなのだ? 」
樽を蹴り続ける船員を見ながら、イアンは首を傾げていた。
数十分後、船の搬入作業は終了した。
錨を上げ、徐々に港から離れ始める。
「ふぅ…何もなければ、オレは犯罪者になってしまうな」
イアンは、出港し始めた船の側面に張り付いていた。
先程の光景が頭から離れず、結局船に忍び込むことにしたのだ。
左右の手にはショートホークが持たれており、それを船の側面部分である外板に刺して張り付いていた。
外板に張り付くまでは海を泳いで来たため、イアンの服は濡れている。
「…バレてしまったら、海の精ですとでも言っておくか」
都合のいい時だけ、自分の容姿を利用しようとするイアンであった。
外板を登ったイアンは、甲板に誰もいないか確認する。
「……誰もいないのか」
甲板には誰もいなかったため、イアンは外板から甲板に身を移す。
「早々に確認せねばな」
船尾の方を見ると、どんどん港から離れており、時間をかければかけるほど、帰るのが困難になるのだ。
甲板の上に家のようなものが建てられており、そこが船室であると判断できる。
船室は上の階と下の階にドアがあり、二部屋の船室があるようだった。
イアンはまず、上の階に足を向けた。
そして、船室のドアに近づき、耳を澄まして中の会話を聞き取る――
「ぎゃははははは!! 」
までもなく、船員達は騒いでおり、外にいるイアンに船員達の声は届いた。
「楽勝だったな! ここの騎士団も大したことないぜ! 」
「そうッスね! でも、ガキを樽の中に隠して運ぶなんてよく考えましたね。ありゃ、誰も気づきませんわ! 」
中の船員達の声を聞き漏らすことなく、イアンは耳を傾ける。
「あっ! そういや樽の一つに、ガキの口を塞ぐのを忘れてるのがあったぞ! 誰だ、あれやったの! 黙らせるのに苦労したぞ! 」
船員の一人が怒鳴る。
その声はイアンが目にした船員のもののようで、イアンの頭のモヤモヤは晴れる。
「なるほど。あの時蹴っていたのは、樽の中にいる子供を黙らせるためだったか……まずいな、こいつらは人攫いか」
イアンの額に汗が浮かび上がる。
大胆にも船に侵入したイアンだが、軽い気持ちで来ていたいた。
人攫いに遭遇する事態など想定していないため、かなり焦っていた。
「多勢に無勢……子供を人質に取られるのが一番厄介だな」
イアンは、子供の安全を確保することが先決だと判断し、下の階へと移動した。
下の階の船室に入ると、下に続く階段があった。
港で船を見ている時に、この部屋に樽を運んでいるのを目撃したため、この先に子供達が閉じ込められていると予想できる。
イアンは足音を立てずに階段を下りていった。
下の階に降りると、長い廊下といくつかの船室のドアが目に入った。
イアンは廊下を真っ直ぐに進み出す。
廊下の突き当たりに両開きの扉があり、そこが怪しいと思ったのだ。
両開きの扉を開いて中に入ると、広い部屋に多くの樽が置かれていた。
「…これ全部に子供が入っているわけないよな……」
イアンが青ざめながら呟く。
樽の数は三十以上あり、イアンが守りながら戦える人数ではなかった。
「今から樽を開ける。できるだけ頭を伏せろ」
とりあえず、樽の一つを開けるため中の子供に声を掛けた。
「……お姉ちゃん、誰? 」
「……おまえ達を助けに来た者だ。声を出すなよ」
この際、イアンは自分が女だと言われようが気にしないことにした。
「うん……」
子供が返事をしたのを確認すると、イアンはショートホークを取り出し、軽く樽板を叩いた。
バコ!
樽板が外れ、中から幼い子供が出てきた。
服装からして性別は男であり、怯えた表情をしていた。
「オレの名はイアンだ。カジアルで冒険者をやっている」
「冒険者!? すごい! 」
男の子が目を輝かせながらイアンを見る。
「静かに頼む。で、頼みたいことがあるのだが、この斧で皆を樽から出して欲しい」
「うん! 」
「いい返事だ。どれ、まずは一緒にやってみるとしよう」
イアンは男の子にショートホークを持たせ、後ろから腕を支える。
「あまり力を入れず、軽く振る。行くぞ? 」
「うん! 」
イアンは男の子の腕を持ち上げ、ショートホークを振り下ろした。
バコ!
樽板が外れる。
樽の中には、女の子が入っており、涙で目が真っ赤に腫れていた。
口元に布が巻かれており、声を出せないようにしている。
「ふむ……おまえ、蹴られていただろう。大丈夫か? 」
イアンは女の子の布を外しながら、ショートホークを持つ男の子に声を掛けた。
その男の子は布を巻かれていなかったため、イアンはそう思ったのである。
「声をだしたら怒られて怖かった……でも、今はお姉ちゃんがいるから平気だよ! 」
「そうか。よし、この調子でどんどんやってくれ。それで手の空いている物は、オレが出た後、入口を樽で塞いで欲しい。では、頼んだぞ」
イアンはそう言うと、両開きの扉を開いて外を目指した。
「はぁ……だいぶ港から離れてしまったな。しかし、あともう一息だ」
イアンが船尾に目を向けると、ノールドが水平線の上に小さく浮かんでいた。
「……念には念を入れとくか」
イアンは戦斧を取り出し、一階のドアに叩きつける。
ドアがひしゃげ、容易に開くことができなくなった。
今ので大きな物音を出してしまったが、船員達が気づいた様子はなかった。
「世話が掛かる。さっさと出てこい! 」
イアンは、左手で鎖斧を取り出し、二階のドアに投げつけた。
バキッ!
鎖斧の刃がドアに深々と刺さる。
イアンが鎖斧を手元に戻し、ホルダーにしまうと――
「なんだ!? 誰かいるのか! 」
中にいた船員達が部屋のそとからわらわらと出てきた。
「ここだ」
「はぁ!? なんだあいつ!? どこから船に乗り込んだっていうんだ! 」
「まぁまぁ、船長。見たところあのお嬢さん一人のようですぜ。俺達が負けっこないですよ」
船員達がイアンを取り囲むように移動する。
彼らは皆、剣を片手にイアンを睨みつけていた。
「あー…確かにな! よっしゃあ! 野郎ども、やっちまえ!! 」
船員達が一斉にイアンに襲いかかる。
「ふっ! 」
「げっ!? 」
イアンは戦斧で、前方から襲ってきた船員達の剣をまとめてなぎ払った。
「ごっ!? 」
「ぐふっ!? 」
「あふぅ!? 」
その後、武器を無くした船員を殴りつけて前進する。
後ろから振るわれた剣を躱すと、身を翻しながら後ろに跳躍し――
「ぶっ!? 」
背後にいた船員の顔面に蹴り飛ばし、左手でショートホークを取り出すと――
「うっ!? 」
「げっ!? 」
蹴り飛ばされた船員の両隣にいた男の腹に左右の斧の打撃部を叩き込んだ。
「あと四人」
大小異なる大きさの斧を構える。
「…くっ…くっそおおおお!! 」
「なめんなあああ!! 」
イアンの左右で立ち尽くしていた船員が同時にイアンへ剣を下ろした。
ガッ! キィン!
イアンは左右の斧で、船員の剣を防ぎ――
「ふん」
「…!? 」
「なっ!? 」
二人の剣を受け止めていた斧を下げ、一歩前に出る。
これにより、二人の船員は前につんのめり、互いの頭をぶつけて昏倒した。
「あと二人」
イアンは、右手に持った戦斧を船長と呼ばれた男に向けた。
「な…馬鹿な……倍の人数がいたんだぞ。あっ! おい、ガキを連れてこい。人質に使うんだ! 」
「へ、へい! 」
残った船員が一階のドアに向かうが――
「ドアが壊れてやがる!? ダメです! ガキの所に行けません! 」
「なんだと!? まさか、お前! 」
船長がイアンを睨みつける。
イアンは、はいそうですと言わんばかりに笑みを浮かべた。
「……!? お……おおっ! 仕方ない。あいつを牢から出せ! 」
一瞬、顔を赤く染めた後、船長は何かを思い出し、船員に向けて声を上げた。
「え……? あいつを?で、でも…」
船員は困惑し、船長の命令に弱々しく異を唱えた。
「いいから早く行け! とりあえず、あの斧女をなんとかするんだよ! 」
船長がイアンに指を差しながら怒鳴る。
「へ、へい! 」
船員は慌てて、船尾の方にある部屋に入って行った。
「しまったな…そこにも部屋があったか…」
「は…ははは…お前、終わったぞ…」
船員が入っていった部屋を見つめるイアン。
船長はイアンに向けて、青ざめながら声を出した。
「ぎゃああああああああ!! 」
その時、イアンの見つめる部屋の中から船員の絶叫が轟いた。
「なに!? 」
イアンは驚愕し、ドアに付いている窓から部屋の中を見ようとしたが、窓が血に濡れているため、中の様子を見ることは出来なかった。
「ひいい! ……だ、だが、これでなんとかなるんだ…なんとか……なんとかなってくれええええ!! 」
ボソボソと呟いた後、船長は叫びながら、神に祈るよう手を合わせてしゃがみ出した。
「ううううううう……」
しばらくの間、船長の震える声だけがイアンの耳に入る。
「何が――」
バンッ!
イアンは口を開いた瞬間、前方のドアが開き、何かがイアン目掛けて飛んできた。
「……!? 」
イアンは咄嗟に横へ跳躍して、それを躱した。
ダンッ!
その何かはマストに激突し、甲板の上に崩れ落ちる。
イアンがそれに目を向けると――
「うっ!? これは…なんと……」
イアンはそれを目にして、うまく言葉に言い表せなかった。
部屋から飛んできたものは、ズタズタにされた船員であった。
首や腕などがちぎれかけており、引き裂かれたのか腹から腸がはみ出していた。
「……はっ! この中にまだ――」
無残な死体を前に呆然としていたイアンが我に返り、部屋に目を向けると――
キィ……キィ……
開いたドアが、軋む音を立ててゆらゆら揺れていた。
「ぎゃあああああああ!! 」
「…! なにぃ! 」
イアンは船長の絶叫を聞き、慌てて振り返る。
しかし、そこには血だまりだけができており、船長の姿は見えなかった。
連続で起こる不可解な出来事に、イアンは額い汗を浮かばせながら呆然する。
ふと頭に水滴が当たる感覚を味わい、上を見上げると――
「グゥゥ…」
マストにしがみつきながら、船長の首い食らいつく少女がそこにいた。
1月24日―誤字修正。
ならば、我らも世に生ま出れば → ならば、我らも世に生まれ出れば
2月07日―誤字修正。
ここい来てしばらく経ちます → ここに来てしばらく経ちます