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百四話 黒い龍

この世界には、龍族という種族が存在する。

一般的にドラゴンと呼ばれ、様々な種類が存在すると言われている。

他の種族と接することが滅多になく、ドラゴンについての情報はあまりない。

それでも、少ない目撃情報からドラゴンの姿が語られており、その姿は巨大なトカゲのようであると伝えられている。


「こいつが…ドラゴンか」


イアンの目の前には、巨大なトカゲのような黒い魔物が二本の後ろ足で立っている。

体長は十メートルほどあり、ドラゴンと呼ぶに相応しい体躯をしていた。

頭には、角であろう二本の角らしきものがあり、背中には多くのトゲのような突起物が生えていた。


「うんうん! いつ見ても僕のドラゴンはかっこいいなぁ! 」


銀髪の子供が感嘆の声を上げる。

この時も、彼は無表情である。


「これはやばいんじゃ……イアンさま、ここは逃げたほうが――」


「無駄だよ! 君達は僕のドラゴンに殺されるんだよ! 」


「うるせぇ! 俺はイアンさまに話しかけてんだ! 」


口を挟んだ銀髪の子供をミークが怒鳴りつける。


「いや、そいつの言うとおり、逃げることはできん」


「どういうことですか? 」


セアレウスがイアンに訊ねる。


「今、オレ達は結界とやらの中にいるらしい。閉じ込められているのだ」


「そうだよ! 僕が結界を張ったから君達は、ここから出られないよ! それっ! 」


銀髪の子供が右手を天に向けると、手のひらから黒い炎は放たれた。

黒い炎は真上に飛んでいき、何かにぶつかったように空中で弾けた。

その瞬間、炎が弾けた所からドーム状に光が広がっていった。

その光はイアン達のいる一帯を覆い被さるように広がったことから――


「今の光が結界ってことか…」


「そう! 今の光った所から先は行けないよ! 」


閉じ込められていることがはっきりと分かった。

ミークは顔を上げたまま、呆然としていた。

自分達が逃げられないことを認識したのだ。


「ミーク、逃走は諦めろ。あの子供をどうにかしないと、ここから出られん。とりあえず、この黒いドラゴンを倒すぞ」


「……へい…腹をくくるしかないみたいですな…」


イアンとミークが戦いに備え、持っている武器を構える。


「じゃ! そろそろ、死んでもらおうかな! 行け、僕のドラゴン! 」


「ガアアアアアア! 」


黒いドラゴンが咆哮を上げる。


「……! ドラゴンが動く! 」


セアレウスはそう言うやいなや、ドラゴン目掛けて駆け出した。

ドラゴンの目の前まで到達するとそこで跳躍し、ドラゴンの肩に右のアックスエッジを叩き込む。


ガッ!


「硬い! 」


ドラゴンの皮膚は硬く、セアレウスのアックスエッジで傷を付けることは出来なかった。


「ガアアア!! 」


宙に浮くセアレウスに、ドラゴンの牙が迫る。


「させるか! 」


イアンがセアレウスの足を引っ張り、無理やり地面に下ろす。

ドラゴンは何も無い空間で口を閉じ、セアレウスが噛み付かれることは無かった。


「あ、ありがとうございます…」


「ああ…だが、まだあいつの攻撃は続くぞ」


地面に伏せるイアンとセアレウスの二人の周りに影ができる。

セアレウスが見上げると、ドラゴンが片足を上げていた。


「うおおお! やめろおお! 」


ミークがドラゴンの体に鞭を叩きつけ、攻撃を妨害する。

しかし、ドラゴンがひるむことはなく、上げられた足が二人に目掛けて下ろされる。


「くっ! 」


イアンがセアレウスを抱えながら前転し、ドラゴンの足から逃れることができた。


「ガアアアアア! 」


ドラゴンが体を捻り、大木の如く太い尻尾を振り回す。

尻尾がセアレウスを抱えるイアンに迫り――


「ぐっ!! 」


「ううっ…」


二人を軽々しく弾き飛ばした。


「イアンさま! セアレウスさま! 」


飛んでいく二人の名を叫ぶミーク。

イアンは、抱えたセアレウスをかばいながら、地面を転がった。


「あははははは! 」


無表情のまま、銀髪の子供がイアンに指を差し、笑い声を上げる。


「ぐ…ううぅ…ミーク、オレとセアレウスは無事だ」


イアンは咄嗟に戦斧で防御し、直撃は避けたため、致命傷を受けることはなかった。


「立てるか? セアレウス」


「はい」


「よし……ミーク、攻撃は効いているか? 」


立ち上がったイアンが、ミークに向けて声を上げる。


「ダメです! 俺の鞭じゃあ、ドラゴンにダメージを与えられません! 」


「そうか…打撃ならばどうだろうか…」


イアンは戦斧をホルダーに戻し、ショートホークを右手に持つ。

彼は、ショートホークの打撃部で、ドラゴンを攻撃しようと考えた。


「ん~? 何か企んでるね~…でも、近づけるかな? 」


ショートホークを取り出したイアンを銀髪の子供が警戒する。

子供の意思が反映されたのか、黒いドラゴンが動きだした。


「ハアアア……」


ドラゴンは長い首を持ち上げて顔を天に向けると、大きく息を吸い込みだした。


「何をするつもりだ……まさか! 」


イアンはこの動作に見覚えがあった。

サナザーンで戦った五御大一人、ビヒュウキという炎の息を吐く妖魔がいた。

炎はサラの力によるものであったが、吐き出された嵐はビヒュウキの息によるものである。

イアンは、ドラゴンが息による何らかの攻撃をしてくると判断した。


「あっ! 今が攻撃のチャンスです! 」


イアンがどう攻撃を回避するか考えている最中、セアレウスがドラゴン目掛けて走り出した。


「おい! 行くな! 奴は大技を出そうとしてるのだぞ! 」


走るセアレウスを追うイアン。

しかし、セアレウスの足に追いつけるわけがなく、セアレウスはドラゴンへと近づいていく。


「ちっ! 」


そこで、イアンは鎖斧を取り出し、伸ばした鎖斧をセアレウスに向けて放った。


「えっ!? 兄さん、これは!? 」


鎖斧の鎖がセアレウスに巻きつく。

それを確認したイアンは鎖を掴み、セアレウスを空へと引っ張り上げた。


「おまえは話を……」


「ガアアアアッ! 」


ドラゴンの口内が赤く光出す。

すると、ドラゴンの口から炎が吐き出される。

この時セアレウスは、時間の進みがゆっくりになる感覚を味わっていた。

イアン目掛けて、炎が吐き出されたのである。

イアンは、セアレウスに顔を向けており、吐き出された炎にまだ気づいていない。

このままでは、イアンが炎に飲まれ、消し炭と化してしまうだろう。


(ああっ…そんな……)


その光景をセアレウスは想像し、心の中で嘆き始める。

イアンとは兄妹の関係になり、セアレウスにとって、イアンは特別な存在になっていた。


(わたしのせいだ……わたしが…ドラゴンの動きをよく見ないで突っ込んだばかりに……)


ようやくセアレウスは自分の行いについて反省する。

しかし、反省したところでイアンを助けることはできない。


「ううっ…」


セアレウスの目から涙が溢れ始める。

彼女は一度ならず二度までも、自分のために人が死ぬ光景を目の当たりにするのだ。

セアレウスは絶望し、何も考えられなくなる。

頭に浮かぶのは、イアンとの思い出であった。

彼との出会いから始まり、共に過ごした時間が頭の中を駆け巡る。

それと同時にイアンの言った言葉も、セアレウスの頭の中で蘇り――


『最後まで……』


言葉の一部が強烈に響いた。


(最後まで……わたしに何ができる…? )


セアレウスは心の中で呟いた。

そして、自分が持っている力を思い出す。

しかし、その力を使うたびに魔物へと近づいていき、ついには魔物になってしまったことも思い出した。


(……いえ…もう、わたしのことはいいです)


セアレウスは、イアンに向けて右手を突き出した。

自分が再び魔物になることも構わず、力を行使することに決めたのだ。


「だから、ありったけを! 」


叫んだ瞬間、セアレウスは時間が急激に早くなる気がした。


ゴウッ!


炎がイアンに迫る。


「あははははは! 」


「イアンさまーっ! 」


銀髪の子供が笑い、ミークが悲鳴を上げる。

二人共、イアンが炎に飲まれてしまうと思っていた。

しかし――


ジュウウウウウ!


ドラゴンから吐き出された炎が、白い煙となって消えていく。


「……」


「……え? い、一体何が……」


銀髪の子供が黙り込み、ミークが驚愕の表情を浮かべる。

その間に、セアレウスはイアンの隣に着地する。

彼女はドラゴンの方に右手を突き出しており、白い煙が晴れた所には、蛇のようにうねる水流が宙に浮いていた。


「これは、あの魔物の……セアレウス、おまえ…」


水流を見たイアンが、セアレウスに視線を向けると――


「……え…」


水流を操っている本人が驚愕の表情をしていた。


「おい! 大丈夫か? 」


イアンは魔物化の恐れがあるのかと心配し、セアレウスに声を掛けた。


「……」


「おい、セアレウス! 」


「…あっ! はい! 」


ぼうっとしていたセアレウスがようやく返事をする。


「大丈夫か? また、魔物に……」


「い、いえ、その心配はないです……ただ、以前より思い通りに水が動くのです」


セアレウスはそう言うと、右手を左右に動かす。

前方の水流が彼女の右手に合わせて、左右に動き出した。


「はは! すごい! 水がわたしの言う事を聞いてくれます! 」


セアレウスは楽しげに水流を動かし始めた。


「おおっ! セアレウスさま、イアンさまを救って下さいましたか! 」


生還したイアンの姿を見て、ミークが歓喜の声を上げる。


「助けようとしたら、逆に助けられてしまったな。セアレウス、まだ戦いは終わってない」


「あ…はい、兄さん! 」


イアンの声を聞き、セアレウスが水流で遊ぶのをやめる。


「それで何ができる? 」


「えと…水を動かすこと……ぐらいです」


「ふむ……よし、セアレウスは炎を防いでくれ」


イアンはそう言うと、鎖斧を頭上で振り回す。


「あの水色のお姉ちゃんが魔法を使うとは思わなかったけど、ドラゴンには勝てないよ! 」


ドラゴンがイアンの方に向かおうとするが――


「させるかって! 」


ミークが鞭を振り下ろす。

二本の鞭がそれぞれ、ドラゴンの左右の肩に巻きつく。


「へへっ! 俺にはこいつを倒すことはできないけど、倒す手伝いぐらいならできるぜ! 」


ミークは、ドラゴンの背後から鞭で引っ張り続ける。


「ぐううっ……なんて力だよ! 」


ドラゴンの力には勝てず、ミークはズルズルと引きずられていく。

しかし、ドラゴンの足取りは重く、進む速度を落とすことができた。


「あのハゲ頭! やっちゃえ、ドラゴン! 」


ドラゴンの首が回り、その口から炎が吐かれるが――


「させません! 」


セアレウスが水流を動かし、ミークとドラゴンの間に水の壁を作る。


ジュウウウウ!


水流の壁により、ドラゴンの炎は白い煙となって空に消える。


「よくやった、二人共! 」


イアンはそう声を上げると、腕だけで振るっていた鎖斧を横振りで投擲した。


ガッ!


「ギャアアアアア! 」


鎖斧が硬い鱗を粉砕し、ドラゴンの首に深々と刺さった。


「ああっ! 僕のドラゴンが! 」


銀髪の子供が悲鳴を上げる。


「まだ息があるな」


イアンはドラゴンに止めを刺すべく、戦斧を右手に持った。

その後、体を回転させて自分の体に鎖斧の鎖を巻きつけ始めた。

すると、体に鎖が巻きついていくのと同時に、イアンがドラゴンの首に向かってく。


「ふっ! 」


「ギャ――!? 」


そして、回転を利用したイアンの戦斧がドラゴンの首に叩きつけられる。

鎖斧と戦斧で挟まれた形となり、ドラゴンの首が切断された。

ドラゴンは断末魔を上げることなく、ボロボロと黒い欠片となって崩れ始める。


「ふぅ…なんとかなったな」


イアンは体に巻き付いた鎖を解き、ボックスに鎖を収納させる。


「兄さん! 」


「やりましたね、イアンさま!」


セアレウスとミークがイアンの元へ駆け寄る。


「二人共、まだ終わっていないぞ。まだ、あいつが残っている」


イアンが鎖斧をホルダーにしまい、戦斧の刃を銀髪の子供に向ける。


「……僕の……ドラゴンが……」


銀髪の子供は、黒い欠片の山を見つめる。

その表情はやはり無表情であったが、吐き出された声は暗く沈んでいた。


「……許さない…」


彼が暗く沈んでいたのは一瞬であった。

銀髪の子供から禍々しい黒いオーラが溢れ出す。

黒いオーラは炎のように激しく揺らめき、彼の怒りを象徴しているように見えた。


「そこまでだ! コドリック! 」


突然、空から少女の声が発せられた。


パリィ!


その瞬間、何かが割れた音が響き渡り、結界の壁である光が欠片となって崩れ始める。

程なく、空から蝙蝠のような翼を生やした少女が舞い降りてきた。

髪は灰色で、片手に銛のような武器を持っている。


「……は? ヴィオリカ? 」


コドリックと呼ばれた銀髪の子供がヴィオリカの声に反応する。


「単独行動は慎むようジャバラジャンに言われていただろう」


「……だって…」


「だって…とはなんだ? 言ってみろ」


ヴィオリカはコドリックを責め立てる。

コドリックはそれっきり口を開くことはなかった。


「はぁ……帰ったらジャバラジャンに叱ってもらうからな」


ヴィオリカはそう言うと、コドリックを小脇に抱えた。

コドリックは抵抗することなく、ヴィオリカに抱えられる。


「…久しいな、イアン。此度は我輩の同胞が迷惑をかけたな」


ヴィオリカはイアンの方に体を向ける。

抱えられたコドリックは、イアン達に尻を向ける形になる。


「迷惑…というレベルではないな。オレ達以外に多くの人々が命の危険にさらされたのだぞ」


「申し訳ない……こいつの独断で行ったことであって、我々魔族の行動ではないことを理解してほしい」


「……お前たちは、今回の騒動に、責任を取るつもりは無いということか? 」


「そう言ったつもりだ」


イアンとヴイオリカは黙り込む。

イアンが睨みつけているのに対し、ヴィオリカは涼しい顔をしていた。


「ふん! 人間に魔族がしてやれるのは、種の滅亡だけだ。さらばだイアン、我輩はもう行く……コドリックの作り出した龍族を倒したこと、我輩は嬉しく思うぞ」


最後に微笑みを浮かべるとヴィオリカは踵を返し、空へ舞い上がった。

ヴィオリカが空へ上がっていく中、抱えられたコドリックは、じっとイアンを見続けていた。


「ライバルさえも美少女…! やはり、イアンさまに仕えて良かった…」


飛んでいくヴィオリカを見つめながら、ミークが意味の分からないことを呟く。


「はぁ…魔族か……プリュになんて言えばいいんだ」


イアンは、サードルマに戻った時のことを考えて頭を抱える。

今回の騒動の首謀者が魔族であると言いづらかった。

一般的には、魔族は伝承に出てくるものという認識なので、信じてもらえない可能性が高いのである。


「……いいか、首謀者は不明だったと言っておけば…モノリユス達にはちゃんと……ん? どうした、セアレウス」


イアンは、話がしたいのかおずおずと、近づいてくるセアレウスに気がついた。


「……あの…ごめんなさい! 」


セアレウスはイアンに向けて頭を下げた。


「わたしが何も考えずに向かったばかりに、兄さんを危険な目に合わせてしまいました」


頭を下げたまま、セアレウスが謝罪の言葉を口にする。


「……顔を上げろ、セアレウス」


イアンは、セアレウスの両肩にそっと手をかけ、顔を上げるように促す。

セアレウスがゆっくりと顔を上げる。


「済んだことだ、気にするな。それに、おまえのおかげでオレは助かったのだ」


「……そんな…わたしは……」


「気にするなと言っている。それに自分がどうあるべきか、もう分かっているだろう? 」


イアンの言葉に、セアレウスは首を縦に振って答える。


「ならばいい。オレから言うことはひとつだけだ。ありがとう、セアレウス」


イアンは感謝の言葉を述べた後、セアレウスの頭を撫でた。


「……ううぅ…うわああああああ!! 」


イアンが死ななかったこと――大切な人を救い出せたことを今、セアレウスは実感した。

それに感極まり、彼女は涙を流しているのである。


「おまえはよく泣くな…」


イアンは、セアレウスが泣き止むまで頭を撫で続けた。


(兄というのがいまいち分からないが……泣き止むまでこうしていよう)


それはイアンが兄として、どうするべきか考えた行いであった。




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