九十九話 薪割りをする兄妹
イアンに、セアレウスという妹ができた次の日の朝。
イアンの家である小屋で、就寝したイアン達。
朝になった今、小屋の中にいるのはセアレウスのみで、イアンとミークは外に出ていた。
「服をどうにかせねばな。とりあえず、オレが前に着ていた服を着てもらうが」
イアンが小屋の壁に寄りかかる。
彼らが小屋の外に出ている理由は、セアレウスが着替えているからだ。
「服を買いに行きますか? ここから近い町にでも行って」
イアンの前に立つ、ミークがイアンに訊ねる。
「ううむ……セアレウスが体に慣れるまで、ここいようと思う」
「そうですか。どのくらいここにいます? その分の食料を買ってきましょうか? 」
「……早くて、三日か。その分の食料を買ってきて欲しい……この分を持っていけば足りるだろう」
イアンは、Qの入った袋をミークに手渡した。
「ありがとうございます。では、早速行ってきやすぜ! 」
受け取った袋をしまい、ミークはイアンに背を向けて歩いて行った。
「…………あっ…あいつ、どこの町に行くつもりだ? しまったな、あいつの知っている町は、カジアルしか無いぞ」
イアンは、ミークに行き先を確認し忘れていた。
ミークは、ノールドとカジアルしか、この大陸にある町を知らないはずである。
「ここからだと、シロッツが一番近いのだが……まぁ、いいか。そんなに時間はかからんだろう」
「兄さん、ミークさん、お待たせしました。あれ? ミークさんは、何処かに行ったのですか? 」
開かれた小屋の扉から、セアレウスが顔を出した。
「着替え終わったか。おまえが体に慣れるまで、ここに留まると決めてな。その間の食料を買いにいった」
「そうですか。分かりました! いち早く、体に慣れるよう頑張ります! 」
「うむ。では早速、体を動かすとしよう」
「はい! 」
返事をした後、セアレウスが小屋から出て、イアンの前までやってくる。
セアレウスは、以前イアンが着ていた服を身につけていた。
上は袖の長い白い服、下は栗色の長ズボンを履いていた。
「どうだ? 大きさは大丈夫か? 」
「はい。問題無いです」
セアレウスは、腰を捻ったり、足を上げたりして、服に問題がないことをイアンに示す。
「なら良し…ん? まだそんな物を持っていたのか」
イアンは、少女の左手に持たれているものを見て、呆れたような表情をした。
それは、戦斧の刃の部分だった。
「もう捨てたほうがいい。柄がなければ、武器として使えないぞ」
「…でも」
セアレウスは、戦斧の刃を両手で持つ。
その折れて使い物にならない物をセアレウスは、宝物を見るような目で見つめていた。
「はぁ…今からやることに、それは不要だ。家の中にでも置いてこい」
一向に手放す様子がなかったため、イアンは、刃を置いてくるように促した。
セアレウスは、駆け足で小屋の中に入っていく。
その背中を見て、イアンはため息をついた。
戻ってきたセアレウスに、イアンはその辺を歩くよう指示した。
イアンは、生まれ変わった彼女が、体に慣れていないと思い、こうして体を動かさせ、少しずつ体になれさせていこうと考えた。
昨夜は、よろよろとおぼつかない歩き方をしていたが、今の彼女の歩き方に問題は無かった。
「もう歩けるようになったか」
「はい。問題ないです」
セアレウスが歩きながら、イアンに返事をする。
その顔に、無理をしているような様子は無い。
「よし、では走ってみろ」
歩くのは問題無いと判断したイアンは、今度は走るよう指示した。
「はい! 」
セアレウスは、返事をすると同時に、駆け出した。
小屋の周辺を走り回るセアレウス。
「なっ!? 」
軽く走らせるつもりであったイアンだが、セアレウスは長い髪が真横になるぐらい速く走り、どう見ても全力疾走をしていた。
イアンは、セアレウスが無理をしているのだと思い、頬をに汗が垂れる。
「誰が全力で走れと言った… 」
イアンは、セアレウスを止めるべく、彼女を追うがまったく距離が縮まらない。
むしろ、後から走り出したイアンが、先に息を切らすほど、セアレウスの足は速かった。
「はぁ…はぁ…お、おい、止まれ! 」
追いつけないと判断したイアンは、声でセアレウスを止めることにした。
「はい? 」
イアンの声を聞き、セアレウスがピタリと止まる。
あれだけ走り回ったというのに、彼女は息切れもしていなければ、汗一つかいていなかった。
その様子に唖然とするイアン。
「あっ! あの、わたしは生まれつき足が速いみたいなんです。水魔精となった今でも、変わらないようですね」
イアンの顔を見たセアレウスが、自分の足の速さについて説明する。
生まれつき足が速いと言われ――
「はぁ…はぁ…そんな馬鹿な…なにか…力を使っているだろ…」
納得のいかないイアンであった。
歩きや走りといった足の動きに関しては、問題ないと判断したイアン。
この調子ならば、ここを離れる日もそう長くはないと考えていた。
しかし、その考えは改まることになる。
腕の動きを確かめるため、とりあえず薪割りをセアレウスにしてもらうことにした。
薪割り斧を持たせた時、セアレウスは左手で薪割り斧を持った。
「おまえ、左利きなのか」
「あ、はい」
セアレウスは、イアンに返事をすると、左手だけで持った伐採斧を振り上げ――
「えいっ! 」
薪に目掛けて、薪割り斧を振り下ろした。
薪は二つに割ることなく、薪割り斧が刺さっただけであった。
「あれ? え? どうしよう…」
うまくいかず、動揺し始めるセアレウス。
「貸せ」
イアンは、セアレウスから薪に刺さった薪割り斧を取ると、それを切り株に叩きつける。
コッ!
薪が二つに割れた。
「オレが手本で見せたように、両手を使えば、綺麗になると思うが…」
両手を使うよう、セアレウスに言い聞かせるイアン。
セアレウスは、自分の右手のひらを開閉させ、その動きをじっと見つめていた。
「右手がうまく動かせないのか? 」
その様子を見たイアンは、セアレウスが右手を充分に動かせないことに気づいた。
「…今まで、右手が魔物の手になっていて、その時指がなかったのです」
「ふむ、それで右手で物を掴むのが難しく、左手だけで斧を振った…と」
「はい。あと右腕を上げるのも、難しいですね」
セアレウスは、右腕を上げようとする。
ギギギという音がなりそうなほど、その動きはぎこちなかった。
「仕方がない」
イアンはそう言うと、割った薪を片付け、切り株の上に新しい薪を置いた。
次にセアレウスの後ろへ回り、彼女に両手で薪割り斧を持たせた。
傍から見れば、イアンがセアレウスの覆いかぶさっているように見える。
イアンが後ろから手を伸ばしてくれているおかげで、セアレウスは薪割り斧を両手で持つことができた。
「一回この状態で、振ってみるぞ。ゆっくりな」
「は、はい 」
セアレウスは、後ろにいるイアンに戸惑いながら、薪割り斧をゆっくり持ち上げ始める。
イアンの補助のおかげで、ぎこちない右腕も上げることができた。
そして、手前に薪割り斧を振り下ろす。
「お、おおっ! 」
イアンの補助のおかげであるが、上手く振れたことに感動するセアレウス。
「うむ。思ったより上手く振れたな。次は、薪を割るぞ。用意はいいか? 」
「はい! 」
再び、イアンに補助されながら薪割り斧を振り上げ、今度は薪に目掛けて振り下ろした。
コッ!
薪は綺麗に真っ二つに割れた。
「わあ…」
薪を綺麗に割る感触が手に伝わり、またも感動するセアレウス。
「綺麗に割る感触を掴んだか? もうしばらくこの状態で、薪を割るぞ」
「はい! お願いします! 」
その後、何度かイアンの補助を受けて薪を割った後、セアレウスは一人で薪を割るようになった。
イアンの補助がない彼女の振りは、不格好である。
しかし、薪を割るのが楽しいのか、飽きることなく薪を割り続けていた。
セアレウスが一人で薪を割り始めて数時間が経過し、昼になる。
「おーい! 買ってきましたよー! 」
その頃に、食料を買いに行っていたミークが帰ってきた。
ミークは、食料が入っているであろう包みを背中に背負っている。
イアンは、ミークの声に気がつき、彼の元へ歩いていく。
「すまんな、ミーク。ここから、カジアルは遠かっただろう」
「ああ、いえ…カジアルまでは行ってませんぜ」
「なに? 」
ミークが、カジアルに行っていないことに驚くイアン。
「行く途中の街道で、行商人が魔物に襲われていましてな。その行商人はパンを売っているらしく、助けたらパンを大量にくれたんです」
ミークはそう言った後、背中に背負う包みをイアンに向ける。
「そういうことだったか」
「へい。あっ…このイアンさまに貰った金は、そのまま返します」
「ああ」
イアンは、ミークが差し出した硬貨の入った袋を受け取る。
「しかし、街道で魔物に襲われるとはな…滅多なことではないぞ」
袋をしまいながらイアンが呟く。
「でも、絶対ないとは言い切れないんでしょう? これは俺達がツイてるってことですぜ! 」
「その行商人にとっては、まったくツイてないがな。さて、ミークが帰ってきたことだし、昼食にしよう。セアレウス、一旦そこでやめだ」
「あ、はい! 兄さん」
セアレウスの薪割りを中断させ、イアン達は昼食をとることにした。
昼食をとり終わった後、セアレウスは再び薪を割り出した。
最初の頃よりも振る姿勢が良くなっていた。
イアンは、薪でできた山に腰をかけ、薪を割り続けるセアレウスの背中を見つめていた。
「ふわぁ…どうしたんです? 」
ミークが、ぼうっとするイアンに声を掛ける。
彼もやることがなく、暇そうにイアンの隣にいた。
「ん? どうもしていないが? 」
「そうですかい? 何かを考えていたように見えましたぜ」
「そんなふうに見えたか? 」
イアンがミークに顔を向ける。
「へい。何を考えていたんですか? 」
「…別に大したことでは無い。あいつが本当の妹だったら、木こりの時に、薪を割るのと売りに行くので、役割分担ができただろうと。ただ考えていただけだ」
イアンは、セアレウスに視線を移しつつ、呟いた。
「へぇ、いいじゃないですか! イアンさまはどっちをやるんですか? 」
「オレは……ふん、もしもの話しだ。深く突っ込むな」
一瞬、どちらにしようか考えたイアンであった。
「ちぇー…教えてくれてもいいじゃないですか。でも、そんな世界もあったんですかね…」
「……さぁな」
イアンは、顔を上げて空を見た。
空に浮かぶ雲が、ゆっくりと流れていた。
セアレウスは夕方まで、薪を割り続けていた。
夢中で、薪を割り続けていたセアレウスの上達は早く、綺麗に割れた薪の山が出来上がっている。
ぎこちない動きであった右腕も、今は左腕と同じように動かせるようになっていた。
夜になり、イアン達は夕食とった後、しばらくして就寝した。
「……んんっ…む」
眠っていたイアンは、ふと目を覚ました。
「……ん? …んん? 」
目を開けたイアンは、小屋の中にセアレウスの姿が見当たらないことに気づいた。
「どこに…」
セアレウスを探すため、立ち上がろうとするイアン。
その時、イアンは窓の外に人の影が見えたような気がした。
「あいつ…」
窓を覗くと、外にセアレウスがいた。
セアレウスは、何かを振り回しているような動きをしている。
イアンが目を凝らしてみると、セアレウスの左手には戦斧の刃があることが分かった。
彼女は、戦斧の刃を武器として使うつもりのようだった。
「使いづらいだろう」
イアンは、セアレウスを見ながら呟いた。
イアンの言うとおり、セアレウスは使いづらそうに戦斧の刃を振っている。
度々、指を滑らせて、戦斧の刃を落としてしまっていた。
「はぁ…武器があれではな……さて、どうしたものか」
イアンは、セアレウスの武器について考えるが、すぐに答えが出ることはなかった。