《後編》
3
「いまからシロのところに行ってくるけど、別に偵察してくるわけじゃないからな!」
「わたしも行くよ」
そんなやり取りがあったのは、マックスさんからの依頼を受けてから四日が経った頃だった。一週間という期限のその折り返しを過ぎ、わたしはいささか焦りを隠せずにいた。<始まりの人>の文献を漁っても、父さんの遺した本を読みつくしても、決定打なるものは見つからなかった。
ひとつだけ試してみたいことはあったが――。
「え、ゼクスはいいの?」
「いまローディング。起動まで半日かかるからね」
ゼクスはいまアトリエの寝台の上で目覚めの刻を待っている。女性を模したその人形のコアには仕掛けがしてあった。<始まりの人>が世界で初めてのコアを手にした時の記録は残っていないが、他のコアはすべてそれの応用で造られたらしい。その拡張の仕方を試してあった。
というわけで、お出かけをしたわたしとクロだった。
今日は週に一度のクロの逢瀬の日らしかった。おめかしなのか、毛並みをずいぶんと気にしていた。わたしはといえば、ファッションにはあまりこだわりがないので(街の知り合いによく勿体無いといわれる)、いつもどおりの黒のワンピースに黒の靴だ。いつしかわたしとナイは鏡写しなのだという認識があって、わたしは黒、ナイは白だと決まっていた。わたしたちの父親が遺した猫型人形もそれに基づいている。
工房『夢』と工房『鏡』は街を挟んで対称の位置にある。ここまで鏡写しにこだわらなくてもいいとは思うが、こういう記号めいたことが大好きな父親たちだったから仕方がない。
「今日はバザールだったのねえ」
街の中心に位置する広場では、多くの出店に道行く人たちが脚を止めていた。ここ数日ずっとアトリエに篭もりっきりだったから気がつかなかった。直せばまだ仕えるようなジャンク部品もよく売りに出され、よくわからないものでも売りに出せ、どうせアルが回収に来るとまで言われるほど、わたしはこのバザールが好きだった。
「アル、アル。アイス食べよっ」
「食べたいけどね。そんな気分じゃないの」
リミットは刻一刻と迫っている。ゼクスが目覚めた後にすべきことも多く残っているし、ヒトへの絶対従順が薄まる以上、安全性の問題だってある。仮に間に合わなかったとしても、せめて工房『夢』の名前で方針だけは出したいところ。そのための時間にあまり余裕は残されていない。
「むう。たまには息抜きしたっていいじゃないか。だったら、なんでナイのところに行こうとしているのさ?」
わたしの肩に両前脚を投げ出しておぶさるクロが口を尖らせた。
「敵情視察。『ライバル敵を知り、己を知れば、百戦危うからず』っていうじゃない」
「『真に己を知るは、百戦を覇するより難し』」
「え、誰それ?」
「クロ曰く!」
実のない会話を続けながら、わたしたちは人ごみを縫って広場を抜けようとする。人形部品の置いてあるコーナーがちらと視界に入るたびに、つい癖で脚がそっちに向かおうとするのだけど、そのたびに「寄り道?」とクロが頭をぐいと前に固定する。何回か「はいはい」と言って工房『鏡』を目指したのだけど、ひとつだけ気になるところがあった。
「だから、アルってば――」
「うるさい」
わたしは人を避けることも忘れて、そちらに向かっていた。ブースの前の人だかりがわたしを発見して、道を開ける。わたしの無言の圧力に気がついたのだろうか、ひそひそと何かを囁き合っている。
「ちょっと」
痩せた男が顔を上げる。彼が出品しているのは、ただの一点――、いや、一人。女性型の人形だった。彼女はマネキンのように彼の隣に立っており、洗濯のされていないような薄汚れた服を着ていた。わたしを見て、会釈をする。
この子、自分の置かれている状況が――。
「ん? あんた、『売れない方』の」
「どういうつもり?」
「見ての通り」
人形の首には値札が吊り下げられていた。……安すぎる。正規のルートで買われるその何割引きだろう。文字通り、こんなレッテルを貼られながら、その人形はわたしに「良いお天気ですね」と言わんばかりの微笑を浮かべている。
「人身売買でしょうが!」
「『所有物』をフリーマーケットに出しているだけだが?」
あらかじめ答えを考えていたのだろう、すらすらとこちらを馬鹿にするかのように。かっと頭に血がのぼり、奥歯がぎりと音を立てた。どんな言葉で罵倒してやろうと口を開いたわたしを制するように、男が反論を構築する。
「人形を売っているのは、工房だって同じだろ?」
「……っ!」
ちがう。ちがうのに、うまく言葉になってくれない!
クロがわたしの頬を「落ち着け」とばかりに二回叩く。
「その人形は君の元・伴侶かい?」
「そうだが」
「工房は依頼主に、その人に仕える人形を懇切丁寧に制作して提供する。いわば嫁に行く娘を育てた親だ。君はその娘を売り渡して、端した金を得ようとしている。これでも同じだって言うのなら、スーパーモードに変形して殴り殺す」
「『物』なのに?」
「あんたの人形だろ、なんでそんなことができるのさ!」
「飽きちゃったからさ」
わたしの理性を司るモノが千切れ飛ぶ音がした。
「このやろう!」
卑しい笑みを浮かべる男の顔面に、わたしは全力で拳をぶつけようとした。が、わたしの腕は後ろから誰かに羽交い締めにされ、男とわたしのあいだには盾になるように人形が立ちふさがった。
「なぜ止めるんですか、マックスさん」
人形関係のトラブルはバザールでは少なくなく、ALICEとして巡回していたのだろう。
「現行法では、このままでは君は悪になるからさ。お父さんの工房の名をそんなことで汚しちゃいけない」
「でも。でも、こんなことって!」
マックスさんの腕の中でわたしは暴れに暴れた。こんなやつに人形の何たるかを語る資格はない。意志を持ち、しかもまだ自分を想っている存在を、飽きたからって売りに出すなんて!
「アル。そのためのALICEであり、君とナイだ」
「うぅ……」
わかってはいる。わかってはいるのだけど。
ふいにクロがわたしの肩から飛び降りた。しなやかに着地し、とことこと男の前まで歩く。
「その人形、工房が買い取ろう」
「クロ!」
『保護』という言葉が脳裏に浮かんだ。そうだ、そうすれば現行法の縛りのなかで、彼女を救出することができる。マックスさんの依頼の報酬で、このくらいの値段くらい――。
「こいつ、もう売れちゃったんだよね」
男が嘲るように言った。
「『売れない方』の工房、よく憶えておけよ。お前たちが技術を独占しているせいで、人形が買えないやつらだってごまんといるんだ。俺はむしろ社会のために動いてやってるんだぜ。買ったやつはこれでもう寂しくはないって泣いて喜んでいたんだよ」
「そんな――」
「アル、ここは一旦引くんだ」
抗う気力もなくしたわたしは、マックスさんに引かれるままに俯いて歩いた。クロは背中からわたしの肩までよじ登り、いつもの体勢を取った。行き場のない感情を抱えて爆発しそうな胸の内だったが、クロの暖かさで多少は溶けただろうか。
「こんにちは、アル。酷い顔色ですね」
「はろう、ナイ。あなたは相変わらず」
ナイの受け継いだ工房『鏡』に来たのは何年ぶりだろうか。街を挟んでこちら側に用はないし、いつもはナイがふらふらと遊びに来るものだから、ここまでやってきたのはナイの父親が亡くなったとき以来だろうか。
商売は繁盛しているようで、ずいぶん広い屋敷になっていた。高い塀も、豪奢な門もついていて、工房『鏡』の潤いっぷりに愕然とする。
「ああ、そちらは依頼主のためのものです。こちらへどうぞ」
案内された先には見覚えのある木造の小屋があった。とことこと出てきたシロを目敏く見つけ、クロが走っていく。いつもよりも元気そうに見えるのは、胸のうちの黒いものを振り払うためだろうか。
「父の遺したアトリエですから。工房『鏡』はここ以外にありえません」
中に入ると、わたしは自分のアトリエに迷い込んだ錯覚を感じた。似ている。同じと言ってもいいのかも知れない。わたしのアトリエのほうが散らかってはいるが、構造そのものは同じように感じた。鏡合わせ。たしかに街の中心を対称点として、点対称のかたちをしている。
「マックスさんから電話が有りましたよ。大変なことに巻き込まれたようで」
言いながら、ナイは紅茶とスコーンをてきぱきと並べていった。『ああ、この紅茶は……。家から持ってくればよかったかなー』みたいなことを言ってやりたかったが、あいにくその元気はなかった。
「……人形はむしろ売られることを喜んでいた。だってマスターが『お前を売る』って命令しているんだからね。人形はマスターのそばにいることが幸福ではなくて、あくまで道具として命令にしたがうのが幸福だ」
「ずいぶんやさぐれていますね。紅茶をどうぞ、落ち着きますよ?」
わたしの黒ずくめの鏡写し、純白の少女は心配そうにわたしを覗き込んだ。
「アル。人形は法的にはまだ『物』であり、その彼のやっていることは犯罪行為ではありません。仮に人身売買だとしても伴侶の同意が在る以上、罪には問えないでしょう」
「そういうところ、はっきり言うのはいかにもあなたらしいわ……」
でも。
紅茶のカップがかたかた震えていた。地震? そう思ってあたりを見回したわたしはそれが誤りであることを知る。ナイの拳が机の上で震えているのだ。ただでさえ白い肌に血が滲んでしまうほど、強く強く。水晶のように綺麗な瞳には、ねじ曲がらぬ確固たる意志が煌めいていた。
「人形は意志を持った生命体です。こんなこと許されるはずはありません。アル、あなたはその男を殴ろうとしたそうですね?」
「ん……、うん。軽率だったと思ってる」
「いえ、それでいいのです。あなたはそれほど人形を愛している。誇りに思っている。その『鏡写し』であるわたしとしても嬉しいことなのです」
鏡写し。
幼いころから言われてきた言葉。
幼いころからそうじゃないと、わたしは劣っているんだと訂正したかった言葉。
「アル、あなたはエルフをどうやって造るつもりですか?」
「……わたしになんて訊かなくても、あなたは自分の方法があるでしょう?」
成功したとしても問題が山積みの手法なのだ。ギャンブルと評されても文句は言えない。だって<始まりの人>以来の三十年、さまざまな人がその手法で新たなアーキタイプを探し、失敗しているのだから。
ナイはぐいっと机の上に乗り出してきた。
「『ライバル敵を知り、己を知れば、百戦危うからず』といいます」
「ライ、バル?」
「ええ、そうですよ。わたしとあなたはライバルじゃないですか!」
熱く語るナイに、わたしは一瞬呆けてしまった。ライバル? 顧客数で何桁の差があるかわらかないナイとわたしが? そう、認めてくれているのか。ライバルだと思っていたのはわたしほうだけではなかったのか。
――よかった。
「そうだね、ライバルだ。正々堂々と行こうじゃないか」
わたしはナイに詳細を話した。ナイも知識の上では知っていたことで、すぐにすべてを理解した。「ずいぶんと賭けに出たとは思いますが、アルらしいとは思いますよ。健闘を祈っています」と純白の少女は言ってくれた。なんだか照れくさくなってくる。
「ナイは? わたしが言ったんだから、ちゃんと教えなさいよ?」
彼女はアトリエの奥にある寝台を指さした。そこには一体の人形が横たえられており、天井から無数のコードが胸の中に降りていた。見たことも聞いたこともない術式だった。ナイの父親の資料はまだ読んでいないため、『鏡』流の技術なのだろうか。
「人形をくびき軛から解放します」
「……ナイ?」
「黄金律を壊すのです」
わたしは思わず椅子を蹴って立ち上がってしまった。リミットカット。それはクロとの会話に案としては出てきたが、とてもやる気にはなれなかった手法だった。『ヒトのために』という文言を強制する黄金律をなくしたら、文字通り軛からは解放されるだろうが。
「アル、何をそんなに驚いているのです?」
「もし、もしだよ? 倫理観を失った人形がヒトを傷つけてしまったら?」
ナイの水晶の瞳は一分すら戸惑いを見せなかった。
「倫理観に縛られた人形が絶対にヒトを傷つけられないから、いまの状況があるとは思いませんか?」
さも、当たり前のように。
「人形はヒトと対等であるべきなのですよ。ヒトは人形を壊すでしょう? ならば人形だってヒトを壊せなければおかしいのです。そうは思いませんか?」
「……わたしは、ちがうと思う」
「ならば、今朝のようなことが起こり続けるだけです」
ナイを否定することはできなかった。それはまさに『鏡写し』の自分を否定することになるから。彼女の意見に賛同するわたしもいないわけではない。納得している自分もいる。だけど、どこかで頷くのを躊躇ってしまう。
ナイにはナイで、きっと今日のように辛いことがあったのだろう。
人形技師として働いているなら、当然のことだ。
「……紅茶ありがとう。帰るわ」
「また遊びに行きます」
工房の外でクロを捕まえて肩に乗せる。「もう少しシロと一緒にいたいのにー」と駄々をこねたクロだったが、わたしの表情を見るにつけてすぐに黙った。
「アル」
わたしは振り返れなかった。ナイの迷いのない瞳を恐怖と感じていたから。
「あなたは人形を愛していますよね……?」
「もちろん」
だからこそ――、今日のようなことが起こらないように、わたしはALICEの計画に乗ったのだ。父さんの愛した工房を守るために。この街に生きる多くの人形の尊厳を守るために。
「でも、倫理を壊して人形を解放するのはいけないことだと思う。たぶんね」
わたしとクロが工房『鏡』をあとにするとき、後ろからナイのつぶやきが聴こえた。
「『夢』の向こう側のアルあなた。『鏡』のこちら側のナイわたし。あなたはわかってくれると思っていたのに……。わたしはあなたの『鏡写し』。でも、やはり、ちがうのですね」
ナイの言葉はいままで聴いたこともないほど震えていた。それほど『鏡写し』でなくなることを怖れているかのような。それでもリミットカットをして、人形を解放することを強く決意しているような。
「ナイ、本当にそれで人形は救えるの?」
「あと数日で分かることです」
「リミットカット本当にやろうとしてたなんてね」
「クロ。ナイは人形を解放するって言ってたけど、つまるところ人形をヒトと同等にするっていう意味だよね?」
「そうでしょ。今日のようなことが起こらないために」
「……でもそれだと人形が人形である意味がなくなっちゃう」
「どゆこと?」
「人形は決してヒトに劣ったものじゃなくて、別の価値があるものだと思っているの。ヒトの欠けたところを人形が補って。もちろんその逆も。だから、ナイとわたしは少しちがう」
「なるほど。でも、人形はヒトに憧れるものだよ。ボクだってできることなら、ヒトになってみたい。もしかしたら、ナイはそんな人形の願いを聞き入れようとしているのかも」
「難しいね」
「<始まりの人>はコアを造った。アルとナイのお父さんたちは人形の技術をまとめあげた。そして君たちは人形の居場所を造るんだ。難しいかもだけど、人形師としてやりがいのある仕事じゃない?」
「そう、だよね」
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「……やっぱり、ダメ。か」
「アル、もう一回」
手元のコンソールをいじり、アトリエの人形、ゼクスにパルスが流れる。人形の全身がこわばり、背筋が弓なりになって浮く。通常のコアならば、この『目覚めのベル』と呼ばれる信号で眼を醒ますはずだった。
「コアの問題か、はたまたアルのポカミスか」
クロが人形の上に乗って、胸のハッチを前肢で二回叩く。お父さんが生きていたときも、こうしてメンテナンスを行っていたことを思い出した。わたしがマスターになってから注文自体がアレだから、ずいぶん久しぶりに見る。
「電力系統にはまず問題はない。信号は届いているよ」
「だとすると――」
「こころコアが目覚めてないんだね」
わたしのやり方はこうだった。
まず、既存の人形のコアを用意する。クロの力を使ってそれを解析し、論理をいじる。たとえばマスターに命令されたときに喜びを発信する論理機構に、自己防衛を含めた感情を接続する。こうすることによって、人形がもう少し自分を大切にして、理不尽な命令にはNOを突きつけられるようにしたかったのだが……。
「思っていた以上に、コアは複雑だったってこと?」
「そうだね。アルが手を加えたことで、他の部分の論理が破綻しちゃったんだと思う」
コアにはブラックボックスな部分が多い。実際、『喜びを発信』と簡単に言っているが、これが厳密にどのようなシステムで行われているのかは、<始まりの人>しか知りえない。時代とともに解析は進んでいるが、父さんがコアを決していじらなかった気持ちがわかったような気がした。
ナイの言うとおり、ずいぶんギャンブルな手法だったのだけど、こんなにあっさり負けるとは思わなかった。スイッチを押して何も起こらないのでは、落ち込む気力すら起きない。
「その点、リミッターはコアに対して外付けされてるから、論理の破綻はまず起きない、か。さっすがナイだね、これはちょっと不味い」
「でもリミッターは物理的にコアに組み込まれてる。いままで摘出しようとした試みがあったけど、全部が全部コアを破損してしまって失敗に終わってる。ナイほどの精密さや器用さがあっても難しいとは思うけどね」
「ナイならたぶんできるよ。それが正解かどうかは置いておいてね」
ベッドを降りたクロが、わたしの膝の上まで登ってくる。見上げる顔が不安そうだ。よほどひどい表情をしているらしい。
「ねえ、アル。これはもともと確率的な手法だよ? <始まりの人>を忘れたのかい。彼を天才たらしめているところは、ゼロから最初のコアを手にいれたこともそうだけど、そのあとの異常なほどに膨大な試行錯誤を愚直に行なったからなんだ」
「……ありがと。ごめん。少し寝るわ」
クロがわたしを励まそうとしているのはわかる。でも昼間のこと、工房『鏡』でのこと、ゼクスの失敗。今日は色々なことがありすぎた。胸のうちが嵐でも吹き荒れたようにぐちゃぐちゃになっていて、コアの打開策も含めて少し整理する時間が必要だ。
「片付けはしとくから。おやすみ」
「サンクス、クロ」
重い頭を抱えて工房を出ようとしたときに、ちょうど呼び鈴が鳴った。クロと顔を見合わせて木製の扉を開けると、そこにはマックスさんが立っていた。昼間にお世話になったが、なぜだかもう数日も会っていないような気がした。
「やあ、アルちゃん。ずいぶんな顔色だけど、大丈夫?」
「大丈夫って訊くなら、少し寝かしてください。ALICEの催促ならまたあとに……」
「そういう堅苦しい内容じゃないんだ。アップルパイ持ってきたけど食べるかい?」
「食べます。上がってください」
クロに片付けを任せたまま、マックスさんをアトリエのテーブルに座らせた。アップルパイはすぐに包丁を入れて、わたしとマックスさんの二皿に分ける。わたしのほうが若干大きい気もするが、これは遠近感の問題だ。
「マックスさん。紅茶について文句は?」
「そんな怖い顔しなくても、全然文句はないよ」
取り分けた皿を自然にテーブルに置いたが、マックスさんはわたしのほうのアップルパイを引き寄せた。やっぱりばれていたか。さすがわたしがおねしょをしていたときから、見ていただけのことはある。
「昼間の件はごくろうさま。さすがあの人の娘だ、なんか安心したよ」
「……ありがとうございます」
「さて。別にALICEの件で追い詰めるためじゃなく、単に様子を見に来ただけなんだけど――、どうやらうまくいっていないみたいだね」
マックスさんがわたしの肩越しに、アトリエの奥の惨状を見て苦笑した。クロがいま片付けに奔走しているが、ベッドから起き上がらない人形の胸のコアから煙が出ていれば誰が見たって失敗だ。
「なかなか父さんのようにはいかないものです」
「君は君の工房『夢』を造ればいい。それにな、お前の父さんだって何も人形の道の神じゃない。あいつがいまのアルちゃんくらいだったころは、ネジ穴潰しって言われたんだぜ」
「……それ、本当にお父さんですか?」
「それから文字通り血のにじむような努力をして、この工房を立ち上げたんだ」
「あ、それはお父さんらしいですね」
わたしはお父さんの記憶といえば、人形師としての背中しかない。親失格だという意味ではなく、もちろん人並みに幸せな家庭だったが、職人という言葉がお父さん以上に似合う人をわたしはまだ知らない。
「『夢』の血は努力によって担保されるのさ」
「では、ナイの『鏡』の血は才能を受け継いだのですね」
ため息とも苦笑ともつかないものをマックスさんは吐き出した。
「その、ナイのことなんだが――」
わたしが工房『鏡』に向かっているあいだ、昼間の出来事をナイに電話で伝えたという。そのときにどうやってALICEの要求を満たすのかということも聴いたそうだ。リミットカット。人形に先天的に組み込まれた倫理観を解除することで、人形をヒトから解放する。
「あれはずいぶんALICEでも議論の種になったんだ。リミットカットできるかどうかは置いておいて、そうなった人形の危険性はわからないからね。ただ、少なくともALICEの求める人形は生まれるだろう」
たしかに。人形がヒトに近づけば、いま起こっている諸問題はまず解決するだろう。最初は一体だけでいい。人形の立場から人形の主張さえすれば。いままでは従順さゆえに、それすらままならなかったのだから。
「アルちゃんはどう思う?」
「わたしは――」
人形は人形であるべきだと思う。決してヒトではなく、だからこそヒトにはできないことをして、ヒトを支える存在。リミットカットした人形はすでにヒトと変わりなく、いざとなれば大量生産もできる。わたしはここまでの条件が揃っていて、社会が人形を平和的まとめることができるとは思わない。
「もしかしたら、わたしが間違っているのかもしれないけど。クロだって言っていた。人形は、たぶん自由や解放を望んでる。いつもは黄金律に隠れて見えないだけで、もしかしたらヒトのことが嫌いなのかも知れない」
「それが怖いのかい?」
「ええ。彼らの好意は押し付けていたもので、ぜんぶ嘘かもしれない」
マックスさんが父親が娘にするように、優しく頭を撫でた。
「怖くていいんだよ。はじめて誰かと話すときなんて、たいていそんなものだろ? それでちょっと勇気を出して見れば、意外と仲良くなるもんだ。理由もなしに嫌うやつはいない。だからヒトも人形に一歩歩み寄る必要がある。そのシステムの構築するのが、ALICEの目的だ」
「法的整備と技術的障壁。安全性。前途は多難ですね」
「やりがいがあるだろ?」
マックスさんはぎこちなくウィンクをして笑った。つられてわたしも力なく笑ってみる。片付けが終わったのか、クロがテーブルにやってきて「あー。アップルパイ、ボクの分が用意されていないじゃないか!」と口を尖らせた。
「クロにはこっち」とマックスさんはちょっと高級な固形食料を渡して、「さて。そろそろ帰るとするか」と身支度を始めた。クロといえば「やった。こんなに高級なもの、アルは全然食べさせてくれないからね! あー、三日に分けて食べようか。もったいないもったいない」なんてことを呟いているので、ものすごく可哀想な眼でマックスさんに見つめられた。
「そう気を落とさなくてもいい。『鏡』はたしかに素晴らしい工房だが、ぼくは『夢』にもいいところがあることを知っているよ」
「そうでしょうか? ナイの精密さには勝てませんよ」
「人形は機械だが、それだけじゃない。感情のある存在だ。学校の先生を思い浮かべてくれ。仕事がバリバリできる完璧なヒトよりも、同じ目線で話してくれるちょっと抜けてる先生のほうが愛嬌があっていいだろう?」
「なんかいい話の中に悪口があった気がするんですけど」
「君が受け継いでから注文こそ少なかっただろうけど、お父さんの人形のアフターケアは念入りに行なっていただろ? メンテの時期でなくとも世間話をするために街に降りたり。そういう人形師がいてもいいと俺は思っているよ」
「……恥ずかしいです、早く帰ってください」
頬をほころばせながら、マックスさんは丘を下っていった。わたしはといえば、人形のことで面と向かって褒められたことが皆無に等しいのでどうしたらいいのかわからずに、ただマックスさんの後ろ姿を見つめていた。
技術ではなく、お客さんに密着した人形師――。
行き詰まった闇の中にひとつ差した光のように、その言葉は大切な意味を持って、わたしの耳の中で木霊していた。鏡合わせのナイの背中を追いかけても、そこにはたぶんナイの背中しかないだろう。当たり前のことに、わたしはようやく気がついた。
「みんな、そんなアルのことが好きなのさ」
そのあとのわたしの表情は、クロだけが知っている秘密だ。
5
「ほらほら、見て、アル。マックスに貰った高級固形食料ね、細かくわけることによって三日間味わい続ける贅沢体験に成功したよ!」
「明日からいつものやつねー、残念ねー」
それはマックスさんがアップルパイを持ってきてから三日後の朝。つまり、ALICEの依頼から一週間が経とうとしている。〆切は明日に迫っていた。
そのあいだ、わたしは工房に完全に缶詰になり、コアの論理式を模索していた。虱潰しという言葉の重さと不毛さと、それにしか頼ることの出来ない者のやるせなさを知った。わたしはもともと様々な感情を喜びの中枢に接続することで、マスターに従順であることの他にも人形が個を保てるようにする方針だった。最初のゼクスは眼を醒まさずに、失敗した。そこからひとつの感情を除いたり、組み合わせを考えたりして、のべ五体の人形のコアの廃棄処分が決定した。
――完全に行き詰っていた。
そんな朝のこと。
「クロ? クロはいる?」
空気の入れ替えのために開け放した工房の扉から顔を出したのは、気品あふれる白猫だった。ペルシャ猫がモデルなだけあって、見とれてしまうほど美しい。わたしとナイが鏡写しであるように、彼女はクロの鏡写しの人形だった。
「シロ!?」
お行儀悪く固形食料を食べていたクロは飛び上がって、彼女のもとに駆けていった。純白の少女、ナイはいないようだ。〆切を明日に控えたいま、追い込み時のはず。シロが一匹で来るなんて珍しいことだった。
「マスターに頼まれて。例の人形の灯を入れるから、ぜひ見に来ないかということです」
ついにリミットカットの人形が完成したのだろうか。灯を入れるところまで作業が進んでいるということは、外科的手法によってコアが傷つかなかった自信があるということだ。
「マスターのお願いだけど、どうする。クロ?」
「……わたしじゃないの」
「ついでにアルもついてきていいって、マスターが言っていたわ」
「……お言葉に甘えますわ」
「……」「……」「……」
それから三十分後。ナイの工房『鏡』に着いたわたしとクロとシロは、工房に入れてもらうことなく、しゃがみ込んで窓から中を覗いていた。クロとシロはヤモリのように壁に張り付いて、窓枠から耳と片目だけだしている。これは傍から見たら、完全に覗きと謗られそうな体勢だった。
「あの、シロさん」
「なんでしょう、アル。質問を認めます」
「わたしたち、呼ばれたんですよね?」
「ええ、ショータイムに招待です。ですが、ナイの集中が妨げられるとコトなので、こうして観客席からの鑑賞となります。迷惑ですから、テンションが上がって舞台になんてことはお控えください」
「まー、酷い扱い。でも、あんなに黙々と作業してるところには、さすがに入れないわ」
裸電球一つの灯りに照らされて、ナイの後ろ姿が見える。かれこれ一時間ほどこの体勢で観察を続けているわけなのだが(それまでシロにツッコミを入れられなかったわたしもわたしだけど)、ナイは片時も人形の傍を離れず、ミリ単位の精密作業を淡々とこなしていた。
「お気に入りの白い服が汚れているじゃない」
「マスターはかれこれ三日作業を続けています。ああ、あの服はあなたが『鏡』に来たときから変えていませんよ?」
「ぶっつづけ?」
「はい」
「……人間じゃないわ」
幼なじみをこういうのもどうかと思うが、もうここまで来ると褒め言葉もなくなってくる。人形に灯を入れられるということは、コアからのリミッターの除去には成功したというわけで。それだけでも、すでに人形史を覆すほどの事件であるのに。
どうしようもないため息をつきそうになったわたしの頭を、クロの尻尾が叩いた。
「あ。ナイ、動いたよ!」
見ると、ナイは立ち上がり、電源ボックスに手をかけていた。人形の胸には繋がれた無数のコード。ここ一週間で何度見たかわからない光景だったが、ナイがやるとなると意味合いがちがってくる。鼓動の耳の近くまで鳴り響いて煩わしかった。
「……あなたはわたしを解放してくれるのかしら?」
ナイの言葉が窓越しに聞こえてきて、首を傾げる。聞き間違い? それにしたって意味が通らない。考える暇もなく、すぐに電源が入れられた。人形のコアに一定の信号が刻まれた電流が流れ込み、目覚めを促す。
自分の唾を飲み込む音が、いやに大きく聴こえた。
「こんばんは。わたしがあなたのマスター、ナイといいます」
――奇跡はいつだってあっさり起こる。
リミッターを除去されたコアでその人形はたしかに起き上がり、マスターであるナイを認識した。その素体はわたしが使ったのと同じゼクス。長身の女性型だ。蒼氷の瞳が生まれたばかりの小鳥のように、ナイをじっと見つめていた。
「……マスター?」
「はい、マスターです。いくつか質問したいことがありますので、答えてください」
わたしとクロは息を潜めて、聴こえてくる声に全神経を傾けていた。もしかしたら、わたしたちはいま歴史の転換点にいるのかもしれない。何百年に一人の天才の所業を目の当たりにしているのかも知れない。
「もしわたしが――、あなたを監禁して食料も与えなかったらどうしますか?」
「とても嫌な気持ちになります、マスター。状況によっては脱出も試みます」
「もしわたしがあなたに飽きてしまって、中古として売ることを決めたら?」
「あらゆる手段を講じて説得、または反抗します。わたしがマスターを愛していようとなかろうと、『物』として扱われることはわたしの尊厳に関わります」
「素敵」
ナイがうっとりとした声を出すのも頷ける。リミッターを解除された人形は想定通りの反応を示した。もし急にこの人形を目の前にしたら、わたしは中に人が入っていることを疑うだろう。それほどまでにこの人形は、盲目的に人に服従しない『自我』を持っていた。
「じゃあ、最後の質問」
純白の少女が人形の胸に接続されていたコードを外した。そしてその断面をゼクスに向ける。彼女は顔を強ばらせた。コアを起動させるほどの電圧だ、規定の部分以外に触れてしまったらまちがいなく大変な損傷を受けることになる。
「もしわたしがあなたを壊そうとしたら?」
「正当防衛をします」
「そのためにわたしが壊れることになっても?」
「もちろんです」
――完璧だ。
ALICEの目的はこんなにもあっけなく達せられた。安全性の面でまだ問題はあるだろうが、ナイの計画がわたしの意図に合おうが合うまいが、この勝負は彼女の勝利だった。ライバルだなんてとんでもない、こんな一方的な勝負は見たことがなかった。
「おめでとう、って言ってあげなくちゃ」
工房『鏡』のドアノブを握ったとき、わたしは信じられない言葉を聴いた。
「じゃあ、いまからそうするから、あなたはそうしてね?」
「?」
一瞬意味がわからなかったが、ドアを開けたその先の光景を見て戦慄が走った。すぐに聴こえてくる衝撃音。それはナイが人形に電撃を食らわせた音ではなく――、人形がとっさに横薙いだ脚に吹き飛ばされるようにして、ナイが工具の棚にしたたかにぶつかった音だった。苦悶の表情を浮かべるナイに駆け寄る。
「どうしてこんな馬鹿なことを!?」
「……アル? どうして、ここにいるのですか?」
「シロに連れてこられたのよ」
「頼んでませんわ。ともかくわたしは大丈夫ですから、危ないのでどいてください」
「じゃあ、あんたも危ないだろうが!」
わたしはとにかく工具箱の中から武器になりそうなものを探した。ドライバー、ペンチ、金槌。いっそ拳銃とか入っていたらいいのにと思っていたのだけど、そんなに都合はよくなかった。とりあえず施術用のメスがあったので、それを人形に向ける。
呆然としていた人形の瞳の焦点が、わたしに合わせられる。
「……はじめまして。あなたもわたしも傷つけるのですか?」
「ナイを傷つけるなら。残念だけど」
「理不尽なことですが仕方ありません。残念ですが」
立ち上がり、すぐに距離を詰められる。人形の身体能力は電子制御であるゆえに人間のそれを遥かにしのぎ、そして反射神経も桁外れとなる。女性型の脚一本で、部屋の反対側まで飛ばされたナイを見ればすぐにわかる。メス一本でどうにかなるわけではないけれど、そしてナイの意図はわからないままだけど、とにかく殺されようとしている幼なじみを見過ごすわけにはいかない。
「『目には目を』とわたしのデータベースにはありましたよ、人間」
人形は火花を散らしながら天井から垂れている高圧電線を手にとった。あんなものをぶつけられた日には、筋肉が硬直してしまって逃げることもできなくなる。あるいは弾かれて吹き飛ぶか。いずれにせよ、これは窮地だ……!
「産みの親を殺すの?」
「生まれたばかりの子を殺そうとしたのは、そこの白い少女ですよ?」
――ああもう!
なんでこんな面倒なことをしてくれたのか。いくら色々なものが欠けている女の子だったとはいえ、自殺願望があったなんて聴いてない。これはあとで二三発殴らせてもらっても文句はないだろう。
「アル、わたしはいいから……」
「黙ってて!」
まさか、わたしがあなたを見捨てられるとでも思っているのか!
人形は一足飛びでわたしの目前まで近づき、しなやかな脚でメスを蹴り飛ばした。とっさの出来事でわたしは痺れる手のひらを抑えてうずくまることしかできなかった。そのどうしようもない隙は、すなわちわたしの死を意味していた。
「アル!」
わたしまであと数センチまで迫った高圧電線が急に止まり、クロの声がした。見上げると、人形の顔を黒猫が覆っていた。いつもわたしの背中に登る要領で、助けてくれたのだ。突然のことで状況が理解出来ていない人形が、電線を手放したのをわたしは見逃さない――。
「……ごめんね!」
クロが飛んだのを確認して、高圧電線を人形に触れさせる。炸裂音がして、人形がはじけ飛ぶ。後ろにあった書架が砕けるほどの衝撃。と、同時に反作用によってわたしも吹き飛ばされる。が、ナイが後ろでクッションになってくれた。
「アル、大丈夫ですか?」
「ナイ、あんたこそ」
慌ててナイの上をどき、振り返ると壁に亀裂ができるほどの衝撃だったらしい。わたしの身体は基本的に何ともない。ということは、この衝撃はすべてナイが吸収したということになる。
「は、早く病院にいかなきゃ――」
あたふたするわたしとクロにナイは柔らかく微笑み、首を横に降った。
「アル。ありがとうございます。嬉しかったのですよ」
6
翌日、わたしたちはALICEの集会所にいた。正装――、真っ黒な出で立ちのわたしと真っ白な出で立ちのナイ。もっともナイは昨晩のことがあったので、身体中に包帯を巻きつけた、見るからに痛々しいスタイルとなっていた。わたしたちに向かい合うのは、マックスさんを含めたALICE評議員の五人だった。各々、不安げな表情で囁き合っている。
――それもそのはず。
わたしたちは二人とも、この身一つでここにやってきたのだから。人形なんて連れているようには見えない。なにしろわたしの人形は一人として眼を覚まさず、ナイの人形はわたしが昨日――。
「さて。そろそろ始めるとしましょう」
マックスさんの一言でざわめきが止み、訝しげな視線がわたしたちに向けられる。
「単刀直入に申し上げて、お二方は依頼を果たすことができなかったと見ていいのかな?」
わたしたちは鏡合わせのように俯く。
「もともと無理難題だったから、仕方ないといえば仕方ない。最低限の報酬は払うし、ALICEもまたちがったアプローチでことを進めるとするよ。残念な結果だったけど、君たちふたりの工房の名がこれで汚れることはないということは、ALICEから保証する」
「……マックスさん」
わたしは横目でナイを見つめる。もちろん、ナイもわたしを見つめ、そして頷き返す。
「「わたしたちはエルフを造ることができたんですよ!」」
呆気に取られる評議員たちを見て、その予想通りの反応にわたしたちはにやにやを隠しきれない。
「え。あ、な、なんだ。そうならそうと言ってくれればいいのに。はは。いつのまに合作をしていたんだろう。えっと、その人形は部屋の外で待機しているのかな?」
「「いいえ」」
マックスさんの珍しく戸惑う顔が見れて、わたしたちはご機嫌だ。
「「エルフは部屋の外にはいませんよ。あなたたちの目の前にいます」」
†
「ナイ、あなた――」
昨日、わたしとクロはナイの秘密を知って言葉を失った。壁の亀裂にめり込むようになっているナイ。お気に入りの純白の服は埃で汚れ、ところどころ破れてしまっていた。腕も変な方向に曲がっている。だが、わたしたちが驚いたのはその惨状ではなく、ナイの裂けた皮膚から覗いている論理回路だった。
「あら、恥ずかしい。ばれちゃいましたね」
人形。
わたしと幼いころから一緒だった、ナイ。たしかに食事をあまりしないし、普通のヒトと比べて欠けている感情も多かった。手先が神の手と呼ばれるほど器用であったのも、これで説明することができる。
でも。
「あなた、わたしと一緒に成長していたじゃない……」
鏡合わせのアルとナイ。わたしたちはまさにそのように育ってきた。わたしが成長するのに合わせて双子のように、わたしたちの身長や体重は測ったように一緒に育っていった。測ったように?
「シロがわたしのメンテをしてくれていたの。アルに合わせて『成長』するようにね」
白猫が愛しそうにナイに寄り添う。
「……なんでそんなこと」
「お父様は子どもを作ることができなかったの。アルが生まれる前に妻を亡くして、わたしを造った。それを知っているヒトは少ないけれど、二つの工房の家族はみんなわたしをヒトであるように振舞うように決めた」
「いままで気付かなかった」
「気づかれたくなかったもの。そしてわたしはお父様の最高傑作『学習』のコアを持っている。当然黄金律なんて効いていない、倫理はすべてあなたやいろんなヒトから『学習』したわ。お父様たちの言っていた『鏡写し』は本当はわたしをヒトに近づけるための『学習』だったのよ?」
つまりはナイこそがエルフだったということか。探していたものはずっと目の前にあった。コアの論理改造なんてやって失敗していたわたしが馬鹿みたいだ。ん。でも、それなら――。
「なら今回の人形なんて造らずに、自分がエルフですって言えばよかったんじゃないの?」
わたしの素朴な疑問に、ナイは花のような笑顔で答えた。
「だってあなたに嫌われてしまうかも知れないじゃない? もうこうなってしまったから仕方なく告白しているけれど、まだ恥ずかしいし怖いのよ?」
「……ばか」
「それにライバルにズルなんてできないわ」
†
しばらくして、新聞にはALICEでの件が大見出しで書かれていた。曰く、『人形の人権のために』。工房『鏡』の技術者ナイが人形だと判明したこと。それはエルフと呼ばれる新たなアーキタイプで『学習』を可能とし、黄金律を必要としない。ALICEの一員としてこれから活躍が期待される。また、工房は『夢』と合併され、これから街の人形社会のために貢献していくことが報じられていた。
「アル、アル。お客さんだよー」
「いま行く」
わたしは新聞をたたんで、いつもより数ランク上の紅茶を飲み干す。ちがいのわからないわたしの舌であったが、「やっぱり違うわね」とか言ってみる。クロはといえば「合併してから忙しいもんで、アルをからかえないや」と口を尖らせ、商売繁盛に慣れているシロはそんなわたしとクロを白い眼で見つめていた。
お客さんからの注文を聞いて人形を預かると、ALICEの定例会議から帰ってくるナイのために人形食を用意する。クロもシロも人形食だから、ふつうの食事をするのはわたしひとり。となると、自然に料理をするのが面倒になってくる。不摂生な生活をナイに怒られる毎日だ。
「ん? 注文はぜんぶナイに投げるんじゃないの? アルはメンテナス専門の細やかなケアって分業にしたんじゃなかったっけ」
「そーだよー」
人形食が焼きあがるまで、わたしは汚してしまった父さんの文献の頁をめくっていた。
「なのに、なんでそんな難しい専門書を読んでるのさ?」
「わたしも頑張らないと、ライバルに申し訳ないじゃん?」