《前編》
1
人形工房『夢』の主、アルの朝は早い。
裏庭で飼っている鶏が朝を告げるのより早く目を覚まし、街の教会が鐘を鳴らすより早くベッドから起き上がる。眠り目を擦りながらシャワーを浴びて、お気に入りの黒いワンピースに袖を通す。アトリエに向かうついでに、まだ夢の中のクロのためにご飯のスイッチを入れる。
「さて。今日も一日頑張ります、お父さん」
いつもの決まり文句。肌を刺すような冷たい水を井戸からくんで、布巾を濡らす。ぎゅぎゅっと絞って、工房の看板を拭いた。工房『夢』は市街を見下ろす小高い丘の上に建っている。まだみんなが目覚める前のこの街の姿が、わたしはとても好きだった。
ひとつ深呼吸。肺の空気を入れ替えて、工房の扉を開く。
「みんなー、おはよう!」
薄暗い工房の中には総勢十人の人影が存在しているが、誰ひとりとしてわたしのいやに元気なあいさつに返してくれる者はいない。当然だ。まだここの人形には灯が入れられていない。注文があればすぐにでも起動できるのだけど、こうしてまだ目覚めない人形を綺麗にしておくのも大切な仕事なのだと、お父さんはいつも言っていた。
「アイン。関節が少し錆び付いているから、今日はそこを直しましょう」
「ツヴァイ。あなたは大丈夫そうね。工房にお客さんが来ることを祈っていて頂戴」
こうして一人ひとりに声をかけていくのも、わたしの日課。人形のコアを開発した人、<始まりの人>がドイツ人だったせいもあって、こうしてコアにはドイツ語で番号が振られている。アーキタイプと呼ばれる基本的なこころのかたちは十個。1(アイン)から数えて、10(ツェーン)まで。もちろんこれはヒトで言う人種のようなものだから、お客様に引き取られてからは命名された名前で呼ばれることになる。
「ねえ、アル。朝早すぎない? どうせ誰も来ないんだから、そんなに頑張らなくても」
レジカウンターで小さな身体を起こしたのは、子猫のクロ。もちろん猫がこのように人語を解するわけはないので、動物ベースの自律人形の一種だ。父の形見の人形でもある。
「クロ。このままお客さん来ないと、すぐに食べ物なくなっちゃうわよ」
「むぅ」
拗ねたクロは大きな欠伸を一つして、カウンターからしなやかに降りた。人語を解して多少生意気なこと以外は、もう完全に猫そのものの動きだ。野良猫の中に黙っていれば誰も気づかないことだろう。まだ全然届かないお父様の技術の高さに舌を巻くばかりだ。
「喋らなければ可愛いのにね」
「余計なお世話っ」
クロは工房の玄関のドアノブに器用に飛び乗って、身体全体を使ってドアを開けた。さっき電源を入れたから、そろそろ彼の人形食が出来上がっているはずだ。幸せそうな顔でご飯のあるほうへ走っていくクロを見つめて、空腹を思い出して腹が鳴った。
「だめだめ。みんなを掃除してから」
ホコリ等を拭い終わったフュンフを椅子に座らせて、ゼクスを作業台に横たえさせる。ゼクスは女性型の素体で、大人しく気が利くことに定評のある自律人形だった。たぶん街で稼働している人形の中でいちばん多いのは、お父さんの造ったゼクス型だろう。
「アル、アルっ!」
クロが慌てて戻ってきた。器用に右前脚で外を指さしている。まったくこの穏やかな街で何があればそんなに驚けるのだろうと、わたしはゼクスのメンテを中断して席を立った。最近噂になっているUFOか。それとも同じく信憑性のない幽霊人形でもいたのだろうか。あるいは同じくレアな工房のお客さんでも――。
「お、お客さん! ほらほら、急いで」
「……嘘でしょ」
自分で言っておきながら悲しくなるような台詞だったが、そう口に出てしまったのだから仕方がない。油で汚れたエプロンを脱いで、簡単に髪の毛を整える。笑顔、笑顔。営業スマイル。「よし」と自分に気合を入れて、外に飛び出した。
「おはようございます。本日はお日柄もよく、工房『夢』にお越しいただき……、あり、」
そこにいたのは、工房のお客さんではなく。
胸の前で合わせていた腕から力が抜け、絶望とともに下ろされる。だんだんと状況がわかってきたわたしは、オイルの切れた人形のようにクロの方に振り向いた。チェシャ猫よろしく、クロは笑っている。
「おひさしぶりです。元気にしていましたか?」
抑揚のないその声は、幼いころから聞き慣れていた白い少女のもの。わたしと鏡写しのような彼女は、ナイという名前を持っている。直接の血の繋がりがないが、姉妹と言っても言い過ぎではない。親どうしが仲良しだった幼なじみだ。
「……いらっさいませー」
「そんなに邪険にしないでください」
無垢な純白のワンピースをひらめかせて、やわらかく微笑む。子どものころはもっと無愛想で面白みのないやつだったのに、いつのまにやらこんなになっていた。
「冷やかしならお断りなんだけど? そっちの工房は繁盛してるみたいじゃない。こんなことをしている暇なんてないんじゃないの?」
「はい。お陰さまで繁盛して忙しいのですが、息抜きにお話でもと」
「ああ、そうだ。こいつ、皮肉がわからないんだった」
困った顔をするナイだったが、ふと思い出したように、手に持っている籠を差し出してきた。美味しそうな薫りが鼻孔をくすぐり、腹の虫が鳴くのを感じた。
「朝ごはん。お腹が空いているかなと思いまして」
「……入りなさい。歓迎するわ」
「まあ、ありがとう」
にやついているクロをさりげなく足蹴にしてアトリエに戻る。
ナイは相変わらず花のような笑顔でついてきた。工房『鏡』は商売仇――のはずなんだが、あちらはそうは思っていないらしい。注文数に何桁もの差が存在することは認めよう。彼女のいちばんの持ち味である精密さ緻密さに対抗できるだけの技術が、わたしにはないことも認める。だんだん言っていて悲しくなってきた。
ナイは週に一回は遊びに来るくせに、興味津々にわたしのアトリエをジロジロ見ていた。
「産業スパイはお断りよー」
「いえ、そんなつもりは。だって、わたしとあなたの技術の源流は同じじゃないですか。いまさら盗むこともありません。……あ、ここ仕上げが緩いですよ?」
「はいはい」
ナイの言うように、もし人形師というものに流派があるとすれば、わたしとナイが学び習得したものは同じ流派のものとなる。<始まりの人>が最初のコアを完成させたのが、ほんの五十年前。他の伝統的な技術のように歴史はまだない。
<始まりの人>は東洋の仙人のような生活を送っていたというが、生涯にふたりだけ弟子を持ったことがあった。彼が老衰で亡くなったのち、そのふたりはそれぞれ世界で初めての人形工房を開いた。いまとなっては街の酒屋ほどありふれているものだが、すべてはこの二つの工房から始まったと言っても過言ではない。
すなわち、工房『夢』と『鏡』。
そう、わたしとナイが受け継いだ工房だ。
「ナイ、シロは来てる!?」
耳をぴこぴこさせながら尋ねたのはクロ。ナイが微笑みながら、外を指差す。窓から覗き込むようにこちらを見ている一匹の白猫の人形がいた。声にならない感謝を全身で表しながら、クロは一目散に外に走っていった。
「……相変わらずシロちゃんが大好きなんだから」
「あら、わたしはあなたが大好きですよ?」
突如として全身に湧いた鳥肌を必死に隠して、わたしは「あらあら、ありがとう」とできるだけ棒読みで言った。貰ったバスケットをテーブルの上において、とりあえずコップに紅茶を淹れる。アトリエであまり食事はしないため、埃が底にミリ単位で積もっていたが、きちんと洗ったから大丈夫だ。たぶん。
「……紅茶も持ってきたほうがよかったかしら」
「悪かったわね、安物で」
わたしがサンドイッチを頬張るのを、ナイは嬉しそうに見つめていた。ナイはすでに食べてきたのか、手をつけようとしない。いや、彼女は異常と言えるくらい少食だったのを思い出した。幼いころの記憶でさえ、パンを一欠けとかそういうレベルでの食事しか思い出せない。
「それで? まさか朝食を届けに来たってだけじゃないわよね?」
「そうですよ?」
ナイは今も昔も天才少女と呼ばれ、その腕前はほぼ機械ですら再現できないレベルと言われている。<始まりの人>の技術が継承されたとするならば、それは彼女にこそ宿り、そして芽吹いたのだ、とこのあいだ雑誌に書いてあった。
その天才性のせいか、彼女は少し世間とズレている。サンドイッチに挟まったハムが寸分違わず同じ形、同じ薄さに切ってあるのに気がついて、わたしはため息を付いた。
運命と女神とやらは彼女を明確に選んだ。目の前の白い少女を。かつて<始まりの人>はわたしたちの父親に対として技術を与えたはずなのに、工房『夢』がまったく取り上げられず、客足も遠のいているのは完全にわたしのせいだった。天才とかそういう言葉で思考を投げ出したくはないけれど、このナイはそういう言葉でしか表現できない。
「しかしまあ、よく『鏡』あそこまで流行るわよね。オートメーションの波がまだ届いてないの?」
「多少は感じていますよ」
ナイはやはりサンドイッチを食べずに、紅茶だけすすりながら答えた。人形の精神を司るコアは、<始まりの人>が創った十種類が原型となる。それは発明さえされれば、たかが1と0の配列の論理回路なのだから、いくらでもコピーは可能。さらに人形自身を工場の労働力とすることで、部品も大量生産が可能となっていた。ものの十年、光の速さの普及と、馬鹿みたいな安さに、工房を抱えたわたしとクロは愕然とした。
「それでもハンドメイドで、という人は一定数いらっしゃるようです。もちろん値は高くつきますし、時間もかかりますが。たとえば伴侶となる大切な人形の製作であったり、貴族の息子の遊び相手などで注文が来ますね」
「……伴侶、ねえ」
他の街はどうか知らないけれど、わたしたちの街はそれは日常の光景となっていた。
「その割にはうちに注文がこないけど?」
「アルは天然ボケといいますか、おっちょこちょいさんなので、下手をしたらオートメーション製品よりも粗雑かも――」
「そりゃあ、あんたみたいに機械よりも正確には造れませんよー、だ」
「……すみません」
ナイがいまにも泣きそうな顔をするものだから、たまらない。
わたしだって努力はしている。お父さんの名前を汚さないよう、これ以上泥を塗ってしまわないよう、この工房『夢』がわたしの代で潰れてしまわないように、頑張っているのだ。だけど<ゴッド・ハンド・メイド神の手を持つ、神のお手製>ナイには、いつも敵わない。
どうにもいたたまれない沈黙が降りたアトリエに、どたどたと不作法な足音が響いた。
「アル、アル! 大変だよ、お客さんが――。ってまた喧嘩してるの?」
クロだ。『せっかくサンドイッチを頂いたのにさ、毎回毎回……』とアイコンタクトで非難たっぷりの視線を突き刺してくる。ナイのオブラートが溶けてるのが悪いのさ、と心の中で呟いて立ち上がりかける。そういえば、さっき同じ展開で騙されたんだった。
「……また、クロ。そうやって騙そうとして」
「ちがうよ、本当だって。貴族の人がそこまで来てるんだ」
「このアトリエに? 貴族が?」
「うん、哀しいことに信じられないけどね」
ナイの『可哀想に』という言葉を全面に押し出した表情に、情け無さがこみ上げてくる。はあ、と大きなため息をついて、髪を掻き上げる。袖もまくってやろう。
「まったく……。この由緒正しき工房『夢』に人形を任そうなんて、味のあるやつがまだいたなんてね。このわたしの腕は、そんじょそこらの安金じゃ動かせないよ。なんてったって国宝級の――」
「やあ、アルちゃん久しぶり」
「マ、マックスさん?」
そこにいたのはお父さんの旧友であり、いまは丘のふもとの街で議員をやっているマックスさんだった。『だって貴族にはちがいないじゃん?』と、クロは早々に愛するシロの元へ戻ってしまった。ちくしょう。寝てるあいだに、犬にしてやろうか!
「鬼のような形相だね。と、取り込み中だったかな?」
「いえいえ、いいんです。クソ猫がいまして……」
アトリエに案内をすると、「おやおや、ナイちゃんもいるのかい? 久しぶりだねえ。ちょうどよかった」「マックスさんもおかわりなく」という上品な挨拶と世間話が始まったので、わたしは少し外れて紅茶を入れた。
「しまった。いつも忘れるんだけど、お土産に紅茶を持ってくればよかったな」
うちの精一杯の贅沢品は泥水かなにかか!
「それで。どういう要件なんですか、珍しい」
帽子を脱いだマックスさんはテーブルに身を乗り出した。
「人形の注文さ」
わたしは反射的に、レジの横にあった小さな棒を何本か机の上に投げた。それは白く細く扁平なかたちをしていて、それぞれ真ん中に赤の点や、黒の点が描かれている。カランカランとテーブルとぶつかって転がった。
「……なんだい、これ?」
「お父さんが東洋のおみやげで貰ってきた棒です。赤と緑なのが一万、赤の点が五つあるのが五千、一つが千、黒点十個が百を表します。お代です、先払いでお願いします」
ここまでの台詞は何度もシミュレートしてきたから完璧だった。レジの横に準備をしておいてよかった。少しは天才肌の技術者に見えただろうか。相手がマックスさんでは少々かっこがつかないが。
「二万、五千。と、少しか」
「……アル、少し法外では!?」
ナイが小声で教えてくれる。そんなことは百も承知だ。
「まだ何も話してないけど、こんなに安くていいなら有難いな」
悪戯気な笑みをマックスさんが浮かべた。しまった。いつか来る日のために練習しすぎたのが仇となったのか。注文内容、それも個体数もわからないのに値段を提示するなんて、父さんが見たら殴られてる。
「まあ、値段についてはおいおい詰めていこう。まずはぼくの説明を聞いて乗るか乗らないか、それを決めてくれ。ナイちゃんも。いやあ、ここにいてくれてよかった。二度説明する手間が省けたよ」
「ナイにも、注文するんですか?」
「<始まりの人>の弟子の工房の二つに同じ注文をし、素晴らしい出来の方を採る。これが上から言われていることだ」
「コンペということですか?」
頷くマックスさん。
いままでそういうことがなかったわけではない。まだわたしが幼い頃にお父さんとナイの父さんが競っていたのを憶えている。それはたしか街に人形が生活できることを認めた法案の記念に行われたコンテストだった。
「上、というのは街の議会ですか?」
その質問をしたのは、ナイのほうだった。
「さすがに鋭いね。そう。厳密に言えば……、ALICEって知っているかい?」
わたしたちは顔を見合わせた。人形に従事している者として、人形がどこよりも普及している街の市民として、ALICEという政治団体を知らないはずはない。『Ally of Leagalize ICH as Common Exsistence』という正式名称を持つそれは、ICH(自我を意味するドイツ語で、人形の公式用語)を道具ではなく、市民の一員として認めることを目的とするグループだ。
「いま街では人形の問題が山積してる――、って釈迦に説法か」
「ALICEが食いつきそうな事件といえば、このあいだの『窃盗損壊事件』ですか?」
それはここ二三日、巷を湧かせている事件だった。
ある男性の伴侶である女性型の人形が、知人によって盗まれ、壊された。ヒトで言えば、誘拐され、暴行され、殺されたという表現になる。男性はひどく悲しんだが、下された判決は、男性の『所持品』を窃盗し、破損させた罪ということになった。
やりきれない事件であり、人形に思い入れの強い人は殺人罪を要求して声をあげているが、現行法ではこうせざるをえないのは、みんなわかっている。
「許せませんよ! 人形の尊厳に対する冒涜です!」
ナイが立ち上がり、拳を震わせた。ふだんおとなしめな彼女にしては珍しい。が、ハンドメイドの工房のトップをひた走る『鏡』のマスターとしては当然の反応だろうか。わたしだって腹は立つが、それは法の問題であり、技術者の仕事ではないと割り切っている。
「ナイちゃんの言うとおり。だが、これはとてもデリケートな問題だ。人形を完全に市民と認めるとすると、考えたくもない問題が発生する。例えば、君は工房で人形を造っているが、それがヒトを造っていることと同義なら、それはヒトの尊厳に対する冒涜だろう?」
反論のできないナイは何かを言おうとして諦め、席についた。マックスさんは続ける。
「だからといって、自我のある人形をモノと一緒に扱うのも問題だ。だから、ALICEがいま動いているのさ」
「確かに世論が揺らいでいるいまが、絶好の機会かも知れませんね」
食糧を買いに街に降りれば、そこかしこで議論が行われているのがわかる。人形が自然に溶け込んだ街だからこそ、みんな人形と共に生きているからこそ、老若男女問わず活発な意見交換が行われていた。
「……まさかわたしたちに議員になれ、って言うんじゃないでしょうね」
「いまよりはるかに安定した収入が得られるよ、アルちゃん」
「うぅ」
「冗談だよ。人形の依頼だって言っただろ?」
マックスさんは鞄から一枚の依頼書を出した。思っていたよりも、ずいぶん厳格な文書らしくて、細かな文字でびっしりと規約が書かれている。下には署名の欄。ラムダΛの文字を象ったALICEのロゴもそこにあった。
「造ってもらいたいのは、議員として発言力のある人形だ」
「はい?」
あまりに突飛な話で素っ頓狂な声が出てしまった。
「ALICEが議会を動かせないのは、人形の証言が消極的だからだという意見がある。基本的に人形はヒトに逆らわないように出来ているだろ?」
「黄金律ですね、すべてのコアに組み込まれています」
「だから、例えば先の暴行事件の人形が生き残ったとしても、『マスター以外のヒトではありますが、ヒトに尽くし、ヒトを満足させることができました。ゆえにわたしは満足で、わたしのためにヒトが罪に問われるのは無念でなりません』なんて証言をしかねない」
『従順』という言葉は信条とするなら可愛いかもしれないが、それを存在理由としてしまってはこのように不自由な知性が顕著になる。ICH(自我)という名前を冠してはいるが、人形は『自分より他人を優先しなさい』を地で行っている存在なので、こういうことが起こってしまう。
「だからこそ、君たち二人にお願いしたい。そういう意味でヒトに近しい人形を造ってもらいたいんだ」
机に手をつくかたちで頭を下げられる。困ったなあとナイのほうを見ると、彼女は眼を輝かせて意気揚々だった。「ぜひ、ぜひやらせてください」という言葉を遮るように、わたしはひとつの疑問を話した。
「<始まりの人>の創り出した十のコア。いま存在する人形は、すべてその完全コピーのはず。ハードのちがいこそはあれ、ソフトは十種類しかない。そしてそのすべては、わたしが知る限り、マックスさんの言ったような反応をします。黄金律が効きすぎているからです」
手先の器用さこそ継承されなかったが、このあたりの話は父さんからよく聞いていた。
「マックスさん。コアを新たに『創れ』と言うんですか?」
「……君たちには11番目の人格である、エルフを造ってもらいたいと思っている」
「エルフ。そんな御伽話のような存在、本気で言っているんですか?」
いわゆる都市伝説のようなものだ。限りなくヒトに近い人形で、黄金律に縛られていない十一番目の伝説の素体。それはもうヒトと区別がつかず、実は街の半数はすでにエルフに置き換わっているのだ。ほら、あなたの隣にも……。
という荒唐無稽な存在だ。まともな人形師なら、あと五十年はアーキタイプの数が十から変わらないことを知っている。
「でなければ、人形はこのままモノとして扱われ続ける。だからこそ、工場ではなく、<始まりの人>の力を受け継いだアルちゃんとナイちゃんに――、いや、『夢』と『鏡』にこうして頼んでいるんだ」
わたしたち人形師にとってコアはあくまで前提。火力発電における石油や石炭のようなものだ。その根本を造るだなんて馬鹿げている。それは<始まりの人>以外誰も成功したことのないことから明らかだ。
――ん? でも。
「エルフでなくっても、既存のコアの変形でもいいんですよね? 要は議会できちんと発言が出来ればいいわけですから。ほどよくヒトに反抗できるようにできれば」
「もちろん。そのあたりの解釈は任せようと思っている」
それなら多少の光明は見えてくる。あくまでわたしたちは技術者であって、発明家ではないからだ。ゼロから造るのは難しくても、一をニや三にすることは本業中の本業だ。ふと、依頼書の金額の欄が目に入った。一十百千……。いくらだ、これ。
「前金は払うし、費用は完全にALICEが持つ。コンペで採用された方は報酬もつけるし、この街の歴史に名を残すことができる。アルちゃん、ナイちゃん、どうかな?」
「乗ります」
わたしはレジカウンターから父さんの使っていた万年筆を取り出して、即座にサインをした。工房『夢』を背負った大切なお仕事だ。署名をする腕に力がこもる。いったいさっきの金額はうちの何年分の年収に相当するんだろうか……。あ、字まちがえた。もう。
「わたしもやらせてください。人形の権利のために」
ナイが立ち上がる。この子は昔から人形のこととなると、すぐにこうなる。もしかしたらヒトより人形の方が好きなんじゃないかと思うくらい。工房を運営するようになってもそのあたりは変わっていないようだった。いや、だからこその工房『鏡』なんだろうか。ヒトを写す鏡である人形をナイは愛しているのだ。
「ふたりとも、お父さんの名前を汚さない素敵な人形を期待しているよ」
「任せてください!」「必ずや、ご覧に入れてみせましょう」
こうしてわたしの最も慌ただしい一週間が幕を開けた。
2
「パンとじゃがいもと……、あ、あと紅茶ください。いつものより二ランク高いやつ、お願いします」
「アル、工房をレストランにでもするのかい?」
「いえいえ、ちょっと引きこもるだけなので」
わたしが大量の食糧を買い取ってしまったので、馴染みの店の在庫がほとんどなくなってしまった。苦笑するおじさんとおばさんだったが、「これ食べて頑張っておくれよ」とりんごを一箱くれた。
「んで、どうやって持って帰るのさ?」
おばさんに出された人形食を噛み砕きながら、足元のクロが顔を上げた。一週間分の食糧とついでに備蓄分まで買ってしまったから、かなりの量になっている。わたしの腕を回してようやく支えられる紙袋が、三つ。それにいま貰ったりんごだって運ばなければならない。
「クロが……、その、スーパーモードになってくれればこれくらい楽勝でしょ? 二足歩行で手が四本のあれよ」
「逆に見てみたいよ!」
「仕方ない。じゃあ、工房から車持ってきて――」
「前にこの店に突っ込んだの、忘れたのかい? アクセルとブレーキ間違えて」
「うぅ」
山ほどの荷物を前にして立ちすくんでしまったわたしに、おじさんが声をかけてくれた。
「うちで運んどくからいいよ。こんなに買ってくれたお得意さんには、配達くらいサービスしないとな」
「い、いえ。そんな申し訳ないです……」
「いいっていいって。その歳で遠慮なんて憶えてたら、世の中面白くないぞ。それにな、お前の父さんにはずいぶんお世話になったから、これでも足りないくらいだ」
奥でクロを撫でているおばさんの姿が目に入った。慈愛に満ちた瞳、貫禄のある皺。優しくクロの喉をくすぐっているが、彼女は生物学的なヒトではなく、お父さんの造った人形だ。いまは服を着ているから、外見も含めて本当にヒトに見えることだろう。
「ずいぶんこいつには救われたからな」
おじさんが視線をやると、「やだよ、もぉ」と言って赤くなる。
それはこの街ではありふれた人形のいる幸せな光景。<始まりの人>の技術を受け継いだ、お父さんとナイの父親が造り上げた街の姿。わたしはそんな街が誇らしく、そして大好きだった。ひとつだけ嫌いなところがあるとすれば、うちに注文をしないというところだけだ。
「じゃあ、すみません。おねがいしますね?」
「おうよ、任せとけ!」
店を出て、市街のメインストリートに戻る。ここまで出てくるとけっこうな人ごみになっているので、クロが迷子になったり踏み潰されてしまわないように、わたしの頭に乗る。ひどい風邪を引いた日のように頭が重くなるのだが、幼い頃からの癖なのでなかなか止めろと言えずにいた。
「……食料と紅茶と、あと何を買うんだっけ?」
尋ねると、クロが頭の上からメモを差し出した。
「『手先の器用さ』」
「それはナイに頼まないとねー」
買うべきものは一通り揃えることができようなので、メインストリートを抜けて工房に戻る。人形の部品はすべて残っているし、専門書もアトリエの奥に山のように積まれている。あとはひたすら取り組むだけだ。
「それで、作戦というか、見通しはついているの? マックスさんの言っていた件、ずいぶんムチャぶりだと思うよ。あんな法外な報酬も頷ける気がするね」
「しっかり調べてみないとまだわからないけど、方向性はなんとなく考えてる。コアのいじり方は<始まりの人>やお父さんの本を読まないと何とも言えないけど」
「もしコアがいじれるとして、アルはどうするつもり?」
「既存のアーキタイプにない要素を組み込めば良いと思ってる。ヒトにあって、人形にない要素。たとえば愛情や勤勉さなんかは人形は過剰に持っているから、スパイスとして『娯楽』とか『怠惰』なんて要素を入れてみれば、ヒトに近づくんじゃない?」
「エルフを目指すことになるんだね? でもそれで依頼通りの発言力のある人形になるわけ? 単純に人間っぽい人形が生まれそう」
「クロ、人形の生きる意味ってなに?」
「そんなのアルが一番よく知っているじゃん」
頭の上のクロが通行人の何人かを指さした。一人は若いカップル。技術者の目で見なければわからないが、男性の方が人形だ。夫を亡くしたのか、人形を愛してしまったのか。詮索をする権利はないし、そんな悪趣味なことはしないが、なんらかの理由があったのだろう。もう一人はエプロンを掛けて、ウェイトレスとして働いていた。きびきびとよく動く彼女の顔には満面の笑顔が浮かんでいた。
「ヒトに奉仕することさ」
「そう。人形は意図を持って造られる以上、かならず生まれる前から<生まれてきた意味>を持っている。そのために生まれ、そのためだけに活動する。だからマックスさんの言っていたような問題が起こってしまう」
「ヒトに従順であるが故に、ヒトに弄ばれ続けるってこと?」
「でもヒトが持つような『娯楽』、あるいは楽をしたいという『怠惰』。他はまだあんまり思いついてないけど、そういった後天的な生きる意味を与えてあげれば、うまくバランスが取れるんじゃないかって思ってる。自分をもっと大切にするんじゃないかって」
「……アルって意外とちゃんと考えているんだね」
だらだらと話しているうちに、いつのまにか工房についていた。つい癖で『OPEN』にしようとした看板を、『CLOSED』に戻す。久々の大きな仕事。やりがいのある仕事だ。ヘマはできないし、全力で取り組まないといけない。
「だって、あの父さんの娘だものね……!」
ナイには負けられない!
†
「アルとナイは『鏡』を挟んでるみたいね」
母さんがそういってカメラを構えた。全力でおめかしされたわたしたちは、まるで鏡のようにお互いがお互いの真似をしてポーズを取った。そのたびに可愛いもの好きな母さんは、黄色い声をあげてシャッターを切った。
それをひとつ離れた席で見つめているのが、お父さんとナイの父親だった。二人はお気に入りのボトルを開けて、わたしたちふたりの十となる誕生日を祝ってくれた。いまはどうやら職人の話題になっているらしい。まるで兄弟か双子のように仲良く語り合っていた。
ナイには生まれたころから母親がいなかった。わたしは見たことがないし、それが自然であるように周りが動いたから、疑問にすら思わなかった。その代わりにわたしの母さんがよくナイの面倒を見ていた。そのおかげで、わたしたちは本当に鏡合わせの双子のように育っていったのだ。
その日、わたしたちは工房で人形制作を習っていた。部屋には寝台が三つ。父さんとわたしとナイの分だ。父さんの作業を見ながら、解体や部品の組み換え、コアの取り付けなどを実践していった。
「……きゃっ!」
パンと火花が散って、わたしの人形の腹の中から煙が上がった。同時に鼻をつく刺激臭。すぐに父さんが電源を落としてくれたが、わたしは肩を落として落ち込む。部品の極性を間違えたのだ。異常な電流が流れてしまって、素子が破壊されてしまった。
『ナイはいつも完璧に作業をこなすのに、ごめんなさい』
そんな泣き言を言うと、決まって父さんは頭に手をやって、『彼女は特別なんだよ』と言ってくれた。それが果たして慰めとして機能していたのかはいまとなっては疑問だが、その言葉で仕方ないと頷いてしまうほどナイは特別だった。
鏡合わせの双子。
そう思っているのは周りとナイだけで、わたしにとってはいつもナイの背中しか見えていなかった――。
†
「アル、おい。アル!」
「ん。クロ? あー、ごめん。寝ちゃってたわ」
机に突っ伏していた身体を起こす。父さんの本を読んでいるうちに眠ってしまっていたようだった。傍らにつけておいた蝋燭も短くなって消え、窓から差す月光がなければアトリエは暗闇に沈んでいたことだろう。とりあえず予備の蝋燭に火をともす。
「あーあ。アルってば涎垂らしちゃって」
「あ。お父さんの本……」
人形師としての必携書とも言える本の原本を汚してしまった。過去何回も博物館に展示させてくださいとお願いされたシロモノ。たぶん値段がつかないほど価値があるものなのに。軽く落ち込んだわたしは、跡形もなく消えてくれることを祈りながら布巾で拭いた。
クロが机の上に飛び乗って、わたしを見上げる。
「晩ご飯、食べなくていいの? もう九時だよ?」
「あらら。クロもお腹すいたでしょ? ご飯にしましょうか」
散らかったままの本に栞を挟んで、資料と一緒に整理をする。役立ちそうなところだけ自分のノートにメモをしたのだが、それでも膨大な量になってしまった。やはりコアという人形の根幹に関わる部分だけに、様々なことに影響しているらしい。
アトリエの隣にある家まで戻って、いつのまにか届けられていた荷物に驚いた。
「さっき運んできてくれたよ。サインはしておいたから」
「挨拶したかったのに」
「『アルは寝てます』って答えたら、寝顔だけ見て幸せそうな顔で帰っていったよ」
「ああ、我ながら情けない……」
荷物のうち冷やすべきものは冷蔵庫に仕舞われていた。とりあえずクロをなでなでする。いつもは生意気で意地悪くからかってくるが、こういうところはしっかりしている。さすがお父さんの遺した人形だ。でも、これだけしっかりしているということは、ずいぶんわたしのだらしなさが心配だったらしい。
「すぐ造っちゃうね」
クロの食料プラントの電源を押す。あくまでクロはヒトに仕える人形なので、マスターの認証がなければ晩ご飯が食べられないのだ。ちなみに、これは父さんが暇つぶしに改造したもので、出来上がるとトーストのように排出される。
「どう? 多少は進んだ?」
「<始まりの人>やわたしたちのお父さんが凄いってことがわかったわ」
「いまさら?」
「なおさら!」
ヒトを模倣し、擬似的とはいえ生命を新たに造る行為は、当初当然のように咎められた。が、それを跳ね除け有名無実とさせるほど、彼の生み出した人形は完璧で非難の隙がなく、そしてなにより『便利』だった。労働力としたり、世話役にしたり、伴侶にしたり。彼は人々に可能性を示した。
「お父さんなら、どうしたのかな?」
食料プラントから香る香ばしい匂いがたまらないのか、クロはその箱の周りをくるくる回っていた。
「その『すごいお父さん』でもコアには触れなかった。ブラックボックスだって言ってね。だからたぶん、アルとはちがうアプローチをしたと思うよ。方法は想像もつかないけどね。ああでも、こころを弄らないとすると、あとは黄金律という名の倫理観かな?」
ヒトを傷つけてはならない。ヒトに従うべし。ヒトに尽くすべし。
コアが単純な性格を司るのに対し、黄金律はヒトでいえば後天的に得られる倫理観に相当する。これはある種のリミッターのようなもので、コアに埋め込まれている部品のひとつ。法的には認められていないが、理論上は外科手術的にコアから引き剥がすことができる。
でも。
「それを外したら、人形は人形じゃなくなっちゃう」
「……たしかに。それもそうだね」
人形が明確にヒトとちがう理由は、黄金律に他ならない。これを外してしまえば、都市伝説で噂されるところのエルフではないが、構成される部品がちがうだけのヒトになってしまう。それがどのようなことを引き起こすのかはわからないが、決して外してはならないものだということは常識だ。この安全装置こそが<始まりの人>の最高の功績だと評価する人も多い。
「まあ、焦っても仕方がないし。そんなに簡単だったら、マックスさんだって頼まないだろうしね。ところでナイはなにやってるのかなあ?」
チーンと話のシリアスさをかき消すほど間抜けな音がして、人形食が焼きあがった。クロはそれを皿に移して、はふはふ言いながら齧っていく。この子は猫のくせに猫舌でなく、むしろ熱いものを好む。彼曰く、『野生動物の猫が熱い食べ物に慣れているわけがないじゃん? 人形である猫が猫舌である必然性は皆無だね!』と主張していた。
「ナイは妙に自信満々だったなあ」
白いワンピースで、ぐっと拳を握りしめた少女の姿を脳裏に浮かんだ。人形のこととなるといつも以上に真剣になる。わたしのように居眠りなんてせずに、ほとんど眠らずに作業をしているのだろう。
「シロに逢ったときに訊いておこうか?」
非常に魅力的な提案だ。興味はある。
「……わたしがパクッたらどうするのさ」
「アルがパク……、同じの造ったら、ナイの人形に軍配が上がるだけだよ?」
「おっしゃるとおりで」
こうして一日目の夜は更けていった。
眠るときにいつものようにクロを抱いて灯りを消すと、寝ぼけた黒猫が『ボクがいるから大丈夫だよ……』と呟いた。ついつい頬が緩んでしまう。彼のプライドに障るから黙っておいてあげよう。
それは父さんが亡くなったときにも言われた言葉で、とても元気が出る魔法の言葉なのだ。