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 演奏が終わると七実はもう居ても立ってもいられなくなり、早足にエントランスへ向かった。

 演奏者の夕菜がすぐに会場を出て来られるとは思えない。しかしそう解っていても、もうじっと待っていることなんてできない。

 一分一秒でも早く夕菜と会いたくて、舞台裏へ、行けるところまで足を進める。ホールではまだ次の演奏者の演奏が続いていて、辺りには殆ど人なんていなかった。

「……夕菜」

 名前を呼ぶだけで胸が締め付けられそうな気がした。気持ちは今までにないほどに高まっている。

 「好き」という気持ちはもう抑えられない。だから今日、彼女に全てを伝える。そうしないともう壊れてしまいそうだ。

「夕菜、夕菜……!」

 天の川に願う。今年こそあの願いを叶えてくれ、と。

 そうしながら、七実は楽屋や舞台裏へつながる通路を進んでいく。そしてついに「関係者以外立ち入り禁止」と貼られた立て看板にまで行き着いてしまい、七実は壁に背中からもたれかかった。

 ここで待っていればすぐに夕菜に会えるはずだ。こんな所まで迎えに来ていたら驚くだろうか。

「夕菜……」

 もう一度名前を呟いて、ぼーっと天井を見上げる。まだ熱に浮かされている気分だった。

 夕菜は中々出てこない。まだ何か舞台裏でやることがあるのだろうか。楽屋で休んでいるのだろうか。それとも出てくるのはこっちじゃなかったのだろうか。

 ……もう少しだけ奥まで行ってもいいだろうか。

 そんな魔が差してしまい、七実は辺りをきょろきょろと伺ってから、こっそりと立て看板の奥まで足を進めた。

「だ、誰もいない、よな……」

 なるべく足音を殺してこっそりと先へ進む。狭くなった通路の曲がり角に差し掛かった時、向こう側から話し声が聞こえて、そこで足を止める。

「私は、…………という……です……」

「え……あ、あの……」

(……夕菜!)

 聞こえてきた話し声に、七実は思わず曲がり角の向こうへ飛び出しそうになってしまう。しかし他の人に見つかるわけにも行かないので、ぐっと気持ちを抑えた。

 壁に張り付いて、こっそり向こう側を覗く。やはり夕菜だった。スーツを着た女性と話しているようだが、劇場のスタッフだろうか。

(……何してるんだ?)

 よく見ると、女性が夕菜に何かカードのようなものを渡している。……名刺、だろうか。

 女性の方が夕菜に何か熱く語りかけているようだ。七実は聞き耳を立てた。

「私達は君のような隠れた逸材を発掘するプロジェクトを行なっているんだ。君には素質がある。是非とも私達の所へ来てほしい!」

「え、えっと、でも……」

「より優秀な講師も、より優秀な環境も、より大きなステージも用意できる。大丈夫。ご家族も一緒だし、生活の支援なんかもこちらからさせてもらおう」

「あ、あの……」

 どうやら女性はここのスタッフではなく、別の……音楽事務所かどこかの人間らしい。

「……え……」

 そのことに気づき、突然どっと冷たい汗が噴きだした。

 どうしてだろう。聞く限り、夕菜に良い先生をつけてあげたりするという、彼女にとって良い話のはずだ。自分が不安に思うことはない。

 けれど、どうしてだろう。

 どうして、今ここで"あんな言葉"を思い出すのだろう。

 聞きたくない。これ以上聞くべきじゃない。手が震えるし、汗も止まらない。それでも七実は、二人の話の続きを聞いた。

「……でも、わたし、そんな凄い人間じゃ……」

「そんなことはない! 君ほどの逸材はそういない! だから……」

 女性の言葉が、七実の予感を肯定する。


「私達と一緒にオーストリアに来てほしい!」


 ――ひょっとしたらどこかからスカウトが来ちゃうかもしれないわね。

 ――七夕コンサートって毎年有名人のゲストを呼んだりしてるでしょ?

 ――榎本さんがスカウトされていきなり海外の大スターになっちゃったりしてね。

 数週間前の瑞希の言葉が脳裏を過る。

 ……嘘だ。聞き間違いで有って欲しい。呼吸を荒くしながら、七実は会話を聞き続ける。

「あの、やっぱり無理です、外国なんて……」

「君は日本に収まっていていい人間じゃない。クラシックピアノの本場で、更なる高みを……日本では至れない高みを目指してみたいとは思わないかい?」

「そ、それは、…………」

「日本にも年に一度くらいは帰って来られる。だから、どうかご両親にも話してみてくれないか」

 ……年に一度、だって?

 オーストリア……ヨーロッパ? そんな遠くに行ってしまうというのか?

 そんなの聞いてない。どうして、どうして夕菜が、そんな……。

「……今日のこのこやって来て、始めて夕菜のピアノを聞いたくせに」

 ギュッと拳を握り締める。手のひらに爪が刺さるほどに強く。

「あたしの方がずっとたくさん……誰よりも夕菜のピアノを聴いてるのに」

 こみ上げてくるのは、怒りと、悲しみと、そして……。

「……あたしが一番、誰よりも、夕菜のピアノが『好き』なのに!」

 声も抑えられず、もうこの場にいたくなくて、七実は駆け出した。

「! 七実ちゃん!?」

 大声に夕菜が気づいたようだ。けれど、彼女と顔を合わせたくなくて、七実は足を止めずに走り続けた。

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