玖話
「そうかい。だとしたら君のその特異な体を治す手段はないのかもしれないね。あるとしたら、ホスピス治療、終末期医療、はたまた延命治療といったところかな? 死ぬことを前提としてこの先少しでも快適に、少しでも長く生きられるか。そのことを考えるしかないのかもしれない。まぁ、僕としては君と治す方法を見つけるという約束を交わした以上、守るつもりだよ。ただ僕は異祓いの王ではあるけれどその前に一人の人間だ。神を駆ることはあっても神そのものじゃあない。あ、この場合の『駆る』は『駆る』で合っているよ? 間違っても『狩る』じゃないからね。そんな恐れ多いことは僕にはとうてい出来ない。追い立てて追っ払うだけさ。さてさて禊君。君はどうしたいんだ? こんな文字通り絶望的な状況――夢も希望もありゃしない状況で君は一体どうしたいんだい? もちろん君の望みは普通に戻ることだろう。だが、それは現時点で不可能だ。しかしだからと言って、将来的に可能になる可能性はゼロに近い。そうなったとき、どう足掻いても不可能だと分かったとき、君はどうするんだい? 死ぬのかい? それともそのまま無茶苦茶な体質を引きずって生きていくのかい? あるいはそのまま妖異にでもなるつもりなのかな? そのことをハッキリさせておきたいんだよ」
斎戒はそう尋ねるが、僕の答えは『ない』。
「正直、僕は君のことは二年前から知っていた。あの最強かつ最凶の陰陽師の四鬼をとある田舎町の少年に殺されたんだ。噂は尾ひれを付けて広がったよ。そしてもう一つ正直に言うと、僕は君をある目的のために利用しようとしている。そのために僕はこの町に来たんだ。今でも君を利用しようとしているのは変わりないけれど、どうやら僕は考えを改めなければいけないようだね。君は決して誰にも利用される存在じゃない。いや、利用されるべきではない。よくて協力関係。否、共闘関係というのが限界だろう。それすら本当ならすべきことじゃないんだけれどね。ただ僕の目的、と言うより仕事――依頼と言う方が正しいのかな? それを達成するためには人ならぬ力が必要なんだよ。僕一人では当然無理だ。僕は妖力すら持たないただの人だからね。本来なら君の言うとおりももちーの四鬼の力でも借りられたら、と思っていたところだよ。あれは確実に人ならぬ力だからね。しかしその人ならぬ力を人でありながら殺せる存在がいるというのなら当然――ごく自然的――絶対的に成功率を上げるためにそちらを利用せざるを得ない。綺麗な三段論法だよ。しかしそれは間違いだと言うことに今し方気がついたよ。だってももちーの四鬼は人の手によって人ならぬ力を縛っていた。だが君の場合は人ならぬ力に人を被せたような存在だ。それは似ているようで全く異なる事象だ。第一象限と第三象限くらい違うものだよ。むしろ真逆の存在だと言える。僕はそれを利用しようとしていたのだから全く持って愚かな話だよ。だが、第一候補の四鬼が居なくなったとなれば、〈最悪〉だろうが〈最低〉だろうが、第二候補を使わざるを得ない。さて僕はどうすればいいのか?」
斎戒はそう尋ねるが、僕の答えは『ない』。
「しかしだからと言って、この依頼を破棄するわけにもいかない。別に誰から頼まれたわけでもないのだけれど、気づける人間が誰にも頼まれずともやらなければならないことだ。今のところ気づいているのは僕だけのようだけれど、これは人類の総意と言ってもいい依頼だ。誰かがやらなければならないし、誰もやらなくていいことだ。こんなことを言ってはただの言葉遊びだと思われてしまうのかもしれないけれど、事実その通りだから妙な話だ。この依頼こそホスピス治療、終末期医療、延命治療だ。いずれ滅び行く人類の運命を――終末の期を少し先延ばしにするだけのことだ。終わりが今か百年後かの違いだ。ただ僕みたいな矮小な存在にとってはそれは重要なことだ。確かに地球の歴史みたく長いスパンでみれば些細な違いでしかない。けれど僕のような存在にとっては大きな違いなんだよ。僕はまだ死にたくはない。僕が死ぬまであと何年あるかは知らないけれど、せめて寿命までは生きていたいものだよ。それが五年後かもしれないし五十年後かもしれない。まぁ、あと五十年も生きられれば大往生だよ。いずれ死ぬのは分かってはいるけれど、出来るだけ長生きしたい。それは自殺志願者を除いたほとんどの人間がそうであると言えることだけれど、君はどちらなんだい? 『自殺志願者』なのか『ほとんどの人間』なのか」
斎戒はそう尋ねるが、僕の答えは『ない』。
「黙っていては分からないよ、禊君。ただ、君の考えていることはある程度分かる。おそらく、答えは『ない』とかそんなところだろう。君は答えられない。いや、答える資格すらない。そもそも『自殺志願者』でも『ほとんどの人間』でもなく、ただの化け物なんだから。人間ではない君にはそもそも当てはまらない質問だ。じゃあなんでそんな質問をするのかって? それは君の言う『皮肉』だよ。僕は意味もなく皮肉を言いたくなるんだ。それが大好きな人でも大嫌いな人でもね。等しく皮肉を吐く。君が大好きな人か大嫌いな人かは言わなくても分かっているよね。……そうだ、その通りだよ。君はそもそも大好きな“人”でも大嫌いな“人”でもない。ただの化け物さ。ただの犬に人間に対する感情と同じような感情を持てと言う方が難しいだろう? と言っても犬の種類には好き嫌いはあるけれどね。僕はブルドッグはあまり好きではないけれど、トイプードルは好きだよ。ああ、犬に例えてしまったのは『皮肉』に当たるのかな? 奇しくも犬に憑かれて、疲れ果ててしまった君にとっては。しかし、多少は犬の種類が分かるけれど、同種の犬の個体差は分からない。同種なら一見じゃあ雄か雌かすら分からないよ。僕にとっては君はそういう存在だ。よく見なければ雄か雌かすら分からない、コミュニケーションの出来る犬だ。皮肉にも口からボロボロと皮肉が出てしまう僕だけれど、何も好きこのんで言っているわけではないよ? 意味はあるんだ。言うつもりはないけれどね。それは読者に任せて読み取ってもらうしかない。小説的に言えば決して明かされることのない伏線だ。クソ小説にも程があるけれど、僕はこんな奇妙なコメディだかシリアスだか訳の分からない奇伝小説の登場人物になった覚えはないし、べらべらとよく喋る台詞だけで一ページ丸々埋め尽くすような鬱陶しいキャラになった覚えもない。もし僕が出てくる小説を書いている奴が居たら訴えてやるさ。生物は基本的にタブーだからね。僕の死後五十年とか経ってからだったらいいけれど。さて、関係ない話はおいておこうか。これだけ喋っているうちに多少なりとも作戦とは言えない策を思いついたよ。僕は参謀ではなくどちらかと言えば傍観する人間だけれど、たまには参謀ごっこでもしてみようかな。僕は犬の種類には詳しくない。有名どころなら知ってはいるけれど、山手線ゲームだったらすぐに負けてしまうだろうね。ところで山手線ゲームは大阪辺りだと環状線ゲームに改名しているのかね。……ふーん、そういう風に言う人も居るのか。勉強になったよ、禊君。……え? そもそも山手線ゲームをやらないのかい? じゃあ今の子は合コンの時どうしているというんだい? まさか、王様ゲームでキャッキャウフフしているというのか! 許されざるべき事実だ。あ、そうそう。また話が逸れたね。そこで僕は君を試したいんだった。実力はもちろん君の種類をね。試すというよりこの場合は鑑定と言った方がいいのかな。君が一体どんな種類の犬なのか。否、そもそも犬かどうか。明日の深夜零時頃ここで待っているよ。まぁ、僕とは別にもう一人来るんだけれどね。ただの異祓い仲間だからそんなに気負う必要はないよ。内容は……そうだな。悪魔祓いとでも言っておこうか。多分悪魔を目にするのは初めてだろうけど、もう一人の方は悪魔祓いのプロだからね。俗に言うエクソシストだ。君にはちょっとその仕事を手伝ってもらいたいんだ。僕が約束を守る以上君にも約束を守ってもらうよ。君はこの仕事を受けてくれるのかい? お昼に見かけるサングラスのおじさん風に言うと『明日来てくれるかな?』だね。ふむ。これはツッコミが欲しいところだったんだけれどね。君からツッコミを奪ったら何が残ると言うんだ。まぁ、君にはそんな余裕ないか。今のは忘れてくれよ。さっき君がボケたからこれでチャラだ。んじゃ、僕は先に帰るよ。これでも僕は忙しくてね。このあと仕事があるんだ。あ、そうそう。ちゃんとその異獣に鞄を渡しなよ? そうじゃなければ、いつまででも君につきまとうよ、その妖異は。それじゃ、バイバイ禊君。明日ここで会おう」
斎戒はそう言って神社から去っていった。
それにしてもよく喋る鬱陶しい奴だ。あいつの言うとおり、これが小説だったらどんな批判を食らうか……。
あんな小汚いおっさんじゃなくて、紅一点の先輩を出して欲しいね。あ、三梨成実も一応女の子だったっけ。ま、いっか。
僕は斎戒が“異獣”と呼んだそれに鞄を渡し、神社をあとにした。