拾話
僕が家に着く頃には異獣と呼ばれる珍妙な生き物は、預けた鞄を置いてどこかへ行ってしまっていた。そのあと気になって調べてみたところ、どうやら江戸時代に書かれた書物『北越雪譜』に記されている妖異らしい。
それほど有名な妖異じゃないらしいけれど、あの水木しげるロードに銅像が飾られているとWikipediaに書いてあった。斎戒のように妖異オタクではないので僕にはWikipediaで充分だろう。
そして先ほどこれまたWikipediaで得た情報によると、餌付けをすると荷物を持ってくれるいい妖異だそうだ。なかなか可愛い奴ではあるのだけれど、知らない僕としたらただの怖い奴だ。
斎戒曰く『自慢のAndroid』で調べた僕だけれど、斎戒自身は当然こういった書物はほとんど読破しているんだろう。しかもその上ですべてを覚えている、というのがあいつの異常――異祓いの王たる所以の一つなのかもしれない。
僕としてはあいつが妖異が見えないというのはとてじゃなくはなく信じがたい。話を聞くだけでそれに対しての対処法――正攻法を言い当てられるなんて、安楽椅子探偵どころの話ではない。推理もクソもなくただただ結末だけを告げる、ネット上でよくいるネタバレ野郎だ。原作を読み尽くしてメディアミックスされた映画やらアニメやらドラマやらの結末を言うだけの面倒で自己満足な人間だ。
本当に何も無い。希望も絶望も非望も羨望も欠望も人望も宿望も春望もない。まぁ、春望がないのは当然だけれども。
国破れて山河ありだっけ? 国語は苦手だからよく覚えていない。作者は……孟子だっけ、孔子だったかな? うん。なんかどっちも違う気がしてきた。国語が得意な三梨成実辺りからはツッコミが頂けそうだ。
そのあとは何事もなく一日を終えた。
しかし、その翌日は朝から何事もある一日を迎えることになってしまった。
例に漏れなく早めに家を出ると、いつものコンビニに行き着く前にそいつに普通に出遭ってしまった。なんのドラマもなく。ただただ当たり前のように。
そいつが妖異かと聞かれれば、頷くことは出来ないし、人間かと聞かれても頷くことが出来ない。
しかし、周りの視線がある以上、斎戒が僕に下した判断と同じく一応人間であると判断せざるを得ない。だが、それで納得がいくわけではない。
一応、万が一、念のため。そんなような言葉の保険をかけなければそいつを語ることが出来なかった。
それほどそいつ――彼女の存在はあやふやで曖昧で気持ちが悪く訳が分からなかった。
そして、彼女はまるで僕と既知の仲のように一方的に話しかけてくる。
「きゃははっ! こんにちはわたしは山田花子でっす! こう見えても百八歳です! おすおすっ! 嘘だけどねっ! 本当のオレの名前は鈴木加藤ですっ! 実は三十八歳です! って、嘘だよーん! 引っかかった? ばーかばーか!」
年齢は二十歳前後だろう。しかし、ファッションセンスは斎戒以上に異常だった。
白のタンクトップに赤のロングスカート、それに緑の靴下と黒のスニーカーを穿いていた。
念のため言っておくがすらっとした長身の女性だ。
「ねぇねぇ! なんか喋ってよ! 僕が一人で喋ってたら頭おかしい人みたいじゃんか! ぎゃはははっ! って、元からおかしいか! 嘘だけどね! わしは本当は天才なんだよ! これも嘘っ! 俺様は嘘吐きだからね! って、これも嘘だけどねぇ!」
彼女を何かの言葉で表現するとしたのなら『嘘憑き』と言うのが正しいだろう。嘘をつき、嘘に憑かれて、嘘に疲れてしまった存在。存在自体が嘘みたいな妖異のような存在。
彼女のどこをとっても理解できる点はない。そもそも彼女のどこをとっても嘘なのだから当然と言えば当然である。
「ぬははははっ! 君って下らないね! 嘘だけどねっ! 面白いよ! 嘘だけどね! 全く殺したくなっちゃうよ! これは嘘じゃない。……うっそぴょーん! ぬわはははっ! 君ってまるで人間みたいだよね! 嘘だよー! んなわけないじゃん! がははははっ! 君天才だねっ! うっそでーす! またどっかで会おうね! ばいばい! と見せかけてっ! じゃあね!」
彼女はそう言い残し、どこかへ去っていった。
そして辺りは静寂に包まれた。
嵐のあとの静けさ。
この言葉が間違っているのは知っているけれど、僕の語彙ではこう表現する以外なかった。
気味の悪い『嘘憑き』はいなくなった。けれど、僕の脳にはしっかりと焼き付けられていた。あの妖異みたな人間。人間みたいな妖異の存在が。いや、半妖異人間の存在が。
そこで僕はようやく気がつく。あそこまで気味が悪く、不快で、どうしようもなく苛立っていた理由。
彼女の存在はまるで――
「――まるで、僕みたいだ」
これが僕と僕みたいな彼女の出遭いだった。
深夜零時。
僕はもう来慣れてきた例の神社の階段を上っていた。
その日学校から帰宅後、すぐに眠りにつき、一時間ほど前に起床し、遅めの夕食を取ってからここへ来た。
斎戒の話によると、斎戒とは別にエクソシストがいるらしいのだが……。
少し話は違った。
確かにエクソシストらしき斎戒より一回りほど年上の神父さんはいる。多分あの人がエクソシストで間違いないのであろうが、隣にいる人物は斎戒ではなかった。
「先輩……なんでここにいるんですか?」
僕がそう尋ねると、先輩――斯波凛先輩はこう告げた。
「斎戒がね、今日は用事があるらしくて来れなくなったから代わりに私が来たの」
「……そうですか」
僕があきれ顔を露骨にしていると、隣の神父さんが声をかけてきた。
「すみませんね。斎戒さんはいつもああいう人でして……。失礼。名乗り遅れましたね。私は霊山匡臣と言います。この近くで神父をやっております。あなたは五百蔵禊さんですね?」
あまりの丁寧さに僕は少し驚いたが、
「ええ、はい。ご丁寧にどうも。僕の方こそ失礼しました。あのう、あなた――いえ、霊山さんがエクソシストと言うことでよろしいですか?」
「そうですよ。胡散臭いとは思いますけれど」
霊山さんは少し苦笑いを浮かべていた。
「胡散臭いなんて、僕みたいなのが言える義理ではないので……」
「話は斎戒さんから聞いていますよ。どうやら大変な目にお遭いのようで……。よかったら、お話だけでも聞きますよ。私は本職が神父なもので、力にはなれないとは思いますが、少しは気が晴れるでしょう」
「ありがとうございます。いずれ機会があれば……」
「うー」
先輩がなにやらうなり声を上げている。
「堅い!」
どうやら先輩はこういったのが苦手みたいだ。
「そうですね。早くこの仕事を片付けてしまいましょうか。では、ついてきてください」
霊山さんはそう言って神社の鳥居へ向かって歩いて行ったので、僕と先輩はそれについていった。
ついた先は、近所の小さな教会だった。
十字架が屋根についていたのでキリスト教だろうか。僕はそれほど詳しくないので、西洋っぽいということ以外、よく分からなかった。
「ここは私が神父を務めさせてもらっている教会です。奥の部屋に依頼主さんが待っておられます。悪魔祓いはそこでする予定になっております」
あのう、と僕が質問をする。
「悪魔祓いってことは相手は悪魔なんですよね? 一体どんな悪魔なんですか?」
「はははは。それは分かっていたのなら苦労はしませんよ。悪魔祓いとは簡単に言ってしまえば、悪魔を苦しめて真名を聞き出し、その真名に二度と取り憑かないよう誓わせることなんですよ」
「真名ですか……」
「しかし大抵の場合は『ルシファー』でしょうね」
「どうしてですか?」
「そう聞かれると困りますね。強力な悪魔だからと言いたいところですが……」
「悪魔なんて所詮は二重人格だって斎戒が言ってたよ」
そう言ったの先輩だった。
「二重人格ですか?」
「そう。よく悪魔払いで『ルシファー』の名前が出てくるのは単に有名なだけで、取り憑かれた本人がそれくらいしか知らないから、自然とその名前が出てくるらしい」
霊山さんは苦笑いを浮かべる。
「一キリスト教徒としては聞き捨てならない台詞ですが……。まぁ、斯波さんの言うとおりですよ。全く斎戒さんには逆立ちしても敵いませんよ」
「そう言えば、なんで逆立ちしても勝てないって言うの? 逆立ちして強いのってエディ・クリスティくらいじゃない?」
「先輩鉄拳やるんですか!」
「私はリリを使うけどね」
「僕はキングですよ」
あのう、と霊山さんが気まずそうに声をかけてきた。
「そろそろ、悪魔払いを執り行ってもよろしいですか?」
「ああ、すみません。ついつい、アツくなってしまって」
「いえいえ、構いませんよ。今回は悪魔を呼び出すところまでしかやりません。そのあとは五百藏さんに任せるよう、斎戒さんから言われているので……」
「え? そんなこと聞いてませんよ! 僕にそんなことを出来るわけないじゃないですか」
「斎戒さんからは、最悪悪魔を殺してもいい、と言われております。五百藏さんは妖異相手なら斎戒さんほどの凄腕だと聞いていますけれど?」
「そんなわけ……」
ない、とは言えなかった。
確かに斎戒のように知識で祓うことは不可能だ。しかし、妖異を殺すことに限っては一概に出来ないとは言えなかった。
実際僕は最強かつ最凶と呼ばれた四匹の鬼をこの手で殺している。
「では、依頼主さんをこれ以上待たせられないので、部屋に入ります。準備はいいですか?」
僕と先輩が頷いたことを確認すると、霊山さんは木製の扉のノブに手をかけた。