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白線渡り  作者: 岸田四季
1/11

壹話

 僕は子供というものは案外、人生を悟っているのではないかとたまに思う。

 例えば白線渡りという遊びは知っているだろうか。子供の頃にやったことがある人も少なくないだろう。白線の上だけを歩き、落ちたら鮫やら鰐やらに喰われてしまうという設定で勝ち負けを競うゲームだ。

 ただこのゲームは単純な上に簡単だ。白線の上を慎重に歩いていれば、まず負けることはない。だが面白いことにこのゲームには必ずと言っていいほど敗者が出る。

 なぜなのか。理由は大きく分けて三パターンある。

 一つ目は、悪環境。普通に考えて足を骨折している状態でやれば、このゲームで勝つことは不可能だろう。そして、途中で頭痛や腹痛に襲われても不可能に近い。というか、そもそもそんな状態になってまで遊ぶゲームではないので、この一つ目は一番あり得ない。

 二つ目は、余計なことをする。余計なこと――例えばスリルを求めて隣の白線に飛び乗ったり、後ろ向きで歩いたり、片足で渡ったりすれば当然ミスをする可能性が増える。そうやって自滅する子供をよく見る気がする。というか、僕だ。

 三つ目は、他人に落とされる。これも二つ目と同じくらいの頻度であり得ることだ。しかしどうして他人を鮫やら鰐がいるところに突き落とすなんて、極悪非道なことをするのだろうか。不思議だ。

 だがこのゲーム、人生ととてもよく似ていると思う。白線渡り同様、(とてつもなく貧困した家庭に生まれたというのならまた話は違ってくるが)慎重に歩いていればまず落ちるということはない。

 しかし一つ違うところが、人生には白線がよく見えないというところだ。そう、ハッキリした正解はないのだ。だから人は数え切れないほどの先人が通った道を辿るのだ。人が通った道なら安心して歩ける。当たり前の話だ。

 つまり、人生というのは人が通った白線を慎重に歩いていれば白線を踏み外すことはない。だが知っての通り、人生においても敗者というのは必ず出る。

 先天的な例を除けば、おおよそさっきの三パターンに分けることが出来る。

 一つ目は、悪環境。病気や怪我、結婚や離婚などによって人生が狂ってしまうことなんてよく聞く話だ。

 二つ目は、余計なこと。きちんと学校に通って勉強していればある程度の成績を出し、ある程度の就職先候補があり、ある程度の稼ぎが得られるにも関わらず、ろくに勉強もせずに友人と遊んだり、賭博に嵌ったり、思いついたかのようにミュージシャンになろうとしたり。

 三つ目は、他人に落とされる。一番わかりやすいのがいじめだ。あたかも世界の底辺の人間――いや、中には人間とも認識されない扱いを受け、心に深いダメージを負う者も、残念ながら存在してしまう。それにワイドショーなんかでやってる芸能人や政治家の批判的な報道をするというのもこれに含まれる。

 しかし似ているからといって、白線から落ちたら鮫やら鰐に喰われるわけではない。人生の白線から落ちれば、救済措置として一段下にはまた白線がある。場合によっては上の白線に飛び乗ることも可能だ。しかしその白線から落ちたとしても死ぬわけではない。またさらに下に白線があるのだ。どこまで下があるのかは知らないがこんなことを語っている僕は、間違いなく最下層にいる。自虐ネタとかそんなふざけたことではなく、読んで字の如く、最も下の層にいるのだ。この白線を踏み外せば僕は死ぬ。いや、死ぬで済めばいい方なのかもしれない。それどころか“落ちる”のだ。人生から。

 なぜ人生、というか人類の最下層の白線をたかが高校二年生がとぼとぼと歩いているかというと、それはとても長い話になる。いや、とても単純な話なのだが、いまだに分かっていないことが多い。というより、分かっていることの方が少ない。だから長い話になるというのは少し間違いで、多分今の僕には話せないのだ。ただ一つだけ言えるのは、僕は間違いなく“余計なこと”をした。悪環境でもなく、他人に落とされたわけでもない。悪いのは誰の所為でもなく全部僕だ。

 だからこれから語ることはいまだによく分からない長い話ではなく、そのあとの話だ。僕でも少し分かる話。そして、まだ僕が最下層の白線を歩いているとは知らなかった頃の話だ。


 僕はその日、いつも通り学校へ行き、いつも通り授業を終え、いつも通り帰宅をし、いつも通り妖怪に襲われていたのであった。

 今追いかけてきているのは多分鬼だろう。鋭利な爪、おぞましい牙、どす黒い肌、そしてトレードマークの角。妖怪に詳しくない、と言ってもこうして見えている以上語弊があるのかもしれないけれど、そんな僕にもこれが鬼だと分かる。そういった分野の専門家が見ればこれはいったいどういった種類の鬼で、どういう方法で退治するのか分かるのかもしれないが、ただ単に妖怪が見えるだけの僕は逃げる、追い払うなどといった野犬退治と差ほど違いがないような方法しか知らないのである。

 だから僕は、走って人が居ない路地裏に逃げ込む。幸い田舎町なので人の目はそれほど多くはない。そして鬼を殴りつけた。

 ぐごっ、そんなような声を漏らして鬼は地面を転がり、壁に叩きつけられた。

 これだけでは終わらない、終わってはいけない。鬼が僕を含めた人をもう襲わないと思うまで殴りつけるしかないのだ。

 僕が拳を振り上げ、それをあとは重力と渾身の力のみで振り下ろせばいい、と言うような瞬間。一人の眼鏡をかけた女の子がすぐ側で僕をじっと見つめていることに気がついた。そして僕の動きは止まった。止まざるを得なかった。

 制服を見る限り僕と同じ高校の三年生だ。つり上がった目は少し怖いけれど、顔立ちは美人だ。クールビューティーという言葉がこれほどぴったりな人物にこれまで出会ったことがなかった。つまりこの人、というか先輩とは初対面ではあるのだけれど、僕の動きが止まったのは妖怪が見えない見知らぬ人に奇人扱いされるのが嫌だったというのはもちろんある。だが、それをも遙かに超える理由がその少女の右手にはあった。

 日本刀。英語で言うブレードだ。なぜ英語で言ったのかは迷宮入りとして、危機的状況であるにも関わらず、僕の動きを――視線を奪うには十分すぎた。なんせ僕は日本刀を持った女性に見つめられたことなどたったの一度もないからだ。

 そして少女はすぅと歩き出し鬼を斬った。鬼が悲痛の雄叫びを上げていたが、少女は気にした様子もなくもう一度斬った。最後に日本刀を両手で持つと綺麗に左から右へと払い、鬼の首を()ねた。そして鬼は消滅――いや、消散していった。

 少女はこちらを向き、

「大丈夫? 怪我はない?」

 ないと答えようとしたが、よく考えたらさっき一回転んで擦り傷が出来てるかもしれないのでないというのは嘘になるのではないだろうか、と考えてもみたりしたのだがそんな細かいことは怪我の内には入らないし、鬼にやられたわけでもないので恥ずかしいだけだし、余計に心配かけるだけだと思い至り、

「だだだだ、大丈夫です!」

 思いっきりテンパっていたのであった。

「そう」

 少女というのは失礼なので、先輩は案外素っ気なかった。僕のテンパり返せ。悪いのは完全に僕だけど。

「ねぇ。君、鬼が見えていたの?」

「え? まぁ、はい」

「なんか煮え切らない反応ね」

「あ、僕以外の妖怪が見える人と会ったのが初めてで……」

 美人過ぎて緊張しているなんて口が裂けても……

「先輩可愛いなぁとか思ってませんよ? 決してそういうわけじゃないんだからね!」

 綺麗な自爆である。

 しかし先輩は、そう、と言うだけであってそれ以上の反応はなかった。クソっ、なんか滑ったみたいで嫌だ。

 あ、と先輩が言ったので僕は首を傾げ、話を聞く体制を整えてから先輩の方をみた。

「君、何をしようとしていたの?」

「んー、鬼退治? 退治ってのは言い過ぎですけれど、しつこかったんで追い払ってた感じですかね」

「どうやって?」

「どうやってって言われても……普通ですよ。別に日本刀なんて持ってないんで、いつもそこら辺に落ちてる木の枝で殴ったり、石投げたり、グーでぶん殴ったり、蹴り入れたりしていますね」

「WOW!!」

「なぜ英語!?」

 まぁ、僕が言えた義理じゃないけど。

「いや、びっくりしすぎて……」

「何人だ!」

「そう言えば、『何人』って『なんにん』とも読めるし『なにじん』とも読めるし『なんぴと』とも読めるよね」

「『なんにん』は分かるけど普通の人は『なんぴと』とは読まねぇよ。それに今は会話ってことになってるんだよ。なんで文字じゃないと分からないような問題点を今指摘するんだ。メタな発言には気をつけろ!」

「で、結局『なんにん』? 『なんぴと』?」

「選択肢に『なにじん』が入っていないことを大変遺憾に思います!」

 ったく、先輩のせいで言葉が乱れたよ。

「とにかく、こんな人気のないところに男女二人でいたらご近所で噂になるので、とっとと出ましょう」

「そう言えば、『人気』って『にんき』とも読めるし『ひとけ』とも読めるし『じんき』とも読めるよね」

「『にんき』は分かるけど普通の人は『じんき』とは読まねぇよ。つか、何回同じような会話繰り返すんだよ! 読者置いてけぼりだよ!」

 かくいう僕もメタな発言をしていたのであった。

「そう言えば『読者』って『どくしゃ』とも読めるし『よみもの』とも読めるよね」

「これだけは言える。『読者』を『よみもの』とは絶っっっっ対に読まない。もうしつけぇよ。鬼よりしつけぇよ。しかも僕すでに日本刀に対して違和感覚えなくなっちゃってるよ!」

「あ」

「今度はなんですか。今度の犠牲者は違和感ですか? 違和感なんですね!」

「ううん、違う。君、なんで鬼が見えるの? そもそも――なんで触れるの?」

 僕にとって鬼――というより、妖怪に触れるというのは見えると言うことと同じくらい当たり前だった。当たり前すぎた。だから、どうやったら自転車が乗れるようになるの、という質問と同じくらいに困った。困り果てたのだった。

 そして同時に、鬼が見える彼女がなぜ触れられるのか尋ねるのか。それは――僕がおかしいからだ。普通の人とは違う、妖怪が見えるおかしな人から見ても僕は奇人だった。

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