バンダナを煮る
「たとえば俺が、このバンダナをクタクタになるまで鍋で煮込んだとする」
「なんで煮込むんだよ」
深夜のファミリーレストランは、必要以上に広かった。客は三人しかいない。窓ぎわの席に二人、いちばん奥の四人掛けの席に一人。奥の男はテーブルに突っ伏して眠っている。ずいぶん前から眠っているらしく、肩に薄くほこりが積もっていた。
窓ぎわのふたりは、どちらも若かった。ひとりは頭に黒いバンダナを巻いている。もうひとりは、ごく普通の青年だった。テーブルにはドリンクバーのグラスが七つ並んでいて、そのうち六つは口をつけられないまま、氷だけがすっかり溶けていた。
「たとえ話だ。とにかく、いい出汁が出るということにしてくれ。俺はそれがすっかり気に入って、毎晩このバンダナを煮る。煮たあとは丁寧に洗って、日に干して、翌日また煮る。二十年、三十年と続ける。手放す気なんてまるでない。むしろ年々かわいくなってくる」
通りかかった店員が、注文していないハンバーグをテーブルに置いて去っていった。青年が呼びとめようとしたときには、もうどこにもいなかった。ハンバーグは冷えていて、鉄板だけがひどく熱かった。
「で、問題だ」男は続けた。
「このバンダナに付喪神がついたとする。ついた神様は、なんの神様だ」
「バンダナの神様だろ」
「バンダナは頭に巻くための布だ。ところがこいつは、一度も頭に巻かれたことがない。生まれてこのかた、ずっと鍋のなかだ。それでもバンダナの神様か」
ふむ。青年は少し考えた。確かに、頭に巻かれるための神様ではないかもしれない。
「いわば、こういうことだ。この神は頭に巻かれるための神様か?それとも煮込まれるための神様か?」
「どっちでもよくないか?」
「よくない。だいたい世の中の道具は、まともに使われていないと思わないか」
男は指を折り、胸ポケットからペンを取り出した。
そのペンをマドラー代わりに、氷の解けたグラスをかき混ぜる。
「ドライバーは缶のふたをこじあけるのに使われる。国語辞典は押し花の重しだ。バケツは水じゃなくゴミを貯めている。十徳ナイフが三十年かけて切ったのは、持ち主の爪だけかもしれん」
「まあ、あるだろうな」
青年は机の端からカトラリーを取り出しながら聞いていた。
「いちばんひどいのは消火器だ。三十年、ドアストッパーとして働いた消火器があるとする。毎日ドアに押されて、へこんで、ラベルもすり切れて、それでも文句ひとつ言わない。ある晩、その建物から火が出た。誰ひとり、そこに消火器があることを思い出さない。ドアが焼けて、消火器も焼けた」
青年はハンバーグをつつきながら聞いていた。フォークが刺さらなかった。
「じゃあ、用途どおりに使われない道具は、それを苦痛に思うのかな」
「思うね。神がつけばきっとそう思う。だって神様だぞ」
だがね、そう言って男は続けた。
「文句を言おうにも口がない。仮に口があったところで、聞く耳がない。仮に耳があったところで、その耳は別の用途に使われている」
「めちゃくちゃだな」
「めちゃくちゃなのは道具の側か?」
男はバンダナの結び目に手をやり、ほつれた端を指の腹でなでていた。
「で、ここからが本題なんだが。愛着をもって、しかし本来の用途とはまるでちがう目的で、長いあいだ使われつづけた道具がある。そこに神がついたとする。そいつは、なんだと思えばいい」
「自分のことをか」
「恨む相手はいないんだよ。ぞんざいに扱われたわけじゃない。むしろ大事にされている。ありがたいことだ。おまけに、目をさましたときにはもう、その間違った使われかたが自分の全てなんだ。他を知らない。だから、まちがっているということすら、本当はわからない」
「じゃあ悩まないんじゃないか?」
「いや、悩むね。なにしろ、体のつくりは残っている。織り目のひとつひとつが、頭に巻かれるようにできている。折り目も、ほつれかたも、みんなそのためのものだ。それだけがずっと残る。だからそいつは毎晩、鍋のなかで湯気にゆられながら考えるはずだ」
奥の席で、眠っている男が寝返りをうっていた。ほこりが少し落ちた。
青年はしばらく黙っていた。それから、たいして考えたふうもなく言った。
「別に、大したことじゃないと思うけど」
「大したことだろう」
「だって、大抵のものがそうだろう」
青年はハンバーグをあきらめ、グラスを手に取った。
「そもそも、バンダナって頭に巻くのが本来の用途なのか?ハンカチと何が違うんだ?汗をぬぐっちゃダメか?ガキの時は使いにくい、テーブルクロスだと思ってたぞ」
「まあ、そうだが」
「俺がなんのために生まれてきたのか、誰も知らないだろ。取扱説明書がついてないんだから。本来の用途なんて、はじめから誰も教えてくれないし、教えてくれる相手もいない。文句を言おうにも、言う先がない」
だからその布のほうがましだ。
青年は言った。
「少なくとも毎晩ちゃんと必要とされてるんだから。俺なんか、まだ一滴も出汁が出てない」
男は笑った。
声は立てず、肩だけを二、三度ゆらした。
「お前は、何に使われてるんだ」
「知らない」
「そうか。じゃあ、たいして違わないな」
窓の外が、うっすらと青くなっていた。青年が時計を見ると、まだ二時を少し過ぎたところだった。四時間はしゃべっていたはずだった。
伝票は一枚。ドリンクバー、一つ。
「お前の分は」
「無い」
「無いって、飲んでないだけだろ」
「はじめから無いんだ」
男はバンダナの結び目をきゅっと締めなおした。
「昔からそうなってる」
「理由は」
青年は、最後にもう一度だけフォークをハンバーグに突き立てようとした。
「さあね」
それを聞くと、青年は席を立ち、セルフレジで会計を済ませた。
感熱紙に印刷されるレシートを受けとりながら、なにげなく振りかえる。
窓ぎわの席には誰もいなかった。グラスもハンバーグも、何もなかった。
奥の席も空だった。
外に出ると、看板には二十四時間営業とあったが、創業年の数字はすり切れて読めなくなっていた。
歩きだしてから、もう一度だけ窓を見た。
さっきの席に、誰かがすわっていた。頭に何か巻いている。
向かいには知らない学生がいる、青年と違ってしきりにうなずいていた。




