プロローグ
「水樹くん、見つけた!」
凛とした声が、深い闇の底まで届いた。それに呼応して、心臓がトクンと小さな鼓動を刻む。
数年あるいは数十年ぶりだろうか、固く閉ざされていたまぶたをゆっくりと引き離す。
上空から降り注ぐ日差しは、若い新緑を透かし、世界を白と緑の煌めきで塗りつぶしている。
「ん……み、見つけた?」
視界が焦点を結ぶ。かつて堅牢を誇った工房の壁は、今や蔦に覆われ、無残な瓦礫の山と化している。そして、目の前に――金髪をなびかせた、場違いなほどの美少女が立っていた。
「わっ、だ、誰……っ!?」
鼻先をくすぐる、甘い髪の香り。心臓が飛び跳ね、僕は反射的に起き上がった。その拍子に、脳が急速に熱を帯び、遠い記憶の断片がパズルのようにつながっていく。
(――そうだ、僕は鍛冶師だった)
鑑定士たちが『神話級』だと騒ぎ立て、国が必死に隠匿しようとした職人。死の間際、僕は未練がましくも、『蘇生の指輪』を嵌めて眠りについたはずだ。あれは周囲の魔力を数十年単位で蓄積して発動する、未完成の代物だったけれど。
「おーい、無視するなぁ! あなた、水樹くんでしょ?」
考えに耽る僕を、少女がのぞき込んできた。尖った耳。エルフだろうか。僕が知るエルフは、もっと気品があって近寄りがたい種族だったのだが……彼女はやけに距離が近い。
「……分かった。分かったから、少し離れて。……それで、君は誰なんだ? 僕を知る人間なんて、もうこの世にはいないはずなんだけれど」
壁の朽ち具合からして、相当な年月が経っている。僕を知る人がそもそも生きているのかさえ疑わしい。
「私はフィオナ。水樹くん、あなたに会いに来たんだよ」
じっと僕を見据えるその瞳には、一点の曇りもなかった。かつて対人恐怖症で工房に引きこもっていた僕でさえ、不思議と彼女の視線には毒がないと感じる。
「どうして僕に? 会いになんて……」
「だって……あなたの大ファン、だからね!」
そう言って胸を張る彼女に、僕は脱力した。なんだろう、この感覚。彼女の放った『大ファン』と言う言葉の響きが、僕の琴線に触れた。
「……分かったよ。いや、分からない気もするけれど、フィオナ。君を信じてみる気になった……かも」
その瞬間、フィオナの顔がパッと輝いた。長い耳がぴくぴくと跳ねる。初対面の僕が見たってすぐに分かる『きっと嬉しいんだろう』って、そんな様子。
「ありがとう。それで、あなたは、これから何をする予定なの?」
「何をする、か……」
僕は立ち上がり、手のひらを太陽にかざした。外の世界を拒絶したかつての僕が、何故蘇りたかったか。
「……世界を見て回りたかったんだと思う。一歩も出られなかったこの工房の外を。僕の『クラスメイト』が救った、この世界を」
「クラスメイト?」
「あれ……クラスメイトって、何だっけ?」
ふいに混ざった妙な既視感。それを振り払うように、僕は笑った。
「とにかく、巡ってみたかったんだ。……まあ。この有様じゃ、旅の道具を揃えるだけでも、苦労しそうだけれど……」
自嘲気味に笑う僕に、フィオナが勢いよく身を乗り出した。
「なら、私が一緒に行く!地理には詳しいし、旅慣れてるから邪魔にはならないはず。ね、いいでしょ?」
フィオナの提案は正直嬉しい。でも――。
「申し出はすごく嬉しいけれど、でも、どうして?」
不思議な顔をする僕の額に、フィオナは人差し指をピタッと押し当てた。
「小さいことは気にしないの! 男の子でしょ?」
まただ、この感覚。彼女はエルフだ。僕が知る限り、初対面の相手。けれど、フィオナの振る舞いの一つ一つが、僕の知らないはずの正解を次々に射抜いていく。
「……あはは、そうだね。じゃあ、お願いしようかな」
気がつけば、僕は笑っていた。理屈じゃない。記憶よりも深い場所で、僕の何かが、『彼女は大丈夫』と、確かな太鼓判を押していた。
「うむ、よろしい!」
こうして、僕の新しい人生――その最初の旅が始まった。




