第八話『硝子の霊安室・後編』
「生きたまま……?」
宗方の声が低く響いた。
「ええ。私の白眼が視た“死の痕跡”は、曖昧でした。はっきり“亡くなった”と視えなかったんです。つまり、彼女は……その時点ではまだ生きていた可能性がある」
結月の言葉に、澪は唇を噛んだ。
「そんな……でも、誰がそんなことを……」
「“間違って”遺体を入れ替えた者。いや、恵理さんの遺体を“そう見せかけて”ここにしまった者がいる」
病院内に残された記録と監視カメラ映像を調べた宗方が告げる。
「霊安室に一番長く滞在していたのは、看護部長の鷲尾という女だ。事故直後も一人で出入りしている時間がある」
「鷲尾部長は、院長夫人と非常に親しい間柄だったと聞いています。というより……」
「鷲尾が看護部長に昇進した背景に、院長と院長夫人が関わってるって噂もある」
宗方の言葉に、結月がふと目を細めた。
「では、あとは確かめるだけね」
その次の夜、結月と朔は再び霊安室に向かった。小さな灯だけを頼りに、硝子扉の向こうを見つめる。
コツ……コツ……。
硝子を叩く音が再び響く。
「……怒っているわけではないのよね。訴えてるだけ。自分は、ここにいたって」
結月が手を伸ばすと、ガラスの曇りに、再び女性の手形が浮かび上がった。
その手の下には、かすかに血の痕跡。
「やはり、生きていた。そして、死んでしまった。助けを求めながら」
その声に、朔が低く唸る。
「……これは、償いでは済まされないぞ」
翌朝。
宗方の働きかけで、霊安室の防犯記録と医療記録が再調査されることとなり、
やがて鷲尾の隠蔽工作と、遺体の取り違えが意図的なものであったと判明する。
「夫人の名誉を守るために、正直者の看護師を犠牲にするなんて……」
澪の声には悔しさと悲しみが混ざっていた。
鷲尾は解任され、病院の対応も正式に謝罪へと動いた。加えて、院長夫人の投薬ミスも再調査されることとなった。
だが、佐久間恵理が最後に視た景色は、誰にもわからない。
——占探堂。
「悲しみは、残るわね」
結月は静かに言った。
「彼女は自分の死より、“正しさ”が踏みにじられたことを悔いていた」
「けど、正しさを貫いたから、助かった命もあるだろう」
宗方の言葉に、結月はふと微笑んだ。
「ええ。……だから、彼女の魂も、少しだけ、静かになった気がする」
その夜以降、霊安室の硝子から、叩く音が消えたという。