第四話『空座の神棚・後編』
石上家の古い納屋、その奥に、結月たちはひとつの違和感を見つけていた。
「この床、わずかに沈んでる……下、あるかもしれないわ」
結月が白眼で視ると、朧げに見える、かつて何かが“隠された”気配。
朔が前足でコンと叩くと、木の床が軋みを上げた。
板を外すと、地下に続く狭い階段が現れた。
「……祖父は、生前『神様は家で休んでいる』って言ってました。神社じゃなくて、家にいるんだって」
直哉の言葉に、結月はゆっくりと階段を降りていく。
蝋燭の光を頼りに地下室を進むと、そこには小さな祭壇があった。
そして、その中央に――
「……あった」
円形の銀鏡。埃をかぶりながらも、光を返していた。
鏡に手を伸ばした瞬間、空間が歪んだ。
「――返せ」
女の影が、再び現れた。
「祀っておいて、忘れた。忘れて、捨てた。それが人間か」
影の神は怒りをたぎらせ、部屋の空気が凍るようだった。
「私を求めたのはお前たち。それなのに……必要がなくなれば放り出す。道具と同じように」
「それでも……あなたを想ってた人はいた。おじいさんは、ちゃんと大切にしてた」
結月は震える声で言った。
「けれど……それを継ぐ者たちは、その想いを忘れてしまった。誰かがやるだろう、って。あなたの存在は、誰か一人の信仰では支えられない」
「だから、罰を与えた。子らを隠し、音を奪い、畏れを戻した。畏れは、信仰の始まりだ」
影の女が言う。
「けれど」結月は続けた。「信仰は、畏れだけじゃ育たない。敬いも、愛しさも、必要なの」
沈黙。
直哉が、絞り出すように言った。
「……俺は、祖父から神様の話を聞いて育った。でも、誰にもそれを伝えられなかった。俺も……忘れたんだ」
「けれど今、俺は思い出した。あの銀鏡の前で、祖父が祈っていた姿を。俺も……あなたを祀りたい。祖父のように」
女神の影が、わずかに揺れた。
「想いが……繋がったか」
影が、静かに鏡へと手を添える。
「……戻そう。この村に、再び座を与えよ」
結月と直哉が銀鏡を祠へ戻すと、空気が凛と張り詰め、澄んだ風が吹き抜けた。
女神の影は、鳥居の奥に立ち、最後に微笑んだ。
「忘れるな。人の想いが“神”を創る。そして、壊すのも……また人だ」
そう言って、影は風に溶けて消えた。
——
異変はすべて収まり、子供たちも家畜も無事に戻ってきた。
村人たちは神社を掃除し、祭祀を復活させることを決めた。
直哉は、祖父の跡を継いで神主になる決意をした。
もしまた、あの村の住民たちが祀り敬うことをやめたなら、次は神隠しなどでは済まないだろう______
帰り道、結月はふと呟く。
「ねえ朔。もし、私たちも忘れられたら……どうなるのかしら」
朔は前を見ながら答えた。
「そのときは、俺が覚えていよう」
結月はふっと笑い、空を見上げた。
春の風が、祠の森を揺らしていた。