第7話 職人カミロ
サン=ジェストを出ると、街路にはすでに夕陽が伸びている。
重厚な扉を背にしたふたりの間には、さきほどの緊張がまだ色濃く残っていた。
アレクセイは足早に歩きながら、低く呟く。
「……やはり、ただの宝石店じゃない。工房も、どこか空気が違っていた。表で細工するだけじゃなく、流通経路のどこか――納品の段階で何か細工を加える仕掛け人が別にいる可能性も高い。全ルートを洗い直す必要がある」
アレクセイはふと、手のひらを見た。
「それに、カミロから受け取った宝石には――少なくとも魔力は感じなかった」
「じゃあ、工房で作ってる段階では普通なんだな」
「……けど、実際に貴族たちの手元に届くときには、なぜか魔力が込められている。重さや違和感も、それが原因だろう」
シャルロッテも頷きながら歩調を合わせる。
「それに、さっきの若い職人――カミロ、めちゃくちゃ怯えてたぞ。あれは絶対、なにか知ってる顔だった」
アレクセイは小さく頷く。
「絶対、話を聞いたほうがいいって、そんな感じがする」
シャルロッテが真剣な目で言う。
アレクセイは少しだけ、口元に微笑を浮かべた。
「シャルの感は、案外当たるからな……。よし、職人の素性を調べて、タイミングを見て接触しよう。向こうも危なっかしいし、下手な動きをされる前に、こちらから動く」
「任せて、見張りでも何でもやるから。……アレクセイ、そろそろ一発、派手なの頼むよ?」
「派手にしろと言われてもな……ま、必要なら派手な爆弾でも仕込んでやるさ」
冗談めかして笑うシャルロッテに、アレクセイも皮肉な微笑を返す。
夕暮れの通りに、二人の影が長く伸びた――。
サン=ジュスト宝石店を出たあと、シャルロッテとアレクセイは通りを一つ曲がり、王都の大通りに面した馬車へと戻った。アレクセイは馬車の窓辺に腰かけ、書類の束を取り出して仕入れリストを一枚ずつめくっていく。
シャルロッテは窓から店の出入り口を監視しながら、ちらちらとアレクセイの手元を覗き込む。
「どう? あやしいとこ、あった?」
「……いくつか、気になる名前がある。普通の貴金属商じゃない業者も混じってる。ここ、ここと、……この銀星工房もだ。王都のはずれ、貴族相手にしてるような規模じゃない」
アレクセイが指先でリストの一行をなぞる。
「偽名かもな。いっそ夜に忍び込んでみるか?」
「焦るな、シャル。まずは内部から情報を引き出す」
アレクセイが皮肉めいた微笑みを浮かべた。
その時、サン=ジュストの裏口から、さきほどの若い職人が帽子を目深にかぶり、そそくさと店を出てきた。
小柄な体つき、うつむき加減で通りを歩いていく。
「来た。カミロだ」
「見張り、得意だから任せて」
シャルロッテがすばやく馬車の扉を押し開ける。
「行くぞ。カミロから話を聞き出せれば事件のピースになるはずだ」
二人はそっと馬車を降り、夕暮れの王都の雑踏に紛れて若い職人の後を追い始めた――。
彼の足が向かった先は王都の外れにある職人や行商人が身を寄せる小さな下宿街だった。
表通りから裏手の石畳を抜けると、古びた宿屋の看板が夜風に揺れている。
彼がその中の一軒に入ろうとした瞬間、「――ちょっと待ってくれる?」声がかかった。
カミロがびくりと振り返る。
見るからに怯えた目。
「カミロ、君に聞きたいことがある。……すぐ終わるから」
アレクセイが静かに、しかし威圧感のない声で告げる。シャルロッテも一歩前に出て、柔らかな口調で続けた。
「別に、君を責めるつもりじゃないんだ。ちょっとだけ、話を聞かせてほしい」
カミロの肩が一層すくみ、戸惑いと不安が入り混じった表情で二人を見上げる。
「……な、何の用ですか。自分はただの下働きで……何も知らないんです」
石畳の上、街灯の灯りが三人の影を淡く映す。
アレクセイが小さくうなずき、余計な人目のない軒先で声を落とす。
「君が困るようなことはしない。ただ――サン=ジュストの宝石、どう作られているか、何か知っていることがあれば教えてほしい」
カミロは戸惑ったまま、アレクセイとシャルロッテの顔を交互に見つめた。
シャルロッテは、そっと笑いかける。
「実は、自分もギルドの駆け出しだった頃、ちょっと危ない依頼で巻き込まれたことがあってさ。知らないうちに危ない橋を渡らされる……そういうの、本当にあるんだよね」
カミロの目が、少しだけ緩んだ。
「だから、君が無理に話したくないことは言わなくていい。でも、もし誰かが本当に困ることになるなら……自分たちは、それを止めたいだけなんだ」
アレクセイも補足する。
「何か知っているなら、その何かが大きな事件を防ぐ手がかりになるかもしれない」
カミロは小さく唇を噛みしめて――やがて、決意したように顔を上げた。
「……工房で変な細工が始まったのは、最近なんです。自分は、言われた通りに作業してただけで……でも、裏では見たことのない人が出入りしはじめて、職人の中でもあまり話さない空気で……」
カミロは恐る恐る言葉を続けた。
「……僕たちが刻印や飾りを付けた後、黒服の男たちが必ずまとめて引き取りに来て……」
「黒服の男?」
シャルロッテが食い気味に聞き返す。
「ええ……数日後に、なぜか戻された宝石だけが購入した客に届けられるんです。その間、僕たちは一切中身に触れられなくて……」
「どんな人物だった?」
「さあ……工房長もあまり話さないし。ただ、たまに……魔術師みたいな服の人も混じっていたような気がします。フードを深く被ってて」
カミロはしばし考え込むように視線を落とした。
「でも、一度だけ、薄暗い工房の奥で……フードの隙間から琥珀色の瞳が一瞬だけ光って………落ち着いた声で、工房長にも敬語じゃなくて、まるで対等みたいに話していました」
言いながら、カミロは自分でも記憶が曖昧なのを気にしている様子で、不安そうに、シャルロッテとアレクセイを交互に見上げる。
「……あの、僕が喋ったって絶対言わないでくださいね。工房長にも、店にも……」
シャルロッテは優しく微笑んでうなずいた。
「もちろん。カミロを巻き込むつもりはないよ。ありがとう、話してくれて」
アレクセイも穏やかに頭を下げる。
「安心していい。必要なことは僕たちが調べる」
カミロはほっとしたように小さく頭を下げ、静かに下宿の扉へと戻っていった。
その瞬間――。
カツン、と石畳を踏む音が夜の路地に響き、暗がりから黒い影が二つ、素早く飛び出してきた。