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第2話 姉さまの心配事

 ノイシュタット学園は、王都ザルグラードの北端、王宮を見下ろす高台に広がる広大な学び舎だ。

 王族や上級貴族の子弟が通うのはもちろん、剣術や魔術に非凡な才を持つ者、あるいは学問で頭角を現した者であれば、たとえ平民の身でも門を叩くことが許される。

 学園の特色は、幅広い基礎教養に加え、各生徒が自らの資質や志望に応じて専門授業を選択できる点にある。

 歴史や礼儀作法、魔法理論や剣術の基礎といった共通教養は全員の必修だが、そのうえで――

「私は剣術を専攻する。卒業までにギルドランクをS以上にすることが目標だ」

 そんなふうに、シャルロッテのような武闘派もいれば、

「戦略学と古代語、あと外国語をいくつか、ついでに魔法応用学。将来は宰相を目指す」

 アレクセイのように知識分野を極める者もいる。

 上級生になれば、成績や才能次第でギルド実地研修や討伐演習にも参加できる。

 学園のカリキュラムは、王国中から集まった若き才能たちを存分に鍛え上げ、将来の騎士、魔術師、学者、政治家、さまざまな逸材を輩出してきた。

 ここでの日々は、平和な学問の薫りと、時折訪れる事件とが交錯する、王都でも屈指の青春の舞台なのだ。


 剣術の授業を終えた後、朝の狩り装束とは打って変わって、シャルロッテは男子学生服に身を包み、学園の庭を駆けていた。

 今日は中庭で姉さまと約束がある。

 時間に遅れそうで、芝生の角を勢いよく曲がった瞬間――

「あっ、ごめん!」

 角の陰から現れた地味な男子生徒と、勢いよくぶつかってしまった。

 シャルロッテが軽やかに体勢を立て直すと、相手は慌てて頭を下げる。

「だ、だいじょうぶです……」

 その手元から、小さなブローチが芝生の上に転がっていった。

 ぶつかった相手は同学年で、共通の座学は同じクラスで受けている、魔術を専攻しているエミールだった。

 前髪は長めで、目元を隠している。

 シャルロッテはすぐに気づき、ぱっと拾い上げてエミールにブローチを手渡した。

 一瞬、ひんやりした感触が手に残る。

「あれ、壊れてない? これ」

「……あ、はい……」

 エミールは恐縮したようにそれを受けとった。

「ごめん、急いでるから! もし壊れてたら言って」

「いえ、大丈夫ですから……!」

 そう言い残すとエミールは慌てて走り去っていった。

 その背中を見ながら、シャルロッテは、あいつ男なのになんでブローチなんて持ってるんだ? と一瞬、気になった。

 プレゼント――にしては箱にも入っておらず、そのままポケットに入れていたようだった。

 落とし物?

 シャルロッテは指に残った感触を思い出し、無意識に自分の指先を見つめた。

 首を傾げたが、学園の昼を告げる鐘の音に思考が止まる――。

「あ、まずい遅れる……急がないと……」

 シャルロッテは止まった足を再び中庭へ向け駆けていった。



 学園の中庭。

 手入れの行き届いた芝生の上、白いテーブルクロスがかかったティーセット。その向かいに座っているのは、王国の第一王女――エレオノーラ・フォン・ベルゼルガ。

 エレオノーラはシャルロッテよりひとつ年上の従姉にあたる。

 陽の光を柔らかく反射する、絹のようなプラチナブロンド。

 彼女の翡翠色の瞳は、シャルロッテとよく似ているが、どこか穏やかな気品をたたえていた。

 華奢な指先でカップを持ち、微笑を浮かべる姿は、学園でもひときわ目を引く。

 このノイシュタット学園では身分に関係なく接するのが規則とされている。

 だがエレオノーラの存在は、規則を越えて誰もが自然と敬意を払うほどのオーラがあった。

 貴族も平民も分け隔てなく話しかけてくるが、皆どこか遠慮がちだ。

 王女エレオノーラは、誰にとっても憧れと畏敬を抱かせる特別な存在だった。

「ねえ、シャル。今朝の剣術授業――あなた、また新入生を負かしたんですって? 先生がうれしそうに話していたわよ?」

 エレオノーラがにこやかに微笑むが、その視線にはどこか意地悪な光が混じっている。

「う……別に、本気じゃなかったし」

 シャルロッテはそっぽを向きながら、もぐもぐとサンドイッチをかじる。

「ふふ、あなたがそんな風に強くなったのは、きっとグランヴィル家の血のせいね。でも……昔はあんなに可愛らしかったのに。フリルのドレスが大好きで、私の後をおいかけて――今じゃすっかり、武闘派令嬢だわ」

「姉さま……昔の話はしないで、もうあんなの着ないし!」

「でも、今度の舞踏会では、私が選んだドレスを着てほしいわ。ほら、ブルーのシルク地に細かい銀糸の刺繍をあしらって――胸元には小さな白い花のレースを散らして。スカートは三段に重ねて、裾を歩くたびにふわりと揺れるの。シャルの髪色なら、きっと青いドレスも映えるはずよ。それに……あなたが着てくれたら、きっと誰よりも素敵だと思うの」

 エレオノーラの目がきらきらと輝き、想像の中でシャルロッテにドレスを重ねていく。

「姉さま、もう……やめてよ、そんなの絶対着ないから!」

 恥ずかしさに顔を赤らめながらも、どこか嬉しそうなシャルロッテ。

 だが、エレオノーラはにっこりと微笑み、

「……じゃあ、せめて一度だけ。ね?」

 シャルロッテを見た。

「いくら姉さまの頼みでも、絶対無理!」

 シャルロッテが紅茶のカップで口元を隠しつつ顔を赤くする。

 エレオノーラはおかしそうに微笑んで、そっと肩を寄せる。

「うふふ――でも私は、今のあなたも好きよ?」

「……からかわないでよ」

 春の光が降り注ぐ昼下がり、少女たちの笑い声が中庭に広がった。

「――それにしても、また盗難事件が起きたそうね。次の舞踏会、大丈夫かしら」

 エレオノーラが言うのは、最近巷で話題になっている宝石泥棒の話だ。

 舞踏会で貴婦人が宝石を盗まれたとか、公爵家のルビーが盗まれたとか、もう何件も被害が続いている。

 シャルロッテも噂程度には話を聞いていた。

「犯人が暴れてるなら、むしろワクワクするじゃん」

 エレオノーラは溜息をつきながら、シャルロッテの手をとる。

「本気でそう思う? 貴族の世界は事件一つで簡単に歪むのよ」

「姉さまは心配性だな」

 ひだまりの中で、二人は他愛のない会話を交わしていた。

 けれどエレオノーラが気にかけているのは、間近に迫った建国祭――王国最大の祝祭だった。

 建国祭は、ベルゼルガ王国にとって一年でもっとも華やかな行事だ。

 王都ザルグラードは朝から晩まで、旗や花で彩られ、通りには露店やパレード、音楽隊が行き交う。

 祭の夜には王城で盛大な舞踏会が開かれ、国内外から集まった貴族や、近隣諸国の使節たちが一堂に会する。

 その日は王都だけでなく、国じゅうの町や村が特別な賑わいに包まれる。

 舞踏会は国の威信を示す舞台であり、王族や貴族令嬢にとっては社交界の晴れ舞台。

 それだけに、万が一にも事件や不祥事があれば、国の名誉や家同士の関係までもが揺らぎかねない。

「……建国祭の舞踏会では、国内外の目が集まるわ。そこでまた盗難事件なんて起きたら、シャル……あなたの武勇伝だけじゃ済まないのよ?」

 エレオノーラの翡翠色の瞳には、どこか憂いが浮かぶ。

「大丈夫だよ。事件が起きても、自分がいれば――すぐに捕まえてみせるし」

「ふふ、また自分って言ってるわよ、シャル」

「うっ……今のは間違えただけだから!」

「でも、本当に何事もなく終わって欲しいわ……」

 エレオノーラの不安に揺れる瞳を見て、シャルロッテは一瞬だけ、遠い記憶の底に沈んだ自分の幼い声を思い出す。


 ――昔、まだ「令嬢」だった頃のことだ。

 あの日、シャルロッテは誘拐された。

 遊び好きなエレオノーラと手を取り合い、城の裏庭でかくれんぼをしていたとき――ほんの一瞬、侍女や護衛の騎士が目を離した隙に、闇にさらわれた。

 あのときの恐怖は、今でも忘れられない。

 馬車の窓は布で覆われ、ただ軋む車輪の音だけが耳を打っていた。

 それ以来――……

「もう、誰にも頼らない。自分の手で、自分と、大切な人を守れるようになりたい」

 そう決意したのだ。

 それからというもの、シャルロッテは剣を握った。

 兄たちに混じり、泥にまみれて稽古を続け――今では武闘派令嬢、グランヴィル家の四男坊と呼ばれるようになった。


 そこへ、学園の伝令係が駆け込んできた。

「グランヴィル様、ご伝言です! 至急ギルドへ――理事会からの召集がありました」

「……ギルド? 理事会?」

 シャルロッテが目を細めると、伝令は要点だけを早口で伝える。

「建国祭を前に、不審な動きがあるとの報告が。シュトラウス様も既にギルドへ向かわれました」

「……そっか。分かった、ありがとう。姉さま、ごめん、ちょっと抜けるね!」

 シャルロッテは席を立つと、制服のジャケットをひっかけて駆け出す。

「シャルったら、またトラブルに首を突っ込むつもりね……」

 シャルロッテの背中をエレオノーラが苦笑いで見送った。

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