第1話 ギルド帰りの幼なじみ
煙と硫黄の臭いが立ちこめる、森の外れの廃村跡。
砕けた井戸と半壊の家々――かつて人の気配があったはずの石畳の広場は、今や瓦礫と焦げ跡ばかりが残されている。
その中央に、炎の魔物がうねるように姿を現した。
「討伐依頼書には新種って書いてあったけど……まあ燃えるわ、コレ」
銀の髪が揺れる。
シャルロッテ・フォン・グランヴィルは剣を片手に、軽く地を蹴った。
その動きは洗練され、迷いがなかった。
魔物が吠え、喉奥から火球を吐く。
赤熱の火線が地を走り、空気を灼いた。
だが――シャルロッテはひらりと飛び退くと、逆に懐へ滑り込む。
「遅い!」
――銀の軌跡が、燃えさかる魔物を真っ二つに裂いた。
炎の魔物の胴体が、煙とともに切断される。
石が砕けるような硬質な音が響き、魔物は黒い体液を撒き散らしながら地に崩れ落ちた。しばらく痙攣していたが、やがて完全に動かなくなる。
シャルロッテは剣先を軽く振り、付着した黒い体液を払い落とす。
肩で息をしながら小さく笑みを浮かべた。
「よし、討伐完了。……あとは証拠の魔核をギルドに提出っと」
朝日が、森の梢の向こうから差し込んでいた。
――やっぱり、朝の狩りは気持ちいい。
※
「またギルドに? 何度言えばわかる、君は――」
「だって新種の魔物が出たんだぞ? 趣味を楽しんで何が悪い」
シャルロッテ・フォン・グランヴィルは、馬車のクッションに背を沈め、長靴のまま足を投げ出していた。
銀色の短髪はあちこち跳ねて乱れ、長めの襟足だけが背に沿って流れている。
シャツの袖は肘までまくり上げられ、手首には細かな擦り傷が残っていた。外套の裾には、まだ乾ききらない泥がこびりついている。森の獣道を駆け抜けた跡がそのまま染みついたようだった。
顔にはうっすらと煤と泥。
整った造作のはずなのに、今の彼女はすっかり戦場帰りの風情だ。
それでも、翡翠色の瞳だけは、どこか楽しげに笑っていた。
朝の狩りを思い出しているのだろう。
これじゃあ、まるで戦場帰りの傭兵だ。
アレクセイ・フォン・シュトラウスは眉をひそめ、ため息をついた。
「貴族令嬢の趣味にしては斬新すぎる。泥のついた外套で登校するのはやめてくれ」
その外套の主を、登校途中に見かけて馬車に乗せたのは他でもない彼自身だ。
グランヴィル公爵家の四男――本人はギルドでそう名乗っているが、グランヴィル家の長女、唯一の子女だ。
昔は、フリルをふんだんにあしらったドレスを着ていた、愛らしい「令嬢」だったはずなのに。
どうしてこうなった。
家柄と幼い頃の愛らしさの噂から、未だに縁談の話は絶えない。
だが、成立したことは一度もなかった。
趣味は魔物狩り。
剣術の腕に覚えあり。
将来の夢は冒険者。
本人曰く、学園を卒業するまでにギルドで冒険者のランクをSにすることが目下の野望だとか――。
この国では騎士と魔術の家柄が幅を利かせる。
とりわけグランヴィル家は魔物討伐で知られる古い名門で、王家とも近い血縁だ。
現に彼女の母親は前国王の姫――つまり国王の姪でもある。
……なのに、その令嬢が朝から泥まみれでギルド帰り。アレクセイの頭痛の種は尽きなかった。
馬車が学園正門前で止まる。
芝生の上に制服姿の生徒があふれ、貴族令嬢たちの笑い声が響く。リボンや真珠の髪飾り、近衛騎士見習いの剣帯――その中で、馬車から降り立ったシャルロッテはひときわ異彩を放っていた。まるで騒がしい宴会場に迷い込んだ放浪剣士のように。
「ほら、シャル様よ、今日もかっこいい……!」
「ねえ、あれ絶対今朝も討伐帰りだよね?」
「またギルドの依頼かな……あの外套が似合いすぎてずるい!」
ひそひそ声の波。だがシャルロッテは意にも介さず、大股で歩き出す。
校舎の窓からも視線が集まり、男子生徒がぽつり。
「あの細腕で魔物を一撃で倒したとか……信じられるか?」
「いや、俺はあの人に剣の稽古つけてほしい派」
学園内では男装の四男坊として、街ではギルドの討伐者として――すでに伝説じみた存在だった。
もちろん「グランヴィル家の四男」が実は令嬢だと、上流階級の多くは知っているが、それを口外する者はいない。
家柄の後ろ盾と、面倒ごとの芽は早めに摘むという貴族社会の無言の掟が、それを支えていた。
騒ぎの中、シャルロッテは満足げに伸びをする。
「シャル……せめて外套は脱いでから降りろ。泥が……」
アレクセイの声も聞かず、彼女は門前の騎士像を仰ぐ。
「――よし、今日も平和だな! じゃあ先行ってる!」
そう言い残し、シャルロッテは爽快に笑って校舎へ駆けていった。
アレクセイ・フォン・シュトラウスは、そんな彼女の後ろ姿を見送りながら、深く溜息をついた。
彼は名門シュトラウス家の嫡男。王国でも屈指の頭脳派の一族として知られ、代々宰相を輩出してきた家柄だ。その影響力は学園内外に及び、アレクセイ自身も周囲から一目置かれている。
けれど――シャルロッテは彼にとって、気の置けない幼馴染であり、昔からの悩みの種だった。もう少し普通に振る舞ってくれたら――何度そう思ったことだろう。
それでも、シャルロッテ・フォン・グランヴィルが彼女である以上、それはきっと叶わない夢なのかもしれない。
羨ましさと心配、そしてどこか誇らしさの混じった複雑な思いを胸に、アレクセイはいつも彼女のトラブルの後始末を引き受けるのだった。
お読みいただきありがとうございました!40話ほどありますので毎日更新してゆきます♪