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もと女神は冒険者はじめます!  作者: さわやかシムラ
◇◇ 第一章 ◇◇
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第49話 水に満ちた世界

 次なるは四十九階層。

 目の前に揺らめくのは、淡く金色を帯びた"ゲート"だった。


 その表面には、今までのような“裂け目”も“地形の写り込み”もない。 ただ、無機質な光が蠢くように満ちている。


「なんも見えねぇぞ」


 先に一歩踏み入れて戻ってきたレオが、眉をひそめながらそう言った。


 彼が戻ってくるのが早かったのは、危険があったからではない。 単に――何も見えなかったからだ。



 全員で"ゲート"をくぐった瞬間、眩しさが爆ぜるように視界を支配した。


 目を閉じても、閉じたはずの瞼の裏まで、白に染まる。 開けば、すぐに光の刃が網膜を裂こうとする。


 靴底が確かに地面を捉えている感触はある。 だが床の材質も、空間の広さも、天井の高さも、まるでつかめない。


 ――どこまでが自分で、どこからが世界なのか。 全てが光の中に溶けていくようだった。


「うっ……なんか……くらくらする……」


 ティエナがふらりと揺れて、そっと胸に手を当てる。 肩の上のノクも、耳をたたみながら顔をしかめた。


「こりゃ厄介だね……目が頼りにならない空間なんて……」


「これは……ほんとに、どうにかしないといけませんわね……」


 イグネアも眉を寄せていた。 普段は静かな彼女の声音にも、明確な戸惑いが滲む。


  眩すぎる光は人の境界線も曖昧にしてしまい、誰の表情もはっきりとは見えない。ただ声と、気配だけがそこにある。


「まぶしすぎて目が開けられないよぉ……みんな、ちゃんとそばにいる〜?」


 オーキィがぽつりと呟いた。 その手は目元を覆いながら、まるで何かを探るように前方へ差し出されている。


「壁も見えねぇし、影もねぇ……どっち向いてんのかすら、わかんねぇな……」


 レオの声には、いつになくわずかな苛立ちが混じっていた。


「……試しにさ、光を遮っちゃえばどうだろう」


 フィンがしゃがみ込み、発光し続ける床と思われる地面を拳で叩く。

 続いてレオも地面の表面を撫ぜる。


「……ちっ、土の感触じゃねぇな。魔法で出した土とか石で覆えりゃいいんだけど、量が足りねぇか」


ノクが肩の上でこつんと顎に爪をあてると、小さく呟いた。

「……何かほかに良い方法ないかな」


 一度、静寂が落ちた。


 その静寂を、ふわりとやわらかい声が破る。


「……なら、わたしがやってみるよ」


 ティエナだった。 光の中で顔は見えない。ただ、その声にはいつも通りの柔らかさと、ほんの少しの自信が混じっていた。


 彼女は両手を胸の前に広げ、指先を揃える。 低く、けれど明確な詠唱が空間に響いた。


「――《清流の手》」


 そこに、水が生まれた。


 眩い光の中心に、静かに波打つ蒼が広がる。 最初は掌ほどの大きさだったそれは、まるで意思を持つように空間を満たしていく。


 流れる水は、光を歪め、飲み込んでいった。


 広がる水は床へ、壁へ、天井へ――すべての“面”に行き渡る。 あたりは徐々に、光そのものが「淡い水色の層」に変わっていく。


 まるで空中に張られた水の天蓋。その一枚越しに、光はゆらめきとなった。


「……なにこれ、綺麗~~!」


 最初に声を上げたのはオーキィだった。 彼女はゆっくりと手を目元から離し、驚き混じりの眼差しで周囲を見渡す。


「これは……水の膜……?」


「空間全体に光を通す“フィルター”をかけたようなものだね」 ノクがぽつりと呟く。


 イグネアは目を細め、天井を見上げた。 そこに映っているのは、ゆらめく水と、仲間たちの影。まるで水中から水面を見上げているような錯覚。


「幻想的、ですわね……でも、助かりました」


「ん、よくやったなチビ」


 レオが背中の剣を軽くたたきながら、ティエナの頭をわしわし撫でた。


「わ、わたし、子どもじゃないもんっ……」


 そう言いながらも、ティエナの頬にはうっすらと笑みが浮かんでいた。


「水遊びに来たみたいな空間だねぇ~」 オーキィが長い袖をたゆたわせながら、わざと足元をしゃばしゃばと蹴る。水が跳ね、裾にしっとりとした感触が広がった。足音も、濡れた地面を踏む鈍い音に変わっている。


「うぅ、足元がちょっと冷たいかも~……でも、水って感じするねぇ」


「まぁでも、進めるなら十分だ」


 レオが一歩前に出る。 水の膜の下、わずかに透ける足場を確かめるように、音もなく踏み出す。


「じゃあ、進軍開始だな」


 イグネアもそれに続き、残るメンバーも静かに歩き出す。


 目を灼く光はすでにない。 ただ、静かに揺れる水の世界――煌く水のトンネルだけが、彼らの前にあった。


 水を蹴りながら道を進む。明るさも申し分なく、ただただ綺麗な空間を歩いていく。


 フィンはそっと壁の水に指先を触れ、滴る水を見つめた。


「しかし、これだけの水の量、操れたのか?」


 ティエナの呼吸がひと時止まる。神の記憶が蘇って力が還ってきた――なんて説明はできない。


「え、えーっとね、神様に会ったときに……そう! パワーアップしてもらったの!」


 言い切ったティエナの声は、どこか焦り気味で、視線が泳いでいる。


「……あぁん? チビ、おまえさっきそんなこと言ってなかったじゃねぇか」


 レオが不満げに言いながら、ちらりと振り返る。


「そんなパワーアップあるなら俺も行きたかったぞ」


「え? レオも?」


「おい、あの時の鏡、持ってきてねぇのか?」


「鏡でしたら、ティエナが帰ってきたときに粉々になってましたわ」イグネアが事もなげに言う。


「もっかい、あの闇の場所で手に入らんかな……」


 どうやら本気で神の間にのりこみたいようだ。


「随分食い下がりますのね……わたくしの鏡でよろしければ差し上げましょうか? 神様にお会いする前に身だしなみを整えるとよろしいですわ」

 イグネアが涼やかな声で微笑む。


「いらねーいらねー」

 レオは両手をひらひらと振った。


 その時――

 バチッ、と空間がひび割れるような音がした。


「っ……!」


 仲間たちが一斉に身構える。

 光の膜の奥から、じわりと滲むように複数の光の球体が姿を現す。それぞれが強烈な光の帯を放ちながら、空間を焦がすようにうごめいた。


「さっきまでの眩しさの中だったら、これ見つけらんなかったな……」

 フィンが静かに呟く。


 だが、今は違う。

 ティエナの水が光を和らげ、視界を取り戻した今、この魔物の姿もはっきりと捉えられる。


 レオが剣を抜き、水を蹴って飛び出そうとした――その瞬間。


 ティエナがすっと腕を前に差し出した。


「……ごめんね、ちょっとだけ、任せて」


 次の瞬間、水がうねりを上げた。

 トンネル状に張られていた水が一斉に動き、まるで巨大な波が空間を飲み込むように、光の球体たちへと迫っていく。


 ごぼ、ごぼぼ……っ。

 いくつもの球体が水流に包まれ、まるで炎が水に触れたように、淡く音を立てて、泡のように消えていく


 ほんの数秒。静けさが戻った空間には、水の膜だけが再びゆらゆらと揺れていた。


「……はやっ」

 レオが水を払うように手を振る。「ちょっとぐらい俺にやらせろっての」


「えへへ……」

 ティエナは照れくさそうに笑いながら、また一歩、先へと歩を進めた。


 その後は、危ういこともなく順調に進み――

 やがて、五十階層へと続く"ゲート"がその姿を現す。

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