第48話 その手を、握り返して
――すべては、静かになっていた。
怒り狂ったように吹き荒れていた炎は消え、焼け焦げていた岩肌の色も、ひときわ鈍くなっていた。
地熱はまだ残るが、肌を突き刺すような熱気は、もうない。
ただ、湿った地面のあちこちで、まだ蒸気がゆらりと立ち上っている。
ティエナは、しばらく黙ってその場に立ち尽くしていた。
「……やっぱり、水ってすごいなぁ」
その呟きは、静けさの中にふわりと溶けていく。
すべてが戻ったわけではない。けれど――天界のころの記憶と力が、今の自分と重なりはじめている。
新しい存在の輪郭が、ほんのりと形になってきた気がした。
懐かしさの余韻が、胸の奥をじんわりとあたためていく。
ふと視線を落とすと、足元には、赤く脈動する石片がいくつも転がっていた。
焼けた魔物の魔核――赤い魔晶。
「おおぉー、赤いのいっぱいある~……」
ティエナはぺたんとしゃがみ込み、両手で赤光をそっと拾い上げる。
ころころ転がる石に、指先でリズムをつけて集めていくその姿は、妙に楽しげだった。
──その時。
「ティエナ~~~っ!!」
耳慣れた叫び声と共に、白い衝撃が彼女の脇腹に突撃してきた。
「おおうっ!?」
全身をもって飛びついてきたのは、ノクだった。
涙をボロボロ流しながら、ティエナの胸に顔をうずめ、ぐすぐすとしゃくり上げる。
「いた、いたぁ……もう、いなくなったかと思って……うぅ……!」
「ノク!? だ、大丈夫だよ、ちゃんと帰ってきたよ~……!」
慌てて頭をなでようとしたティエナだったが、その手が届く前に──
「ティエナちゃ~~~んっ!!」
今度は、上空から巨大な影が降ってきた。
「ええっ!? ちょ──っ、オーキィぃぃっ!?」
覆いかぶさるように飛び込んできたのは、銀髪の大女――オーキィだった。
ノクごとティエナをぎゅうぅぅっと押し倒し、全身で包み込むように抱きしめる。
「うぎゅぅ~~……痛いよぉ、オーキィ……!」
「きゅ、きゅう~~~……」ノクも目を回す。
「ご、ごめんねっ!? でも、でも……! 本当に、本当に心配したんだから……!」
オーキィは目尻をぬぐいながら、懐かしさと安堵で顔をくしゃくしゃにしていた。
「とりあえずヒールしとく? ほら、ちょっとだけ光りますよ~……♡」
ウキウキした声で魔導触媒のメイスを握り、ティエナの脇腹にぺたぺた手を当ててくる。
「や、やめてオーキィ! どこも怪我してないからぁ~!!」
そこへ、軽やかな足音が近づいてくる。
「おかえりなさいまし、ティエナ」
声に顔を上げれば、そこにはイグネアが立っていた。
髪の先は少し焦げ、紅のアーマードレスには煤が薄く残っている。それでも彼女の立ち姿は乱れ一つなく、姿勢も目線も凛としていた。
まるで空気そのものが引き締まるような気配の中、イグネアは静かに右手を差し出してくる。
「ただいま、イグネア」
ティエナはぱっと笑みを浮かべ、その手をしっかりと握り返す。
瞳には安堵と喜びが混じり、表情は自然とほころんでいた。
そして、イグネアに引かれるようにして起き上がった。
「よぉ、チビ。無事そうでなによりだな」
レオが剣を背中へと収めながら、やや口元を緩めて言った。
「一週間近くも一人でよく切り抜けたな……」
フィンが赤く脈打つ魔晶を手に取りながら、しみじみとした声を漏らす。
「……え? 一週間? 半日ぐらいじゃない……?」
ティエナがスカートの裾を払いながら、きょとんと首をかしげた。
……一同沈黙。
(あ~~、あの空間……ここの世界と時間の流れズレてるんだ……)
ティエナはじんわりと冷や汗をかきながらも、そっと笑みを浮かべて言った。
「移動しながら、情報交換しよっか」
*
イグネアが前に出て、みなに歩きながらの進行を促す。その足取りに合わせるように、パーティは再び歩き出す。
「ここは……四十八階層ですの」
イグネアの言葉に、ティエナが目をぱちくりさせる。
「えっ、そんなに下まで来てたの? わたし、確か……四十五階層で……」
「ええ。あなたがいなくなってから、新しいセーフレストを経て、罠の迷宮、空の断崖……と越えてきましたわ」
説明を受けたティエナは、驚きとともに眉をひそめる。
「……聞いただけで、行きたくない感じがする……ほんとに悪質なダンジョン作ってるなぁ、リュミナのやつ……」
ぼそっとこぼしたその言葉に、フィンがぎょっとした表情で顔を上げた。
「おい、今なんて……? ダンジョンを作った奴の話したか?」
ティエナは「なんと答えたものか…」と眉を寄せ瞳を閉じるが、静かに口を開いた。
「わたし、このダンジョンの創造者に会ったの」
「ダンジョンの創造者!? 身長は!? 年齢は!? 性別は!? 古代人だったか!? それとも人の形ですらないとか!? このダンジョンの目的は!?」
フィンのテンションが急上昇し、ティエナに詰め寄る。
「ごめんね、ティエナちゃん。フィンくんダンジョンオタクだから…」
オーキィがフィンをたしなめながら引き離した。
そして歩きながらティエナは語る。視線は遠く赤く揺れる地表を眺めていた。
「このダンジョンを創ったのは、光の神リュミナ=シエ――」
ティエナの声は静かだったが、不思議な余韻があった。
「人の役に立つアイテムを、試練と引き換えに与える。……そんなおせっかいな神様だよ。たぶん、ね」
軽く笑うその表情の奥に、どこか複雑な陰が宿っていた。
「あと…リュミナと話した部屋が、この世界と別次元にあるから時間の流れが違ったんだろうねぇ…」
「試練とかいらねぇから、アイテムだけくれりゃいいのにな」
レオがいつもの調子でぼやく。
「光の神リュミナ=シエ……“正義・祝福”に次いで“試練”の側面も持つと聞きますわ」
イグネアは進行方向に危険がないか注視しながらも、そう口を挟む。
「そうそう、光の信徒の人たち、“これは神の試練だ!”ってすぐ言うんだもん。私あれ苦手なのよねぇ……」
オーキィが苦笑混じりに続ける。
ティエナの脳裏に、古い記憶が差し込まれる。
白い泉のほとりでくつろぐ時に決まって、金の長髪ローブ男がやってきて言うのだ。
「ティエル! さぼるな! 責務を果たせ!」 幾度となく聞いた天界での小言も蘇る。……あれも、試練だったのだろうか。
(どうでもいいことも思い出したなぁ)とティエナはひとり苦笑いを浮かべる。
「くっそ、オレも創造者に会いたかった! で、このダンジョンは何階層まであるんだ?」
話を聞きながらも、フィンは抑えきれない好奇心をそのまま口にした。
「んー……そこまでは、聞いてない……というか、すぐ帰ってきちゃったから……」
「ええええ!? なんでもっと粘らなかったんだよ!」
「ご、ごめんってば~! でも五十階層に“贈り物”を用意したって言ってたよ?」
「ほう? 贈り物って何なんだ? 武器か? 魔導具か?」
レオが食いついてくる。
ティエナは足を止め、顔の前で両手を開き、ぎこちない苦笑いで答える。
「それも…聞いてない」
自分でももっと聞いてくれば良かったと思う。失敗したなという気持ちで冷や汗が滝のように流れる。
レオは溜め息をつきながらも彼女の頭をがしがしと撫でる。
「お前ほんっとに、聞くこと聞かずに帰ってくるタイプだよな……」
「ふふっ……でも、無事に戻ってきてくれましたから、よいではありませんか」
イグネアが柔らかく笑う。
「そうだよ~! ほんとに、心配したんだからね?」
オーキィもティエナの背中にぴとっと抱きつく。
「……ありがと、みんな」
ティエナは静かに笑う。
胸の奥に広がるあたたかさを噛みしめながら、彼女は仲間たちと共に、次のゲートへと歩みを進めていった。




