第37話 偽りの森
扉を開けた先にあったのは、空間そのものがねじれたような“歪み”だった。岩壁にぽっかりと開いたそれを見つめ、ティエナが小さくつぶやく。
「これがゲート……?」
転移装置のようでいて、まるで異質な裂け目。中心には揺らめく空間の向こう側が見える。霧に包まれた樹々の輪郭が、風に揺れていた。
「……あぁ、こいつだな。間違いない」
レオが肩越しにそれを見て、確信するように答えた。
「うへー、こんな不安定そうなところに入るのー?」
ノクの声が頭上から降ってくる。
「だいぶ出遅れちまったからな。挽回しないと」
フィンは短く言ってから、ゲートの縁を見つめた。
かつてこの場所に挑もうとして、当時の仲間の反対で踏みとどまった――その過去が胸をよぎっていた。
「がんばろうね、フィンくん!」
拳を握りしめたオーキィが、ふんすと気合を入れる。
「なんか……前来た時は、もっと肌がひりつくような感じがしたんだがな。感じが違うな」
レオが眉をひそめる。
「前回来た時は一人だったのでしょう? それだけわたくしたちの事が頼もしいということですわ?」
イグネアが髪をかき上げ、ふふんと胸を張った。
「へ、言ってろ」
片眉を上げたまま、レオは先に歩み出る。続いて、一行はゲートの裂け目へと足を踏み入れた。
空間がぐにゃりと揺れる。
踏み出した先には、見たこともない植物と木々が広がっていた。四十階層まで続いていた洞窟の世界とはまったく異なり、天を仰げば空がある。陽の光すら降り注いでいるようだった。だがその光はどこか異質で、冷たさすら帯びている。
「事前情報通りですわね」
イグネアが周囲を見回しながら言う。
「ここ明るいけど《灯光球》まだ必要かな?」
ノクが宙に浮かびながら尋ねると、フィンが即答した。
「一応維持しておいてくれ。森の中を歩くことになるなら、明るい方が良い」
ティエナはそっと、そびえる樹木に手を添えた。
(……わたしが知ってる森の木と、違う)
木の皮の感触は確かにある。けれど――中に流れるはずの水の気配が、まるでない。
まるで、外見だけが木の形をしていて、その内側はダンジョンの岩壁と同じもののように感じられる。
視えるものと、感じるものの不一致。
その違和感に、思わず目眩がしそうになった。
「果実のようなものも生ってるけど……食べちゃだめなんだっけ」
オーキィが手を伸ばしかけて、引っ込める。
「ロイからはそう聞いてますわね」
イグネアがうなずく。
「まあここがダンジョン内っていうなら食わんほうがいいだろうな」
レオが肩をすくめた。
「ずいぶんと確信的に言いますわね」
イグネアが目を細めると、レオは薄く笑った。
「お前らダンジョン内の壁とか砕いて持ち出そうとしたことあるか?」
「ダンジョンから出た瞬間に消えるんだよな? ダンジョンを繰り抜いて進めないかとかいう昔の実験の記録に、掘り出した石材が消えたという記述があったな」
フィンがぽつりと呟く。
「まあそういうことだ。俺も再三ぶっ壊して、興味本位で欠片を持ち出そうとしてみたが、駄目だったよ」
「それと果実と何の関係があるの?」
首をかしげるティエナに、レオが肩をすくめたまま答える。
「もし食べた物が持ち出せない物として、血肉になったときに外に出たら、身体はどうなるんだろうな? まあ試してみないとわからんが」
「消えたらシャレにならんな」
フィンの呟きに、
「ひえええ……」
ティエナが顔をしかめた。
「じゃあ魔核とか、宝物とかは意図的に持ち出しOKにしてるってことか」
オーキィが人差し指で顎に触れながら、真剣な面持ちで結論づけた。
その後、一行は森を進み、猿型の魔物に追いかけられる場面もあったが、事前にロイから聞いていた「しっぽが本体で魔核がそちらにある」との情報を活かし、難なく対処することができた。
困難だったのは、次の階層へ進む“ゲート”の探索だった。
森林エリアは広く、方向感覚を狂わせ、マッピングも困難を極めた。
そして、ゲートを見つけるまでに、彼らは丸二日を要した。
最後にたどり着いたのは、一本の巨大な樹木だった。その幹の根本、ぽっかりと開いた“うろ”の奥に、歪んだ空間の気配を感じ取った。
遠目にはまったく見えず、近づいてようやくそれが“次のゲート”であることに気づいたのだった。
「このまま見つからなければ、樹木全部焼き払うところでしたわ」
イグネアが肩をすくめる。
「魔銀や魔金といった希少な魔核は手に入るが……いかんせん疲れるな……」
フィンが深いため息をついた。
「これでやっと次にいけるね……」
ティエナの声にも、珍しくくたびれた色が混じっていた。
その場にしばし沈黙が落ちた。
二日間にわたる探索での疲労は、誰の顔にも色濃く表れていた。
「……無理に進む必要はありませんわね。今夜はここで休みましょう」
イグネアが当然のように告げると、ほっとしたような吐息がいくつも漏れた。
「賛成。さすがに今日は動けねぇ」
レオが肩を回しながら、近くの岩にどさりと腰を下ろす。
「うん……ぼくも、一日中《灯光球》維持してるからヘトヘトー……」
ノクはティエナの肩にぺたんと座り込んだ。
「じゃあ、ちょっと先に“ゲート”の確認だけしておくね」
オーキィが立ったままでも入れてしまう巨大な“うろ”に、そっと足を踏み入れる。中に漂う転移の気配を、確かめるように視線を走らせた。
やがて、焚き火の準備と就寝の支度が始まる。こんな時こそ食事はとっておきの肉だ。しっかり腹を満たした後は、収納袋からそれぞれの簡易マットと厚手の毛布を取り出し各々快適に過ごせそうな場所に身を落ち着けていく。
火のそばに腰を下ろしながら、ティエナはふと頭上を見上げた。
枝葉の隙間から空は見えない。けれど、星の気配も、風の流れも、何かが“違う”。
(……やっぱり、この森は変だ)
自然に似ていて、まるで自然ではない。
木々に触れたときに覚えた違和感が、胸の奥でくすぶっていた。
「明日は……ちゃんと進めるといいな」
ティエナが小さく呟くと、ノクがまるくなったまま「うん」と返した。
*
揺れる空間を抜けた先に広がっていたのは、荒涼とした岩だらけの荒野だった。吹きすさぶ風が土煙を巻き上げ、視界を霞ませる。太陽の光はあるはずなのに、風にさらされた肌にはじんと冷たさがしみ込んだ。
耳に届くはずの足音すら、風に攫われて消えるようだった。
言葉を発しても、自分の声が他人のもののように聞こえる――それが、この階層の異常だった。
オーキィは苦笑しながらつぶやいた。
「事前情報でわかってても、辛いことってあるよねぇ……」
「ノク! 風ではぐれないようにわたしにつかまっててね!」
ティエナが小さな相棒に声をかけると、ノクは素直に頷いた。
「ぺっぺっ……くそ! 砂利が飛び込んできやがる!」
レオは舌打ちしながら口元をぬぐい、ポーチから取り出した防塵マスクを装着した。
他の仲間たちも、風と砂に備えてそれぞれの対策を整えていく。
「一度風が遮れる岩陰に移動しましょう」
イグネアが冷静に指示を出す。
そのときだった。
一瞬、風が止んだように感じられた。
それと同時に、空がゆっくりと、暗くなる。まるで何かが──こちらへ落ちてくるかのように。
フィンが目を細め、空を見上げる。
「……あれ、事前情報にあったか……?」
「いやー、聞いてないよねぇ……」
ノクが呟いた。
舞い上がる砂煙の向こうに、塔のような巨大な影が立っていた。
それは――土に突き立った、巨大なサンドワームだった。




