第35話 お試しの握手
広場の中央、荒れた石畳の上に、微かに土煙が舞っていた。
「広場をこんなに壊して、どうなさいますの!?」
イグネアの怒声が響いた。
彼女の怒りの視線が突き刺さる先に立つのは、金髪の青年――レオ。
「また地面を吹き飛ばして……っ。このあと、ここでテントを張る方もいらっしゃいますのよ? まさかこのまま放置するおつもりじゃありませんでしょうね?」
小さく腕を振りながら、イグネアは早口でまくしたてる。
「だいたい罠を破壊する為に地面壊して回ってるんですの? やることが大雑把すぎますの! あなたは丁寧できないんじゃなくてやらないだけ! ただの怠慢ですわ!」
それでもレオは、大剣の柄を肩に引っかけたまま、あくび混じりに気の抜けた声を上げた。
「ホントうっせえなぁ? 直せばいいんだろ?」
レオは気だるげに腰の重心をずらすと、剣の束を軽く握る。短く詠唱を唱え、足元に魔法陣が展開されると、歪んだ石畳がゆっくりと元の形に整っていく。
「文句あっか?」
だが、イグネアの小言は、当然のように続いた。
「ありますわよ! 直せばいいってものではありません! 無駄な破壊をするなと申してるんです!」
レオは眉をひそめ、煩わしげに肩をすくめる。
「火属性だからって、カッカすんなよ。めんどくせーなぁ……」
その挑発的な物言いに、イグネアの頬がぴくりと引きつる。
「っ……!」
だが、その怒りが爆発する寸前で、オーキィがひょこっと背後から現れ、ぽんぽんとイグネアの肩を叩いた。
「イグネアさまも、少し落ち着いてくださいー?」
イグネアは目を閉じてひとつ息を吐き、肩を上下させながら冷静さを取り戻す。
髪を払うような仕草で立ち直り、姿勢を正す。
「少し……はしたなかったですわね。申し訳ありませんわ」
その様子を見て、レオは鼻で笑った。
「で、凍結回廊の対策ってなんなんだよ。教えてくれるんだろうな」
焚き火の周囲に集まった一行に向けて、イグネアが再び姿勢を正す。
「ええ、もちろん。凍結回廊――この先、43階層に広がるとされている氷の領域は、魔物だけでなく、環境そのものが危険です。凍結による移動不能、視界不良、そして冷気による体力低下。これらに対処できるかが、生存の鍵になりますわ」
その説明の間、レオはどこか上の空で話を聞いていた。
そして、ふとティエナの肩に乗っていたノクをちらりと見やる。
腰のポーチに手を突っ込み、ごそごそと何かを探ると、小ぶりの保存パンをひょいと取り出し、無言でノクの前に差し出した。
ノクは目を丸くして固まった。
「……え? え? ありがとう……? な、なんでぼくに……?」 戸惑いながらもパンを受け取るノク。
問われてレオも自分自身の行動に驚く。
「あん? ……なんでだろうな…? いつもの癖だ。気にすんな」
公園で犬にパンをあげていたレオを思い出してティエナがくすりと笑う。
その視線に気づいたのか、レオは一瞬だけバツの悪そうに目を逸らすと、咳払いひとつでごまかした。
「で、その対策って言うのはどうやるんだよ」
イグネアがかいつまんで先ほど広場で冒険者たちと行っていたことを伝える。
「それはそのチビがいねぇと対策出来ねぇってことか? もしくは《土竜爪》か。土属性魔法なら俺だけでもなんとかなるか……」
考え込むレオに、ティエナがぽんと手を打った。
「え? レオさんも一緒に行けばいいじゃん?」
一同「は?」
予想外の一言に、場が静まり返る。
「別にレオさんも、ひとりじゃなきゃダメな理由ないんでしょ?」
ティエナの問いかけに、レオが口をへの字に曲げる。
「足手まといになるやつらは、ごめんだぜ?」
イグネアがひとつ頷き、堂々と宣言する。
「このメンバーの皆さんの実力は、わたくしが保証いたしますわ。でも……」
彼女はジロジロとレオを値踏みするように見つめる。
「……なんだよ」
「……あなたは団体行動できなさそうだと思いまして」
「まぁ、できんわな」
レオが即答する。だが、ティエナは諦めない。
「えー、一緒に行こうよー」
フィンが腕を組んだまま考え込んでから口を開いた。
「……オレも、できるなら一緒に行くのはありだと思う。戦力は厚い方がいい」
「確かに、前衛もう一人いた方がバランスいいよねぇ」
オーキィがゆったりと微笑みながら同意する。
「ぼくも、その方がいいと思うなー」
ノクまでパンをかじりながら頷いていた。
イグネアは小さくため息をつく。
「……まぁ、みなさんがそうおっしゃるなら」
レオは少しだけ目を細め、肩をすくめる。
「おいおい、勝手に決めんなよ」
「じゃあどうしますの? 一人で野垂れ死にますの?」
イグネアが軽く挑発気味に返す。
「このパーティーに入るとオトクだよ!」 ティエナがにっこり笑って宣言する。 「ほら、エルデンバルギルド前のケーキ屋のクッキーもつけちゃう!」 ポーチからとっておきをチラッと見せる。――勝負アイテムであることは言うまでもない。
「……なんだよそれ」
レオは呆れたように顔をしかめたが、しばらく黙って皆を見回した後、やれやれと言った風に片手を上げた。
「……あー、まぁわかった。じゃあ、しばらくお試しで組ませてもらうわ。やりづらければ抜けさせてもらうがな」
「やったー!」
ティエナが嬉しそうに飛び跳ねた。
イグネアが一歩前に出て、丁寧に手を差し出す。
「では、これからお願いしますわ」
「……あぁ、しばらく頼むわ」
レオがその手を握り返す。その光景を見ていたティエナはおもわずにんまり。
(……お手、みたい。って言ったら怒られるかなー)
ティエナの脳裏に浮かんだその呟きは、口に出されることはなかった。




