第34話 狂獅子、帰還す
人混みの広場、その一角。
薄暗い岩壁の隙間から、ふらりと一人の男が歩いてきた。
金髪の短髪に鋭い目つき、口元には犬歯が覗く。全身を引き締めた筋肉質な体躯に、背には身の丈ほどのバスタードソード。その腰には、長剣と小剣も帯びられていた。
――広い場所ではバスタードソードを振るい、狭い通路では長剣、状況に応じては小剣も使う。
戦況に応じて武器を使い分けるその姿は、実戦で鍛えられた者ならではの風格を漂わせていた。オレンジと黒を基調にした軽装姿は、派手さと実用性を兼ね備えていた。
一瞬、広場の空気が止まる。
誰かがその姿に気づいた瞬間、ざわ……と冒険者たちの間に動揺が走った。「狂獅子だ」「本物か?」「また何かやらかす気か?」そんな声が、あちこちから小さく漏れ聞こえてくる。
その反応に、当の男が眉をひそめた。
「なんだぁ……? なんか言いたいことあるやつでもいるのか? だったら――前に出てこいよ」
レオは両腕を大きく広げ、周囲を見回して挑発するように吠えた。
空気がさらに張り詰め、誰も動けずにいる中――
イグネアが、ふうと小さくため息をついた。
「あら……どこの野犬かしらね。もう少し静かに吠えることはできませんの?」
その言葉に、レオの動きが止まる。
ぐっと顔をイグネアの正面に近づけ、鋭い眼光でにらみつける。
「なんだよ、お前が喧嘩売ってくんのか?」
挑発に応じるかのように、イグネアの表情がピキリと硬直した。
「誰彼構わず喧嘩売ってるのはあなたの方でしょ! ちょっとこちらにいらっしゃいな!」
ばしっとレオの片耳をつかむと、そのまま引きずるように奥のベンチへと歩き出す。
「ちぎれる! 痛たた! 耳がちぎれるって!」
騒ぎの中心が動いていくのを、周囲の冒険者たちはぽかんとした顔で見送っていた。
その様子をティエナたちも目で追い、慌てて後を追いかける。
*
ベンチに腰を下ろしながら、レオが耳を押さえてぼやいた。
「……こんな敗北感、久しぶりだわ」
イグネアが呆れたように言い放つ。
「あなたはもう少し人付き合いというものを考えなさいな。そのやり方だと損しかしませんわよ」
「うっせえなあ。なめてくるやつは思い知らせてなんぼだろうが」
口を尖らせながらも、レオは少し気まずそうに視線を逸らした。
そのとき、ぱっと明るい声が響く。
「レオさんだー! ひさしぶりー!」
ティエナが笑顔で手を振りながら駆け寄ってきた。
「あぁ…? スタトで会ったチビか。お前マジでここまで来れたのか」
「らくしょーらくしょー!」
自信満々に言い返すティエナ。
イグネアがどや顔で胸を張る。
「だからあなたを越える逸材だと申したでしょう?」
「いまだに信じられんが…? さっきの騒ぎの中心もこのチビか」
ティエナが照れ笑いを浮かべる。
「えへへ……」
その肩でノクがぽそっと呟く。
「……たぶん褒められてないよ!」
その様子を見ていたフィンが、ティエナに顔を寄せる。
「お前、よく“狂獅子”と仲良くできるな。噂しか知らねぇがヤバいやつなんだろ……?」
「? レオさん普通に面白い人だよ? そういえば今日は動物つれてないんだね?」
きょろきょろと辺りを見回すティエナ。
レオが腰のポーチをちらりと見せる。
「このダンジョンには魔物しか居ねぇんだわ。パンだけは持ってきてるけどな」
「えー撫でられなくて残念~」
ティエナが頬をふくらませると、ノクが苦笑したように首を傾げた。
フィンが困惑気味にオーキィへ耳打ちする。
「嘘だろ、俺は人違いしてるのか?」
オーキィが微笑みながら応じる。
「噂で人柄を判断しちゃいけないってことだよ、フィンくん」
レオがじろりと振り返り、二人に視線を向ける。
「後ろの二人も言いたいことがあるなら、目の前でハッキリ言えよ?」
イグネアがぴしゃりとレオの頭をはたいた。
「喧嘩を売らないの」
レオが口を開きかけたそのとき、フィンが小さく息を吸い、真面目な声で言葉を紡いだ。
「……はぁ。すまん。噂と聞いてたより、まともそうな人物だった。勝手に危険人物と判断していたりして悪かった」
その言葉にレオは目を丸くし、苦笑を漏らした。
「なんだそれ? 初対面で頭下げられたの初めてだわ」
少し肩をすくめたあと、どこか照れくさそうに頭を掻く。
「でも…まあオレの方も態度悪くてすまねぇな。こんなやつだと思っといてくれ」
すかさずイグネアがもう一発。
「あなたは態度をあらためなさいな」
「いちいち叩くなよ!」
レオがむくれたように頭をさすりながらぶつくさ言うと、イグネアは涼しい顔でレースのハンカチを整える。
――どこか、姉弟のような掛け合い。
その空気の余韻が残る中、オーキィはそっと頬をゆるめた。
(あんなイグネアさま見たの初めてかも~)
*
「呆れましたわ。じゃあスタトで別れてからというもの、本当にずっと一人で潜ってましたの?」
イグネアが半眼で問いかけると、レオは肩をすくめて応じた。
「まぁな。三週間くらいかけて、ひとまず四十階層まで行ってきた。噂の“ゲート”ってやつも見たぜ。……けどな」
言葉を切り、レオは少し視線を伏せる。
「……なんか、妙な感じがしてな。進んだら戻ってこれない気がした。だから、一旦引き返してきた」
「直感で、退いたってこと?」
ティエナが興味深そうに身を乗り出す。
「ああ。……まあ正直言うと、食料の残量もヤバかったしな。そろそろ引き返す頃合いでもあった」
「なんでこのダンジョンの魔物、食えねぇんだろうな」
レオが吐き捨てるように言えば、
「魔物から食料や素材が取れたら、もっとやりようもあるのにな」
フィンも渋く同意を返した。
「ですが、退いたのは正しい判断ですわ」
イグネアが落ち着いた声で続ける。
「いま《アンダー》には、四十一階層以降の情報が少しずつ集まってきていますの。対策できるところは、きちんと整えておくべきですわ」
「で、みんな仲良く訓練ごっこがこれか?」
レオがベンチから腰を上げ、周囲を見渡す。広場の冒険者たちはすでに散り散りになり、空気は落ち着きを取り戻していた。
レオの挑発には乗らず、フィンが冷静に返答をする。
「凍結回廊は準備が生死を分けそうだしな。攻略の糸口が掴めたのは大きい」
「ほぉ? 俺にも詳しく聞かせろよ」
レオが目を細めて興味を示した。
その視界に、イグネアが割って入ってくる。
「あら? もう少し早ければ、一緒に楽しめましたのに」
イグネアがいじわるそうに微笑むと「楽しかったよ!」とティエナが無邪気に笑った。
「おいおい、ケチケチせずに教えてくれてもいいだろ?」
レオが後頭部をかきながら、不満げにぼやいた。
その様子を見てフィンが肩を竦めると同時に、半分あきれたように呟いた。
「まあ確かに、情報ってのはタダじゃねぇからな。情報料、払ってもらったらいいんじゃないか?」
「では、フィンに任せますわ」
イグネアが一歩引いて促す。 情報には情報で応じるべきだとでも言いたげなその仕草に、フィンは小さく肩をすくめた。
「オレ? じゃあ代わりに教えてくれ。どうやって四十階層まで一人で行ったんだ? 三十階層を超えると罠の密度が段違いなはずだが」
問いかけに、レオは少し考える素振りを見せた後、立ち上がる。
「罠なぁ……まあ、全部ぶっ壊しただけだが。見せた方が早いか」
レオは背中のバスタードソードを抜き、誰もいない広場の一角へと歩を進める。
その様子に、オーキィが思わず声を上げた。
「えっ、ちょ、何する気……」
ティエナもノクも目を丸くして見守る中、レオが剣を構える。そして、声高に叫んだ。
「先は“食らう地面”――砕け散れ!《グランド・ブレイカー!!》」
轟音とともに、前方の岩床がバキバキと割れ、粉々に砕けた。
「……こんな感じだな」
唖然とする一同。ノクが魔力の揺らぎに気づき、少しだけティエナの肩に身を寄せる。オーキィは驚いた後、どこか楽しげに笑みを浮かべていた。
フィンが額に手を当て、ぼそっと漏らす。
「……力技かよ……」




