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もと女神は冒険者はじめます!  作者: さわやかシムラ
◇◇ 第一章 ◇◇
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第26話 霧に潜む、殺意の核

 セーフレスト2――通称“アンダー”が目前という安心感が、空気をゆるませていた。

 長丁場の五日目。罠や魔物にも慣れ、会話にも余裕が生まれていた。

 だが、それは、ほんの数歩先に潜んでいた異常を前に、音もなく崩れ落ちた。


 ──足元から、白いもやが立ち上る。


 それはまるで、何かの封印が解けたかのように。

 空気が瞬時に変わった。肺に入る息が凍りつくほど冷たい。肌を刺す感覚では足りない。皮膚の奥、骨の内側から凍てついていくような冷気だった。


「……これ、まさか……」


 ティエナが顔をこわばらせ、かすれた声で呟く。彼女の脳裏には、あの酒場で聞いた噂話がよみがえっていた。


『三十階手前で、冷気ヤバい魔物に遭ったってパーティがいてさ』

『ポーションも凍ったらしい』

『でも、同じ魔物に出くわす確率は低いけどな』


 確率など、今となっては何の意味もなかった。


 ──キィ……キィィ……


 微かな、しかし不気味な音が響く。氷が軋む音だ。

 その音に意識を奪われているうちに、床に走る白い筋が視界を切り裂いた。


「……あれ、床……?」


 ノクが呟く。視線の先、暗がりの通路に何かが這ってくる。

 冷気が、霧が、まるで意志を持つかのようにゆっくりと流れ込んでくる。蛇のように這い、壁を登り、天井へと染み込んでいく。石壁に薄氷が張り、結晶が鈍く光を返す。


 通路全体が、静かに、しかし確実に“凍って”いく。


「……は? おい、なんでだよ……ランダム構造だろ!? なんで出会っちまうんだよ!?」


 フィンの叫びは、恐怖を塗りつぶすように響いた。

 だが、誰も返さない。ただ、視線が、じり……と彼に向けられていく。


(あー……そういえば……)ティエナもふと考え込む。


(…………これは……見過ごしていましたわねぇ…)イグネアも一つの風景を思い起こす。


 全員が同時に、あの光景を思い出していた。  ──五日前。セーフレストの転移装置の前。  フィンが無造作に手をかざし、魔力を流し込んだあの瞬間を。


 じわじわと集まる視線。


「……ちょっと待て。なあ。なんで、みんな、俺を見てんだ……?」


 誰も答えない。


「おい、やめろ。おいってば……やめろ! 俺が悪いのか!? 転移起動しただけだろ!」


 ティエナが困ったように笑い、「うん、でもなんか……ね?」 ノクが真顔でうんうんと頷いている。


 イグネアが神妙な顔で「不思議と、納得がいきますわね」


 オーキィが、いたずらっぽく肩をすくめながら、「フィンくんは悪くないよ……運が、悪いんだよ」


「言ってる場合かよ!」


 ──カッ、カッ、カッ。


 硬質な爪が、凍った床を叩く音が響いた。

 霧の向こう、世界が白銀に染まる中、それは音もなく姿を現す。


 氷晶に覆われた獣。

 蜘蛛に似た多脚を持ち、ねじれたような脚が、滑る床をゆっくりと歩く。

 背中の中央に埋め込まれた魔力核が、蒼く脈動していた。


 空気が、さらに冷えた。

 皮膚が裂けそうなほどの寒さ。


「構えろ、来るぞ!」


 その言葉が響いた瞬間、空間に氷の粒子がざわめいた。

 氷晶の獣が低く身を沈めると、宙に浮かぶ氷晶の盾とは別に、前脚の間に冷気が凝縮されていく。

 ──シュゥゥ……ッ!

 空気を震わせて、一条の氷の槍が発射される。


「避けろッ!」


 全員が反応し、身をかわす。氷槍は一直線に飛び、石床に突き刺さる──

 その瞬間、着弾点を中心に、白い霜が爆発的に広がった。

 石が軋み、床一面が瞬時に凍りつく。


「なに、今の……っ!」


 ティエナが目を見張る。

 広がった氷が床を覆い、彼女たちの足元へと迫ってくる。


 フィンの号令とともに、全員が即座に陣形を組む。

 ティエナが《水流の刃》を繰り出す。水が弓状にしなり、鋭い刃となって敵へと走る。

 だがその刹那、空中に浮かぶ鏡面の盾──凹面に湾曲した氷晶の板が、音もなく割り込んだ。


 水流の刃は盾に接触した瞬間、音もなく弾かれ、霧散。

 水滴が霧と交わり、冷気をさらに濃くした。


「跳ね返された……!?」


 ティエナの目が大きく見開かれる。

 魔法が……通らない? それだけで、身体の芯に氷を流し込まれたようだった。


「相手が氷などというのなら──この炎で、応えて差し上げますわ!」


 イグネアが手を掲げ、炎の球を生成する。赤熱を放つそれを、一直線に撃ち出した。


 ──が、それは迎え撃つように口元から氷の塊を吐き出した。


 氷弾と火球が空中で衝突。

 爆音とともに爆ぜ、灼熱と冷気が混ざり合い、霧が濃くなる。

 雪のような粒子が降り、視界をほぼ奪う。


 その雪は止むことなく降り続き、霧が視界を削る。全員が、輪郭のぼやけた影に向かって感覚を研ぎ澄ませる──


「……なんなの、これ……見えないっ!」


 ティエナが叫ぶ。

 その叫びがこだまする中でも、床の凍結はじわじわと広がり続けていた。


「近づいて確かめるしかないか……!」


 オーキィがメイスを構え、駆け出す。


「効くかどうか、試してみるよっ!」


 踏み込む──が、足が滑った。

 床一面が薄く凍りつき、見た目では分からないが、接地感が消える。

 オーキィの身体がぐらつき、メイスの一撃は空を切った。


 そこへ、鏡氷盾がふわりと旋回して飛来する。

 空中に舞い、静かに、しかし正確に彼女の前に割り込むと、盾の縁が鋭く前方へと突き出され、オーキィの胸元に勢いよく叩きつけられる。

「──ぐっ!?」

 彼女の背がのけ反り、石床に踵を引きずる音が響く。氷の床を三歩、四歩と滑り、勢いを殺しきれずに膝をつく。だが、すぐに彼女は顔をしかめた。

 ついた膝が、キィ、と甲高い音を立てて凍りつき始めたのだ。


「うわっ、ちょっと……これ!」


 オーキィは慌てて後方へバックステップし、凍結の波から逃れる。

 滑る床、動く盾──この状況で、まともな接近戦などできるはずもない。


「魔法もダメ、物理も届かない……っ」


 ティエナの声が震えていた。


 フィンの左腕には、簡素な小型のボウガンが固定されていた。近〜中距離に対応した軽装備で、威力は控えめだが、判断と精度次第で隙を突くには十分だった。

 フィンが静かにそのボウガンに手をかけた。

「反応を見る……」


 小型のボウガンから放たれた矢は、霧の中の輪郭に向けて放たれた。 視界は悪いが、敵の“反応”を見るには十分だった。  だがその前に、再び氷晶の盾が割り込んだ。音もなく、機械のような精密さで矢を受け止める。


「……魔法だけじゃねぇな。物理にも反応してる。あの盾、勝手に動いてるぞ」

 吐き捨てるようにそう言って、フィンは矢筒から次の矢を抜いた。

 イグネアも表情を引き締め、唇を噛む。


「この冷気……わたくしの炎まで拒むなんて……!」


 その中で、フィンが一歩前に出た。

 装着した小型のボウガンが、わずかに震えていた。


「……クソ、こいつ……やっかいだぞ」


 その瞬間だった。


 ──パキィィンッ!


 甲高い音が響き、霧の中から無数の氷の矢が放たれる。

 狙いは一人ではなかった──パーティ全員を一斉に狙った攻撃だった。


「避けろッ!」


 フィンの叫びと同時に、彼の小型ボウガンが火を噴く。

 一本の氷矢の軌道をわずかに逸らし、それはノクを掠めてすぐそばの石壁へ──


「っ、ありがと……今の、マジでヤバかった……!」


 オーキィはノクを掴み、懐に抱えるようにかばうと、メイスを全力で振るって迫る氷矢を迎え撃つ。鋭い衝突音とともに、氷の矢は砕け散った。  「っ、重っ……! 今の、一発でもまともに食らったら……」  オーキィが歯を食いしばる。


 ティエナは次々に迫る氷矢を軽やかにステップで回避する。

「ひゃっ、ちょ、ちょっと多くない!?」


 イグネアは「させませんわ!」と声を上げると、レイピアを素早く振るい、飛来した氷矢の軌道を斬り払うように逸らした。


 それた氷矢は、石壁や床に突き刺さる。…が、


 ──ズズ……ッ!


 突き刺さった氷矢からは、まるで生き物のように霜が這い、石を裂きながら壁面全体を飲み込んでいく。

 その凍結音は、骨の奥まで響くようだった。


「今の、当たってたら……」

 ティエナが青ざめた顔で呟く。


 ティエナは目を伏せ、震える声で言った。

「……これ、冗談じゃないよ。本気で、殺しにきてる……」


 フィンの顔にも緊張が走る。

「……ああ。守るだけのやつじゃねぇ。こいつ、間違いなく殺意を持ってる」




 あの氷の魔物の輪郭が、再び白銀の中に溶けていく。 だが、確かに聞こえた──氷を裂くような、次の一手の音。 まだ、戦いは始まったばかりだった。

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