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もと女神は冒険者はじめます!  作者: さわやかシムラ
◇◇ 第一章 ◇◇
30/151

第24話 託された翼

 セーフレストの一画、夜の酒場。

 黄色く滲む光が天井の梁から吊るされた魔石灯に揺れていた。

 木の香りとスパイスの匂いが混ざる空気の中、笑い声や食器の音が賑やかに交差する。

 そんな活気に満ちた空間の隅、ティエナは少しだけ控えめに椅子に座っていた。


 目の前の料理には手を伸ばしかけて止めてしまっていて、スプーンの銀面に映る自分の顔をじっと見つめていた。

 賑わいの中に身を置いているのに、どこか自分だけが静止しているような感覚。

 脳裏には、あの兄妹と、その仲間たちが懸命に石を拾っていた光景がくっきりと残っていた。

 倒れた妹の足元を庇っていた兄の震える背中。

 そして、自分たちに差し伸べられた瞳。

 彼らの命は、今日たしかに、こちらに預けられていた。


(……楽しいだけじゃ、済まされないんだ)


 命を拾い、命を運び、命と並んで歩く。

 それが“冒険”なのだと、初めて本当に理解できた気がしていた。


「食わねぇのか?」


 隣からフィンの声。ノクがスープ皿を器用に抱え戻ってきて、オーキィは甘味を手にしながら腰を下ろした。

「こういう甘いものは、心を整えるための必需品なんですよ」と、ちょっと得意そうに口角を上げた。


 ティエナは小さく笑って、「……いただきます」と手を合わせた。


 *


 セーフレストは小さな街を形成しているとはいえ、娯楽の選択肢は限られている。

 束の間の休息を楽しもうとする冒険者たちは、今夜も酒場の片隅でカードを囲んでいた。

 木製のテーブルでは、フィンと中年の冒険者ふたりがポーカーで火花を散らしている。

 フィンが淡々とカードを開く。「……フルハウス」

 相手の男の顔が一瞬ひきつり、口元が歪む。


「おいおい、イカサマしてんじゃねぇのか?」


 フィンは肩をすくめ、崩れそうな笑いを押し殺しながら、無言でコインをかき集める。


「証拠あんのかー? サマ師さんよぉ?」


 相手が舌打ちとともに手札を伏せる。

 そのやり取りを、少し離れた席で見ていたティエナが首をかしげた。


「フィンくん、運が悪いんじゃなかったの?」


 フィンはグラスを手にし、くるりと回しながら肩をすくめる。


「実力よ、実力。ツイてるときは乗るに限る、ってな」


「ふふ。イカサマ相手には強いもんねー?」

 オーキィが穏やかに笑う。

 それは事実の指摘であり、暗黙の了解だった。


「なに言ってんだ、俺だってツイてる時ぐらいあるっての」

 フィンはグラスを軽く揺らしながら、強がるように笑ってみせた。


 オーキィがカードの束を取り出す。


「じゃあ、いまからフィンくんの“運の悪さ”を証明するね?」


 ティエナが目を輝かせる。

「やるの!? わたし、観客!」


「ここにハートとスペードのエースが1枚ずつあります」

 オーキィがカードを見せてから、さらさらと手元でシャッフルする。


「どっちがハートかな?」


 フィンが真剣な顔でカードを見つめる。


「こっちだ」

 ペラッ。


 ハートのエース。


「おおっ……?」

 フィンが顔を上げた瞬間――


「おほほほ」

 オーキィが笑いながら、フィンの腕を掴む。


「イカサマだね」

 袖口から、ひらりと一枚のカードが落ちる。


「おいっ!? 今の俺じゃないからな!? 絶対違うからな!?」


「もう一回やるよ」

 オーキィがにっこり笑う。

「次、イカサマしたら“メイス&ヒールの10連コンボ”だからね」


「それ聞いたことないけど、名前だけでめっちゃ怖ぇよ……」


 微笑みをたたえたまま、オーキィは構わずシャッフルを続ける。

 カードを手元で滑らせる指先はやけに軽やかで、期待と悪戯の気配がにじんでいた。

 フィンはどこか覚悟を決めたような顔で、静かに息を吐く。


 そして、オーキィが再びカードを二枚伏せ、テーブルの上に差し出した。


 1回目。ペラッ —— ハズレ。スペードだった。

 ティエナが「あー……」と声を漏らし、手を口元に当てて笑いを堪える。


 再びシャッフル。先ほどよりもわずかに勢いの増した手元には、余裕と遊び心がにじんでいる。


 2回目。ペラッ —— ハズレ。

 今度はノクも身を乗り出してくる。


 ティエナも目を丸くして頷く。「さすがフィン!」


 フィンの額に一筋の汗が浮かび、手がほんの少し震えた。


 3回目。ペラッ —— ハズレ。


 その後も、フィンは立て続けに五度挑戦した。

 が、結果はすべてハズレ。

 他の仲間たちは静かに見守っていた。

それでも、フィンが引くカードは、ことごとく沈黙を守り続けていた。


 ぴたりと空気が止まる。フィンはしばらく伏せたカードを見つめたまま動かず、

 やがて静かにテーブルに両手を置いた。その背中からは、見たこともないような哀愁が漂っている。


「……もう、帰ってもいいですかねぇ…!」


「これが、運が悪いってことだよ」


 ティエナの方に振り返って、満足そうにオーキィは頷いた。

 その様子を少し離れた席で見ていたイグネアは、ティーカップを口元に近づけて囁く。


(……才能ですわ。ダンジョン内で二択迫られた時は、フィンに選ばせて逆いきましょう)


 *


 周囲の席では、噂話が耳に届いてくる。


 声の主たちは三人組の男たちで、年の頃は三十前後といったところだ。冒険者装備を身につけてはいるが、肩のストラップはどれもくたびれていて、場慣れした雰囲気を漂わせている。

 空のジョッキをテーブルに置きながら、ひとりが口を開いた。


「……レオンハルトって奴、罠も床もぶっ壊して進んでるらしいぜ」

「二週間くらい前に出てったらしいな。しかも一人でだぜ? 正気じゃねぇ」


 ティエナが思わずそちらを見やり、小さく笑った。

「……レオさん、無茶苦茶だねぇ……!」


「でも、生存確認ができて良かったですわ」

 イグネアが苦笑交じりに返した。


 話題はすぐに別の方向へと移っていく。


「30階手前で冷気ヤバい魔物に遭ったってパーティがいてさ」

「ポーションも凍ったらしい。ま、同じ魔物に出くわす確率は低いけどな」


 誰かが笑い混じりにそう言ったが、フィンたちは肩をすくめるだけだった。

 転移すれば構造は変わるし、同じ魔物に出会うなんて確率はほとんどない。噂としては十分に怖いが、気にしても仕方がない。

 ティエナも湯気を立てるカップを前に、ふっと息をつくと、気を取り直すように視線を戻した。


 *


 翌朝、イグネアたちは装備と物資の確認を終え、補給所前の広場で一息ついていた。

 風に乗って微かな砂埃が舞う中、赤いマントを翻して一人の男が現れた。その背後には、控えめな装備に身を包んだ護衛が三名ほど。彼らは距離を取りつつも目配せを欠かさず、警戒を怠っていない。


「……不用意に前に出られませんように、カイネス様」


 護衛の一人が小声で諫めるが、当の本人は気にも留めずに片手をひらりと振る。


「ここは安全地帯だって言ってんだろ。あんまり心配すると、ハゲるぞ?」


 顎に指をやり、無精髭を撫でながら歩む男の姿に、イグネアの視線が吸い寄せられた。瞬間、その瞳が大きく見開かれる。


 「……なっ──!?」


 反射的に半歩前へ出て、まじまじと男を見つめる。


 飄々とした調子で広場を進む男──それが、イグネアの次兄、カイネス・フレアローズだった。


「……兄上!? なぜ、こちらに……!?」


「おう。エルデンバルで依頼だけ出して済ませる予定だったんだけどな。ちょっと面白そうだから潜ってみたわ。運良く、そっちがまだここにいてくれて助かったわ」


「……わたくしに、直接会いに?」


「スタトのドルグからお前が41階層目指すって聞いてたし、ダンジョン管理局の記録で、確かに入ってるのも確認できた。……だったらその辺の冒険者に頼むより、お前に直接頼んだ方が安心だろ」


 呆気に取られるイグネアの横で、ティエナが小さく口を開けた。


「このおっきい人が……イグネアのお兄さん!?」


「はい。次兄、カイネスですわ」


「えっ……イグネアのお兄さんって、もっと静かでキリッとしてる人かと思ってた……」


「不敬ですよ、ティエナちゃん」

オーキィが穏やかな笑みを浮かべながら、ぴしりとたしなめた。


「あー気にすんなって。静かでキリッとしてるのは、さらに上のユリウス兄貴の方。俺はもっと、気楽な兄ちゃんって感じでよろしくな」


 ティエナに軽く手を振って見せると、後方で護衛たちがさりげなく距離を取る。


「今回の依頼は、紅鷹の翼への支援物資を届けてもらいたいんだ。連中、今は41階層以降に突っ込んでる。家としては調査を急がせたいところなんだが……まあ、あそこは難所だろうし、物資も足りてないと思ってな」


「その補給を、わたくしたちに?」


「話が早いね、妹よ! ……お前なら、ちゃんと運んでくれるだろうし、こういう時の信頼できる身内ってのはありがたいもんだぜ?」


 イグネアはため息をつきながら頷く。


「……また、便利に使われますのね」


「信頼してる証拠だよ。妹が優秀で助かるって話」


 護衛の一人が肩から下ろした、やや大ぶりの荷物袋を差し出す。中には、ハイポーション、マナポーション、魔導水筒、長期保存食料などがぎっしりと詰め込まれていた。リュック一つ分相当の量で、通常の冒険者には抱えて運ぶのも難しい重さだ。


イグネアは袋の膨らみに目を落とし、小さく嘆息した。

「……収納袋がありますし、問題ありませんわ」


「助かる。紅鷹の連中、張り切ってるからな。物資さえ届けば、もっと動きやすくなるだろ」


 ティエナが小声で問いかける。「……紅鷹の翼って?」


「フレアローズ家が直轄している、Aランク冒険者レクト率いる精鋭の冒険者パーティですわ。遺物の探索や政治的に繊細な任務など、家が表立って動きにくい案件を、影から迅速に遂行する実働部隊ですの」


「そういうこと。……だからここまで支援物資を持ってきたんだよ」とカイネスは肩をすくめた。


すかさず護衛が口を挟む。「本来はエルデンバルで引継ぎする予定でした。無茶ばかりおっしゃいます」


「だから、ここまでで引き返すからよ? 兄貴に告げ口すんなよ?」と、カイネスはバツが悪そうに頭をかいた。


「本当に、よくここまで……」


「まあな。ダンジョンも楽しかったぜ? けど、渡すべきものは渡せた。あとは──兄貴から、お前への伝言だ」

 カイネスは懐から小さな紙片を取り出し、ため息混じりに広げた。

「“深層の調査は紅鷹の翼に任せておけば充分だ。無理はせず、しかるべきときに戻ってこい”──だとよ」


イグネアは紙片を受け取らず、視線だけで追いながら、目を細める。「……らしいですわね。わたくしが何をしていても、本気では気にかけてなどいないのに」


「まぁそう言ってやるなよ。お前が41階層目指すって聞いてわざわざ俺に持たせたんだぜ?」

 カイネスは苦笑し、紙を胸元に戻した。


 そして、荷物袋の上からぽんと手を乗せる。


「さて、あの連中なら平気だろうけど――もし万が一ってことがあれば、その時はこの物資も好きに使ってくれ」

 軽く袋を叩きながら笑うその顔には、いつもの軽口と、それを裏打ちするような信頼の色が混じっていた。


 カイネスはわずかに顎を上げ、妹とその仲間たちに一瞥を送る。

 その目には、からかいでも命令でもない、兄としての確かなまなざしが宿っていた。


「じゃあ、俺は行くとする。……お前たちも気をつけて」


 そう言い残し、踵を返して転移装置の方へと歩き出す。

 赤いマントが風に揺れ、街の光を受けて一瞬だけ鮮やかにきらめいた。

 やがてその背は光の柱の中に溶けていき──、静かに消えた。

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