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もと女神は冒険者はじめます!  作者: さわやかシムラ
◇◇ 第一章 ◇◇
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第23話 ダンジョンの底で、命を拾った

 明るく声を張ったその翌朝。ティエナたちは、転移装置を使って再びダンジョンへと足を踏み入れた。

 目の前に広がるのは、初めて見るはずなのに、どこか見覚えのあるような――そんな岩の壁とうす暗い苔の光。

 ダンジョンという異質な空間に、ティエナの感覚が少しずつ慣れてきたのかもしれない。


 足元に張りつく冷たい湿気が、膝下からじわじわと体温を奪っていく。

 息を吐けば、ほんのわずかに白くなった。


 ――緊張してないわけじゃない。でも、怖くはない。


 ティエナはそっと掌を前に差し出した。権能の気配が、水の揺らめきとなって指先にまとわりつく。

 小さく息を吸って、一歩、前へ。


 彼女の足元を中心に、透き通った水の膜が静かに展開される。

 《清涼の環》。空気中に漂う瘴気を浄化し、一定範囲を澄んだ空間へと変える水属性の結界――権能による働きだ。


「おぉ、すご……」  ノクが素直に感嘆の声を漏らした。 「……息苦しさがマシになるね。……やっぱティエナは頼りになるなー」


 背後からフィンの足音。

「気を抜くなよ。順調なときほど、足元すくわれるぞ」


 ティエナは小さく頷きながらも、内心にはほんの少しの誇らしさが灯っていた。


 進路は暗く淀んでいたが、どこか明るく感じられた。

 けれどそれは、《清涼の環》によって空気が澄んでいるだけで、本来のこの階層はもっと重苦しく、じめっとしていたに違いない。

 もう、“ただの初心者”ではない。

 この仲間となら、ちゃんと進める――そんな確信が、胸の奥でしっかり根を張っていた。


 そして十三階層までは、特にこれといったトラブルもなく、順調に進めていた。


 だが、その静けさを破るように、小さな音が岩陰から響いた。


 ガラ……カタッ。


 反射的に全員が足を止める。


 このダンジョンは構造が毎回変わる“ランダム構造”で、他のパーティと遭遇すること自体が非常に稀だ。

 そのため、思いがけない気配に、全員が一瞬だけ驚きを浮かべた。


 ティエナが弓に手をかけ、ノクが光球を浮かべる。

 イグネアが後衛に目を配り、オーキィはメイスを構えた。


 気配は――敵ではなかった。


「……だれか、いませんか」


 かすれた声が届く。岩陰の隙間に、小さな人影がふたつ。

 年の近い兄妹だ。兄は妹を庇うようにして座り込み、こちらに気づいて怯えたように目を見開いていた。


 ティエナが弓を下ろし、そっと声をかける。

「大丈夫、もう安心して。……怪我してるの?」


 兄が小さく頷き、妹の足首を見せる。ねんざか、強く捻ったのか、腫れて赤くなっていた。

 その足元には、割れたポーション瓶の破片。


「手が滑っちゃったのかな? でももう大丈夫だよ」

 オーキィが苦笑しつつしゃがみ込むと、妹に向かってにっこり笑いかけた。

「すぐに癒すからね。もうちょっとだけ我慢してね~」


 掌に宿る柔らかな光が、ゆっくりと足元を包み込む。

 光が染みるようにして皮膚の熱を吸い、赤みがすうっと引いていく。


「わ、あったかい……」

 妹が目を丸くしながら呟いた。


 兄もまた、ほっとしたように頭を下げる。「ありがとうございます……。まさか助けが来るなんて思っていませんでした。仲間とはぐれて、気づいたら妹とふたりきりで……」


 ノクがフィンの地図をのぞき込みながら呟く

「道具も少ないし、回復手段もなかったんだ。あの様子だと……他のメンバーは途中で離脱したか、もっと深くで動けなくなってるかも」


 イグネアが静かに言う。

「このまま進むのは危険ですわね。……仲間の方々がまだ動けずに残っている可能性があるなら、探すべきです」


 フィンが眉をひそめ、ちらりと周囲を見回す。

「……時間は取られるが、ほっとくわけにもいかんな」


 ティエナが、癒された妹の手を軽く握ってにっこり笑いかけた。

「うん、一緒に探そう。ここまで来れたんだもん、大丈夫だよ」


 兄の案内と妹の記憶を頼りに、彼らが来たという道を逆にたどる。

 フフィンを先頭に、ティエナが《清涼の環》で空気を澄ませながら進み、ノクとイグネアが後衛を警戒。

 途中で軽度の罠をいくつか見つけたが、フィンがすぐに解除し、戦闘になるような敵とも出会わなかった。


 そして数十分後、細い通路の先で、崩れたように座り込んでいる三人の姿を見つける。


「リュー!」と兄が声を上げた。

 その呼びかけに、ぐったりとしていた青年がかすかに目を開けた。どうやら他のふたりも軽傷ながら意識はあるようだ。


「無事だったか……よかった」


 回復と支援の魔法を施し、三人の状態を安定させたあと、一行は兄妹とその仲間たちを連れてセーフレストへ向かった。

 その道のりもまた、危なげはなかった。


 セーフレストが目前に迫ったころ、フィンがふと兄の装備に目をやってぼそりと呟いた。

「……よくその装備で十三層まで来たな。下手すりゃ途中でやられててもおかしくない」

 兄はばつが悪そうにうつむき、小さく答える。

「……街の外れで買った、安い中古の品ばかりで……」


 イグネアが、それまで黙っていた口を静かに開いた。

「事情はあるのでしょうけれど。……命を賭けてまで、ここで糧を得なければならなかったのですか?」


 兄はしばし迷っていたが、ぽつりぽつりと口を開いた。

「……それでも、稼がないと。僕たち、帰る場所がなくなってしまうから……」


 その声はか細く、それでもしっかりとした意志を感じさせた。


 彼と妹は、もともと戦闘要員ではなかった。

 荷物を運び、魔核を拾う――いわゆる“拾い専”として、パーティに加わっていたのだ。

 戦闘はリューという青年と、他の二人が担当していたという。

 自分たちはその後ろをついていくだけ。それでも役に立てると思っていた。


「……でも、十三層で魔物に襲われて……戦いの途中で混乱して……。気づいたら、妹とふたりきりで逃げていて……」


 そこまで語って、兄は唇を噛みしめた。

 その顔に、悔しさも、自責も、恐怖も混ざっていた。


 イグネアがそっと視線を落とし、静かに口を開く。

「……命を軽んじる気持ちはなかったのですね」


 兄は、小さく首を横に振った。


 その答えに、誰も言葉を返さなかった。だがその沈黙が、軽くはない何かを確かに受け止めていた。


 やがて一行は、転移装置のある広間へと辿り着いた。

 起動の儀式を終えると、光が床から立ち上り、ティエナたちを包み込む。


 瞬間、視界が反転するような浮遊感。

 そして次の瞬間、足元がしっかりとした石畳に変わり、目の前にセーフレストの街並みが現れた。


 兄妹とその仲間たちは、到着後にギルドへ無事を報告し、そこで別れを告げた。

 兄は何度も何度も頭を下げ、妹は小さな声で「ありがとう」と言って手を振った。


 それを見届けてから、ティエナたちは酒場へ向かうことにした。


 歩き出しながら、ティエナはふと足を止め、そっと掌を見つめた。

 あの兄妹と、その仲間たち――命をかけて、ただ魔核を拾うためだけにこの場所を歩いていた人たち。


(……冒険って、楽しいだけのものじゃないんだ)


 ぽつりと、胸の奥にそんな言葉が浮かんだ。

 これまで“楽しい”と思っていた感情に、違う色が混ざり始めている。

 フィンに叱られたときも、頭ではわかっていた。

 でも今は、それがもっと深く、自分の胸に染みてくる。


(……私の力で、守れる命があるなら)

(それを“楽しい”なんて言葉で曇らせたくない)


 あの兄も、きっと誰かのために動こうとしていた。

 なら、わたしの力も――きっと、誰かを支えるためにある。


 水と命の神であったという自分。

 その意味を、ようやく一歩、見つめ始めた気がした。


 彼らがまた歩き出せるように。  小さくとも、その命が前を向けるように。


 ティエナは小さく息を吐いて、仲間たちの背を追いかけて歩き出した。

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