第22話 その布団、冒険者仕様につき
魔法の実技訓練が終わったのは、太陽が傾きはじめた頃だった。 詠唱の構文に沿って魔力を流し、形を作り、放つ――たったそれだけのことが、どうしてあんなに難しいのか。 けれどティエナは今、湯気の立つスープを前にして、へとへとになりながらも、どこか満足そうに息をついていた。
「……ふぅ〜……ちゃんと飛ばせたけど、最後の最後まで“ズバッ”て貫く感じになっちゃって……」
スプーンを口に運びながら、ティエナが呟く。
疲労の影は見えるが、その声には小さな誇らしさがにじんでいた。
「そあれ、命中してた以上に……的が真っ二つだったのがすごかったな」 隣でチキンスープを注文していたフィンが、ぼそりと漏らす。
「やっぱ、やりすぎだった……?」
ティエナが目をまるくすると、対面のオーキィが軽く肩をすくめた。
「うん。的の後ろの壁まで貫通してたよ」
「……それはそれで、実戦向きってことでいいんじゃないか?」
フィンが溜息混じりに言いながら、パンをちぎって口に放る。
「まぁ、よく当てたよ。いろいろすっ飛ばしてたけどな」
ティエナがスープの器を抱えて、首をすくめる。
それでもその顔は、ふわっとした笑みに包まれていた。
「でも、ほんとに飛んだんだよ。ちゃんと”魔法”で」 「なんか……すごく不思議。わたしでもできるんだなって」
その言葉に、オーキィはふっと笑みを返した。
「初めてで、ここまで形にできるのは普通じゃないよ。ちょっと威力がつよすぎたけど、手応えはあったんじゃないかな?」
「うん……あった!」
ティエナは、ちょっとだけ胸を張った。
夕暮れ時の酒場は、ほどよくにぎやかだった。
各テーブルでは冒険者たちが食事を取り、明日の依頼や戦利品について賑やかに語っている。
その一角、窓際の四人席で、ティエナたちは遅めの昼食をとっていた。
その頃、ちょうどフィンの注文していた品が届き、目の前にそっと置かれる。
酒場の扉が開いて、ノクとイグネアがひょいと顔を出す。
「ただいまー。おっ、ちょうどご飯中?」
「遅れてすみません。いろいろ見て回っていたもので」
フィンはスプーンで皿の中をすくい、もそっとした何かを見つめながら首をかしげた。
「……これ、チキンスープじゃなくね?」
ノクもその様子を覗き込んで、首をひねる。
「絶対これ注文と違うだろ。豆と魚介でぬるっとしてるし、チキンどこ行ったんだよ」
その隣で、オーキィがふっと微笑む。
「フィンくん、いつも運が悪いから――見てて飽きないのよねー。……悪い意味じゃないよ?」
「……完全に悪い意味だったぞ今の」
そうぼやきながらも、フィンは皿を端に寄せ、腕を組んで首を傾げた。
「運と言えば……ダンジョン深層には宝箱もある。運が良ければ、魔導具や魔法武器が手に入ることもある」
「オレは……魔道具とかはまあ、見たことないけどな」
フィンがぼそっと付け加える。
「ハズレばっかりよね。ミミックとかもいたし」
オーキィが、どこかうっとりとした表情で言った。
「ミミックにかじられてたフィンくんにヒールしたときは、楽しかったなぁ……」
「今はその話はいいよ……」
「魔導具とかって、どんなのがあるの?」
ノクが興味津々といった様子で尋ねる。
「火を噴く曲刀とか、雷を放つ盾とか……あと、神と交信できるって噂の道具もあったな。あと、水やりしなくても育つ堆肥とか。意味わかんねえけど」
「へえー、そんなのが拾えることもあるんだ」
ティエナが目を丸くする。
「で、そういうのが手に入っても、バッグに空きがなかったら持ち帰れねぇ。だけど、今回は……お前たちの収納袋がある」
「ところでさ、収納袋って……あとどれくらい入るもんなんだ?」
イグネアがさらっと答える。
「わたくしの分でも、あと二、三人分の装備一式なら問題ありませんわ」
「わたしのは…わかんない!」
ティエナが元気よく言い放つ。
「瓶を何本かに分けてだけど、エンラットキングもお供も余裕で詰められたよ」
「実質無制限かよ……すげえな」
フィンが頭をかく。
「それなら、ちょっと変なもん……いや、快適グッズも持ち込もう。布団とか」
「布団?」
ダンジョンでティエナが敷いた布団に、あのとき一番否定的だったのはフィンだった。
そのフィンが口にしたことで、驚いたみんなの視線が、一斉に彼へと注がれる。
フィンは真顔だった。
「いや、もともと布団持ち込むなんて正気じゃないと思ってたけど、荷物の制限がなくなるなら話は別だ。マントや毛布より断然マシだし、持てるなら全員分あってもいいと思ってさ」
「ふふん、わたしのヒラメキもたいしたものでしょー! ふかふかで気持ちいいよねー」 ティエナが頷く。
「ちょっとした贅沢だけど、頭も身体もスッキリするわよね」
オーキィが笑みを浮かべながら言う。
「わたくしは――あまり快適すぎると、奇襲を受けたときのとっさの反応が鈍りそうですし……」 イグネアが手元のグラスをくるりと回しながら、珍しく困ったような顔をした。 「……でも、魅力的な提案ですわね」
「じゃあ、次は鍋とスパイスも持ってって、みんなでカレーしよ、カレー!」
ノクが茶化すように言うと、ティエナが思わず乗った。
「いいね、それ! じゃあわたし、にんじん持ってく!」
「ピクニックじゃないんだぞ……いや、でも……ありか」
フィンが苦笑しながら肩をすくめると、テーブルにまた笑いが広がった。
一行はその後、必要な買い出しをすませて、それぞれの宿に戻った。
*
夜の帳が降りた頃、ティエナたちは宿の一室に集まっていた。
フィンとオーキィは別の宿に戻っており、今ここにいるのはティエナ、イグネア、ノクの三人だけだった。
ノクは自分の荷物を開け、小さな手で慎重に何冊かの本を取り出し、机の上に並べる。
「本屋、けっこう面白かったよ。古い資料が残ってる小さな店を何軒か回ってね」
ノクはページを一枚めくり、机の上の紙束のひとつをそっと押さえた。
「これ、竜信仰に関する記述らしいんだけど、説明もなく置かれてた紙束でね。中身は“祈り”みたいな言葉がいくつも書いてあったんだ」
「祈り……?」ティエナが小さくつぶやく。
「うん。誰かが何かにすがってたみたいな……助けてって、強く願ってる感じ。そんな雰囲気だった」
ティエナはそっと、その紙束の端に触れた。
《泡涙のさざ波》――彼女の権能が、静かに発動する。
ふわり、と、どこか遠くから染み出してくるような、痛みのような、静かな震えが伝わってくる。
「……この紙、まだ……すごく悲しい気持ちが残ってる」
ティエナの指先が、ほんのわずかに震えていた。
それでも、彼女の表情は次第にやわらぎ、胸の奥から湧いてくる静かな気持ちを受け止めていた。
*
……今日は、すごく長い一日だった。
朝はちょっとだけ怖かった。ちゃんと話せるかな、って。
でも――ちゃんと話せたし、ちゃんと笑えたし、ちゃんと進めた。
昨日までのわたしなら、きっと一歩も動けなかった。
でも今は、ちゃんと前を見ていられる。
みんなと、また冒険に出られる。
それが、こんなに嬉しいなんて思わなかった。
だから――
「明日も、がんばるぞー!」




