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もと女神は冒険者はじめます!  作者: さわやかシムラ
◇◇ 第一章 ◇◇
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番外編5 フィン先生のダンジョン講座

※こちらは、ダンジョンガチ勢のフィン先生による超実践型ダンジョン解説です!

読み飛ばしても本編の進行には支障はございませんが、命を落としたくない方と、ノートを埋めたい方はお付き合いください。


 空気を変えるように、フィンが椅子をずずっと引き寄せた。


「……じゃあ、教えてやるか。——本来なら有料で教えるような内容だが、特別に無料でな」


 ティエナは慌ててノートを広げ、ペンを構える。


「皆さん、がんばってくださいね。もし辛くて、物理的に怪我をするようなことがあればすぐ言ってください?」


 (どんな状況だ……)オーキィが静かに微笑む横で、ノクは机の上で香箱を組みながら目を細めていた。


 イグネアは一切動じた様子もなく、まるで最初からそういう流れだったかのように真剣な表情でフィンの方を見ていた。


 こうして、フィン先生のダンジョン講座が始まった。


「このエルデンバルのダンジョン。中に入るっつっても、扉をくぐったり、階段で降りるわけじゃねぇ」


 フィンは椅子の上で姿勢を正し、掌を軽く開いた。


「ダンジョン入口には、意味をなさない痕跡のような文様が浮かぶ転移装置があるんだ。その円形の台座に立つと、意識を保ったまま、パーティ単位で完全に分離された構造空間へと放り込まれる」


 言葉の節々に、これまで幾度も経験してきた実感がにじんでいた。


「そこには、誰も助けてはくれねぇ。探索と帰還を、自力で成し遂げるしかない世界が広がってるんだ」


「まず最初にすべきことは何かわかるか? はい、ティエナ」


「はい! まず風向きと匂いを確認して、魔物の足跡を辿ります!」


「ちがう! たわけ! それは森の中でやることだ!」


 あいたっ、とティエナの額にペンが飛んできた。


「まず最初にすべきことは、明かりを灯すことだ」


「暗いとか聞いてないよぉ……」


 ノクがぱちりと目を開き、静かに相槌を打った。


「ダンジョンの中は陽が届かねぇ。転移装置で飛んだその一歩目、全員を待ってるのは——平等な暗闇だ」


 フィンはティエナの額から転がり落ちたペンをひょいと拾い上げると、自分の席へ戻り、空中に図でも描くようにくるくると回してみせた。

「暗闇じゃ、罠も見えねぇ、魔物がどこから来るかもわからねぇ。その場でうずくまったところで、腹は減るし、喉も乾く。……なにより、精神が焼き切れる」


 フィンは手のひらに乗せたペンをくるりと回し、指の背、甲の上と滑らせながら自在に操ってみせた。


 その軌道に自然と目を奪われたティエナが、ぽつりと声を漏らす。

「おおおおおお……」


 ノクは香箱座りを崩さぬまま、静かに目を細めていた。


「とにかく、明かりの確保は最優先だ。命をつなぐ火種だと思え。絶やすな」


 少し間を置いて、フィンは次の話題へと移る。


「ダンジョンの構造ってのは、基本ランダムだ。前回あった道が今回はない、なんてことは当たり前だ。……だから、前に作った地図は使えねぇ」


「けどな」フィンは指を一本立てる。

「地図は、それでも大事だ。特に撤退時にな」

「戻り道を記録しておけば、もしも進行中に想定が崩れた時、どのタイミングで帰るべきかの判断材料になる」

「面倒でもいい。……ダンジョンに入ったら、毎回マッピングしろ。それが生きて帰る近道だ」


「そして、構造についてもう一つ覚えておけ」


 フィンが声を低くする。


「15階層、そして30階層。ダンジョンには、その2ヶ所にだけ“安定階層”——通称セーフレストと呼ばれる安全な拠点が存在する」

「帰還装置があるのも、補給ができるのも、そのセーフレストだけだ」

「物資も水も、そこで買えるが……高ぇぞ。宿も倉庫も、すべてが命の値段だ」


 ティエナが「うへぇ」と小さくうめく。ノクが目を伏せてうなずいた。


「セーフレストまでの到達には、最速でも三日。それも全てが順調にいった場合の話だ。実際は四日、五日……それ以上かかることもある」


 フィンはちらりとイグネアに視線を向けた。

「ここで大切なことが一つある。わかるか、イグネア?」


 すかさず、オーキィがぴしっとフィンの腕を手で叩いた。

「不敬ですよ」


「いてっ!」


 イグネアはほんの少しだけ目を細めて——すぐに静かに頷いた。

「……食料、ですわね?」


 「正解だ!」フィンが指を鳴らす。


「だから、食料と水の管理が重要になる」

「腹が減ったら、まともな判断なんてできなくなる。水が切れたら……それだけで死が見えてくる」

「進むか戻るかの判断は、体力と、手持ちの物資を見て決めるんだ」

「配分を誤ったやつから、脱落する」


「だから、覚えておけ。進むも地獄、戻るも地獄。引き際を誤るな。その判断を見誤ったとき——命を落とすのは時間の問題だ」


 「……あの、地獄しかないんですけど」ティエナがそっと手を挙げた。


 フィンはチラリと目を向けたが、構わず続けた。


「……もうひとつ、大事な話をしようか」


 フィンの声に、自然と場の空気が張り詰める。


「もし、仲間が死んだら——どうする?」


 ティエナが手を止め、ノクの耳がぴくりと動いた。


「戦闘で、あるいは罠で……誰かが死んだら、そこに置いていくしかねぇ」

「遺体を抱えて進むのは現実的じゃねぇし、それだけで全滅のリスクが跳ね上がる」

「このダンジョンは突入時に構造が変わる。中にいる間は戻れるが、一度出たら次に入る時にはもう別の構造だ」

「つまり——死んだ仲間のもとへは、二度と戻れねぇってことだ」


 イグネアが微かに息をのむ。


「だから、遺体も、装備も、置いていく。それが現実だ」

「伝えたいこと、渡したいものがあるなら——ダンジョンに入る前に託しておけ。中じゃもう、間に合わねぇ」


 短く、鋭い一言が、部屋の空気を切り裂いた。


「それが、このダンジョンのルールだ」


 ティエナがそっと唇を引き結び、ノクは静かに香箱座りを解いて姿勢を正した。

 イグネアは視線を伏せ、何かを呑み込むようにまぶたを閉じる。

 部屋に満ちていた空気が、まるで一段階重く沈み込んだようだった。


 しばしの沈黙の後、フィンがぽつりと呟く。

「……じゃあ、オーキィ。俺が途中で死んだら、どうする?」


 オーキィは静かに微笑みながら答える。

「……その瞬間、私の癒しの役目は終わってしまうわね。でも、いままで通り死なないように治癒してあげるから、死なせないわ」


 「仮定の話ができないのか、お前は!バカめ!」フィンがぼやきながら振り返る。

「——じゃあ、ティエナ。俺が途中で死んだら、どうする?」


「えええええー!」

 ティエナは即座に声を上げた。

「置いていかないといけないのは、わかってますけど……でも、絶対連れて帰ってあげたいです……!」

「水葬の……じゃなくて、収納袋に入れて持って帰ります!」


 フィンは一瞬絶句し、それから目を伏せて肩をすくめた。

「……お前、まじか」


 フィンは椅子にもたれ直し、今度は指を三本立てた。


「さて、三つ目だ。事前準備を怠るな。これが最後の基本原則だ」


 フィンはふと視線を横に向けると、ノクの方を見た。

「ところで——どうだ、そこの白い竜。お前ならダンジョンに何を持って入る?」


「し、白い竜……? ぼくのこと……だよね?」ノクの耳がぴくりと跳ねた。


「あー、悪い。聞く相手間違えたか。お前は持ち物……いらねぇよな?」


「いや、聞いてくれていいよ!…そうだなぁ、床で寝るには辛いから厚みのあるマントとか、あと回復用にポーションとか…あとランタンも欲しいよね。僕の魔力でずっと灯すわけにもいかないし」


「…お前は大したものだなぁ。まあ、それらはまだ一部。他にもいろいろ必要だろう」


「ダンジョンに入る時点で、勝負の半分は決まってる」

「荷物に何を入れるか。何を削るか。何が足りないと命に関わるか。……それを考えてない奴から脱落する」


「収納袋? あれば楽だ。でもない奴が大半だ」

「だからこそ、お前らが背負ってる荷物の重さには、自分の命が詰まってると思え」


 言われてすぐ、ティエナは自分の荷袋にそっと目を落とした。  イグネアも腰に下げた収納袋に一瞬だけ手をかけかけて——やめた。まるで何かを思い出すように、静かに視線を伏せた。  フィンはそれを見て、小さくうなずいた。


「誰かが倒れた時、自分が引き返すだけの手段があるか? 明かりはあるか? 地図はあるか? 水と食料は?」

「……考えろ。生き残るための準備を、先にしとくんだ」


「それと——魔物についても少し触れとくか」

「ダンジョン内の魔物は、外をうろついている魔物とは違う。倒すと“魔核”だけを残して崩れてしまう」

「つまり、食料にはならねぇし、素材も取れねぇ。狩って解体するような真似はできねぇんだ」

「ただし、“魔核”——この核には価値がある」

「低階層では石ころ同然のものばかりだが、敵が強くなれば“魔銅”や“魔鉄”といった、魔力を帯びた素材が手に入ることもある」

「それを使えば、装備や道具に魔力を付与できるから、職人や商人には引っ張りだこだ」


「だから、序盤で素材を拾ったからって気を抜くなよ。狙うなら、魔銅か魔鉄。それ以外は気休めだ」


「では、これからダンジョンで徘徊している魔物特徴の話をしていくが……」


 そのまま、フィンの講座はさらに細かな敵の特徴や対処法、過去の事例などに及び、終わる気配を見せなかった。


 ティエナはノートを取る手が止まりかけ、すでに三枚目に突入したページの端をにじませながら唸っていた。

 ノクはいつの間にか机の下で丸まり、目を細めながら片耳だけを動かしている。

 イグネアは最後までまっすぐ座って話を聞いていたが、時折まぶたが重たそうに揺れていた。

 オーキィはというと、最初と変わらぬ微笑みで、静かにフィンの話を聞き続けていた。


 こうして、本一冊ぶんに匹敵する内容量をもって、フィン先生のダンジョン講座は幕を下ろした——。


 ……なお、講座終了後、全員がぐったりと机に突っ伏して動かなくなったため、その日の実地訓練は中止となった。

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