第14話 ようこそ、二重城塞都市へ
スタトを出発して、すでに二週間。
バイセの商隊に護衛として同行した旅も、いよいよ終わりが近い。
この数日、大きな戦闘はなく、遠くの森影に魔物の気配を感じる程度だった。
ティエナがコレンシカを狩り、ノクが香草を見つけ、イグネアが火を灯す――三人は、穏やかな旅の中で、少しずつ息を合わせていた。
その夜、森の外れに張った野営地で。
イグネアが静かに指を振ると、小さな魔法の火がぱちりと灯った。
ティエナは串に刺したコレンシカの肉を火にかざし、じゅうっと音を立てながら焼き始める。
香ばしい匂いが立ち上り、ノクが鼻をひくひくさせながら空中をくるくると舞った。
「わあ、いい匂い……やるじゃん、狩人」
「へへっ、でしょ?」
ティエナが火を見つめながら、ぽつりと呟く。
「火魔法って、やっぱり便利だね〜」
それを聞いたイグネアが、にこりと微笑んで返す。
「ふふ。ティエナほどではありませんわ」
そう言って、イグネアはそっと腰を下ろした。
*
そして――朝。
一行は野営を終え、森を抜けて丘の上へと差しかかっていた。
ノクがふと鼻先を空へ向けて鳴く。
「ティエナ、あれ……」
顔を上げた瞬間、ティエナの視界にそれは飛び込んできた。
「……あっ!」
丘を越えた先、朝の陽光を浴びて輝く巨大な構造物。
まるで山のように、灰色の壁が地平を断ち切っていた。
「わ、わぁっ……見て見て! あれ、すごいよ! 壁が……どーん! あれってほんとに街の壁!? 中にお城が入っちゃうくらい大きいよ!?」
はしゃぎながら駆け出すティエナを見て、ノクがふわりと笑う。
「ふふ……あれがエルデンバル。通称、“二重城塞都市”さ」
城ではないが、その外壁はまるで城のように堅牢で、さらに内側にはもう一重、ダンジョンを封じるための壁が築かれている。
堅固な造りの壁が二重に巡らされているその姿から、人々はこの街を“二重城塞都市”と呼ぶようになったのだ。
「本で読んだだけだけどね」とノクが照れくさそうに続ける。
イグネアがその隣から補足を加える。
「内壁の中は自然区画になっていて、湖や森もございますの。その中央に、ダンジョンの入口が設けられているのです」
「外とダンジョン、両方の脅威に備える構造だってことね」
ノクが補足し、ティエナが感嘆の息を漏らす。
「へぇぇ〜……中に森があるなんて……不思議な街だね」
ティエナの目はきらきらと輝いていた。
*
馬車は、巨大な門の前へと進んでいった。
道の両脇には石造りの防壁が伸び、門には王国の紋章が刻まれている。
その横には、魔力探知用の水晶装置が据えられ、兵士たちが交替で警戒に立っていた。
「ギルド発行の護衛証明書、お持ちでしょうか?」
「はい。こちらですわ」
イグネアが涼やかに書類を差し出すと、門番は手慣れた手つきで目を通し、水晶に軽く触れる。淡い光が瞬き、門番が頷いた。
「確認いたしました。フレアローズ様、護衛の皆さまも異常なし。通行、許可いたします」
ごとん、と低い音とともに遮断棒が持ち上がる。
馬車が前へと進み、石畳をごとごとと進んでいく。
「――ようこそ! エルデンバルへ!」
門番のひとりが、にこやかな声でそう告げた。
ティエナの目に、頭上のアーチが映る。
陽光がその隙間から差し込み、馬車の内部までまばゆく照らした。
空気が変わった気がした。
目に見えない膜を越えたような、ほんの一瞬の静寂。心の中が、すん、と澄み渡る。
(ここが……)
(ここからが、わたしの冒険なんだ……!)
胸の奥で、何かがぽん、と弾けた。
エルデンバル。
ダンジョン都市。
幾多の冒険者が夢を見て挑み、ある者は戻り、ある者は還らなかった場所。
その入口を、ティエナたちはいま、確かに越えたのだった。
*
門を抜けた先は、まるで別世界だった。
左右に広がる石畳の大通り。色とりどりの幌を掲げた屋台が並び、人々の笑い声が風に乗って流れていく。
香ばしいパンの匂いが鼻をくすぐり、焼き果実の甘い香りと混ざり合う。
道端では手品を披露する業師の布が宙を舞い、楽士の奏でる笛と太鼓が軽やかに響いていた。
馬車の中から顔を出したティエナは、目をまんまるにして左右を見回す。
「な、なにここ……! すごい! 見て、ノク、あれっ!」
「うんうん、活気あふれるってこういうことだねぇ」
ノクも浮かびながら、屋台のスイーツに目を奪われている。
街全体が生きているようで、どこかで誰かが笑い、どこかで誰かが語り合っていた。
やがて馬車が停まり、バイセが振り返る。
「皆さま、本当にありがとうございました。おかげで無事に到着できました」
封筒を二つ差し出しながら、穏やかに続ける。
「報酬と、心ばかりの追加手当です。また機会があれば……そのときはぜひ、また護衛をお願いしたいです」
「こちらこそ、お世話になりました」
イグネアが上品に一礼し、ティエナもぱっと笑って頭を下げた。
「また会えるといいなっ!」
バイセは「ふふ、きっと」と言って馬車を降りていく。
ティエナは少し名残惜しそうに見送ったあと、改めて街の喧騒へと目を向けた。
明るい通り、焼き菓子の香り、人の声。
「……わたし、絶対この街好きになるっ!」
その一言に、イグネアとノクがふっと笑った。
*
「では、ギルドに向かいますわね」
イグネアの一言を合図に、二人と一匹は街の通りを歩き始める。
進む先は、内壁と接続されたギルドのある区画。
だが、その道中には誘惑があふれていた。
「あっ……この帽子、可愛い……!」
「ちょっとだけ……って、わ、こっちのも……」
「この焼き菓子……いい匂いっ……! ノク、これ食べようね!」
「え、いや、ぼくは……って、買ってる!? 買ってるの!?」
角をひとつ曲がるたびに、ティエナの荷物は一つ、また一つと増えていく。
「……ティエナ」
イグネアがため息まじりに言う。
「さすがに、買いすぎですわ!」
「えっ!? そ、そうかな……?」
ティエナが自分の手荷物を見下ろす。両手に六、脇に二、背中に一。
「……あれ、こんなに?」
「それ、持ってるんじゃなくて積み上がってるだけだよ」
ノクが呆れたように空中でひと回りする。
「うぅ……じゃあ、ちょっとだけ……しまうね」
ティエナが路地裏に逸れて、指先をかざす。
水の泡がぽわんと浮かび、荷物を次々に吸い込んでいく。
「《水葬の泡》」
布袋、紙包み、焼き菓子、瓶詰めの色水――すべてがやさしく包まれ、最後にひとつの小瓶の中に収まって、静かに沈んだ。
「……食べてないよ? しまっただけだからね?」
「その言い方、余計に怪しいってば」
ようやく軽くなった腕をぶんぶん振りながら、ティエナは晴れやかな顔で言った。
「よーしっ! じゃ、ギルドに行こっ!」
*
街の中央通りを抜け、街並みが落ち着き始めた頃。
露店は減り、代わりに武装した冒険者たちの姿が増えていた。
「……なんか、周りが急に強そうになってきたね」
「このあたりは、ギルドの管理区域ですから」
そして――
「……あっ、あれ……!」
ティエナが指差した先にあったのは、石造りの巨大な建物。
「エルデンバル冒険者ギルド」と「ダンジョン管理局」の紋章が掲げられたその建物は、まるで砦のようだった。
「でっか……」
「王都のギルドより大きいって噂だよ」
ノクが浮かびながら説明する。
「ここには、冒険者も研究者も管理官も集まりますの。ギルドとダンジョン管理局は建物を共有していて、奥が内壁管理区域へつながっています」
「つまり、ここを通らなきゃダンジョンには行けないってことか……」
ティエナは思わず背筋を伸ばした。
イグネアが懐から封筒を取り出す。
「紹介状……こちらですわね」
「スカウト、フィン・スレイン。ヒーラー、オーキィ・アルセリナ……」
名前を読み上げるティエナの横で、イグネアが一瞬だけ目を伏せた。
そのまま、二人と一匹はギルドの扉へと向かっていった――




