第12話 友と行く道
あの墓地清掃の依頼から、一晩が明けた。
朝の光が窓辺を照らす中、ティエナは木もれ日亭の朝ごはん――パンとスープのセット――を前に、ほわーっとした顔で座っていた。
「……なんかこう、しみる……贅沢ってほどじゃないけど、心にしみる……」
ぽつりと呟くティエナの隣で、ノクがスープの湯気を浴びながら身体をのばす。
「昨日の報酬、銀貨三十二枚。これでしばらくは安心、だね」
「うん、ありがたいよねぇ……あんなに出るとは思ってなかったけど……」
あれから数日――イグネアと別れた直後にお金が尽き、細かい依頼をいくつもこなして日銭を稼ぐ毎日だった。
草むしりに荷運び、迷子の子ども探しや、夜明けの仕込み手伝いまで……自分でもよく動いたなぁと思うくらいには、地道な日々。
その合間に、ついつい買った写本を読みふけり、ノクに「だから金欠になるんだってば」と説教されたのも、今ではちょっとした笑い話だ。
――そして、昨日の墓地清掃依頼。
「いやぁ、まさかゾンビが出るとは思わなかったよね……」
「うん……まぁ楽勝だったから良いんだけどね~」
本来は草や苔を払うだけのはずが、思わぬゾンビの出現で浄化作業まで発生したという、想像の十倍ハードな任務。けれど、ティエナの権能《清涼の環》が大活躍し、気がつけばギルド長がやってきて、「Cランクだ!特別手当だ!」と大盤振る舞いしてくれたのだった。
「ま、ラッキーだったよね!」
「……結果だけ見れば、ね」
気楽なやり取りが、ようやく訪れた“落ち着いた朝”を感じさせた。
その日の午前中、ティエナは部屋に戻ると早速お気に入りの恋愛写本――『きみと星を待っている』の続きを読み始めた。
「わー……この章、ついに再会するのかあ……うぅ、もう泣きそう……」
ティエナがベッドに寝転がってページをめくる音の隣で、ノクは静かに一冊の本を開いていた。
『竜信仰と供犠の記録』
革表紙はすり切れ、紙もところどころ欠けている。ページの多くは黒ずんでおり、湿気か血か、何かの痕がにじんでいた。
(記録、というより……これは、日記……?)
ノクは、崩れかけた文字をなぞるように読み進める。そこには、信仰の形式や教義ではなく――ひたすらに捧げものの内容が、感情と共に綴られていた。
「今日は獣の肝を捧げた」
「水がない、娘の口に触れる前に供えた」
「森にオーガの影。けれど、まだここは見つかっていない」
「竜よ。我らの声は、届いていますか」
滲み出すのは、恐れと飢えと、渇いた信仰。
誰にも聞かれないまま、それでも何かに縋りたかった人々の、日々の記録。
(本当に、“竜”がいたのか――それとも、人がそれを必要としていただけなのか)
ノクは小さく吐息を漏らす。
祠にあった石像のことを、リヴァードが話していた。そこから“生まれた”のが自分――だと。
(でも、本当にそうなのかな)
(あの竜像と、これを書いた人たちの“祈り”と……ぼくは、何か繋がっているのかな)
隣から、ページをめくるティエナの指先が見える。
「ふふふ……やっぱりきみ星は最高……!」
「……ティエナ」
「ん〜? なに?」
「ほんのちょっとでいいから、こっちの記録も読んでみたら?」
「うぇえ? 難しいのはノクに任せるよ〜。わたしはロマンスと涙が欲しいの!」
「……ほんと、この人が神さまだったって今でも信じられないんだけど」
*
午後、ティエナとイグネアは、前々から約束していたカフェでのお茶の時間に集まっていた。
本屋で買い込んだ本の“成果報告会”という名目ではあったけれど、内容はすでに脱線しはじめている。
ノクも同行しており、丸テーブルの端をふわふわと漂っていた。
「わたくしの方は、いちおう真面目に選んだつもりでしたのよ? でも、なかなか実りはありませんでしたわ」
イグネアは小さく肩をすくめながら、紅茶のカップを置く。
「ぼくのは収穫だったよ。竜信仰と供犠の記録……あれは信者の手による日記のようなもので、崩れた祈りの記録って感じかな」
「わたしはね、きみ星が最高だったよ! 一巻目からきゅんとして……四巻ではもう……だめだ、また思い出してきた……」
鼻をすすりながら肩をすくめるティエナに、ノクがため息を吐き、イグネアがそっと目を伏せる。
「……あなたは、本当に変わった方ですわね、ティエナさん」
「そうかな~? きみ星読んだら評価かわるよ? あ、それと“さん”いらないよ。もう友達でしょ?」
ティエナの声は自然で、あたたかかった。
イグネアのまつげが、ふるりと震える。
「……お友達」
その響きを確かめるように繰り返すと、イグネアはそっと微笑む。
「ふふふ、それでしたら……わたくしのことも、“イグネア”とお呼びくださいまし」
「うん、イグネア!」
呼び合う名前が、ふたりの間の距離をすうっと縮めた。
「そういえば……レオさん、もうエルデンバルに着いた頃かな」
「ええ。無事に着いていれば、今ごろは……ダンジョンに挑み始めている頃かもしれませんわね」
イグネアは静かに目を伏せる。
「――わたくしも、行ってみようかと考えておりますの。エルデンバルに。……竜信仰や精霊獣の記録、本屋も豊富にございますし、少し調べ物をしたくて」
「本屋に……エルデンバル……あ、ダンジョンもあるとこだよね? じゃあ、わたしも一緒に行きたい!」
ティエナの言葉に、イグネアはわずかに驚いたように瞬いた。
「いいですわよ。むしろ歓迎いたしますわ」
「じゃあ、パーティ結成だね!」
一瞬、イグネアの手がぴたりと止まる。
記憶の中、かつて自分が願いを口にし、拒まれた日のことがよぎる。
けれど、今、目の前にいる少女は――笑っていた。
イグネアは小さく息を吸い、そして立ち上がった。
静かに、けれど確かに言う。
「ティエナ。改めて、お願いしてもよろしいかしら?
わたくしと――パーティを組んでくださらない?」
ティエナも立ち上がり、笑顔で手を差し出した。
「もちろん、いいよ!」
ふたりの間を、午後の風がやさしく通り抜けた。
*
その横で、ノクが小さく咳払いをする。
「えーと、感動のところ悪いけど、移動の準備って何から始めるの? 一応、予算立てはできてるの?」
「え? うん、たぶん……たぶん大丈夫!」
「ぼくとしては、出費の見通しは立てておきたいな。旅先で急に困るのは避けたいし、必要そうならもう少し稼いでから……」
ティエナが苦笑いを浮かべる横で、イグネアが紅茶を口に含んで言った。
「でしたら、道中に出ている護衛依頼でも探してみましょうか? 安全と路銀、両方の解決になりますわ」
「うん、それいいかも!」
「ふふっ、ノク、やっぱり頼りになるね」「とても実務的で助かりますわ」
*
二日後の朝、三人はエルデンバルへの出発前に、スタトのギルドに立ち寄っていた。イグネアが私用で街を離れることを一言伝えておこうという配慮からだ。
ギルドの建物へ向かう途中、三人はふと掲示板の前で足を止めた。出立前の空き時間に、護衛依頼の掲示がないか軽く見てみようという話になったのだ。
「相変わらず、草刈りと荷運びばっかりだね〜……」
ティエナが冗談めかして言うと、ノクが「昨日も聞いた」とぼやき、イグネアはくすりと笑った。
「スタトの依頼は、わたくしたちには少々おとなしいですわね」
「うん……でも、なにか――あっ、ノク見てこれ!」
ティエナの目が、掲示板の中央近くに貼られた一枚の紙に留まった。ノクもつられてそちらを覗き込む。
ひときわ目立つ真新しい紙に、太く濃い文字が並んでいる。
《求む! 四十一階層より下への挑戦者》
《依頼主:エルデンバル・ダンジョン管理局》
「……えっ、これ……」
息を呑むふたりの間に、静かな高揚が走る。
ダンジョン。
未踏領域。
新たな冒険の気配――そして、その先に待つものとは。
紙の角が、掲示板の下で風にかすかに揺れていた。




