第71話 揺らめく灯の下で
頭の中がミキサーでかき混ぜられたように、感情と情報が目まぐるしく交錯する。
目の前がチカチカする。……気持ち悪い。
わたしは思わず手で口を押さえた。焼けるように熱い胃液が喉元までこみ上げる。
「大丈夫か」
簡単な詠唱の後、シルヴィオさんが淡く輝く手でわたしの背中を軽く撫でた。
ひっくり返りそうな胸の奥が、次第に落ち着きを取り戻す。
「ありがと。自分でやれば良かったね」
シルヴィオさんは「気にするな」と首を横に振った。
「それで、記憶は蘇ったのか?」
「うん、まぁ、だいたいは。大精霊だったわたしを止めようとしてくれて……ありがとう」
長い銀髪が力なく揺れた。シルヴィオさんは目を細める。その顔には、どこか寂しそうな陰を感じた。
「いや、俺は何もできなかった。礼を言うのはこちらだ。世界を守ってくれて感謝する」
そこで、二人とも沈黙してしまった。
何と声をかければいいのだろう。大丈夫だよって慰めたらいいのか、それともゴメンねと謝ればいいのか。
ランタンの炎で、二つの影が壁でゆらゆらと躍る。
神の死に関する記憶は蘇った。わたしは大精霊と一体化し、そして暴れまわった。だけど、わからないことが残った。
それは『いったい、なぜ?』だ。
わたしはなぜ、大精霊と同化することになったのか。わたしの――天界の神殿で『私』を取り込んだ瘴気は何だったのか。
小さな炎が閉ざされたランタンの中で踊っている。
わたしの心の奥底に燻り続ける嫌な感触。吐き気はもうしないけど、だからと言ってすぐ元気いっぱいとはいかないものだ。
「何か気になる記憶でもあったのか?」
シルヴィオさんはもういつも通りの声のトーンだ。何を考えているのかよくわからない、ポーカーフェイスに、抑揚のない語り。
それが逆にわたしを落ち着かせてくれた。
「うん、実は……」
最期の記憶を一通り話した。あるはずのない瘴気が天界で「私」を捕まえたことも含めて。
シルヴィオさんは顎に手をあて、何かを考えていた。
わたしと同じようにランタンの炎を眺めていた。彼の心の中にも整理がつかないモヤモヤが燻っているのだろうか。
そして眉を少しだけ動かすと、ふっと息を吐き出して、ぽつぽつと語り出したのだ。
「――ヴァルセリオ・アクレディア皇帝陛下は、『不老不死の法』を追い求めておられる。大精霊に『ティエル=ナイア』が降神していたことも把握しておられ、その存在が死後もこの世界に留まっていることにお気付きのようだった。」
わたしは思わずシルヴィオさんの顔を見上げた。だけど、その瞳はこちらを見ていない。
「陛下は、神政院を用いて『神の欠片』を探し求めておられた。生を司る『水の神』を取り込めば、永遠の命が得られるとお考えだった。――そして、間もなくして俺の中に眠った『神の欠片』の存在を知られることになった」
「え、それって……大丈夫だったの? 無理やり引きはがそうとされなかったの?」
シルヴィオさんは軽く横に首を振った。
「神政院本殿の奥底で何度も死の間際まで『神の欠片』を抽出する実験をされた。だが、俺は――、この身体にあった『神の欠片』を渡すことを拒否し続けてきた」
……ずっと、守ってくれてたんだね。わたしを。
「神政院で地位を得たネリオの助力もあって、神政院では俺の中の『神の欠片』が容易く取り出せない物であるという認識に変わっていった。
そして、帝国での俺の役割は『神の欠片』探しへと切り替わった。――俺の『神の欠片』と共鳴するだろうということで。だから、俺は神の気配がしたところに足を運んでいた」
「……それで、あの村で出会ったのか」
廃墟と化した生まれ故郷が脳裏をかすめる。あの日、あの村で出会ったことは偶然じゃなかったんだ。
シルヴィオさんは黙ってうなずく。
再び訪れる少しの静寂。淀んだ地下遺跡の空気で反響する、唸り声のような風の音が遠くから聞こえる。
シルヴィオさんが拳を強く握りしめ、口を激しく噛みしめると、その唇にうっすらと朱が滲んだ。
「お前の話を聞いて思ったのだが……水の神を大精霊に閉じ込めたのは――神政院かもしれん」
地下の空気は冷気をはらみ、足元から這い上がる。
背筋がひやりとした。胸の奥で、何かがざわめく。
人が――意図的に神を殺そうとした。その事実にわたしは目の前が暗くなる想いだった――。




