第70話 もう一度“世界と出会い直す”旅へ出る
天界の神殿で瘴気に捕らえられ、気が付けば、神としての「私」は大精霊と深く結びつき、歪な形の存在となっていた。
神の力を振るうこともできず、私はただ悪鬼と化した大精霊の行いを見ているしかなかった。
……でも、自分ではない力が身体の奥深くに入り込んで、きっと大精霊も不快だったのでしょう?
勇気ある冒険者たちのおかげで、私を捕らえる力が弛んだ。
今なら私も力を使うことができる。大精霊には申し訳ないけど……一緒に散りましょう。水飛沫となり川となって、大いなる大地を巡り、生命を育み、――そしてまたいつかきっと、何者かとして生まれてきましょう。
この世界を愛するために。
*
シルヴィオさんの目の前で、突如大精霊の身体が水飛沫となって弾け散った。
大精霊が制御していた巨大な水の塊も、主を失い、崩れ落ち、一度だけ辺り一帯に大きな波が広がった。
それは大地を撫でるようにどこまでも手を伸ばし、やがて染み入るように消えていった。
シルヴィオさんたちは突然崩れた敵にあっけにとられ、そのうちに敵意を失った水の奔流が、彼らの身体を包み込んだ。
「うおっぷ! しまった。思わず結界貼り忘れたぜ」
前髪を頭の上に撫で上げながら、水を滴らせるシルマークさんがぼやいた。
その横に、水の神官ネリオがローブを絞りながら歩み寄った。
「……失敗しましたね」
「ああん、封印術か? バッカじゃねぇの。何か知らんが倒せたんだから、もうそれで良いだろ」
地面にお尻をつけて、だらしなく口を開いたエリオットが悪態交じりにため息をついた。その仕草からは疲労感がにじみ出ている。
「そうですね。とりあえず討伐完了を良しとしましょうか」
空を見上げてネリオは目を細めた。その視線の先には、曇天が割れて青空が顔を覗かせていた。
シルヴィオさんは、その場に立ち尽くしていた。
全身に降り注ぐ飛沫を、身じろぎせずに受け止めていた。
そして雨が止むと、シルヴィオさんの手のひらにはひと固まりの水が残った。
じっと手を見つめたままただ息を吐くように、誰にも聞こえない小さな声でポツリと呟く。
「ティエル=ナイアよ。……それで良かったのか?」
シルヴィオさんが力なく拳を握りしめると、手のひらに溶け込むように水は消えていった。
大精霊と共に滴と化した『私』の一部――『神の欠片』が、この時シルヴィオさんの手に渡ったのだろう。
じいちゃんがシルヴィオさんにそっと近寄り肩に手を置いた。
何か言ってるようだけど、その声はもうわたしには聞こえない。
わたしは……水となり、川となり――その姿がどんどん遠くなっていくのを感じていた。
じいちゃん、じいちゃん……また会えて良かった。
そしてシルヴィオさんも、ずっとわたしの欠片を持っててくれてありがとう。
その後の記憶は――アクレディア帝国の小さな山村にある湖の底。
そこで、終焉を迎えようとしていた小さな命――赤子のティエナに出会う。
そして、私はわたしとなった——。




