第11話 狂獅子、街に現る
昼下がりの通りに、怒鳴り声が響いた。
「てめぇ、俺を不機嫌にさせやがって……わかってんだろうなぁっ!」
花壇の縁に座っていた青年たちが驚いて飛び上がる。
「あ、あのっ、別にそんなつもりじゃ――」「いきなり怒鳴ることないだろ……」
声を荒げた男は、がっしりした体格に野性味ある髪をもつ青年――レオンハルト・ドレイクハウル。その威圧感に、周囲の空気がぴりついた。
「おいおい……あれ、“狂獅子”じゃねぇか?」「なんでこんなとこに……」
街の人々がざわつく中、通りを割るように一人の少女が現れた。
「レオ?」
艶やかな金髪、気品ある立ち居振る舞い――イグネア・フレアローズである。
レオが振り返り、不機嫌そうに言う。
「あぁん? なんだ、イグネアじゃねぇか」
「……」
「イグネアさまにも噛みつくのか?」「本物じゃん、狂獅子……」
周囲のざわめきにも気を留めず、イグネアは溜め息をひとつ。
「……何か知りませんが、大したことで怒ってるわけではないのでしょう?」
「あぁん!? たいしたことあるに決まってんだろ!」
青年のひとりが口を挟む。
「あの、俺たち、急に因縁ふっかけられて……」
レオが一歩踏み出す。「はぁ?」
その一言で、男たちはびくりと肩をすくめて立ちすくむ。
張り詰めた空気のなか、イグネアが静かに言った。
「もういいですわ。あなたたち、行っていいですわよ」
言われるがままに、青年たちは頭を下げて逃げていった。
「レオも、ここじゃ落ち着いて話せませんから、場所を変えましょう」
そう言って、イグネアはくるりと背を向けて歩き出す。
「勝手に決めんなよ!」
「行きますわよ」
「おい!」
その背後から「にゃーん」と猫の声がひとつ。
足元の子猫が小走りにレオの後を追っていく。
その様子を不思議そうに見ていたティエナも、少し遅れて後に続いた。
*
公園の一角。木陰のベンチにレオが座り、袋からパンをちぎって近くにいる動物に投げてやる。
犬が近くに寄ってきて、パンをくわえてその場に座る。木陰にいた猫が一匹、そっとレオの足元にすり寄る。
ハトもいくらか枝から降りてきたが、どう見ても餌目当てだった。
その様子に、ティエナがぱちくりと目をしばたたかせる。「なんか……やさしい雰囲気出てる……?」
少し遅れてやってきたイグネアが、腕を組んで問いかける。
「頭はもう冷えまして?……って、何をしておられますの?」
レオはぶっきらぼうに返した。「うっせえなぁ……餌やってんだよ」
「……それで? さっきは何に怒っていたんですの?」
レオは、パンをちぎる手を止めずに答えた。
「花壇の上に腰かけて、弁当食ってやがったんだ。花、何本も踏み潰されてたしな」
ハトが一羽、ベンチの隅に降りる。レオはそれをちらと見るが、特に反応せずパンを軽く投げた。
「食べかすは落とすし、瓶は置きっぱなし。土もぐちゃぐちゃだ。見てたら、なんかぷつんと切れてな」
イグネアは少しだけ目を細めて、穏やかに言う。
「小さい頃と、心根は変わりませんのね。それと……心の内の伝え方も、相変わらずですし」
レオはそっぽを向き、口をつぐんだ。
猫はその隙にレオの膝に乗ろうとするが、レオは「ったく……好きにしろ」とぼやくだけだった。
その光景を見ていたティエナが、猫を抱いたまま小首をかしげる。
「なんか……自然と動物が集まってくるって、そういうスキル持ちなんですか?」
ノクが小さく肩でため息をつくように囁く。「スキルじゃなくて、ただの居心地の良さじゃないかな……」
レオは舌打ちまじりにぼやいた。「……誰がそんな役割背負ってんだよ」
「あら、ご紹介がまだでしたわね」
イグネアが振り返り、まずはレオを指さす。
「こちら、レオンハルト・ドレイクハウル。通称“狂獅子”。一匹狼気取りのBランク冒険者ですの」
ティエナが猫を抱いたまま首をかしげる。「一匹狼?……動物隊じゃなくて?」
レオが盛大にむせる。「誰がだ!!」
イグネアは楽しげに肩をすくめた。
「あと、気取りってつけんな」
イグネアは今度はティエナを押し出すようにして紹介した。
「そしてこちらがティエナさん。かの伝説の冒険者リヴァードさんの技術を受け継いだ、期待の超新人ですの」
そして、いたずらっぽく微笑む。
「……あなたより強いかもしれませんわね?」
「はぁ? このチビが……リヴァードの弟子、だと……?」
ティエナはまったく気にした様子もなく笑った。
「えへへ、よろしくね」
イグネアが小さく肩をすくめた。
「それでは、まさか実家に帰るために戻ってきたというわけではありませんわよね?」
レオが鼻を鳴らす。
「馬鹿言え。あんなとこに向かうかよ。俺の行き先はエルデンバルだ」
「ふぅん? 男の人って、ダンジョン好きですわよねぇ。危険だというのに」
ティエナが首をかしげる。「エルデンバルに行くのがどうしてダンジョンになるの?」
イグネアが答えるように口を開いた。
「エルデンバルは、王都と西方交易路の結節点にある交易都市ですの。ですが、ある時期から地下で“空間の歪み”が確認されはじめて……調査中に、閉ざされた構造体の入口が偶然露わになったそうですの」
「初めは古代の遺構かと誤認されたようですが、後にその空間が、常識の通じない異層構造だと判明して。今では“ダンジョン”と呼ばれておりますわ」
「記録によれば、当初から王国も相当混乱していたようですの。いまはギルドや魔術協会も入り込んで、すっかり冒険者の拠点となっておりますけれど」
ティエナが興味深そうに首をかしげる。ノクがティエナの耳元でこっそり囁く。「あとダンジョンでは魔物や罠もあるけど、希少な魔道具や財宝が見つかる……かもしれない、って話だよ」
ティエナが小声で「そっか……」と呟いたあと、少し間をおいて問いかける。
「……で、そのダンジョンがどうかしたの?」
「ちょっと前に新しい通路が見つかったらしい。四十階層よりも先に続いてて、魔力反応がすげぇらしい。王国もダンジョン管理局も動いてるって話だ」
イグネアが小さく目を見開いた。
「まあ……四十階層より先が? それは初耳ですわ」
空気がわずかに張り詰める。
イグネアは表情を引き締め、低く静かに言葉を継いだ。 「四十階層は長く探索の限界とされてきた領域でしょう? その先が存在するとなれば、あらゆる情報が白紙の“完全未踏”の空間。……そして、魔力反応がそこまで強いとなれば、偶然広がっていた空間ではなく、意図的に“何か”が築かれた可能性すらありますわね」
誰もが自然と息を飲んでいた。
レオも、わずかに表情を引き締めた。
「そうだ。異常な魔力反応が出てるってことは、向こうには“何か”がある。“守られてる”か、“漏れ出してる”か……どっちにしろ、常識が通じねぇ場所だ。――もしそこに“力”が眠ってるってんなら……それを、この目で確かめてみたい」
イグネアが静かに問いかける。「でも、ダンジョンって――一匹狼さんには辛いんじゃありませんの?」
「うっせ。俺はなんとかなんだよ。足でまといとか要らねぇ。だいたい、お前もまだ一人だろうが」
「そうですわねー。そうかしらねー?」
「とにかく新しい階層が開いたって話だ!だから俺は行くぜ」
「そう、気を付けていってらっしゃいまし。…また教えてくださいましね」
「けっ、誰が。聞きたかったらてめぇで来い」
レオが腰を浮かせかけて、ふと動きを止めた。
「そうだ、もし西に行くなら気をつけな。帝国……ちょっときな臭そうだからよ」
そうひとこと告げると、後ろで手をひらひらさせながら去っていった。
その姿を見ながら心配そうにイグネアがつぶやく。
「ダンジョン…危険に対しての見返りが本当にあってるかしらね」
「知らないこととか、今まで行けなかった場所とか……そういうのに触れられるって、すごく素敵だと思うんだ。わたしなら、わくわくするよ」
その場にまだ残っていた動物たちをなでながら、笑顔で空を見上げるティエナ。
その横顔を見たイグネアのまつげが、そっと揺れた。
なぜだか少しだけ――羨ましいと思った。
*
夕暮れ、二人と一匹は並んで歩く。やがて、「木もれ日亭」の看板が見えてくる。
「うん。今日はありがとね、イグネアさん」
「別に、わたくしは付き添っただけですわよ」
イグネアはふっと笑う。
「また、お時間があれば――お茶でもご一緒しましょうね。ノクさんもぜひ」
「うんっ!」「ありがとう」
それだけ交わし、それぞれの帰路についた。
*
そして――三日後。
ティエナの財布は、静かに、確実に、空になろうとしていた。
ベッドに寝転び、小説を読み、焼き菓子を頬張るティエナ。
散財とだらけの化身となった者がそこにはいた。
その様子を見ていた白き小さな竜が、ため息をつくように言った。
「……明日はマシな仕事探そっか。ほんと頼むよ」




