第66話 貴方もわたしも水底から産まれた
「俺は――魔法生物だ」
わたしは頭を殴られたような感覚がした。軋むように絞り出された低い声が、耳から脳の奥に響く。
わたしが言葉を失っているうちに、シルヴィオさんが再び口を開く。
「そしてお前は、神――ティエル=ナイアだな?」
空気が、空間が、全てが凍り付いたかのような錯覚に陥る。わたしたちが立っているこの小さな部屋は静寂が支配している。
その中に、わたしの心臓が大きく鼓動する音だけがこだましている――そんな気になるほど胸が痛かった。
まぁ、ちょっと派手に活動してしまったから、バレてしまうのも覚悟はしていたけど。こんな風に直接名指しされるとは思っていなかった。
シルヴィオさんは、きっとカマをかけてるとかではなく、確信をもって聞いてきているのだろう。だからこそ、わたしが真実を言い易いように、自身が魔法生物である秘密を打ち明けてきたんだ。
ここで嘘をつくのは意味がない――そんな風に感じる。シルヴィオさんはわたしに「真実」を伝えなければならないと言っていた。わたしが神であることを前提に、その先の話をしようとしているんだ。
「……うん、そうだよ。わたしが『ティエル=ナイア』で間違いない。ところどころ記憶はないけど」
わたしの返答を聞くと、シルヴィオさんは静かに瞼を閉じて、大きく息を吸い込むと、ゆっくり深く頷いた。
「まずは、俺の事から話そう。少し長くなるが――」
温もりの失われた地下遺跡の一室。
シルヴィオさんは机の上にランタンを置くと、ヒンヤリとした石の壁に背を預け、ぽつぽつと話をする。
六十年ほどの昔。水魔法の研究をしているとある魔術師がこの遺跡を訪れた。
いまでこそ静かで閑散とした遺跡だけど、当時は魔物が巣食っていたこともあり、この部屋を見つけるまでに多くの仲間を失ったそうだ。その魔術師は――たったひとり、この部屋に辿り着いた。
その時は既にこの部屋はご覧の有様だったらしい。
しかし、壁に並ぶ大きな瓶のひとつだけが、奇跡的に無傷で残っていた。そのガラスの器は、ほの青い溶液で満たされており、その水の中で眠っている少年――見たところは五歳ぐらいだろうか。未熟な身体を守るように膝を抱えて漂っていた。
魔術師は一目見て、それが魔法の力で作り出された生命体――魔法生物だと理解した。自分の研究では届かなかった叡智の産物。それが目の前にいた。
魔術師は水の中から子供を抱え出す。子供は腕の中でゆっくりと瞳を開いた。
「大丈夫か?」その問いかけに、微かに腕を振るわせ反応を見せるが、子供が口を開くことはなかった。
見た目は少年でも、赤ん坊と同じなのかもしれない。今が誕生の瞬間だったのではないか――魔術師はそう考えた。
そして魔術師に連れ帰られた子供は、シルヴィオと名付けられ、魔術師の養子として普通の子供のように育てられた――。
「それからの俺の成長は、普通の子供より早かった。一年で会話も出来るようになり、五年でこの体格になった」
シルヴィオさんは手の平をじっと見つめる。そして軽く握りしめた。
静寂の中、シルヴィオさんの声だけが空気を震わせる。
「養父が言うには、俺は『水魔法の究極の成果』らしい。極端に言えば俺の身体は水のマナで出来ている。だからこそ水属性の魔法とは相性がいい」
確かに。以前シルマークさんに貰った冒険譚の本『蒼き剣と七つの遺跡』ではシルヴィオさんの事は氷騎士として活躍が描かれていた。
ノクが攫われた時の戦闘で、強烈な氷の槍を放っていた事もわたしは知っている。 水属性が達人の域であることは間違いないのだと思う。
だけど、なぜわたしにこの話を聞かせるのか、その意図は未だわからない。
わたしはシルヴィオさんの話を黙って聞き続けた。
「ティエナ。お前は神の記憶がどれぐらい残っている?」
空を見つめていたシルヴィオさんがこちらに向き直った。銀の頭髪が空を泳ぐと、ランタンの光を受けて淡く煌く。
「記憶は――他の神様とお茶したり、水のマナを地上に循環させるお仕事したりとか。あとは水鏡をのぞき込んで地上の様子を盗み見して、地上の人たちが食べてる料理とかケーキとか美味しそうだな~とか?」
自分のことながらロクな思い出が無いなぁ!
「天界で生活していた記憶はほとんどありそうだけど……」
「その姿になる前――神として死んだときの記憶はあるのか?」
……。
そう、それがわたしには無い。ぽっかりと抜け落ちた記憶の空間。
気が付けば水の底で揺蕩っていた。そして『私』はボロボロの船で沈みかける『わたし』に、全ての力を移して『わたし』になった。
「死んだときの記憶はないけど……別に困ってないし」
これは本音だ。だって……死ぬ記憶とか辛そうじゃない? わたしは皆と楽しく今を生きたいのだ。
シルヴィオさんが軽く姿勢を変えると、金属鎧の擦れる音がカチャリと響く。
「本当に記憶が無くて困っていないのか?」
「うん、本当だよ。わたしは元神様だけど、今はただのティエナだから」
「自分がなぜ死ぬことになったのか――いや、なぜ『神』が死ぬということが起きたのか、知らなくて良いのか?」
やけに食い下がってくる。
『神』が死ぬ――か。確かにそれはとても特殊なことだ。わたしの知る限り、天界で神が死んで新しい神に入れ替わる――なんてことは無かった。
「でも知らないものは知らないし……。知りたいって言って、シルヴィオさんが教えてくれるとでも言うの?」
それこそ無理な話じゃない? シルヴィオさんが天界に来たとでも言うなら話は別かもしれないけど。
再びの沈黙。ランタンの揺らぐ明かりだけが、ここで活動している唯一の存在。そのランタンも、オイルがそろそろ切れそうだ。交換してあげないと。
しかし……あぁ、もう! 重苦しい空気! この話題はココでやめとこう?
そう考えた矢先――そのランタンも、ついにオイルが切れ、炎がふっとかき消えた。
ほらもう、こうなると魔法の明かりでも無いと困るなぁ。光属性の矢出したらほんのり光ってるかな?
わたしが収納袋に手を突っ込もうとしたその時。
暗闇の中、シルヴィオさんの低く絞り出した声が静寂を破る。その声は壁に反響し、幾重にも重なるようにして聞こえてくるようだった。
「お前を殺したのは――俺だ」
温もりを失った部屋には、ヒヤリとする空気が蠢いて、ただただ暗闇が重く身体にのしかかってきた――。




