第64話 食べ損ねたケーキを想うわたし
マルチェロさんは服の脇を指先でつまみ、皺を伸ばすように軽く引っ張って姿勢を正し、椅子に座り直す。
「脱線してしまいましたが、クリスタ湖は現況『元に戻った』ということでよろしいのでしょうか」
うーん、そこはさすがに訂正をいれておこうか。
わたしはあまり目立たないようにゆっくりと手を上げてから話し出す。
「一応、水は戻ってましたけど……魚とか虫とか、そういう生き物が戻るのは、もう少し時間がかかりそうでした」
「なるほど。残念ですが、仕方ありませんね。水が戻ったのであれば、いずれ生態系も元に戻るでしょう。――それとは別にティエナさん。今回もあなたが単独で竜を討伐したとか。冒険者たちが口を揃えて言っていましたよ、『あれはもうSランクにするべきだ』と」
うえええ? 帝国でSランク認定とかされて大丈夫なの? 神バレしないためには目立っちゃダメなんだよね? いやーもう色々遅いけど……。
「でもほら、今回はわたしひとりの力じゃないですし!」
イグネアが居なければ死んでたもん! というわけで、イグネアの手をぐいっと引っ張る。
「イグネアがいなかったら、絶対倒せなかったですよ! だから、あまり気にしないでください!」
これは本当の事だから! とりあえずノクを取り戻すまではこれ以上目立ちたくない……!
マルチェロさんはじっとわたしを見ている。わたしの瞳の奥から真意を探ろうというのか、視線を一切はずさない。……ちょっと怖い!
「いいでしょう、何かしら理由があるのですね。どちらにしてもランクの件は私の一存でSにはできないので、一旦保留としておきましょう。
——さて。シルヴィオ卿はいつまでそうしているのですか? この者に用件があるのでしょう?」
「もういいのか?」
「討伐の詳細を確認したいところですが、貴殿がここで大木のように根を張っている方が問題でしょう。――いつまでその力を腐らせておくおつもりですか」
「では、ティエナだけ借りていこう」
シルヴィオさんは腕を組んだまま首を少し横へと動かした。鋭い瞳に金色の巻き髪の少女が映りこむ。
その視線をまっすぐに受けたイグネアは、肩を竦め、静かにため息を洩らした。
「なるほど、わかりましたわ。竜討伐でしたらわたくしもティエナと共におりました。報告はこちらで済ませておきますわ」
シルヴィオさんは縦に首を振ると、腕をほどいて足を進める。黒壇の扉に手をかけ、わたしの方へ振り返る。視線だけを合わせると、そのまま扉を押し開けて出ていった。
……これ、ついてこいってことだよね? 口ついてるんでしょ! 声に出せ!
*
シルヴィオさんはずかずかと足を止めることなく進んでいく。
どこまで行くんだ? と疑問に思いながらついて行くと、冒険者ギルドを出て――そのままルーミナの郊外、シルヴィオさんが預けていた白馬の元までやってきてしまった。
シルヴィオさんは馬の背を軽くなでると、ひと息に背中に飛び乗り、わたしに手を差し伸べる。
「――乗れ」
「まってまってまって! どこまでいくの? 皆に行先言わずに出てきてるんだけど!?」
そこで怪訝そうな顔をするなぁ!
あなたと違って、こっちは集団行動してるのよ! 遠くに行くなら、行先ぐらい告げておかないと!
「あーもう、わかった。どれぐらいの時間離れるのか教えてよ?」
「二週間程度だな」
「二週間ね。じゃあそれがわかるように……えっ!? 二週間って言ったの!? 遠くない!?」
だから、そこで怪訝そうな顔をするなぁ!
「それってそんなに重要な件なの?」
シルヴィオさんは涼し気な表情で何も語らない。
たぶん何か重要な話なのだろう。イマイチどういうことかわからないけど、移動するってことはここでは話せない内容ってことか。それとも見せたい物があるのか……。あぁもどかしい。
「あぁ~~~、もう! わかった。ちょっと乱暴だけど門番の兵士さんにギルドへ言付け頼んでみるから、待ってて!」
幸い、門番をしていた兵士がクリスタ湖防衛に駆り出されていた人で、わたしのことを覚えていてくれた。だから言付けも無事に頼むことができた。
ギルドで言っておいてくれたら、もっとスムーズに事が運んだのに!
しかし、二週間も離れるの? わたし帰ってきてからまだスイーツ食べてないんだけど!
あーもう! 戻ってきたら、絶対にシルヴィオさんに奢ってもらおう。
ケーキ屋陳列全種類とか頼んじゃうんだからね!
――覚悟しててよね、シルヴィオさん!




