第60話 月明かりを映す水面
わたしの目の前には竜の氷像がある。
最後の咆哮の姿勢のままに青き牢に閉じ込められた『獄炎竜グラーヴァルガ』。その表面に、太陽の光が反射して水面のように煌いた。
乾いた大地が焼け焦げる匂いも、熱で膨張する空気の唸り声も、もう風の彼方に消えていった。
正真正銘、これで終わりだ。
わたしは氷像にそっと両手を伸ばして表面に触れる。竜の氷像は、ひび割れる音を立てたかと思うと――「ガシャァァン!」と派手に砕け散る。やがて、光の粒子となって空に溶けていった。足元には紫色に脈打つ魔核だけが残される。
「ご苦労様でした、ティエナ」
その声に振り返ると、そこには金の髪をなびかせてイグネアが優雅に立っている。それだけで、今わたしの胸は温かい気持ちでいっぱいだ。
「ありがとう、イグネア! よく来てくれたね! もうダメだと思ったよぉ」
ホントに、死ぬかと思った! そう思うと足の力が抜けてきちゃった。思わずペタリと地面に腰をおろす。
イグネアもわたしの隣に足を折るようにして座る。
「お役に立てたようで何よりですわ」
「役に立つどころじゃないよぉ。ひとりだったら無理だった! あーもーなんでもかんでもわたしに任せるのやめてもらおー!」
いいや、もう寝ころんじゃえ。両手を枕にして、そのまま地面の上に背中を預ける。 頭上からイグネアの笑い声が聞こえる。
「なんか、ひさしぶりの感じだね」
「そうですわね。半年経ちましたもの」
「そんなに経ったっけ。夏の終わりごろだったもんね。じゃあ、そろそろ寒い季節も終わりだねぇ」
そんなことを考えていたら瞼が重たくなってくる。
「あら、ここで寝ないでくださいまし?」
「えーダメー? ちょっとぐらいいいじゃんー」
そんなことを話しながら、また二人で笑った。
「そういえば聞きたい事沢山あるんだけどさー」
わたしが身体を起こしながらイグネアに質問しようとしたその時、
「ああああ! やっぱりイグネアさまだー! やほー! お元気でしたかー!」
遠くから大きな声と、土を踏みしめて駆けてくる音が聞こえてくる。
この声はオーキィだ。向こうも片付いたみたいだね。
わたしはイグネアと顔を見合わせた。
イグネアは立ち上がると、スカートの土を払う。
「積もる話は皆と合流して、帰りながらいたしましょうか」
そしてわたしの方へ手を差し出す。
「そうだね。また――一緒に行けるんだね!」
わたしはゆっくりその手を取って、立ち上がった。
*
街道に戻ると、冒険者と兵士たちの合同部隊もサラマンダーの群れとの勝利を皆互いに讃えあっていた。
ずっと戦場をかく乱していた燃える男は、突然燃え尽きたように空に消えたんだってさ。たぶん――竜に食べられたあの時だよね……。
わたしは、冒険者や兵士たち全員とハイタッチをさせられた。五十人以上だよ? 最後の方は手のひらが真っ赤に腫れちゃったけど、治療したそうに指をくわえてよだれを垂らしてたオーキィに治してもらった。
合同部隊はそこで解散。みなそれぞれが好きなルートでルーミナに戻る形となった。
わたしたちのパーティは、わたしがわがまま言って最後までクリスタ湖の側に残ってもらって、そこで一晩過ごすことにした。
――そして、夜が訪れる。わたしは、キャンプから抜け出してひとりでこっそりクリスタ湖に向かう。
月明かりが綺麗な夜だった。ランタンを持ってきたけど、無くてもクリスタ湖を一望できそうだ。
グラーヴァルガが居なくなったことで湖底から湧く水が蒸発しなくなり、ほんの少しずつだけど水を湖に戻している。
「このペースじゃ、なかなか貯まんないよね。やっぱり、ちゃんと湖の形にもどしてあげたいな」
おーし、いまからチャチャっとやりますかぁ!
湖がいっぱいになるまで《清流の手》で水を呼び出し続ける。星空と月を見上げながら権能を使う。ゆっくりとした時間が過ぎてゆく。
小一時間ぐらい経っただろうか。目の前には十分な水位を貯えた湖がある。
「生き物が帰ってくるのは……まだまだ先になっちゃうだろうけど、今はこれでゴメンね」
そうして夜の帳を抜けて、キャンプ地へ帰ることにする。
背後では、焦熱の大地にようやく静かな水の音が戻り、月明かりを映す水面が静かに揺れていた。




