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もと女神は冒険者はじめます!  作者: さわやかシムラ
◇◇ 第一章 ◇◇
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第10話 泡涙のさざ波

 頭の奥が、ずきりと痛んだ。

 浮かぶのは、薄く霞んだ記憶の断片。

 ──天界の、誰か。

 名前も、姿も思い出せない。でも、その誰かが自分のために書いてくれた。


 華やかな装丁に似合わず、中身は──

 まっすぐで、少し気恥ずかしくて、それでも愛おしいくらい甘い、恋の物語。

 神族が読んで泣くなんておかしいと、笑いながらも何度もページをめくったあの日々。


「天上恋歌……」


 ぽつりと、口から漏れた言葉に、ノクとイグネアが同時に顔を向ける。


「ティエナ?」


「これ……天界のとき、すっごく好きだったやつ……! ただの恋愛小説なんだけど……読み返したら、なんか……泣けてきて……」


 ぽた、と一滴。

 本の上に、水の粒が落ちた。


「……ティエナさん?」


 イグネアがそっと肩に手を添えたとき、ティエナの手元に──水が、にじんでいた。

 本の表面に沿って、きらきらと波紋のような揺らぎが広がる。


 その水が、ゆるやかな弧を描いて、彼女の掌に集まり、淡く光を帯びる。


 ──《泡涙のさざ波》。


 感情と記憶の交錯が、神性の扉をまたひとつ開いた瞬間だった。


「……いまの、なに?」


 ノクがぽつりとつぶやく。


「感情……この本に、関わった誰かの想いが……すごく伝わってくる」


 ティエナは少し目を潤ませたまま、ふらりと隣の棚に移動した。

 一冊、また一冊と本を手に取り、ページをめくるたびに、ぴくんと眉が動く。


「これは……うん、なんだか『書いた人が途中で飽きてる』って感じがする……」

「こっちは……わあ、すごく怒ってる。あ、このページは泣きながら写してる……」


 次々と拾い上げられる感情に、ティエナの反応もころころと変わっていく。


 そんな様子を見ていた店主が、カウンターの奥からひょこりと顔を出す。

「……ねえ嬢ちゃん、それ、どうやってわかるんだい?」


「えへへ、ちょっとだけ便利な力が出ちゃって」


 店主は怪訝な顔をしつつも、「まあ、壊さないならいいけどさ」と呟いて奥へ引っ込んでいった。


 そんな折、ティエナの手がある本に自然と伸びる。

 表紙には小さな星の飾りがあしらわれ、淡い色のインクでタイトルが印字されていた。

 ぱらりとページをめくると、ふんわりと優しい言葉が目に飛び込んでくる。


「『きみと星を待っている』……だって。ときめくタイトルだなぁ」


 数ページめくっただけで、ティエナの頬がふにゃりとゆるむ。


「……これ、好き。これだけは、絶対に欲しい……!」


 とろけそうな顔で恋愛写本をかかえるティエナの横で、ノクはそっと店内の奥を見やった。


「ティエナ」


「ん?」


「さっきの感応……権能が使えるなら、あの棚にあるやつ、ひとつ見てほしい」


 ノクが示したのは、少し埃をかぶった古びた棚。その中からティエナが引き出したのは、革の表紙もすり切れ、背表紙にはかろうじて『竜信仰と供犠の記録』の文字が読み取れる、見た目にも年季の入った一冊だった。


 水を媒介にそっと手を置くと、微かに震える感情が流れ込んでくる。


 ──畏怖。祈り。逃げ場のない崇拝。何かを恐れ、何かを捧げる。


「……これは……こわい想いを感じる…。けど、たぶん……ノクに関係ある」


 ティエナはその本も、静かに手元に加えた。

 そして、胸に深くしみこんでいた感情を、そっとひと息で吐き出すようにして──手にした本をぎゅっと抱きしめ、小さくうなずいた。


「……よしっ。じゃあ、お会計しよっか!」


 ぐっと気持ちを切り替えたティエナは、腕に何冊かの本を抱えながらカウンターへと歩き出す。


「『きみと星を待っている』、このシリーズ、全部一冊ずつください!」


「それから……この竜信仰の記録も!」


「あと、さっきノクが選んでたこの三冊。契約獣とか、精霊関係のやつです」

 ティエナは笑顔で、本を一冊ずつカウンターに並べながら言った。


「それも一緒にお願いします! それと……この“天上恋歌”って本も。わたしにとって、特別だから……」


 店主は本の束をざっと見渡しながら、指を折って数える。


「ふむ、『きみと星を待っている』は全4冊で……8枚。参考書が3冊で6枚。こっちの竜信仰の記録はボロボロだから1枚。

 天から落ちてきたとか言われてたこの読めないやつも1枚でいいや。全部で……16枚だね」


「はいっ、お願いしますっ!」


 ティエナが元気よく銀貨を差し出すと、店主は少し目を丸くしたあと、受け取った銀貨を数えながら言った。


「めずらしい子だねぇ……まいどあり」


 ノクはふわりと浮かびながら、ティエナに目を向けた。

「……ありがと、ティエナ。ちゃんと読むから」


 その直後、カウンターにもう一束、ずしりと重みのある本の山が置かれた。

 思わず目を丸くするティエナと店主の前で、イグネアが涼しい顔で告げる。


「わたくしはこちらを。おいくらかしら? あとで使いの者に取りに来させますから、預かっておいてくださいまし」


 その仕草も声も、どこまでも堂々としていて──まさに、お嬢様の風格だった。


 書店をあとにして、三人は再び街の大通りへと足を向ける。


 日は高く、通りには露店の呼び声と人々のざわめきがにぎやかに響いていた。


「ふふ、あの書店……いい雰囲気でしたわね」


「うんっ! 本の種類もすごく多かったし、あれもこれも気になっちゃって……!」


「買いすぎないように気をつけなよ?」


 ノクが軽く釘を刺すと、ティエナはにへらと笑ってごまかした。


「せっかくだし、ちょっと寄り道していこうよ。露店、なんかいいにおいする~!」


 少女の足取りは軽く、買い物袋を抱えたまま、次なる冒険に向かって小走りになる。


 その背中を追いながら、ノクとイグネアも自然と歩みをそろえるのだった。


 ──と、そのとき。


 通りの少し先で、騒がしい声が聞こえた。


「てめぇ、俺を不機嫌にさせてくれて……わかってんだろうなぁっ!」


 怒鳴り声の主は、数人の青年たちを前に仁王立ちしている大柄な男。

 見るからに乱暴そうな雰囲気…… ティエナは、ぴたりと足を止める。


「……あれ、喧嘩になりそう……」


 そのつぶやきに、イグネアが目を細めて前方を見つめる。


「少々、お待ちになってて。確認してきますわ」


 そう言い残すや否や、イグネアはスカートのすそを少し持ち上げて──すっと、人波を切るように駆け出した。


 遅れて状況を察したティエナも、驚きながら一歩前に出る。


「まって! わたしも行く!」


 軽やかな身のこなしで、イグネアのあとを追いかけていく。


 青年たちの顔が引きつり、周囲の空気がじわじわと張りつめていく。

 通りにいた人々が、自然と半歩、距離を取るように立ち止まった。


 誰もが「関わらない方がいい」と感じるような、そんな存在感がそこにあった。

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