第58話 焦熱の果てに
「ああああ! もう、マズイマズイマズイって!」
空から無数の炎の槍が降り注ぐ。
どうしよう。きっと全部はかわし切れない。とにかく範囲外に出たいけど、今から走っても……逃れきれない!
わたしは《清流の手》で水を操り、頭上の防御に集中する。とにかく厚みを持たせて、頭の上だけは守るんだ!
炎の槍がわたしの身体を掠めて地面に突き刺さる。
「あぁ! 痛ったいなぁ!」
ほんの少し腕をかすっただけなのに皮膚が切り裂け鋭い痛みが走り、さらに皮膚が焼け焦げてじんじんとした痛みが続く。
わたしの周りに、槍が次々と乾いた湖底に突き刺さる——頭上はなんとか守り切った!
空中で揺れ動くイゼンたち。空から聞こえる不快な笑い声——だけど、別の一体が視界の端をよぎったのをわたしは見逃さない。
水平に打ち出された炎の槍を、身を捻って回避する。
そこへ間髪入れずに、竜の尾がしなるように振り下ろされる。
「ちょっとは、手加減してくれてもいいんだよ!」
横に転がるようにして、なんとか直撃を避けるけど、竜の尾は地面を削り、砕けた岩と尾から噴いた炎が周囲に飛び散った。
すかさず水の防御を側面にまわして、飛礫が当たるのも防ぐ。
竜も脅威だけど、燃える男も危険だ。単純に数で押し負けている。
両手に炎を振りかざして走り寄ってくるイゼン。
掴みかかろうとしてくるけど、その動きは素人そのものでかわすのは容易かった。
人を傷つけるのは嫌だけど——これで大人しくして!
くるりと身をひるがえし、身体を沈み込ませると、足の腱を狙って刃をすくうように走らせた。——が、手応えが、ない!
切ったはずの足首からは炎が噴き出す。
イゼンが不自然なまでに身体の真逆に首を回した。——ニタリ。
イゼンが赤光を放ちながら大きく膨れ上がった。
そして眼前で爆散——わたしはとっさに腕で顔を覆うけど、その爆炎は《澄流の膜》を突き破ってわたしの両腕を激しく焦がす。すぐに自身に水を浴びせて炎上は免れるも、身体も服も焦げ跡が残った。
地面を転がりながら、イゼンと竜の射線から外れるように移動する。
「ぐぅぅうう! 我が身体を清め、あるべき姿へ戻せ! 『治癒』!!」
身体が淡く輝いて、傷がみるみる塞がっていく。火傷もきっちり治ったけど……!
「痛かった……! めちゃくちゃ痛かった!」
改めて《澄流の膜》で保護を強化する。
だけど、まだ燃える匂いが消えない。
焼けた地面から立ちのぼる熱気が、息を奪っていく。
立ち上がらなきゃ。今、止まったら——次は、本当に焼ける。
だいたい何今の? 幻影による爆弾? 悪質すぎるんだけど!
あんな感じでホイホイ爆発されたら身体が持たないよ!
……うん。よし、わかった。接近戦は禁止!
弓矢打ち込めば偽者かどうかわかるよね!
竜は後まわし! イゼンを優先! これでいこう!
イゼンの炎の攻撃は脅威だけど、どうも戦闘に慣れていない気がする。動きは緩慢だから狙いを付けさせなければきっとなんとかなる。
わたしは一定の場所に留まらないように気を付けながら、戦場を駆けまわる。イゼンが炎の槍を撃ち込んできても、それらは全てわたしの過ぎ去った後の地面に刺さる。
竜も大人しくしてくれているわけではない。
尾が横薙ぎに来た瞬間、反射的に跳躍。炎に包まれた竜の尾が足の裏を掠める。熱風が頬を打ち、視界が赤く染まる。
着地と同時に地面が爆ぜ、土と火の粒が顔に降りかかる。
力任せの爪攻撃が迫るが、それも横に転がって回避した。大地が砕けて無数の石礫が炎と共に宙を舞う。
竜の攻撃後、ここがチャンス!
わたしは弓を引き絞り、三体のイゼンに素早く矢を射かけた。
幻影の二体は矢がすり抜ける。だが、本体と思われるイゼンの太ももには深く矢が突き刺さった。
これで行動不能になってくれたら良いんだけど……!
「ぎゃああああああ! ななな、なんで、どうして、こんな酷いことをするんだぁぁぁ!」
太ももを押さえたまま、天に向けたイゼンの甲高い絶叫が耳の奥まで響いて脳を揺さぶる。
「痛い痛い痛い! あああああ! 嫌だ嫌だ! グラーヴァルガよ! 終わりにしよう! 俺の炎を喰らって全てを消し炭に! ふはっはは——」
グラーヴァルガが大きな頭を持ち上げると——イゼンを頭から齧り付いた。
「は?」
なにが、起きたの?
悲鳴が一瞬、空気を震わせて、すぐに消えた。
突如訪れる静寂——周りで燃える炎の爆ぜる音だけが耳につく。
グラーヴァルガが再び頭を空へ向けると、咽喉を大きくならして飲み込んだ。
炎の中で、何かが溶けるような音がした。
そしてその赤い竜の瞳に、イゼンの狂った笑みが、ほんの一瞬だけ映った気がした。
——目が、口が、鱗が、赤い光を鈍く放つ。
竜が甲高い雄たけびをあげた——衝撃が来る!
水の壁を前方に集中、慌てて頭を両腕で庇う。
咆哮に乗った極度の灼熱が岩肌を抉りながら周囲へ広がる。
大地が燃える。かつての湖は、いまや焦土と化した。
水が枯れていく。《清流の手》で呼んだ水も、すぐに使い果たしてしまう。
「火の竜だから相性良いって思ったんだけどなぁ……」
これは、絶体絶命ってやつかな。
頬から首へ伝う汗を腕で拭う。
グラーヴァルガの相貌がこちらを見据える。その目の輝きは、赤く、そして陽炎のように揺らいでいた。
大きく口を開き、咽喉の奥から盛れる獄炎の煙と共に、白い輝きが大きく膨らんでゆく——。
あぁ、灼熱のブレスがくるぞ。
頭ではわかっていても、防御が間に合いそうもない。水が、足りない。
グラーヴァルガの口から極大となった一筋の炎の奔流が解き放たれる。
少しでも、守らなきゃ……!
その場にしゃがんで、残された水とマントと両腕で、身体を守る。
視界が真っ白になる——。
視界も、音も、熱に溶けた。
——その時だった。
「しゃらくさいですわぁぁぁぁぁ!!!!」
声と共にあらわれた、わたしの前に立ちふさがる影が炎を一身に受け止めた——!
炎の輝きが逆光のように眩しくて、その人を影にする。
「なにやってますの、ティエナ! 立ちなさい、まだやれるでしょう!」
あぁ、この声、そのシルエット。忘れるわけもない。
——イグネアだ! イグネアがわたしの前で手を差し伸べていた。




