第57話 焦熱の奔流
ズタボロのフードの男。その瞳がぎょろりとこちらを見つめる。
「おまえ、俺を殺しに来たのか? 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 死にたくない! 俺は死にたくない! だからお前が! 死ね! 死ね! 死ね!」
ああ、間違いない。この歪んだ言葉に脳みそをかき回すような声。
「燃える男! なんで、ここにいるのよ!?」
「燃える男ぉ? なんだそれは? 俺には『イゼン』って名前がぁあああるう! 『火炙り』のイゼンだぁ! やめろ! 俺をその名前で呼ぶなぁ! こっちを見るなぁ!」
イゼンと名乗った男は、頭を抱えてしゃがみこむ。
狂ってる……けど、今がチャンスかも!?
《清流の手》で集めて来た水を解き放つ時!
相手に隙があるうちに——もっと、もっと水を増して!
身体の周りに揺蕩う水を空中へと集め、渦巻く水流を作る。
……まぁでも、竜が大人しく見てるわけないよね。
わたしの気配を察したのか、竜が翼を羽ばたかせた。
灼熱の突風が一帯を巻き込む。
熱風が大地を燃え上がらせ、至るところで火災が発生する。
そして炎の中から、新たなサラマンダーが這い出てくる。
え? さっきいっぱい倒したのに……また出てくるの!?
とにかく今は、風圧に耐えよう——足を踏ん張って、水が散らばらないようにも意識して。
吹き荒れる熱風の熱自体は《澄流の膜》がやわらげてくれる。
そして、熱風に誘われるように、周囲のサラマンダーたちが一斉に動き出した。
砂地を滑るように走る個体、岩肌を駆け上がって頭上から飛びかかる個体。
熱風の渦に混ざって、火球が雨みたいに降ってきた。
「あぁもう! 仕方ない!」
貯めていた水を少しだけ使おう!
身体の周りに水の防壁を展開して火球を受け止める。
とびかかってくるサラマンダーの爪撃は回避。すれ違いざまに喉元を正確に引き裂く。
ひときわ大きい個体が口を開き、火球を吐きながら突進してくる。
反射的に横跳びして回避、《水流の刃》で腹を薙ぎ払う。
炎と水がぶつかって爆ぜ、白い蒸気が視界を覆う。
その隙に別の一匹が、煙の中から突っ込んできた。
「きりがない!」
叫びながら、水の渦をさらに広げる。
焦げた匂いと蒸気が入り混じって息苦しい。
でも——今度は、わたしが押し返す番!
ちょうど竜も羽ばたきを止めた。
イゼンは未だに頭を抱えてブツブツと言っている。
——今のうちに、この地を一層してしまおう!
「この地の全てを流してしまえ! 《天涙奔流》!!」
わたしは手を突き出し、溜めた水を一気に解き放った。
轟音とともに、空から巨大な水の奔流が落ちてくる。
衝撃波のような風が頬を打ち、耳がキーンと鳴った。
干乾びた湖底は一瞬にして川のように変わり、濁流がサラマンダーたちを呑み込む。
波は止まらず、高台にいるイゼンと赤い竜へ——荒れ狂う牙のように食らいついた。
そう、食らいついたと思ったのだ。
「う、嘘でしょ!?」
竜の体表がひときわ赤く輝いた。
まるで内側から溶鉱炉を焚いたみたいに、鱗の隙間から熱が滲み出す。
赤い竜に近づいた水が、『ジュウ!』と音を立てて水蒸気へと変わっていく。
その足元にいるイゼンにも、水は届かない。
あたり一面に蒸気が立ちこめて、視界が霞んでいく。
——ゆらめく白いカーテンの向こうで、赤い影が高々と天に吼えた。
そして竜に続き、耳障りなイゼンの笑い声も、霧の向こうから響いてきた。
「ふは! はははは! ふははっはっははっは! こんな……このようなもので!
この湖を全て蒸気と化した、この『獄炎竜グラーヴァルガ』に効くわけもなく! ふはっははっは!」
……! 湖が枯れた原因は、この竜そのもの!? 本気で言ってるの!?
その熱で辺り一帯の水を蒸気に変えたとでも言うのなら——。
もし今、わたしが《澄流の膜》を解除したら、その熱で即死するってことじゃない……!
一瞬たりとも気が抜けない。
だいたいなんであの男は平気なの? ズルじゃない?
でも、ここでうな垂れててもどうしようもない。手は尽くさないと!
とりあえず霧が邪魔!
わたしは《清流の手》で霧を水の姿に戻して、かき集め、身体の周りに漂わせた。
視界が澄み渡り、竜もイゼンもクリアに見える。
「水がダメでも、弓矢ならってね!」
矢を番え、しっかり引き絞って……最大限の力で竜の眉間を狙う!
弦が軋む音とともに、矢が蒼い軌跡を描いて飛ぶ。
空を切り裂く音が耳を突き、赤光する竜の額へと一直線——。
けれど、そこまでだった。
矢尻が赤熱し、木軸が炭のように裂け、矢羽が一瞬で灰になって舞い散る。
「ははっはっははは! こざかし! グラーヴァルガよ! ゆくぞ、ゆくぞゆくぞ!」
イゼンが竜の前で両手を広げる。一瞬、イゼンの姿が赤く揺らいだかと思うと——その中から身体を揺らした人影が三人、現れる。
分身、幻影!? とにかく、目の前のイゼンが四人になった。
背筋がぞわりとする。嫌な気配しかしない。
「「「「死ね死ね死ね死ねぇぇ!!!」」」」
イゼンの声に答えるように、『獄炎竜グラーヴァルガ』も大きく吠えた。
——空気が震える。嫌な音がする。
天には数多の炎の槍。熱気と狂気を孕んだ空が、今、地上目掛けて降り注いでくる——。




