第46話 黒曜宮殿の命題
謁見の間を下がり、黒曜宮殿の長い廊下を並んで歩く。
高い天窓から差す光が大理石の床に反射し、二人の影を細く伸ばしていた。
「ご苦労様でしたね、シルヴィオ卿」
柔らかな声音で先に口を開いたのは、フードを深くかぶり、腰を少し曲げた老導師ネリオであった。
「……気を遣わせたな」
銀髪の騎士は短く答え、自然と歩調を緩めて老人に合わせる。
「陛下の御前では誰しも緊張するものです。それでもあなたは立派に務めを果たされましたよ」
ネリオは小さく頷き、労わるように微笑んだ。
しばしの沈黙の後、彼は穏やかな声で続ける。
「実際のところ、神の欠片の探索はどうなのです?」
シルヴィオはわずかに目を伏せ、顎に手をあてる。
「……順調とは言い難いな」
「……半年前、あなたの中の『欠片』が共鳴したのでしょう? 今は反応が無いのですか」
老導師はあくまで穏やかに、気遣うように問いを重ねる。
銀髪の騎士は短く息を吐き、吐き捨てるように答えた。
「……どうだろうな。気のせいだったのかもしれん」
ネリオは首を横に振り、なおも柔らかい笑みを崩さない。
「ご無理はなさらず。あまりご自身を追い詰めませんように。あなたは帝国にとって欠かせぬ騎士なのですから」
その声音には、叱責も疑念もなく、ただ温かな労りだけが込められていた。
シルヴィオは返答せず、廊下を歩きながらふと視線を遠くに向ける。
「リヴァードの孫に会った。いや、孫ではなく弟子か」
「そういえば、拾い子を育てているという話でしたね。どうでしたか?」
「よく喋るリヴァードという感じだったな」
「おもしろい表現ですね。きっと無鉄砲なのでしょう?」
シルヴィオは肩をすくめる。
「そうだな。だが実力もリヴァード譲り——いや、それ以上かもしれん」
「それは、どちらの意味で? 狩人としてか、それとも魔術師としてですかな」
少しの沈黙。
「……どっちもだ」
その返答にネリオはしばし考え、ふうっと老いたようなため息を混ぜた。
「里が滅び、秘術が失われるのを恐れて、持てる全てを継いだのですかね。歳をとると何かを残したくなるものですし」
シルヴィオはわずかに首を振った。リヴァードの胸中がどうであったか、誰にも窺い知れない――そんな顔つきだった。
「――あまり関わらせたくはないが、今の局面を打開するためなら彼女に協力を仰ぐ必要はありそうだ」
シルヴィオの言葉に、ネリオは目を細める。
「では、新生英雄パーティの結成ですか?」
意地悪そうに笑みを浮かべる老導師に、騎士は表情を変えずわずかに肩をすくめた。
「貴公もお供願えるなら、それも悪くない。そうであれば、シルマークにも声をかけよう」
普段は冗談など口にしないシルヴィオの言葉に、ネリオは驚きの表情を見せる。
「いやはや。顔色からはわからないものですな。いつになく上機嫌でいらっしゃったとは」
軽い冗談を交わしつつも、二人の歩みは確かに一つの方針へと向かっていた——ノアランデとも結び、南境を固め、教団の本拠を叩く。だが、それとは別にもっと根深い問題があることを互いに察していた。
*
玉座の間とは別の小さな執務室。
重厚な扉が静かに閉じられ、部屋の明かりは蝋燭の揺らめきだけが掌のように物思いを照らしている。
皇帝ヴァルセリオは机に肘をつき、冷えた視線をゆっくりと神政院院主セレノスに向けた。
「……シルヴィオの中にある神の欠片は、未だ取り出せぬのか」
声は低く、乾いたように床に落ちる。
セレノスは一礼をし、平然とした調子で答えた。
「検体が一体である以上、無理は利きませぬ。強行すればシルヴィオ卿の命を損ない、彼が失われれば欠片も共に消えかねません。そこだけは避けねばなりません」
「聞き飽きた言い訳だ」
ヴァルセリオの瞳が瞬時に鋭く尖る。皺ばむ指先が机を軽く叩いた。
「わかっておるとは思うが、セレノス。必要なのは『永劫の命』だ。
余も老いておる。長く待てるほど猶予はない。いざとなれば、欠片を失うことになったとしても、シルヴィオから奪い取れ。奴の生死は問わん」
部屋に一瞬の静寂が落ちる。蝋燭の火が小さく震え、二人の影を揺らした。
「承知しました、陛下」
セレノスの受け答えは簡潔で、まるで約束を交わしたかのように落ち着いていた。
その口許にわずかな笑みは見えない。だが、その無表情こそが、彼の意志の確かさを際立たせていた。




