第2話 かわいい女の子にはカマをかけろ
「さてと……これでいいかな」
僕は、しばらく入ってなかった兄の部屋を見渡して呟いた。主人を失った部屋はすっかり静まり返り、時が止まったかのようだ。使用人が定期的に掃除に入ってくれているが、それでも空気がこもるので、僕は窓を開け放して新鮮な風を取り入れた。
「アーサー、客人が来ると聞いたが本当か? しかも若い女性と言うじゃないか。珍しい」
父の声だ。最近はめっきり部屋にこもることが多くなった父が、わざわざ僕のところまでやって来るのは久しぶりだった。
「珍しいですか? 僕のモテぶりは父上の耳にも入っているでしょう?」
「家まで来るのが珍しいと言ってるんだよ。いつもはわざわざ招待しなくても、あっちの方から追いかけてくるだろう? 女には苦労しないはずだ。それだけがお前の取り柄なんだから」
「相変わらず手厳しいですね。自分では、家長としての仕事は如才なくやってるつもりなんですがね。そりゃ兄上ほどではないでしょうが」
「若い女が何しに来るんだ?」
「兄上のコレクションを見せるだけですよ。別に特別な意味はありません」
「何? ダニエルのコレクションに興味を示す女性がいるのか?」
父は明らかに驚いた様子だった。そりゃそうだろう。ましてやそれが若い女性なんだから。
「ええ。変わった人もいるものですね。ウィステリア庭園で偶然会ったんです。新種のクレチマスを写生しに来たとかで。それで、兄上のコレクションの話をしたら興味を示して。何でも男に生まれたら学者になりたいそうですよ。物好きですね」
しかし、父は沈痛な面持ちで黙り込んだ。父の柔らかいところを刺激したのかもしれない。僕も口に出した後で気づいたが、時すでに遅し。
そのうち玄関の呼び鈴が鳴って、ジョアンナが来たと報告があった。それを聞いた父はそそくさと退散した。
「お邪魔します。わあ……本当だ。すごい。これ全部お兄様が採取したんですか?」
部屋に入って来たジョアンナは、挨拶もそこそこに、床に並べられた植物標本のケースに目が釘付けになった。
「生前から不在時には管理を怠らぬように言われていたからね、今でも続けているので多分劣化は防げているはず」
「すごい、すごいわ。これだけの量を個人で集めたなんて、どれだけの時間と労力を費やしたのかしら。資料的価値も高いだろうから大学や研究所に寄贈した方がいいんじゃないですか?」
「それも考えたんだけど、具体的にどこに相談したらいいか分からなくて、あと……名残惜しかったんだと思う……兄上の気配が消えてしまう気がして」
興奮気味だったジョアンナは、真顔になって僕の顔を見た。
「ごめん、湿っぽい話はやめよう。自由に見ていいよ。本棚には図鑑や専門書もあるから貸してあげる。僕はここで適当にしてるから」
そう言うと、部屋にあるソファに腰掛け、足を組んで、暇つぶしに持って来た本を開いた。そう言いつつも、時折り本から顔を上げ、ちらりとジョアンナを盗み見する。
今日の彼女は先日の作業着とは違う日常着姿だ。こないだよりは幾分マシだが、それでも若い娘ならもう少し綺麗になる余地があるのでは? と思ってしまう。こないだも思ったけど、素材は悪くなさそうなんだよなあ。普通の娘が6割くらいの素材を8割ぐらいに上げる努力をしているとすれば、ジョアンナは、7割ある素材を5割まで下げてる気がする。
「ねえ、若いんだからさ、もっとおしゃれしようとは思わないの?」
「わっ! いきなり何ですか! びっくりするじゃないですか!」
つい油断してぽろっと本音を漏らしてしまった。普通ならこんな不躾なこと言うはずないのに。
「ごめん。ただ、見た目はかわいいのに色々損をしてるなと思って……。気分を害するようなこと言ってすまない」
「かわいいだなんて……そんなこと言うのあなたが初めてですよ。親にも言われたことないのに」
「えっ!? 親にも?」
「ええ。小さい頃からちんちくりんだの、華がないだの散々でした。おまけに植物が好きな女なんて変人と思われても仕方ないじゃないですか。だから何を言われても今更驚きません」
「今かわいいと言われて驚いたじゃないか」
「それは、真逆のことを言われたからですよ! 私がかわいいなんて、どこに目がついているんですか?」
ジョアンナのはっきりした物言いが僕は嫌いじゃなかった。むしろ面白いとさえ思った。だから、つい調子に乗ってしまったんだ。
「さっきから聞いてると、欺瞞だらけに思えるね。かわいくないならかわいくなる努力をすべきなのに、やろうとしない。それはなぜか? 自分に自信がないからだ。私がかわいくないのは本気を出していないからです、ちょっと頑張れば魅力的になれるけど、面倒だから敢えてしないだけですと自分を騙すことで自尊心を守っている。そんなの臆病者がやることさ」
「なっ……私はただ、外面だけ取り繕っても意味がないと思うだけです! そんなくだらないことより熱中できるものがあるから!」
「植物学のことかい? そういやこないだ、男だったら学者になっていたのにと言ってたけど、そんな甘いもんじゃないよ? うちの兄は長男だった故に家を継がなければならなかった。学者になる道を閉ざされたんだ」
当然、ジョアンナは顔を真っ赤にして口をもごもごさせた。貴重な植物標本を見せてもらった感謝と無礼なことを言われた怒りがないまぜになって、どう反応したらいいか分からないらしい。そうなるのも仕方ないよな。わざと仕向けたんだから。
「ごめんごめん。レディを怒らせるのは僕の趣味じゃないのに、らしくないことをしてしまった。お詫びの印として、あるものを受け取って欲しいんだが、ちょっと付き合ってもらえないかな?」
「へ? どういう意味ですか?」
「いやなに。ある服飾店に行って注文するだけさ」
「オーダーメイドのお店ってこと? そんな高価なもの受け取れません!」
「亡兄の秘蔵のコレクションを見せてやったんだ。こちらのお願いも聞いてもらえないかい?」
おかしな話になった。最初はお詫びをするという話だったのに、いつの間にか脅す形になっている。論理が通ってないことは百も承知だったが、彼女の方は気付いてないらしく、目を白黒させながら何が起きたのか分からないようだった。結局、僕のペースにまんまとハマって了承してくれた。
一時間後、僕たちは、馬車に乗ってオーダーメイドドレスの店へと足を運んだ。女性の付き添いでこういう店に行くうち、店のオーナーと顔馴染みになり、急なお願いを聞いてもらったのだ。オーナーは、僕の隣にいる女性が普段とは違うタイプなのを見て目を丸くした。それでもプロなので詮索することはしなかったが。
「これはペンデルトン様、いらっしゃいませ。今日は、お隣のご令嬢のドレスをお作りにいらしたんですか?」
「ああ、急な話でごめん。そうでもしないと彼女が逃げちゃいそうだからさ。今度の舞踏会用のドレスを作ってもらいたいんだ。彼女に似合うものを考えてよ」
ジョアンナはまな板の上の鯉のように怯えきっていた。この類の店には足を踏み入れたことがないらしく、傍目に見て哀れなくらいにおどおどしている。
「誰も取って食べやしないから、どうか怖がらないで。君が一番似合うものをプロが見つけてくれるから。王女様になったつもりでどんと構えていればいい」
「王女様だなんて。絶対無理だわ」
「無理だと思ってるうちはダメだろうね。でも僕なら魔法をかけてやれる。今度の舞踏会で今日作ったドレスを着てほしい。僕も行くから。知ってる人がいれば安心だろ?」
彼女の気持ちをほぐすために僕はニコッと笑って見せた。すると、彼女も幾分緊張がほぐれたらしくホッとしたような顔をした。僕の笑顔には魅了の魔法がかかっているんだ。これが効かない人間なんていないのさ。
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「没落令嬢と下僕で禁断のスローライフを」という作品も同時連載中です。興味がありましたらこちらもよろしくお願いします。